心配するのは当然です、其の肆
ぶつかり続ける視線と沈黙。答えを待つこの時間は好きではない。
なぜならば、言ってはいけないことを言ってしまったのではないか、余計なことを言って怒らせたのではないか、ばっさり切って捨てられるようなことをやらかしただろうかと否定的な無限後悔に襲われるからである。
「わあ、おちびちゃん凄まじい勢いで物申してるね。これはあたしでも驚くな~、早い速い」
そんな今度こそ答え待ちをしている小心者の耳に入ってきたのはまたしてもアシスの声でした、と。
沈黙が落ちそうになると口を出さずにはいられない、なんて訳ではないですよねキミ。そっと疑いの目をほんのちょっぴり感謝も浮かべながら心の中でだけ向けていれば、突っ込みはちゃんと入った。
「いやいや、誰でも驚くでしょうこれは。あの操作でこの長文って凄いよ」
心なし微妙な突っ込みが。
空気を読まない風天使、突っ込み属性持ちなのにここでボケ寄りとはどういうことだ。ちゃんと仕事しろよ。
「……感心するところがそこかお前ら」
うん、それだよね突っ込みどころは。内容でもなく指ポチに何故目を向けるかなこの二人。いや、わからなくもないよ。逆の立場なら内容に突っ込みを入れつつ、しれっと感心するだろうからね。うん。
ああ、溜息を吐きたくなるのはわかりますがやめましょうよお師匠さん。最初にそこ?とは思うけれど、注目点では一応ありますからね。別に擁護する訳ではないけれど、仕方がないといえば仕方がないと言えなくもない、ような……そうでもないような……。
何せボク、おちび四日目ですからね。通常のおちびさんがどんな感じなのかは見たことも聞いたこともないのでわかりようもないけれど、少なくとも思考回路だけは普通じゃない判定出てますもの。
尤も、今回の物申しはその普通じゃない認識を更に普通じゃないで上塗りした感じはするけれどね、うん。
でもさ、どうにもならなかったのよ。仕方ないのよ。だって、どうしても譲れないものだったの。
譲れば、何かが終わるんじゃなくて、私が終わるんだよ。譲れる訳がないだろう?
何を言っても意味がない訳でも、詰んでいる訳でもない。ちゃんと選択肢が存在しているのなら、そう簡単に自己を放棄はしないよ。
基本構造は単純で明快とはいえど、特殊な基準で動いている故に難解であることは否めない我が思考回路。悲しいことに時々自分自身ですら疑問に思うこともある不思議なものである。
でもまあ、今回はまだ分かり易い方ではないかしら。たった一言だもの。
私を必要だと言ってください。
言葉にしても文にしても短い。けれどこの短くも我が儘な願いが、いまの私にとって何よりも意味のあるものなのだから面倒くさい。本当に面倒くさい。
でも……確証がないと恐くて動けない。
どの口が言ってるんだと突っ込みが入りそうだな。その時の感情でがーっと捲し立てることは平気でやりますものわたくし。
で、その後で反芻してがっくりと膝をつき一人鬱々へ静かに移行。脳内の背景はやらかしちゃったねの文字で埋め尽くされていることであろう。なにせこの居た堪れない待ち時間の最中に文字が着々と入力されて脳内背景を埋めつつあるからな。
そのうち返ってくる反応が恐い。一度視線を外してしまった所為で戻すのに勇気が必要だなんてがっかり事態。ああどうしましょうかねあはははは…………。
やばい、ちょー逃げたい。しかしながらディルによる抱き上げがなくても完全自力の二足歩行はまだ早い運動能力。自力で逃走なんて何をどう足掻いても現時点では無理な相談です。
よし、女は度胸なんですよ。最早言葉に出し……否、文字にしてしまっている以上なかったことには今更不可能です。よって魔法の言葉を唱えましょう。
人生は諦めが肝心。例えその結果がデッド オア アライブ直行だったとしても、デッド オア ダイよりは遥かにましだと思います!
腹に力を入れ、長いビビり思考から現実に戻った私が見たものは、ぱちぱちと瞬いているイルファでした、と。
「…………」
ん?予想と違う。子供らしさ皆無の生意気発言に何コイツ的な忌避視線及び畏怖表情でも頂かなくてはならないかと戦々恐々と致しておりますのに、それ?
瞬きは驚きではある。でも驚愕とかじゃなくて、想像していたのとちょっと違った程度の軽めの驚き。恐ろしいものとか理解したくないものとして拒否をするのではなく、純粋に吃驚している感じがしているんですけれど。何で?
