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途中報告

熱感と痛みを訴える腕に一瞥をくれ、舌を打つ。

火耐性の高い高位火属性者に火傷だなんて随分な喧嘩を売ってくれたものだ。

重傷には遠いが軽傷とも呼べないその焼け具合、見れば見る程に苛立ちしか生まれない赤い色から目を逸らす為に瞼を下ろす。


帰らせて間もないがレミィから何も反応がないってことは、いまの熱源反応は俺が氷を処理したものだと思ってんだろうなあいつ。それも自分と同じ規模の法で。

んで場合によっては俺も同じく消費してると思うのか、させたと思うのか。

……これは機嫌にもよるか。ふくれっ面で帰ったからなあ。


はあと一つ息を吐きながら伏せた目を開けば、滑らかなクレーターへと新たに火山灰が降り積もっていく光景が映る。

一瞬前の出来事をなかったことにしようとしているようにも見える自然の光景だが、じりじりと痛みを訴える俺の両腕はなかったことにはしたくないようである。


あー、にしてもどうするか。自然治癒能力が高い方だとはいえど、放置して治すには少しばかり時間がかかる。無論そんな悠長にしている時間はない。可能な限り手早く済ませて帰りたいんだからな。

かといって時間を惜しんで治療をすれば相応に消費する。水霧でかかる能力制限といるかもしれない相手の面倒さを上向き修正で想定すると余計な消費は避けたい。


となれば、必然だな。癒しの地だ。傷の状態と俺の治癒速度なら長めに見積もって三十分もあれば事足りるだろう。

そうと決めれば即行動。行きの時は道をたどっていたこともあってゆっくりと歩いたが、帰りはそんな必要がないのでさっさと飛んで出て行く。用があっても長居したい場所じゃないからな一点特化地は。


念の為ざっと周囲に変化や危険がないかを確認し、大きく翼を羽ばたかせて灰色の空へと飛び上がる。外周側へと飛ぶのではなく、そのまま上昇して炎火の領域を突き抜けて行く。下層域までならこの方法で出入りが一応可能だ。それ以降は灰と風が吹き荒れて飛行の邪魔をする上、飛行可能な魔物が襲って来ることがあるのでお奨めはしない。


火山灰を含む乾燥した灰色の空域から解放され青空へと出てきて一息つくが、思考は次への準備とその為にしなくてはならない物事へと走っている。

消費した石を予備からまかなってくると考えればレミィの方は一時間もかからないだろう。いきなり燃え尽きた精霊石の末路とそれによって治療必要な傷を負った件については注意を促すため合流時に伝えることにしてと。補助石は俺も付け替えと追加がいるな。この戦闘型故に無茶な要求が多いからって余剰分の力はちまちま石作りに回して作っているが、痛い消費だまったく。


耐水は服で補えるとして、状態異常は追加。念のため広範囲捕縛の糸も用意と。

あと、簡易報告と一応最悪に備えて治癒要員のマリエルの確保、俺の交代要員でアシスに準備要請も出しておくべきだな。んなことにならないよう努めはするが、こればかりは予想外が起きるとどうにもならないからな。


ああ面倒くさい。何処の誰だか知らねえが忙しくしてくれやがるな。

さっさと終わらせて帰ってリトを構い倒したいってのに余計な手間ばかりかけてくれやがって何様だよ。事後処理をさせられているが手がかりになるようなものはないから完全に徒労だってのがより苛つかせてくれる。


舌打ちと溜息の椀飯振舞をしたくもないのにしながら目的地である木々の生い茂る緑深き地、いくつもの泉を湧かせ潤う癒しの地へと降りる。

さくさくと音を立てる草を踏み、泉の前で腰を下ろす。それから治療へ入る前に連絡を取るべく、取り出した通信端末を操作する。四大室へと通信を繋ぐ為の呼び出しをかけようとしてはたと手を止めた。

……怪我をリトに知らせて、良いのか悪いのか。


「……」


こういう時、参考になるのは自分自身の経験だっていうのに、俺以外が常時外界に出ているシェネレスじゃ参考になるものがない。そうなると後は身近な例になってくるが、これはこれで例が少ないんだよな。

