精霊石調査、水霧、其の弐
「納得いかない納得いかない納得いきませんわよぉぅ!!」
振り返れば音などないのにうぞうぞと鳥肌を全身へ呼び起こしてくれそうな幻聴を発している和やかさ皆無で霧の中を蠢き飛ぶ綿毛が無数に見える。
そんな物体へ時折虫取り網を振りながら、水を多量に含んだ足場の悪い水霧の地をバッチャバッチャと猛スピードで駆けて行くレミィが半泣きで叫ぶ。
近接者自慢の足で振り切ってしまいたいのを泣く泣く我慢し、振り返りたくないのを無理矢理振り返らせて虫取り網を振る。網を潜った蠢く綿毛は網の中へ溜まることなく瞬間移動。目には見えていない亜空間内にある大振りの瓶の中に蓄積されていることだろう。
そんな想像しながら俺のことなど目もくれず、一直線にレミィを追いゆったり速度はどこへ行ったと突っ込みたくなる速さで迫ってくる触手綿毛へ適当に網を振る。
この綿毛のどこに速度を上げる機能が備わっているのか今度アシスに聞こうと思う。
炎火ではちょろそうな獲物認定された同属性の俺と気に食わない反属性のレミィの三対一くらいの比率で追い回されていたのだが、見事な集中砲火。
同属性のレミィと反属性の俺、十対零の圧倒的大差でおモテになっているレミィの姿はお返しを通り越した憐れさを感じる有り様だ。
はてさて、俺の何が綿毛ちゃんにお気に召さなかったのだろうか。
高位火属性の俺は水霧にいるものたちにとって目障り極まりない存在であることは間違いない。とはいえ、火属性一点特化という訳ではない。水属性の値も低いとはいえ四大位の身、中級位と比べれば断然高い。だというのに、完全なる無視。
アウト オブ 眼中。
そのお陰でまったく追われていない俺は初っ端のうじゃっと気色悪いの衝撃が抜けて結構余裕があったりする。まぢまぢと観察さえしなければ少々大きな綿毛に見えるからな。一応。
属性値以上に低い水耐性が何か関係でもしているのかと思案してもいいが、一人ロックオンされて追われ続けているレミィの機嫌が大変悪く、それどころではなかったりする。
「どうしてイルファを無視しますの?!火属性だからですの?近寄れば燃えるとでも言いますの?どのみち綿毛を切り離して相手を苗床になさるのでしたらその程度燃えたところで支障ありませんでしょう!生存競争とおっしゃるのであれば反属性に向かって行くくらいの根性をお見せなさいな弱小生物!!」
早口で捲し立てたが、こいつ……。見た目不愉快、一人で追われて募るイライラ。
それが俺にも向かって行けよと叫んでいる理由の大半なのだろうが、どうかと思うぞその発言は。
まあ、手っ取り早く飛んで一気に捕獲、そのまま離脱、綿毛をやり過ごしてから本来の目的である精霊石の探索に集中という方法が取れないのもあるのだろうな。
いや、捕獲も離脱も出来はする。ただし、それをやると勢い余って収納先の大瓶の容量オーバー、大瓶破損、瓶から溢れた綿毛が亜空間内を死骸となって漂う。
なんてご遠慮願いたい悲劇が起こる可能性が高い。もしもそんな事態になれば亜空間内から一匹ずつ綿毛を掴み出すお掃除という更なる悲劇がもれなく付いてくる。
だから手間で時間をかけてもちまちま容量を気にしながら虫取り網を振る他ない。
それに、強い力に向かって行く生物の性質の所為で、力の集束場所である翼に群がられそうになった。あまりの絵面に飛ぶどころか翼を収納する始末だ。
緊急で法を必要とすることがありませんようにと警戒を高める代償付きだが、何度も見たい光景ではないので仕方ないとする。
振り切らず、追いつかれない。そんな適度な速度を保ち走っていると、風の流れか、それとも他より少しばかり飛行速度が出やすい個体なのか、結構近付いてくる綿毛が出てくる。それを高すぎる湿度と近付いてくる綿毛対策に纏った風で牽制し、虫取り網で捕獲している。悲鳴混じりの半泣きで文句言いながら。