もっと激しく悲しい拒否拒絶を想定して身構えていたが故に予想外の反応を与えられてこちらはこちらでぱちぱちと瞬くことに。
そうして三度落ちた沈黙だったのだが、今度は誰も何も言わなかった。
しんと音を失くした場には先に感じた重く痛いものなどなく、あるのは静けさだけ。
―「リトに……」
ぽつりと零れた音が沈黙を破り、呼ばれた愛称にボクは無意識に首を傾いでいた。
―「リトネウィアに、俺は……必要なのか?」
は?
驚きを残したまま告げられ問われた発言の意味がわからず、傾いだ首を反対側へと傾ぎ直した私。
―「俺という存在は、必要なのか?」
そんな私の様子を見て問いを重ねてくるイルファが見せる感情は何だろう。
呆然ではあるんだけれど何処か……期待されているような、いないような。
なんにせよ、だ。必要の意味合いがわからないので下手に答えられないと指を動かすことにした。
< すみません。それは一体どういう意味で捉えればよろしいのでしょうか >
できればもっと狭い範囲で示してはくれないだろうか。漠然としすぎて答えに困る。俺を必要というのがおちびな私を擁護してくれる「保護申請者」として必要という意味合いなのか、それとも「保護者」としてのイルファ個人を指し示してのことなのだろうか。
似て非なる扱い故にどちらの意味で問われているのか、またどちらも違うのであろうかと判断に困ったので補足を求めれば、どうしてか戸惑われた。何でだ。
―「あ、ぃや……し、ん配をしてくれて、怒ったり感情を向けてくれる……その、えっと…………っ」
おい、はっきり言え。いまの確認のどこにどもる必要性があった。
顔色が血の気を引かせてから良好になったのはよろしいことだろうが頬をうっすら赤らめる話ではないと思う。それとも私が間違えているのか。
―「大切、な人……って、その括りに俺が……いる、のかなって」
保護者殿、あなたは私の文面を直ちに読み返すがよろしいと思いますよこんちきしょい。
やる気に満ち溢れている表情筋ならいまの発言直後に威圧の意味合いしかないにこやか笑顔を作り出しただろうが、生憎働く気がないのか鈍いだけなのか駄々漏れ目と異なり感情直結じゃない我が顔面はきっと能面。
だから反射ではない意図した感情を示すことにする。……表情筋以外で。
< イルファ・ソル・フライトシェネレス >
―「はいっ?!」
はあっと何をどう取っても溜息にしか取れない息を吐きつつ、通信画面にフルネームを打ち出せば、ビクリと肩を震わせる。
この天使、新生にとって遥か高位の四大火天使様だってのに何でこんなちび助にビビる反応を見せますのかさっぱりですよ。
まさか目以外が能面真顔で恐いとかおっしゃらないだろうな。私自身も知ったばかりの顔面事情に文句があるとか言われたら流石に立ち直れんのだが。
そんな疑問は一先ず置いて、述べたいことを告げ直しと参りましょう。
< 貴方様は生まれることすら危ぶまれた私をこの世界に生きていていいのだと繋ぎ止めてくださった決して失えない楔です、と申し上げましたよ。これが大切に区分されないのであればその他の方々は一体何と表現させるおつもりですか >
まさかゴミ塵扱いしろとでも?冗談でも聞かんぞそんな戯言。
現状の心象好感度ヒエラルキーでイルファを頂点、その感情区分を普通にした場合、あなたの下に配置せざるを得ないお世話になりっぱなしのディルを筆頭とした四大位の皆様方は一体何で示せばいいんでしょうかね。
普通の下ってなんですか?考えたくもないですよこんにゃろめ。
正直イラッとしながら綴った喧嘩腰の文章だったのだが、この人はどうして怒りもしなければむっと苛立つでもない反応なんでしょうか。
教えてお師匠さん、後でいいので。
―「…………っぁ、じゃ、じゃあっ」
何故にはっきりしっかりわかり過ぎる程にわかる期待に満ち満ちた目で私をご覧になられますのか保護者殿。暗雲晴れて太陽光線大放出、真夏の日差しもかくやと言わんばかりに熱量を上げられたお日様色の視線がちびっ子特権魅惑のもち肌に刺さって熱くて痛いです。