辛うじて出て来るのがナヴァの家で、あそこは確か逆切れされたって話だったよな……。家事全般をナヴァが担うセイルノールのご家庭事情に口を出す気はまったくないが、それでもどうかとは思った。

「そんな怪我をして帰って来るなんて!今日の食事をどうすればいいの?!」

帰宅するなりこれだったらしく、流石のナヴァも紐が切れる音が聞こえたとか言ってたな。アシスがしょっぱい顔で肩を叩いていたのがまた何とも言えない。


まさかリトがそんな反応はしないとは思うが、別の反応はしそうだ。

聖魔殿で御加減が悪くなられた様子の天王様を心配していた姿を見る限りだと、俺のコレは見せるべきじゃないよな。

ディルの朝食であんなに機嫌を良くしていたのが、俺の不在で一気に萎れる。

なんて不謹慎だけど嬉しい反応をしてくれたってことは、だ。唯一の味方と判断してくれているだろう俺の負傷は不安しか生まないだろう。俺なら不安になる。

間違いなく死活問題だからな。


通信者が俺だとわかるとリトも通信に出て来る可能性が高い。そうなれば怪我をしたと知ることになるから……個人コードを伏せて他人に見せかけるか。

通信者が誰なのか判別できないとなればリトは休憩室に匿われるから、あとは怪我をしたことを教えるなと言っておけばいいだろう。

リトの精神を揺らす行為の危険さは十分にわかっているからな。


ったく、いろいろ面倒くさいことをやらせてくれてんのは一体何処の何方様だろうな。

そんな苛立ちのままに四大室へと通信を開く。外部からの通信対応工程とはいえ、待つのは僅かなもの。


―「はい、こちら四大室アシェリスです」


「いまそこにリトはいるのか?」


応答したアシスに念には念をと問う声は、苛立ちが出ていて我ながら感じ悪い。

けれどそんなのを気にせずきょとりと一つ瞬いたアシスは普通に疑問を口にした。


―「なんでまた個人コードを抜いて通信してるのイルファってば。誰かと思ったよ」


尤もな疑問だがどうでもいい。いま重要なのはその場にリトがいるのかいないのかだ。


「いいから、いるのかいないのか答えろ」


そんな苛立ちがより強調された声に疑問を覚えただろうに、どうしてかアシスは……笑った。頬杖ついていかにも悪いこと考えてますって顔で。


―「外部通信だったから非難させましたが、連れてきちゃう?」


いまこの時だけは余計な世話なんだが、怪我がなければ歓迎されるそれをどうしてその顔で告げて来るのかがわからない。わからないがきっと碌なことじゃないことだけはわかるその反応をどうすべきかと悩むべきだろう。が、ここはあえて無視。気にかかるがそれがいい。


映し出される四大室には特段の変化はなく、アシスの言う通り画面内にリトはいない。そのことに一つ目の難はクリアしたかと息を吐けば、結構深々と息を吐いていた。緊張してたのかな、一応。


「いや、そのまま非難させておいてくれ。それを狙って外部通信にしたんだ。マリエルは休憩室にいるのか?」


端的な確認にアシスから笑みが引っ込む。

そりゃそうだ。外部通信での連絡だけならともかく、リトの不在を良しとし、マリエルの所在を問うなんて何かありましたと言ってるようなものだ。


―「イルファ、いま何処にいるの?レミィはどうしたの?」


炎火でも水霧でもない場所からの通信にふざけた様子を一掃させたアシスへ一つ息を吐く。この短いやり取りでアシスは何を予測したのだろうか。


「癒しの地。炎火でのことは片付いたが水霧のことを考えてレミィは補助石を準備する為に一度帰らせた。この後水霧で合流する予定だ」


―「……」


きゅっと目を鋭く細めたアシス。さて、どこから切り出すか。


―「怪我をしたのか?」


口を開こうとしたところへ急に聞こえた声。その調子に「あれ?」と思わなくもないが、姿を見せずに声だけという方が気にかかった。


「ディル?ってことはマリエルがリトといるのか」


が、それ以上に確保しておきたい相手が通信を入れたと知らせたくない相手と共にいるのかと気落ちする。あの嘘誤魔化しが憐れなくらい下手なマリエルが敏いリトを誤魔化せる気は塵ほどもしない。ここで最大の難関かよ。