「だから本能で生きてる奴に根性論持ってくるなって」
よし、と言った瞬間に残像すら残さずに走り去りそうな様子のレミィと併走しながら追いつこうとする綿毛を捕獲しているんだが、呆れ交じりに言った途端、たれ目返上のきつい目つきで睨まれた。
「うるさいですわ!こんな気色悪い物体に追われていないからと余裕な顔していないでくださいっ」
憐れさが滲む半泣き状態で、一応事実の突っ込み。
だが、一応が付く通り俺にも反論の余地はあったりするから黙る訳はない。
「俺だけ狙われてないのは狡いとか言って俺の真横を保ってんだから間接的に追われてるんですがねー」
「そのくらい巻き込まれなさい!」
「ぅお、すげー理不尽だな」
俺だって間接的にではあるがあんな気色悪い物体に追いかけられて不快だってのに、随分一方的に言い切ってくれることだ。
まあ、軽口に反応を即座に返せる余裕があるなら支障はないだろう。
そんな感じで下層域を一定速度で駆け続けている。
その不毛な追いかけっこ中にわかったのだが、下層域の水生生物が地上に姿を現さないのはこの綿毛の所為らしい。綿毛ひとつであれば恐らくこの水霧で最弱に位置するだろう存在だが、世の中には数の暴力という素敵で不吉な言葉がある。
一対一なら負けないが、多対一で群がられてはどうにもなりませんということだ。
道中たまたま隠れそびれていたのか、それともうっかりさんだったのか、地上に出ていた水生生物が黒く蠢く触手体に集団リンチされていくのを目撃してしまった忘れたい。あんなの直視できるのは特殊な奴だけだ。
アレは綿毛、白くてふわふわ飛ぶ綿毛、寄らず触らず遠巻きにしてさえいればたぶん無害な綿毛。そう言い聞かせながら捕獲を続けているこの虚しさを何と言おう。
恐らく的確な言葉がどこかに存在していると思う。見つからないだけで。
「っと、そろそろ瓶詰め終了じゃないか?」
「吹き飛びなさいっ!」
捕獲した凡その総量を考えて聞いたつもりが、間髪入れずな行動でしたと。
余程嫌だったんだろうな。身に纏う風の向こうへと突風を起こし、触手綿毛との距離を取った瞬間のほっとした顔が先刻の叫びより多弁にその心情を物語っている。
そのまま足を止めずに風を繰り、どうにか綿毛をやり過ごそうと考えているらしいレミィにバレないよう苦笑しながら、役目を終えた虫取り網を亜空間へ収納する。
「「っ」」
先にブレーキをかけたのはどっちなのか。翼を広げ、駆けていた次の一歩を突き刺す勢いで落とした足裏は、ぬかるむ地面を滑り削ったが目的通りに止まる。
同時に綿毛をやり過ごそうとして作っていた風の流れも止めた。
その所為で風の膜には次々と綿毛が貼り付き、うじょもじょと種子部分の蠢く触手が筆舌に尽くし難い光景を生み出してくれている。
これが予測できていたので足を止めたくはなかったが、そういう訳にはいかない。
進行方向だった場所に、水の気配。それも生物と思われる反応をレミィだけでなく、俺も察知したのだ。
探知も感知も役立たずな水ばかりのこの水霧で、反属性故により察知が難しい水属性の生物の気配を、水属性のレミィとほぼ同時に、火属性の俺が。
そのおかしさ故に揃って足を止めた。この判断は間違えていない。
大群で飛来し、レミィが作る風の膜へ貼り付き不愉快な見た目で視界を塞ぐ綿毛を少し強めの風で払い除ける。
綿毛を払ったところで遠方を見通すことは叶わない霧の中、それは起きた。
隠れた訳ではないが、息を潜めたことで少しばかり気配が薄れたレミィにではなく、前方にある強い水の気配に惹かれ流れて行ったいくつかの綿毛。それが地面から急に伸びてきた細い糸状の何かにしゅるりと巻き付かれた直後、枯れた。
いや、枯れるという表現は正しくない。どちらかといえば朽ちたの方が近い。