―「俺は、イルファはリトネウィアに必要ですかっ?」
どうして丁寧な意気込み系疑問。あんたさっきから私の言葉を理解してんのかよ。
そんな身も蓋もない突っ込みを入れたくて堪らないのを自重するのは、最初に求めた補足が返って来たからである。質問に解を返す順番としては私の方が先になるので不服の申し立ては一旦取り下げである。
< 必要です >
短くはっきりシンプルに。変に勘違いさせて話がややこしくなるのを望まないなら、こういう言葉はそれ以外に受け取りようのない言葉で答えてあげるのが一番です。
ただ生き長らえる為だけの「保護申請者」としてなら、答えはNoなのだ。
生きていくだけなら誰が保護申請者であっても関係ない。そこにあるのは利害関係であって意味は何もないのだから。
だが、それが「保護者」となれば話は別である。「保護申請者」と「保護者」は違う。
「保護申請者」というのは生活を保障してくれる意味合いでの護り保つもの。
「保護者」は親兄弟等の親類関係、つまるところが家族である。
血やそれ以外の縁によって生じたものによって庇護する対象での護り保つ者。
だからとっくに失ってはならない存在として確立してしまっているイルファは、私にとって「保護申請者」ではなく「保護者」なのだ。呼び方としての保護者殿にはどちらの意味合いも含まれていたりするのだけれどね。
「俺」というどちらの意味合いでも取れる名詞ではなく「イルファ」という固有名詞を出してくれたので答えられたそれ。短く勘違いを生まないよう答えた上で次の言葉を綴る。
< むしろ私の方が必要なのかどうかを問い >
たいのですが、そう打ち込もうとした手は止まった。止まらざるを得なかった。
「っ」
ひくりと音を紡がぬ咽喉が鳴る。
砂糖にガムシロップ、水飴、蜂蜜、練乳、etc. 混ぜに混ぜて完成する甘味の混沌。
人様の表情と感情を例えるものとして持って来るものではない只管に甘ったるい決して口にするべきではない物体Xに鳴ってくれない警鐘仕事しろ。
これはまずいどころか完全にやらかしたと意味が分からないのに訴えてきている現状で、逃げろの指示が出ないのはどういうことでしょうか本能さん。
逃げられる訳ないじゃんあっはっはー、諦めろって最初から高らかに笑って白旗挙げているわけじゃないですよね。そうだと言ってください。ぞくぞくと背中をマッハでシャトルランする悪寒が止まりませんよ本能さん!
―「そっか」
ひぃいいぃぃいいぃいいぃーーーーーーっっ!!
どこかの芸人とはちょっとどころかかなり異なり戦慄で叫び出したくなるほど甘い声音が通信画面越しかつ周囲に万遍なく聞こえているオープン会話のはずなのにピンポイントで私の耳朶を撫でてくすぐり耳の内側へ熱い吐息と共になんともいやらしく入り込んでくると感じる私は頭がおかしいのでしょうか沸いてんでしょうか欲求不満なんでしょうか誰か教えてくださいっ!
煩悩ですか?百八ですか?出家ですか丸坊主ですか誰か剃刀持ってこーいっ!
「詰んだ」
混乱極まる我が脳内にグサリと無慈悲に聞こえた三文字はすぐ傍らから。
「っ!」
お師匠さんっい、いまなんとおっしゃいましたか?!
逸らしてしまいたいけれど逸らせたが最期となりかねない得体の知れない恐怖に、蕩ける笑顔を向けて下さるイルファから視線を外さず、はしゅっとディルの服を縋って握った私。その意味に気付いてくれるとあっしは信じておりますお師匠さん。
『…………ご愁傷様』
お師匠さぁあああぁああぁーーーーーんっっ!?
乙女ゲームでも滅多にお目にかからないキラキラエフェクト甚だしい同僚を止めてくださるどころか遠回しの諦めろ宣言とかないでしょう!つーか何を諦めろって言うんですか?私それすらわかってないんですけれどぉおっ?!
「「ぅわぁ……」」
哀れんでいるとしか聞こえない残る火風天魔の二重奏とかマジいらない!
誰が求めたそんなものっ。私が欲しいのは説明と乙女ゲーで作り上げたキラキラ耐性を鼻で笑って超えて来たイルファの極上甘笑み停止ボタンだ!しまいには泣くぞっ号泣だぞっ見るに堪えない顔面を晒してやるぞこんにゃろう!