―「質問に答えろ。怪我をしたのかと聞いたんだ」


舌打ちでもしてやろうかと思える状況に水、というよりも氷か?そんな印象を与える妙に強い語調で再度問うてくるディルだが、その姿はやはりない。

アシスが向けた視線から自席の方向だと予測はできるが……。何だ?虫の居所でも悪いのか?正直気に食わないが、リトはディルと居ると思ってたんだよな。

二撫でとはいえ頭を撫でられたし、心声についてはひどい顔をするがリトを可愛がってる様子だしな。でなきゃ食事の心配までしないだろう。


「そんな問い詰められるようなものじゃない。ちょっとばかり焼けただけだ」


俺だからちょっとで済んだ、が正しいんだが。

もしもレミィ一人だったなら今頃マリエルは呼び出されて、癒しの地の場所もこんな中層手前なんかじゃなく上層か最奥で治療されてるはずだ。


―「焼けたってどういうことなの。イルファ、君は仮にも火属性でしょ」


っと。ディルより先にこっちが食いつくよな。同じ高位火属性者故にどんな規模ならを正確に予測できるから。ただ……。


「仮にもってなんだよ仮にもって」


その言い方は何なんだよ。ったく。


「詳細は省くが、巨大な精霊石化した奴をレミィが挽き肉にしたところまでは……まあ、見た目には難があるがよかったんだよ」


四大ならこれで十二分に通じるあの惨状。一瞬遠い目をしたアシスからちゃんと正解を想像したことが知れる。トラウマものだよな、アレ。


「水霧で合流ってことでレミィを先に帰して後処理しようと近付いてたところ、それが一気に燃え上がりやがったんだよ」


巨大な精霊石、そう表現した物が燃え上がる。それだけである程度の火力が想像できるってものだ。


―「回避は?」


俺が対峙した危機を察して目を鋭く細めるアシスに肩を竦める。


「後ろに退くのが精々、防壁も一節しか間に合わなかった。幸運なのは俺が高位の火属性者で、法の傾向がどちらかといえば防御よりだったことだな。ちょっときつめの火傷で済んだ」


これを幸運と呼んでいいのかは判断に困るかもしれないが、事実は事実だ。

仮にあの場にいたのが俺じゃなくアシスだったとすれば、同じ一節展開の防壁でもその差は大きい。肌を舐めるなんてものじゃなかったことは想像に難くない。


―「一節展開ってことは当然火属性でしょ」


……わかってるだろうに確認してくるのは何でだ?気掛かりでもあるんだろうか。

アレの解析をしてるのはアシスだからな。疑問に思えど答えることにする。


「お察しの通り。火属性者有利の炎火で、法の傾向がやや防御より、高位の火属性者が、一節展開とはいえど、火属性の防壁を紡いでこの有り様だ」


ちょっとどころか嫌味に取れそうなくどい言い様でもって告げ、自然治癒のみの大して治っていない両腕を提示して見せれば嫌な顔をされた。

……それはどういう意味にとれば正しいんだ?

俺が怪我をする程のものとしての脅威?それともへましやがってという咎めか?