糸状の何かが触れた瞬間、持っていた水分を一気に失った綿毛は干乾び、塵と化す。
「……」
どこかで見たようなその光景。確認したくない気持ちを振り払い、次々と綿毛を塵へ変えていく何かの正体を掴む為に前方の霧を風で払い、視界を開く。
見えない敵に対処する、なんてのは却下だ。相手の姿を確認する。ただし、こちらの姿は見せずに。そう注意を払いながら慎重にレミィと俺、それぞれで風を繰る。
見せずに見る、そんな不自然を極力自然に感じられるよう調整する極小の水の粒。
目標位置からは距離があるのではっきり見ることは難しいが、それでも朧気にその姿を捉える。水分たっぷりの地面にぺたり、なんて無防備に座り込んだ人型を。
まだ幼さを感じられる背丈、こちらを向くその背にあるのは純白の翼。
――――天使だ。
「レミィ」
「お待ちを」
短い呼びかけを合図に俺たちはそれぞれ別の行動に出ていた。水霧で攻勢に回るのは俺、守勢に回るレミィは連絡役も兼ねている。いま必要なのは情報だ。
精霊石の有無が考えられた時点で水霧にはアシスによって立ち入り制限が掛かっている。にも拘わらず、この場所に存在する任務を受けた俺たち以外の天使。
何時、何故を四大へとレミィに問い合わせて貰いながら確かに存在するイレギュラーの観察を続ける。
霧にかすむ視界のなか見えるのは、白っぽい糸。いや、動きからするとこれも触手になるだろう何かと、それに巻き付かれて朽ちる綿毛。
天使に至ってはこちらへ背を向けたまま動く様子がない。……気の所為でなければ、昨日司令を経由して水霧へ四大の要請をかけた水天使に似ている気がする。
「アシスが封鎖後、入った天魔はいませんわ」
心声で確認を取るレミィの報告を耳に入れ、様子を見ながら可能性を考える。
その間に水霧で何が起きたのかの時系列を四大室で調べているだろう三人からの正解をレミィが伝えてくれるだろう。
王が発令する絶対厳守の命令、一級厳令。そんな効力はないが、立ち入りに申請が必要な危険域である場所へ四大がかけたのは立ち入り禁止という名の封鎖だ。
余程の馬鹿か自殺志願でもなければ通常は立ち入らない。通常は、な。
ざっと様子を窺う限り、水の気配は強いがそれ以外は大したことない。恐らく中級位の水天使。気になるのは霧に紛れるほど脆弱な水の気配しかしない綿毛は次々捕獲されているのに、糸状触手の向こう側にいる水天使は無視されていること。
何かしら反応する基準があるのはわかるが、それは距離か、それとも動作反応か。
「夜?私たちでも魔物の活動時刻に一点特化地へなんて入りませんわよ」
つい口を衝いて出たのだろうレミィの言葉に気は確かかそいつと言いたくなる。
アシスが封鎖する前、つまり昨日の夜に水霧へ立ち入った馬鹿がいるらしい。
たぶん申請なしの勝手にだろ、とそれをやらかした頭のおかしな奴が目の前にいる水天使かもしれないことを頭の隅に留め、風を繰る。
遠くから俯瞰しこの場所を見ることができたのなら綿毛の川だとか道だとか表現されるだろう大群ではあるが、アシス曰く自然淘汰案件。放っておけば水霧の地が適切な数に間引いてくれるという自然の摂理。実によくできたシステム。
だがしかし、今この場所で展開されているものは自然により生じたものか否か。
まるで捕食されているようにも見える光景ではあるが、何によって捕食されているのかがわからない以上、目の前で起きているこれは自然に反すると考えるべきだ。
このままの進路では最悪あの糸状触手によって根絶やしかもしれないと危ぶみ、やや強引だが風を繰り、外周側への迂回気流を作って綿毛の進路を変える。
同時にあの糸状触手の反応範囲を調べるため数匹の綿毛を大群の中から拝借する。
調査の為の尊い犠牲として塵に還ってくれ。
「…………」