―「そっか……。俺にも、イルファにもリトネウィアが必要だよ」
あ、はい。誤解も勘違いもさせてくれない固有名詞での必要発言、誠にありがとう存じます。
ついでにその直視に耐えかねる極上甘笑みを早急に回収して頂けませんかと勝手ながら願い乞う次第で誠に申し訳ございません。
―「だから……ごめん」
しゅんっと急に萎れてどうしたのかより極上甘笑み解除に諸手を挙げて万歳三唱したくなった私はどれだけ必死だったんでしょうね。
―「怪我をしない、とは断言できないけれど隠すことはもうしないから……その…………怒らないで、くれないかな?」
爽やか系美青年の上目使い御馳走様です!と、はしゃげない私の消耗具合に合掌願う。
< いえ、こちらこそ身の程わきまえぬ数々の無礼発言、大変申し訳ございません >
すり減ってはいけない何かがゴリゴリと削り取られた状態で返答した私の頭を誰か撫でてください。それだけで和んで多少復活しますから。
―「リト、その必要以上に丁寧な言葉は今後俺に向けないように。礼儀正しいのはいいことだろうけれど、家族にそれは他人行儀だぞ。俺は嫌だ」
めっと怒ってむすっと拗ねる。え、何この乙女ゲー。脳の容量遥かに超えて爆発寸前なのにそんな要素をぶち込んでくるとか鬼畜にも程がありますよ。私に一体どうしろとおっしゃるっ。
そんな混乱極まりない私の指先が弾きだした最適解。
< 善処します >
別名、遠回しの断り常套句。
―「…………リト?」
即行でご不満頂きましたありがとうございました。むすっと表情は違うタイミングであるならばおいしいと笑えたでしょうけれどもいまの私にそんな楽しむ余裕はナッシングであります。
< 即座に順応できる器用さんじゃないんです。お手柔らかにお願いします >
勘弁してください。おちゃらけ全開、性根の悪さもフルスロットルなのは前世でも血の繋がった家族と片手で余るごく一部の友人限定だよ。いくら触るな嫌だの人見知り枠から外れているとはいえ初めましてからたった四日。すぐに寝こけるおちびの活動時間だともっと短いお付き合いの人を相手に本性さらけ出せる訳があるか。そういう意味での人見知りは現在進行形で継続中ですよ。無茶言わないで。
顔面どころか全身硬直のガチガチ。そんな必死な内心には気付いてくれないイルファは不満を維持してふぅっと一つ息を吐く。
―「……仕方ない。怪我を隠そうとしたマイナス分妥協する」
それがなかったら無理矢理本性暴こうとしているってことですやん!何それひどいっ。
戦々恐々、怯え一択のガタブル状況でも主張をやめない私の蛮勇。
< もう少しご容赦ください >
切実な願いは、
―「家族に遠慮はなしだろう?」
正論でばっさり。大変よろしい笑顔ですね、保護者殿。攻め攻め立場をあっさり逆転させられて私の心は涙目よ。
『ご愁傷様』
そこで追い打ちをかけて来るなんてあんたの血は何色ですかお師匠さん!
やめてっ画面外で密かにぽむぽむ宥めないで!より、凹むじゃないか……っ。
「あー、ところでイルファ、連絡してきた本命内容は何かな?」
もう何も言えることはないわとばかりにフリーズした私が余程哀れだったのか、それとも膠着状態もしくはイルファの無双が始まる前にどうにかしたいと思われたのか。棒読みも甚だしいがアシスの差し出した話題によってようやく話が変わりそうである。
いいぞお調子者。もっとやってくれお調子者。私の失敗がかき消されてくれるくらいの大惨事をいまここに!
―「ああ、ちょっと確認したいことがあって。見てくれるか?」
「あいよ了解。何事で?」
なんてことを考えているんだこの見た目だけお子様と罵られそうな私は放置して、真面目な話が始まりそうである。話が逸れるのは良いことだ。歓迎する。
―「炎火の地の数値は正常範囲に戻ってるか?出る前に調べた時には断続的に異常値を叩き出してただろう」
歓迎したが、それは新生位が聞いていい話なのか。
どう聞いても本日のお仕事、しかも途中経過とお見受けいたしますよ保護者殿。
「あー……、うん」
カタタタタタと軽やかにアシスの指がパネルとキーボードの上を走り、イルファを映し出している画像を避けた場所に次々と別の画面が展開された。
地図、に……グラフがいくつか。話の流れからきっとこれらが炎火の地のものであることはわかる。見ていていいのか、目を逸らして何も聞いてませんアピールでもするべきなのか迷う。
だが、はいはい子供はあっちですよ~なんて、退去させる素振りはディルにもマリエルにもイルファの要望に応えているアシスにも、ない。となれば、流れに身を任せて見聞きしていてもいいのかしらね。
そんな結論で落ち着こうとしている間にもふざけた色のない金色の目は忙しなく展開している情報の上を流れて行く。
「二、三時間置きに異常値を一瞬観測してたのが、こりゃレミィだね。炎火で水属性高濃度、本気で容赦なく一撃必殺じゃないのよコレ。ご立腹現場に居合わせなかったことを幸運に思っちゃう」
訂正、ふざけた発言くらいは出て来るようである。
ただ表情と声の調子がからかうぞといった分かり易くにやにやしていないのにその口調は違和感がある。
―「もう少し労われ。戦闘狂の補助に回らなきゃならなかった俺を労え」
「お疲れ様~?」