後者なら反論してもいいが。


―「おやまあ爛れてはいないがってところかなその赤色は。なかなか素敵な焼肉具合じゃないのよこのお馬鹿。さっさと泉にその両腕突っ込んで治しなさい」


画面外のディルに伝えたいのか腕の状態を態々口にしてから治療を促してきたアシスに違和感を覚えるような、ないような。


「馬鹿に馬鹿とは言われたかねえよ」


取りあえず、お前には言われたくない単語だよこの馬鹿。

反論しつつ、怪我の具合を目視させる用が済んだので、さっさと泉に腕を差し込む。水の冷たさがひりつく痛みに心地いい。

ほぉと漏れ出た息と重なるのに重ならない息が耳に入ってきたが、舌打ちじゃなかったのが不思議に思える目になってんぞアシス。

どうしたんだお前。いつもはこのくらいの怪我茶化して終わりだろうに。


―「怪我した事実をおちびちゃんに知らせるまいと、態々外部通信でこの場にいないことを確認しようとする細かいところを含めて馬鹿って言ってんのよ」


やはり予測済みか。悪かったなわかりやすくて。


―「意図的うっかり及びただのうっかりのあたしと一緒にしない」


拗ねる様にしか聞こえないだろう発言が引っ込むアホ発言をどうしろってんだコイツはよぉ。


「お前それを自分で言うのって虚しくならないのかよ……」


無難過ぎる突っ込みしか出て来なかった俺が虚しくなるっての。何だその脱力する咎めの言葉は。


―「あっはっはー、気にするところも突っ込むところもそこじゃないだろうって話でしょ」


こっちはがっくり力が抜けてるってのに。言葉はふざけてるとしか取れないチョイスだが、金色の目は確かに咎めているんだからどうしたものか、だ。

これは、下手な言い訳は許してくれそうにない様子だな。何かアシスの基準に触れるものだったか?


―「呆れる部分が混ざってはいるが、同意だ。隠す必要があるのか?」


ちょっと様子が違うと疑問に思い出せば、こっちもいつもと様子が違うんだったか。ただ、ディルはやましいところがあれば突っ込んでくる方だからな……。

余程言い辛いことでもなければ引かないのは、心配から来るものだ。

それを思うと口は噤めないというか嘘は言いたくない。ったく、二人がかりで回答を迫ってんのかよ。


「……いや、まあ……力の消費を惜しまなきゃすぐに治せる範囲だから怪我の内にも入らないだろうけれど」


そうは思ってもやましいところがあるので口はどうしても重くふらつく。

あー、視線が痛い。


「それは俺たちの感覚であって、生まれたばかりのリトには適用できないだろう」


やましいとはいっても妥当ではある。

保護申請を行いシェネレスで引き取ったと伝え示しているが、リトはまだ根を下ろしきれてはいない。まだまだ不安定に揺れている最中だ。

そんな中でも他者を気遣うやさしい子が、俺の怪我を聞かされればどう思うのか。

わからない二人じゃない。

ふぅと届いた嘆息はアシス一人のものじゃない。


―「まあな。現状頼りにできる相手は保護申請者のお前だけだからちょっとした怪我でも俺たちからすれば過剰に反応するだろうな」


生まれたばかりの新生者。四日目を迎えたとはいえ、敏い子だとはいえ、まだまだ知らぬ事ばかり。

傷を負ったことがない幼子には、どのくらいでその傷が癒えるものだなんて知り様がない。重い軽いの基準がないのであれば、返る反応はどちらかだ。


知らない故の問い。わからぬ故の恐れ。


まったくわからない訳ではないリトの反応は、間違いなく後者だ。

ただその前につくものが異なるだろうけれど、恐れであることには違いない。

なんにせよ、食事で花を散らせて喜ぶ様子を一変させたあの反応をもう一度とか、俺が嫌だ。見たくない。凹む。何だかんだ理由をつけても結局はこれだよ。

俺の都合だ。


「だから余計な心配はさせたくないというか、この程度で不安にさせたくないというか」


―「出がけに思い切り凹まれたのが堪えてるだけだろうへたれ」


それを見て知っているディルは当然の如く容赦なかった。

俺の我が儘と知れているが故に、とはいえど……なあ、ディル。お前だって俺がこうなる気持ちはわからなくはないだろう?同じ時のリトを知っているんだから。


「…………さらに不安を煽るだろう。火傷した両腕を泉に突っ込んでるこの何とも情けない姿の何処に安心させられる要素があるんだ」


一番近くにあるはずの守り手がこの様だぞ?不安にしかならないだろうが。

声しかしない相手に訴えていた不思議な状況。


―「確かにそうかもしれないが、それはお前の言い分であって受け手のこいつを無視しているとも取れるな、保護者」


それが急に動いたことより、妙に強調された呼び方より、反論できない言葉より、腹立つにやり笑いを浮かべたアシスなんかよりもずっと、ずっと目を引き奪った小さな姿。釘づけってのはこういうことだ。

何故か一心不乱に通信端末を相手にしている為に忙しなく動いている小さな手も、どこか厳しい印象を受ける横顔も、一つの注目せざるを得ない事象の前には霞んでしまう。


どうしてディルに抱き上げられてるんだ?