すでに把握していた捕獲位置を中心として俯瞰、そこから上下左右へ綿毛を風で飛ばして糸状触手の捕獲反応範囲を手早く確かめていく。
それによって判明したのだが、あの糸状触手、身動ぎ一つしない水天使を中心にしている。どう考えても密接な御関係ということになるが、どういうことなのやら。
「イルファ」
嫌な仮説を立て始めたところで名を呼ばれ、注意は前方に残したまま首肯することで聞こえていると返事をし、レミィの情報へ耳を傾ける。
「中級位水天使、ハルファナ・アマジェカ。水霧へ要請を求めた昨日の水天使だそうですわよ」
「ああ、そんな気はしてた」
やはり、と思いながら続きを聞く。
「中距離支援型、特異性なし、司令未満。能力的に秀でたところもなさそうですわ。水霧へは夜に無断侵入ですが、その様子は正気とは言えないものだそうです。詳細はもう少しお待ちになってください」
大きなはずれのない答え合わせに息を吐く。少なくとも昨日邪魔になる前に帰れを実行した時には理性の宿る目でまともな様子だった。邪魔扱いに反抗的な様子もなければ異常なくらい畏まることもない。己の力量を弁え、危険に備えて上位者へ判断を仰いだ賢明さは、あの時まで確実にあったのだ。
そんな上位者の命令に逆らう真似をするように見えなかった水天使が、よりにもよって夜に無断で水霧へ侵入。聞くまでもなく正気じゃないだろうよ。
できれば勘違いで済ませたい仮説を組み立てながら中心点を水天使、ハルファナへ変えて糸状触手の反応範囲を再度調べていく。
「気配がおかしいですわ」
四大からの追加情報待ちになったレミィもこちらの様子を改めて注視し始めたようだが、問題なのはやっぱそこだよな。
「俺の気の所為じゃないんだな」
「……これでは天使ではなく」
はずれてくれていればいいところが、はずれない。
「「魔物」」
重なった答えに渋い顔になるのは仕方ないことだろう。お陰で仮説から仮が取れそうなんだからな。良くないものほど当たるのはやめて欲しいものだ。
重さを感じさせそうな息を吐き出し、レミィへと「よく見てろよ」と前置きをして背しか見えないハルファナの頭上へ向け、いくつか綿毛を飛ばす。
それを素早く伸びた細く白っぽい糸状の触手が捕獲、瞬く間に綿毛は塵と化した。
注視して欲しいのは塵になった綿毛でも、伸びて来た糸状触手でもない。その下。
伸ばされた糸状触手の根元だ。それは、身動ぎ一つしない水天使のハルファナから伸びている。
「……」
息を呑み、顔を歪ませ落とす沈黙は、仕方のないもので妥当なもの。
それを生み出したのは俺であり、目撃させたレミィでもある。
自分以外の間違いなしの確証の為、綿毛には必要犠牲になってもらったのだが、見れば見るほど言葉が舌から遠ざかりそうだ。
糸状触手の根元、それは肩に届きそうで届かぬ灰鈍色の髪であり、天使であることを示す純白の翼であったりする。だが、この時点でハルファナは天使以外の何かでしかない。例え翼があり、その色が堕天を示さぬ白であろうとも。
強いて呼べるとすれば、元天使だ。そしてそこに害悪が介在するのであれば、討伐対象。生かすことは、できない。
実に嫌な気持ちにさせてくれる結論に苦い息を吐く。
同時に事態の早期解決に回る冷静な思考が疑問を訴える。一体何が起きたのかと。
「……何かがあって、というか何かの影響を受けて変異したってことか?」
まともが正気を失い、天使が魔物になる原因。敢えて何であると口にせずとも頭に浮かび、恐らくそれ以外のものはないだろうと見当付けているもの。
「炎火みたいな合成獣に」
水属性一点特化地、水霧の地で作られた人工的な精霊石。
互いに動く気配のない相手から目を放さず、意見を交わす。