―「……お前に求めた俺が馬鹿だった。解析の続き頼む」
イルファの方を見ずにさらりと答えたアシスに私のような違和感を覚えないのは慣れなのか、それとも真面目な中での息抜き会話要素だったりするやり取りなのだろうか。
なんとなく、これは通常のやり取りなんだろうなってことだけがわかる。
「あいあい。イルファの腕をジューシーな焼きお肉にしそこなった熱量発生の後は、落ち着いてるね。最深部付近で細かく揺らいでる反応があるといえばあるけれど、これはレミィの法と爆発拡散で炎火の属性均衡が揺らいだのを正そうとしているんだと考えていいはず。精確なところは担当に報告願うのが安全だけど、現状の様子だと炎火の異常は解決したと見ていいかな。異論ある人」
「「ない」」
ディルとマリエルの返答を受け、イルファは小さく頷いたが、「そういえば」と次の疑問を口に昇らせた。
―「炎火で飼育実験してた生物がいたとかレミィがぼやいてたが、何だ?」
「飼育実験?ちょっと待ってよ……んー、これかな?サンドワームを砂地じゃなくて溶岩石地帯で飼育して生態変化が見られるのかどうか。どちらかといえば観察記録かなこれは。でも区切ってた範囲に何かが侵入し捕食形跡有り、か。食べられたのではい終了ってなってるけど、それがどうかしたの?」
―「…………竜種には届かない格下も下でも亜竜種が混ざればそりゃ硬いわな」
すぐに情報を探し当てて応じたアシスの回答にぼそりと呟く保護者殿の目が遠い。
何があったんだイルファ。ちょっとばかり興味をくすぐる発言だった気がしなくもないんだが気の所為か?
―「あー、炎火はもういい。ありがとさん」
「ってことは水霧ね。念のため昨日の時点で立ち入り注意と制限理由を追加して中級位以下にはことが済むまで入れないようにはしてあるわよって、ん?」
遠い目こそしたが戻ってくるのは早いイルファと、礼を述べた言葉を聞くや否や開いていた多くの画面を閉じたアシス。閉じたかと思えば同じような別の画面、発言から水霧の地だと推測される情報を次々と開いていたのだが、疑問の声と共にアシスは止まった。
―「異常か?」
片方の眉を上げたイルファの端的な問いに、問われるアシスは一度止まった指先を動かしながら首を傾げていた。
「異常、といえば異常?水霧で炎火みたいな異常値は観測してないけど、中層域で妙な揺らぎが起き続けてるのよね。で、その揺らぎの範囲が拡大してる。ついでに外周方面に流れて行くについさっき変化。属性値は……範囲内か」
カツコツとキーボードを爪で叩いているアシスは表示させている多くのグラフを見直して悩んでいる様子だ。
その様子はとても真面目なもので、本当にお調子者と呼ばれるあの火悪魔で間違えていないのだろうかと思いたくなる。
「生体反応とは違う、とも言い難いんだよねー。霧が濃くて高難度ワード潜って映像見ても碌なもの見えないから骨折り損だし……。イルファ~、腕の調子は?」
ふぅっと息を吐いて椅子に身を沈めたかと思えば、いままでにらめっこしていた画面から目を放し、イルファが映る画面を見たアシス。
―「粗方。後は自然治癒でもいけるが、急いで確認した方がいいのか?」
何故何どうしてのない会話。腕の調子を聞かれただけのイルファは負傷した両腕をまだ泉につけたままだが、必要があるなら治療を切り上げる様子である。
大丈夫なのだろうか。
不安に思ってきゅっと小さな手を握るボクに気付いてか、大丈夫の言葉の代わりにぽむぽむとディルの手がやさしく背を打った。ご迷惑おかけしております。
宥めて貰っても一息つけないのは再びグラフを眺めるアシスの表情が渋いからだろう。その場所に、イルファは向かわなくてはならないのだから。
拭えない不安を表情ではなく目に浮かべているだろう我が視線の先で難しい顔をし、首を捻っているアシスが唸り声とまではいかない声を上げている。
「疑問解消ならそうだけど、なんとも言えない。数値的には正常範囲内だからひょっとすると水霧の弱小生物が大量移動しているだけかもしれないからさー。過去に似たようなことがない訳じゃないんだよね」
―「それなんか聞いたことあるな。大量の綿毛が飛んでたとかじゃなかったか?」
綿毛といえば、タンポポだよね。白くてほわほわしていて、風に吹かれて遠くまで種子を運ぶお花の最終形。
沢山の綿毛ちゃんが飛んでいく光景は非常に絵になって綺麗だと思う。
アシスの言葉に記憶をたどったらしいイルファが疑問付きで答えたものをぼんやりと想像していたのだがね。
「正確には綿毛にしか見えない寄生系の植物生物。親指くらいの種子っぽい部分よく見ると触手が蠢いてて、引く」
―「行きたくなくなったんだがどうしてくれる」
何そのキモいの。
真顔で即答したイルファとほぼ同時に出てきた我が感想。なんだその吃驚ではなくドン引きな物体は。いっそ幻想的でもあるかもしれない白い綿毛の舞う光景が一気にホラーへと変貌するそんなサプライズはいらない。ひっこめ。
種子部分が良く見ると触手?与えられた餌団子に群がる養殖ウナギ、熱さに耐え兼ね豆腐の中に逃げ込むどじょう豆腐のドジョウ、雨水が溜まった鉢の中で大量にわいたボウフラ、タッパーにみっちり詰まった活きの良い釣り餌のワーム。
……どれも想像するだけで鳥肌ものの光景なんですけれど、それが何?