なんで、どうして、意味がわからない。そんな疑問と理解を拒む言葉が予想もしない光景と事態で漂白された思考を埋め尽くしていく。

え、ええ?本当に何で?何があった、いや何か起きたのか?


―「ん?ああ、いいんじゃないか」


いや何も良くねえよ。

混乱の最中耳に入ったディルの声。反射でも反応したのは常に生死がかかった現場に赴くからなのか。

リトの小さな手がくいくいとディルの胸元を引き、見上げる己へと目を向けるよう注意を引く姿が視界に飛び込んできて更なる衝撃を受ける。

珍しいはずのディルの笑み?そんなの最早視界外だ。とか思ってるのに通信画面外に送信物の表示がされてもう何が何やらわからない。


「ぇ…………は、え?」


落ち着くなんて選択肢が出ないまま、それでも現状把握に努めようとする頭が通信画面内の変化を拾い上げるから……。ようやくディルでも通信端末でもなく俺を見てくれた黒い目が、怒っていると気付いた直後に移り変わる。

ああ、きっとリトも画面内に映るものを読み取ってる。初めて見る通信画面越しの外の風景と、そこに映る俺とその様子を。


……ん?ちょっと待った。ディルが動いて、リトはそのディルに抱き上げられていて、ディルはアシスとのやり取りの時からいて、俺が怪我をしたのも隠そうとしたのも一緒に聞いて…………。


一気に巡り始めた事実にサーッと血の気が引いていきそうなのに、瞬いたリトの目に気の所為でなければがっかり感が見えて「何でだ?!」と何処かで叫んでいる自分がいる。

もうぐっちゃぐちゃだ。頭を抱えたいのにぴくりとも反応してくれない体に指示を出すことすら考えつかない。


―「呆けてないでこいつが認めたお怒り文章に目を通せ残念」


なのにディルが更なる困惑と驚愕を放り込んでくる、と。

え?何?何言ったいまコイツ。リトが認めた。何を?リトが何を認めたんだ?

認めるってのは書状とか書き記すもので、つまりは手紙ってことで、この場合は端末があるから……送信物?この表示されてるの、リトが?!いや何でリトがそんなこと、というかできるのかよそんなこと!?リトからの通信文、それも…………お、おいかりとか、言ってたよ、な。え、何それ怖い。


「え、……ちょっと…………ちょっと、待って」


本当に待ってくれ。誰かまず俺に正解とか不正解とかの回答をしてくれないか?

もう自分一人で判断できるところを振り切れてて意味が本当に不明な迷子で……。あ~~もう!こういう時は一つずつ確実に処理をすればいいと思うんだよ。

だから、何より一番苛つくことを片付けろって話だ。


ごちゃごちゃな思考を自発的に白くする。そうしてきつく伏せた目を開いて映るリトを抱き上げるディルの姿にちりっと苛立ちが燃えたから、口を開く。

苛立ちが伝わってか、身を強張らせたディルの名を口にしようとして、


「ディ」


『気にする順番が違うっやり直し!!』


「はいっすみません!」


バチンッ!と頬を張られるような大声での心声叱責にびくんと身が跳ねて謝罪を口にしていた。あまりに自然に出てきて正された姿勢に戸惑うのは瞬きの間だけ。

さっきまでぐるぐると一向に回復しなかった思考が嘘のように一本線を引かれて導き出される。


―「……は?」


それは戸惑いの声を漏らしたディルではなく、


「っ?!」


ぞくりと全身を巡った寒気によるものだ。

冷たい空気が突如として周囲を包み、その異常に加護精が瞬時に熱を俺の身に纏わせた。それは瞬く間に起きたことで、何によってもたらされたのかは目の前に提示されている。

ギッと怒りで鋭くなったリトの目。その色は黒ではなく、蒼。鮮やかに目を奪うその色彩は、法を行使している時に見えた色。それ即ち、封印石を壊す危険な状況。


思わず叫んだであろう心声、それにより呼応した癒しの地の水精霊に睨まれているなんてとんでもない影響力に息を飲むのも、最悪もあり得る恐ろしい状態もこの際二の次だ。緊急措置で貸与されている魔王様の封印石、これにもリトの力が流れ蓄積されている。もしいま封印石が砕けようものなら、封印石を失くしたリトの力が場に、四大室に吹き荒れるだけじゃない。封印石に溜まった力まで弾け飛ぶ。