「普通の精霊石にそういった性質はありませんでしょう。そうなりますと、人工的に作られた属性濃縮の過程に取り込むや混ざる性質を付加したことになりますわね」
だよな。自然発生の精霊石ってのは力が集まり固まっただけのもの。
天魔が自力で作るものですら術式を介さなきゃただの力の塊でしかない。
生存本能と自然の摂理に基づき考えて、進化である変化ではない異形への変異は何をどう考えても普通に非ず。
そもそも炎火のバジリスクだっておかしいことだらけだったんだよな。
生成時間短縮に土地の火属性を吸収濃縮して作った精霊石をバジリスクが取り込んだのだとすれば、出来上がるのは能力を強化されたバジリスクのはずだ。
なのに、対峙したのは混ざり物。始まりになったもの、精霊石を取り込んだ素体が何かもわからぬ合成獣だった。
それが意味するのは精霊石が通常のものではないということだ。
事実それを裏付けしてくれている炎火の合成獣。あれは捕食したものを後付けの形で取り込み、混ぜていっていたんだろう。継ぎ接ぎだらけのフランケンシュタインみたいなものか。
さて、それを踏まえて今現在目の前にしている元天使、現魔物のハルファナの変異はどうか。
「属性適応で変質させ易くしたってことだろうが……、問題はいつのタイミングだ」
繰り返すが昨日要請を受けて水霧で会った時、ハルファナは間違いなく水天使でまともだったのだ。
「一体いつ、石を取り込むような隙があった?」
魔物がするように石を丸飲みなんて真似、まともな天使がする訳がない。
それが最初の疑問であり、問題点だ。
「夜の無断侵入が何かの止め、なのでしょうけれど。その時点で正気ではありませんものね。問題は当然その前になりますわ」
「封鎖後に入った天魔はなしなんだから、起点になるのは要請をかける前」
夜でもなく、封鎖の前でもなく、俺たちへ要請をかける前の話。
「ハルファナが水霧に入った頃、だな」
そこ以外に水霧へ結びつく何かの発生はないだろう。他所で発生させた何かを水霧へ結びつけるのだとすれば、凡庸な能力値の中級位ではなく、もっと上位の相手を標的にするだろう。
……もしかするとハルファナがこうなったのは、運とかタイミングが悪かっただけだったりするのか?水霧の中で仕掛けを作っていたのであれば、標的になるのは一点特化地へ入れるだけの力がある天魔。その多くは上位寄りだ。
うわ、そう考えると何を言っていいのか本当にわからなくなるな。
はあと溜息を吐こうとして隣から聞こえたそれ。視線は向けないが追加情報が来たんだろう。たぶん面白くないやつ。
「……現時点では何が原因でこうなったのかはっきりしませんが」
嫌そうな声で伝えないでくれないか。いや、笑いながらも嫌だが。
「例の濃縮水の水精霊を弾けなかったことが関係していそうですわ」
瞬間浮かんだ皮膚の上を走り続けた痛みの記憶。反射的に顔を顰めて腕を撫でた。
「げ、それが原因なら俺もアシスも危なかったことにならないか?」
頭上から降ってべったりと貼り付いてくれやがった忌々しいと吐き捨てられるアレが原因とか……。それを浴びた俺たちは大丈夫なのかって話になるだろうが。
なのに、
「かもしれませんわね」
この一言だよオイ。
まったく動かないが警戒すべき相手から視線外して睨むぞこの野郎。
「人事だと思ってさらっと言ってくれてんなお前」
「同じだけの時間経過でなんら変化も異変もないのですからそれを気にかける必要は今ありませんでしょう」
ズバッと言い切ってくれやがる。
確かに俺もアシスもいつも通りで何一つおかしなことはない。
「まあ、御水様を浴びたじゃなく、それで貼り付いた水精霊を弾けなかったことに問題ありなら支障はないだろうな」
レミィの一睨みで散ったからな。それがなくとも水霧の外にさえ出れば即引き剥がしてたから、浴びた時点でアウトじゃなきゃどのみち問題なさそうか?