綿毛ちゃんの種子サイズが親指サイズですって。あはははは、でかくない?
親指サイズの蠢く種子が付いた綿毛が大量に移動しているそんな現場に行けと?
嫌過ぎるだろう!行きたくないとイルファが言うのは当然だと思うぞ私は。
拒否を口にしたイルファの反応を前にしたアシスは、面倒くさそうな顔をしていた。
ただし、視線はイルファの画面方向へと向かってはいるが目を合わせている訳ではなく、思案している様子だ。
「もしそれなら行かないのが一番なんだよねこれが。一応生態系の維持に必要なものらしいからどんなに不愉快な見た目でも燃やす訳にはいかないってね。自然淘汰を待ちましょう案件」
そんな物体が生態系に必要な地ってどんな地なんですかアシェリスさん。
水霧の地って霧深い場所って印象しか私にはないのですが、そちらには一体全体どんな不可思議生物が跋扈してはりますのん。蠢きながら宙を漂う植物の種子、いやこれそもそも植物なのか?そんなのが自然淘汰されるってどんな生態系なんだよ。これが普通ですとか言われたらかなりの絶望感がありますよ水霧の地。
「判断できないから見に行かなきゃいけないんじゃないの?」
ひぃとか遠い目をして考えていれば、キモい物体の存在にではなく大変義務的な発言をしているマリエルがいて二重の意味で衝撃ですね。
つまりはそんな物体がいるのは珍しくもなんともないってことでそれを確認してくるのがお仕事ってやつなんですよって本当にまともな意見ですよね。
世知辛いな仕事ってのはよぉ。
「そーそー。遠目で確認できればいいのにそう簡単にはいかせてくれないのが水霧特性。しかしながら近付きすぎると活きのいい標的発見!になるから襲って来るよ」
襲って来るんかいっ!!本当に一体何なのその種子!
もじょもじょと蠢く種子が大量に群れ成して四方八方から取り囲んでくるなんて悍ましい以外の何ものでもない想像を働かせてしまい震えた。
脳内映像がえらいことになってしまいましてえぐいことこの上ない。美しい綿毛映像よさらば。
とんでも想像で引きに退いた我が手が無意識にはしゅりと服を掴み、表情こそ能面万歳状態ではあるが多弁な目が虚ろになっている。
そんな私を見て眉を持ち上げたディルがいるのだが、イルファとアシスのやり取りに意識を持って行かれている故に気が付くことはない。
「……襲われてるのに必要物だから燃やすな、か。見た目が不愉快なのに風で只管払い除けてあるのかどうかもわからない精霊石を探知しろとは面倒だな」
はあっと溜息を吐きながら意見を述べるディルへとアシスが顔を向け、へらりと真面目な表情を崩した。
「そうと決まった訳じゃないけどね。頑張れ、イルファ!」
そしてそのままイルファに向き直って大変よろしい笑顔でサムズアップ。
―「楽しそうに言ってんじゃねえぞこの大馬鹿野郎。もしそれだったら一匹捕獲してお前の顔面に放り投げてやるからな」
「えーやっだーさいてー。おちびちゃん聞いたー?あの男か弱い女の子にキモい生物けしかけようとしてるんだよー。信じらんなーい」
くねくねと自分で自分を抱き締め体を動かし、ニヒヒヒとか完全に悪戯っ子の目でボクを見て棒読みで訴えられましても困るんですがね、お調子者さん。
ちらりと見た画面の向こうの保護者殿の顔をよぉくご覧くださいませ。
―「直接俺に沈められるのと、いまの発言を伝えられて笑顔になるレミィをけしかけられて沈められるののどっちがお好みだ?」
ちっとも目が笑っていない口元だけの笑みに込められているのはどう考えてもお怒りでございましょうよ。
行かなきゃいけないのに行きたくなくなること言っただけならまだしも、人の不幸を安全圏から愉快に眺める控えめに取ろうとしても性格悪い発言プラスふざけた発言だもの。遠慮なく意見を述べさせて頂ければ、馬鹿じゃないの、だ。
やわらかいお日様色じゃなくて鋭い刃先に光り視界を焼く光線みたいな物々しい雰囲気を醸し出しているイルファにか、それともなんてことないことを告げるように届けられた物騒な発言にか。
一拍の間を空けてアシスがボクを真顔で見た。
「おちびちゃん、君の保護者殿はとっても心の広い奴でね。些細な冗談にも怒らず鷹揚に笑って水に流してくれるいい男なんだよ素晴らしいね!」