それは制御できるできないなんてものではない、ただの爆発物だ。中心にいるリトもディルも無事なわけがない。


ザッと一気に血の気が引き、起きてはいない最悪を阻止すべく声を上げる。


―「っちょっと待て!落ち着けこの馬鹿っ!」


一息分。俺より早くディルが制止をかけるべく動いた。現状怒りを向けられている俺から意識を逸らす為とはいえ、リトの顎を取って自分の方へと向ける強引な動作に腹の奥がぐつりとなるが、それどころではないのは続いてしまった。

ビッ!と勢いよく、音すら聞こえそうなキレの良さで俺へと向けられたリトの人差し指。


―「――――――――――」


そうして音もなく動いた唇に制止なんて間に合う訳がなかった。


―「っぐ!?」


俺以外が何故か聞き取れないリトの心声。その難解な事象はあれど、たった一人のみに伝える心声の照準固定は新生にない完璧さ。

それは、声と認識できないのであれば……凶悪な音の、振動っ!?


―「「ディルッ?!」」

「ディルッ!!」


呻く声と苦悶の表情。同時に(くずお)れ通信画面から消えていくディルとその腕に抱き寄せられたリトの姿に悲鳴にしか聞こえない声を上げていた。


「っ!!」


場にいたアシスだけでなく、きっと休憩室に下がっていただろうマリエルも声を上げ駆け寄っている。俺だって反射的に腰を浮かせて法を紡いで四大室に飛ぼうとした。


『駄目だ来るなっ!』


「なっ」


なのに、画面へと掌を向け、心声を飛ばしてきたアシスの制止に止まった。


『ストップストップ!こっち場が不安定なんだから動くな!治めるからそこにいなさい!』


告げるが早いか行動が早いか。視線を周囲へと走らせるアシスの姿に動くわけにはいかなくなってしまった。


「っ」


恐らくいまの俺のような状態が四大室でも起きているんだろう。

流石に通信画面越しにわかる物事は少ないが……翼を開いた瞬間の肌を刺す冷気。強引に動くとやばい現状はリトの怒りの心声、その力の余波から集った癒しの地の水精霊の自発行動。

リトが落ち着くか、指示を出さなきゃ誰の声も聞くわけない厄介なもの。


四大の方は俺みたく怒りを向ける先がなかったから単純に集まっただけ……だといいんだが。何を言ったかまではわからないが、いまディルに矛先が向いたからな。どうだかわからない。

アシスが加護精に何かさせているのはわかるが、待て状態の蚊帳の外は歯痒い。


―「……っぅう……」


一瞬には長い思考を巡らせていれば、小さく呻く声が届く。


「ディルッ!リトッ!」


―「うーわっ二人とも大丈夫?!」


―「ディルッ聞こえてる?リトネウィアもっ」


向けられた心声、その聞こえ方がわからない俺にはディルが受けた音がどんなものなのか想像ができないが、少なくとも倒れる程だ。いくら不意打ちでも攻守の安定した万能型のディルが画面外へぶっ倒れて呻く規模。間違いなく大丈夫じゃない。

孵化前に見た愚か者の昏倒よりはましだと思うが……。

アシスとマリエルの様子から意識はあるがはっきりしているとは言い難いのが伝わる。まあマリエルの焦りでそこまで緊急ではないのだけはわかるな。


―「ぃっつぅ……」


ああ、ひどく不機嫌そうだが反応が返ったな。大丈夫そうか。

見えない状況を予測してほっと息を吐こうとしたその矢先、


―「っの馬鹿弟子がっ!!」


何故か響いたディルの怒声。何でだ。そして馬鹿弟子って何だ、誰のことだ?

というか何が起きてるんだ。どうしたんだ?

静寂を好むディルにリトの伝わらない心声は不快な音というのは卵の時わかっているので怒る予想は立てられるが、怒鳴る程か?そしてこの予想でいくと怒鳴る相手はリトになって、そうなると馬鹿弟子なんて訳のわからない呼称もリトに向けられたものになるんだが、どういうことなんだ?