「イルファ」
何がまずいのかを考えていれば、視界内に誰かのパラメーター画面が放り込まれる。いや、誰なのかは言われなくても察するというか、この状況でそれ以外の選択肢はないよな。
ハルファナを警戒している視界に表示されている画面は二枚。片方は中級位といった特筆するものも注目するものもないが、もう一枚は……。
「成程。なかなかのビフォーアフター案件ですわね。司令級が一日経たずに水だけ側近級の一点特化とは、また随分な変異ですこと」
水属性値だけがカン!と一気に跳ね上がった異常物。驚きではない息を吐くレミィに同意だ。明らかに何かあって、どう考えても水に関わる厄介事を示してくれているその画面に溜息の一つも吐きたくなる。
だが、俺が動かぬ背へ向け息を吐くより、レミィが息を吐く方が早かった。
それも嫌そうに。何か更に面倒な話かと眉根を寄せ、
「ちなみに微妙に上昇中。水霧にいるから水を吸っているのかねぇ、だそうですわよ」
ぎゅむいっと顔面に皺を作ってやった。共にその光景を見た馬鹿が言ったのであろう口調を脳内で無駄に再生したことに苛立ちながら後悔し、同時に納得した。
地面へ向けられた翼から伸びる半透明な白い糸。髪から伸び、地面から伸ばされ綿毛を塵に変える糸状触手。何故それが地面を経由しているのかに。
「つまり、アレは捕食してるってことか」
嫌そうな声だと自分でも思う。言葉にしなくていいならと思うが、共に行動するレミィがいるのだから会話という名の作戦会議は必須だ。
「例の奴みたく、水分急速吸収ついでに栄養も補給と」
この場合の栄養は水霧の地、それに綿毛が持つ水分及び内包されている水属性だ。
「悪食にも程がありますわ」
「違いない」
顔の中心に皺を寄せていそうなレミィの吐き捨てに同意を告げ、意図して作り出した沈黙で仕切り直しをする。
「さ、て。どう仕掛けましょうか」
心声を切ったと思われる好戦的へ移行していく声音に違う意味で息を吐きたい。
その争うことを純粋に楽しめる思考は時折羨ましい気持ちにならなくもないが、一瞬考えて即放り捨てる思考だ。
とりあえずは情報共有だな。面倒そうだし。
「触手の範囲が結構広いんだよな……。半径三メートル弱」
少しばかり誤差があるのは綿毛捕食の際に翼から地面、髪から地面と糸状触手が一度地中を経由している所為だ。それがない場合はもう少し範囲が拡がるだろうからの誤差。四大に問い合わせながらその測定光景を目撃していたのでそこへ深い追究はない。代わりに一つ息。
「死角らしい死角もなさそうですわね」
「一応全方向から試したからな」
触手の根っこは翼と髪だが、目は前にしかついていないはず。なのに背後へ飛来する、水霧の地の水の気配に紛れてしまう弱小レベルの綿毛を的確に捕食。
何を感知して捕捉しているのかわからないがハルファナを中心とした半球状、全てに等しい距離で反応してみせた。恐らく残る半分である地中位置にも同様で対応してくれそうだ。三百六十度死角なしとか勘弁願いたいんだが……。
「強度は如何ですの?」
「誘導程度の風じゃ揺れるだけ。それ以上は気付かれそうでやってないが、試してからにするか?」
いまのところは軽めの気流操作でちょっかいをかけてる程度。身動ぎ一つしないところを見るに、こちらに気付いている様子はなさそうだ。気付かれているのなら綿毛なんかとは比べ物にならない極上の餌に食いつかない訳がない。
「元が司令未満とはいえ、現状で側近級まで跳ね上がった水属性に髪と翼の変容ですわ。確か例の人工物は触れた部分から水分を吸収していましたわね。アレにその機能があれば回避は必須でしてよ」
「それに関しては……回避確定だろ。触手が巻き付いただけで塵だぞ、あの綿毛」
渋い顔をするのはよくわかる。面倒だよな。天魔の重要機関たる翼とその補助になる髪がああなってるんだ。その他も変異していると考えるべきだろう。
「見たところ人の形を保っているが、たぶん本体部分も触らない方がいいぞ」
でしょうね、と困った調子で同意が返された。
「となれば、水耐性があるのか試すべきですわね。吸収までできましたら私では役に立ちませんわ」
攻撃であれ防御であれ、その端から吸収、回復強化されてはという話。
積もり積もって手に負えない、なんて物にする訳にはいかない。
これは四大が受けた案件だ。
「凍らなければ選手交代だな」
「ですわね」
ここで終わらせる。次になど回さない。
「いくぞ」
その命、俺が負う。