潔い手のひらの返し方である。必死さが如実に伝わり生温い笑いを返して差し上げたくて堪らないです。
つーか、フォローしろってことなんでしょうかね。その画面の死角側で端末を示しているらしき指先は。
自ら進んで爆散しますと書いて自爆でよろしいかと思われます残念極まりない自業自得の未来予定を一本釣りしておいてそれはないわ。
できるものならにっこりと微笑んで「頑張って」と言いたいところであるが、どうしたものかしらね。
ディルによって半日床と親友になる予定だったらしい姿こそ見ていない衝撃の状態を知っているから、このまま無視は躊躇われるのだよね。
だってそれを成したディルがイルファを怒らせることを忌避するんだもの。
胸の上に指をトンの背筋の寒い光景を見ていることもあって、下手すると本気で危ないんじゃないかと思うと……ねえ?
「ほっとけ。痛い思いをするのが楽しいんだろう」
阿呆らしいと副音声が付いて聞こえる呆れ全開のディルの発言に私は笑っていいのか固まればいいのか……。
ねえお師匠さん、それってM発言ですとも受け取れちゃいます。一応お子様へ情操教育に悪そうなその情報は如何かと。
「痛いのが楽しいとかただの変態でしょ!あたしは至って普通の痛がりさんだってば!暴力反対!」
「教育的指導って言葉を物理的言語から学べ馬鹿」
「ディルに見捨てられた!マリエル!」
「ノーコメント」
「なんだとぉっ!」
―「回答なしは俺とレミィの双方からと相成ります」
「確実に悪化の一途をたどるあたしに救いはないの?!」
「「ない」」
―「ない」
「のぉーーーーーぅ!」
なんだこのコント。何処に突っ込みを入れたらいいのか見なかったことにした方がいいのかひどく迷うんだが。
流石の顔面筋肉も眉間に皺を寄せている感じがする私がなんらかの反応を返すよりも先に話を振ってきた当人が不満を叫ぶ。でもって怒涛の結末。
ゴンッと机の縁に額をぶつけて黙ったアシスの命運はここに定まった。
今度こそ頑張れと告げるべきなのだろうな。うん。
「さ、自滅したアシスは放っておいてと」
そんな状況でしれっと一番ひどい発言を放ったのはマリエルです。
ここぞという時に心抉る一言突き刺してくるのは天然なのでしょうか。
それとも計算なのでしょうか。どちらにしても痛いのは間違いないですね。
「観測で予測できるのはアシスの言う通りだよ。後はもう実際に見て判断するしかない。予想通りなら可能な限り避けて探索、そうじゃなければ」
―「当たりかも、か」
こくりと真面目な表情で頷いたマリエルと眉を寄せて息を吐いたイルファ。
一気にまともな話へと路線が戻ったのに正直付いていけている気がしない。
というかそもそもこの話の中身がまったくわかっていない。
問題が起こると対処に手を焼く炎火と水霧の属性一点特化地に遠慮願いたい事態が起きているかもしれないので調査中である、程度。それも合っているのか怪しいものだが、本来新生であるボクが知り得る内容でないことを考えれば態々説明をしないのは当然だから気にはなっても意見はしないがね。
「別の異常の可能性もあるけれど、今現在ならその可能性が一番高いね。レミィにはこっちから伝えておこうか?」
―「そうしてくれるか?もしも炎火みたいな大規模炸裂を水属性で起こされたら堪らないからな。レミィは防御系が得意とは言えない上に炎火で消耗もしてる。頼りにして二人揃って変な怪我するのは馬鹿馬鹿しい」
「補助系は力の温存を上手くやるのに苦労するよね。イルファは予備石足りてるの?」
虚ろな様子で額ではなく顎を机の縁に乗せて会話に混ざらずに話を聞いている復活したとは言い難い見た目のアシス。その傍らへと寄ったマリエルが横から手を伸ばして表示されていた水霧の地の画面をいじっている。
何か気になる点でもあったのだろうか。
―「用意周到なのが俺の売りだ。万が一石が尽きても他がある」
「頼もしい発言だね。これなら水霧では怪我なしを期待してもいいかもよリトネウィア」
にっこり笑って会話をこっちに放り投げないでくださいませんか。予測してない話に即座についてはいけませんよボクは。
ちょっと非難する気持ちになりながらマリエルの笑顔を見たが……。
「……」
