自覚しました
聞く側の立場であれば早々にブチ切れているであろう泣き方をしていた私。
結論から言えば泣き止みました。そして何となく事態を察しました。
泣いていたのは、まあ……所謂誕生の瞬間ってやつです。はい。
生命の神秘。生まれた瞬間に上げる産声ってやつです。はい。
存在しか認知できなかったのは体が発育始めたばかりだったからです。はい。
いまは体も育ち始めてちゃんと感覚が芽生えてます。はい。
ただし、何に触ってるんだかあやふや過ぎてわかりはしませんがね。
だってまだ育ってる途中。胎児です。所謂お母様のお腹の中状態。あははははは。
……何がどうなったんでしょうね。意味が分からないのは変化なしです。
私にはちゃんと私が私であるという証たる自我が存在している。思考するだけの知力がある。
なにより自分が成人女性であった記憶がある。
だけど、私はいま小さな命として育まれている最中だ。それは以前の私を何処かで失ってしまったことと同義ではないだろうか。
別に宗教を語るわけではないが一つの体に一つの魂。それが人間の基本だろうと思っている。
なかには精神がいくつもある、なんて存在もあるのだろうけれど少なくとも私は私以外の存在を自分の中に感じたことはないし、記憶の抜け落ちなんてない。あまり記憶力はよくないがそれは確か。
ついでに言えばごくごく普通で何の面白味もない平凡な日常でしたとも。
だからこそ思うわけだ。不可思議な力なんてものを持っているわけでもない私が成人した体を所有したまま、第二の体を得るなんて摩訶不思議なことはありえないだろうと。それならまだ輪廻転生の方が信じられる。
そんな考えから何時何処でどうやってなんてわからないけれど私はきっとあの体を亡くしてしまったのだろう。そう結論を出す。一応そう結論を出した理由がある。
名前を思い出せないのだ。
私が私であると認識している。どんな生活環境で、どんな交友関係で、どんな生き方をしてきたか。
ちゃんと覚えてる。楽しかったことも嬉しかったことも辛かったことも悲しかったことも覚えている。
なのに、誰の名前も思い出せない。大切な友人の名前も、家族の名前も、私自身の名前すらも。
なんだそんなこと、と思うかもしれない。
でも私は思うのだ。名前は生きている証、存在そのもの。
命の次に与えられた愛であり、そこに存在しているのだと示す証明だと。
名前なんて記号と同じ、番号みたいなもの。なんて考える人だっているかもしれない。別にそれでもいい。
だってそれもまた間違いじゃない。
たくさんある中からたった一つを見分けるための記号であり番号でもあるのだから。
ようするにそこに在ると個を認識するためにあるのが名前。意味なんて人それぞれで違うのだから別にどう捉えていても構わない。私はそう思っているだけ。そう思っているからこそ亡くしたのだと思うだけ。
そこに生きている証、その存在の証明。そう考えている名前を一つも思い出せない。
それは成人女性であった私がもう生きていなくて、生きている存在を認知できなくなっているのではないかという仮定。
そしていま確かに生きて育まれている現実という名の事実。感覚があやふやで確かではなくても生きていると断言できるのだ。
自分の拍動を感じる。生まれるために新しい体を構築しているのがわかる。
こんな経験ありえない。何処の物語だよと笑いたい。
けれど、コレは現実なんだ。夢なんかじゃない現実。
それを示すみたいにいまの私には名前がある。まだ生まれてもいないのにと思うが事実だ。それも少し普通じゃないらしい。それこそ物語のような。
何が何だかわからなくて只管に泣いていただろう私は温かさを感じて泣くことをやめた。何かはわからなかったけれど音らしきものを感じて、ほんわりとした温かさに安心したのかもしれない。泣くことをやめた私はきっと眠りについた。わかりやすく目を閉じたとかの感覚がなかったので曖昧になるがそうだと思う。それから目を覚ました。意識が浮上したと表現するのが正しいのかもしれないけれど。
そして聞こえた。いや響いたのかもしれない。何処からともなく、もしかするとすべての場所からかもしれない。
それは珍しいと言う。覚えているのねと。
それは愛おしくて、けれど辛いものだねと。
新しい生命。稀有な魂。儚き心。
おかえり、愛し子。初めまして、リトネウィア・レム・オルテンシア。
それが、新しい命を頂いた私の名前なのだと理解した。
■■■はもういないのだと理解せざるを得ないでしょう?
長い名前だと思って笑ったのは仕方のないこと。以前の、前世と呼ぶべき私には馴染みのない横文字の名前。
まだ外界に産み落とされていないけれど、名前を教えてくれた存在がどういったものなのかすらわかっていないけれど。
それは確かに私の名前で、そこにいることを意味する証で、生きていることを示す存在の証明で、生まれたことを祝福する愛だ。
だから刻み付けるように名前を繰り返す。ちゃんと動いているのかすら定かじゃないけれど唇に音を乗せ、言の葉を紡ぐ。
私はリトネウィア。リトネウィア・レム・オルテンシア。
■■■はもういないけれど、私はここに在るんだって。
リトネウィア・レム・オルテンシアはここに生きているんだって刻み付ける。