―「ぅわ……気持ちはわかるけれど程々にしてあげなよディル」


一先ず場への危機が落ち着いたのか通信画面内にマリエルが映る。

ただ、その下を向いている哀れみの目は何だ。


―「陸に打ち上げされた魚と化してるね。ぴちぴちと元気がいい魚っぷりだよおちびちゃん」


身を屈めて一度画面外に出たアシスも自席に座り戻ってきたが、視線の先はマリエル同様、下。そしてあらあらまあまあといった笑いが浮かんでいるので危機状況は脱したとわかるがちょっと待て。陸に打ち上げされた魚?ぴちぴち?

おちびちゃん、リトがじたばたするような状況って何だ?!


「っちょっと待て!いきなりぶっ倒れて消えたってだけで驚きなのに画面外で何が起きてんだよっリトに何してんだディルッ!」


碌に動けないリトに嫌がることをしてるなら後で、いやいますぐにでも飛ぶぞ俺は!

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、マリエルとアシスは一度目を合わせ、二人して俺を見ると仲良く首を傾げて答えた。


―「「教育的指導?」」


「何のだよっ!」


まったく意味がわかんねえよ!


―「まあまあ落ち着いて待て待て。ディルが何の意味も理由もなくおちびーずをいじめるわけないでしょ」


「そ、れは……そう、だが…………」


傷だらけだった己が幼少期がある故なのかディルは年少、それも新生に対し悪行をなす者に殊の外容赦がない。

いや、この場合は理由なく他者に力を振りかざすことをしないが正しいか。


「?」


―「うん?ああ、ディルが場を区切ったんだよ。問題ない」


力が動いたのに反応すれば、なんてことはないとひらひら手を振るアシス。

その軽い動作に覚えるのは不安だっての。


―「……マリエル、手を貸せ。立てない」


―「あー大丈夫、じゃないみたいだね。三半規管がご愁傷様?」


―「何で心声にそんな機能があるんだ……。くらくらする」


手助けを必要とする状態とは恐れ入る。ディルに手を貸すマリエルが画面外に消えるのに何を言っていいのかひどく悩む。

リトがどうしてどうなっているのか問いたいし、教育的指導って何だと叫びたい。

だが先に打撃を与えられているのは自力で立ち上がれない状態に追い込まれたディルで、そこに俺が文句を含めて問い質すのはおかしいだろう。


―「騒音兵器ですから~ってことにしておけば?傍にいたあたしには全く聞こえない照準固定はお見事だったけれど、やっぱダメ?」


ぐるぐるとまた悩み始めたところに入ってくる追加情報。俺もそうだが傍らにいたアシスもやはり音を聞くことはなかったようだ。何で照準固定はできてるんだ?


―「言語じゃない音と呼んでいいのかすらもわからない音が脳内を飛び越えて全身反響。防ぎようのない音に内部から揺らされて意識が飛んだのが一瞬だったことは褒めていいはずだ」


―「「……」」


重い沈黙も落ちるというものだ。苦しげなディルの声の調子からわかるその威力はきっと想像してはいけないものだ。

……悪い、大丈夫かディル?

そう言えば、気を遣ってまあ何とかと言うか、もう少し言い聞かせろと叱責が飛ぶかだろうが、浮かんだ言葉に申し訳ない気持ちが滲む。


―「……それはもう音による攻撃だね。騒音兵器って言葉が事実になりそうだよ」


―「卵の時に昏倒者がいる時点で紛れもない事実だ馬鹿」


渋い調子でついにディルの騒音兵器発言を肯定的に取ったマリエルへ即座に入る突っ込み。仕方のない言葉だ。少なくとも被害を受けた直後のディルに返せる言葉を持つ者は、俺も含んでこの場には存在しない。