ちらりと、期待を乗せつつイルファへと視線を向けてしまうところに怪我に対する不安と隠された不信感が残っているのかもしれない。
そんな私の様子を駄々漏れ目が伝えたのか、それとも雰囲気から感じ取ったのか。
―「あー、えーっと……可能な限り頑張ります」
断言できない故に胸を張って笑みを浮かべることはなく、無理とも言えないので申し訳なさそうに困った顔をすることもできない。
どういう表情をしていいのかわかりませんと書いてある御顔での微妙な回答ありがとうございました。でも……別に無理をしなくてもいいのにね。
< 心配させて欲しいとは言いましたが、怪我をするなとは言ってませんよ、私>
カタカタと文字を打ち込みながら、履歴として残っている文章を良く見て欲しいものだと呆れもする。
伝わってないとか言われたら流石の私もブチ切れますが?なんてちょいとばかり物騒なことを考えながら指を動かす。
< 命に係わる大怪我でなければよろしいかと。怪我がないのが一番ですが、それを気負って怪我を招いては本末転倒です。お帰りをお待ちしておりますので気を付けてくださいませ >
正直なところ、どう聞いても楽しくも安全にも聞こえなかった場所になんて行って欲しくはないんだが、そんなことはイルファが四大位である以上許されることではない。なにより、イルファ自身がそれを許すまいよ。
生半可な実力では就くことができない四大という地位が負う職務と責務。
そこには「あなただからできる、任せられる」、そんな信頼も含まれている。
大樹に実った何処の誰ともしれぬ不特定多数の一でしかなかった私の命。
家名家族でも何でもなければ騒音騒ぎなんて迷惑千万な厄介事を起こしたちっぽけとも言える命を守ろうとしてくれる。
そんな人が「あなたならできる」と任されたことを放棄して、誰かを危険に曝すことを良しとはしないだろう。
だから私が行う最善は、帰りを待つことだ。余計な心配などかけずに、良い子で。
にこりと浮かべられているのか不安でしかない笑顔を向けて綴った言葉に目を見張るイルファ。
―「うん。わかった、気を付けて行って来るよ」
微笑んで応じてくれたが、ほんの一瞬……泣きそうな顔に見えたのは、気の所為なのだろうか。
火が燻るようなひっかりを覚えたが、問うことはなかった。
「こっちは俺が責任持って任されてやる。だからさっさと終わらせて期待に応えてやれ」
乱暴とも横柄とも取れる口調なのにやさしい意味しか込められてないディルの言葉が続いてなんだかおかしくなったから。
―「へーへー。レミィをこき使いつつ最速最善を成してやんよ。お前には山ほど聞きたいことがあるからな、ディル」
ついでに皮肉気に笑ったイルファをディルと一緒に目撃したからですね。
お日様色に揺らいで燃ゆるものは、なんていう感情でしょうかね。
できれば知りたくないです。なんか背筋がうすら寒い。
「…………」
きっと何を述べてもまずい。そう判断したのか、そうではなく何も言えないのか。
沈黙したディルに私は何をするべきなのだろうかと考えた方がいいんだろうな。
これ、たぶん原因はボクだろう?
―「ま、取りあえずは問題を片づけてからだな。マリエル、レミィへの連絡頼んだぞ」
「あ、うん。任されたよ」
ぱしゃりと水の飛沫が画面内に映り込む。同時に画面に大きく映し出されたのは、泉の水を滴らせる傷のないイルファの腕だ。
―「じゃ、いってきます」
にかっと何処か悪戯なものを含ませた笑みを浮かべたイルファの姿が画面と共に消えると、四大室には何とも言い難い沈黙が落ちた。
「……」
見えたのは片腕だけだったが、火傷なんてなかった。
それはちゃんと治癒が済んだってこと、だよね。
「………………はぁ」
ほっとして口元を緩ませて笑っているだろうボクの頭上から降ってきた溜息。
今更誰のものだとか問うこともしなければ、どうして溜息と理由を問うこともしない。そろりと視線を持ち上げた先にあったのは頭を抱えたディルの姿でございますってね。
……えーっと、ご愁傷様?
20メートルシャトルラン。体力測定の一つ。ドレミファソラシドの音階が流れる間に20メートルを駆け抜ける。音が流れるその間に行っては戻る。ただそれだけ。
ただしその速度は一定回数で速くなり、回数を増すごとにきつくなる。
最後まで走り切ったあなたは勇者です。