―「素地が王クラスとはいえ生まれて四日のちびだぞ。四大が新生に昏倒させられるとか冗談じゃない」


それはディル個人のプライドとか感情ではないものだ。王直属配下である四大位としての立場。


―「ああ……豪華な防御付きとわかっても馬鹿が増えるか。それは一大事」


王位を軽んじるだけに飽き足らず愚かにも手を出してくる無礼者。

そんな奴らに手駒として目をつけられているだけでも立腹ものだというのに、実害が及ぶなんて冗談じゃない。

ぐつりと沸き立つ腹の底。その昏い感情から目を背け、拭うように口を開けば予定よりも強いものになった。


「いい加減俺に状況説明しろっ姿を見せろっ!リトは無事なんだろうなあっ!!」


……思考は回ってるが、感情と切り離されて回ってるっぽいなこりゃ。

アシス、しょーがないなーって風に笑ってんな。


―「っ……声を落としてくれ、目が回る」


応じたディルの声は言葉通りのもので悪いと思った。


―「泣きはしたが、封印石は無事だ。実害も俺が倒れただけで済んだ。問題ない」


思って終わった。


「違う意味で大問題だよっ!何で泣いてんだよリトが!!」


どうした何したどういうことだ!!怒りのあまり涙腺刺激じゃないだろうどう考えても!

そんな瞬間沸騰状態になった俺に対して返される言葉は生温いものだ。


―「あー、違うところで感情の発散をさせないとリトネウィア本人と四大室と僕たちがお陀仏直行だったからで納得しようよ。ね?」


生温かったのは口調だけで内容はハード過ぎた。何だって?


―「そーそー。画面越しじゃこの場の温度まではわかんないでしょイルファ。快適温度通り越して寒いよ」


『これでもあたしの加護精働いてるのにねー』


軽い調子で重いことをさらっと言うなこの阿呆共。


「ぅえっ?!」


戸惑いの中、放り込まれた内容に改めて通信画面越しの四大室の様子を見る。

感知の精度が機器越しではどうしても落ちるが、ディルが区切った場にアシスの加護精が働いているという情報を加えて行えば、零よりはましな測定ができる。

そしてその結果が素っ頓狂。


アシスの言う「あたしの加護精働いてる」は翼を開かなくてもいいギリギリでの力の行使で、一部区間の温度維持だ。その一部区間は範囲がわかり辛いがディルの区切った場だろう。恐らく慌てて区切ったものなので常備の補助石からのもの。

となればその範囲は狭い。四人が入れる程度、直径五メートルといったところか。

正確ではないがそう間違いでもないそれを考えると、どうしても異常だった。

だからこそのあの声。

快適温度?馬鹿言え、それは零下ってんだよ。大丈夫じゃないだろ!


―「付け加えると、結構ヤバいぞ封印石」


これ以上の危険を告げるのかよっ!


―「リフォルドの見立ては確かだ。もう二声もかければ罅が入ったはずだ」


うわ……。


―「いくら魔王様のものだとはいっても余分な負担がかかっている所為で余裕があまりない。っぅ……悪いな」


頭を抱えてそのまま泉に沈みたくなる追加情報をくれるディルがようやく画面内に現れた。


―「いえいえ。辛いなら法かけようか?」


椅子に凭れて辛そうな様子でマリエルにその椅子を押されている異常付きで。


―「いや、いくら急遽場を区切ってその他を遮ったとはいえ、肝心の加護精が落ち着いてない現状じゃ対象者が俺でも距離が近すぎて攻撃と勘違いされるだろう。そこまでしなくていい」


どう考えてもその血の気が失せた顔色は治癒案件だぞ。

そう思っても言えないのが自重を支えるのも辛いだろう様子なのにしっかりと抱き支えているリトの存在。ああ、目が赤くて泣いていたのがわかる。

…………気の所為か?頬も赤い気がするんだが。


何にせよぐすんと泣き弾む呼吸を整えているリトの様子が痛ましくて胸が苦しくなる。近くに、その場にいたなら抱き締めて頭を撫でてと宥めて甘やかすのに、今更飛ぶのもおかしい状況だ。そもそも力の消費を危惧して治癒を泉任せにしているのに、強固な結界に阻まれる為に何もない場所へ飛ぶよりも余計に力を消費する四大室内へ直に飛ぼうとか馬鹿以外の何ものでもない。


はあと息でも吐いて冷静になれと言うべきなのだろうが……、どうにもそわそわと落ち着ける気がしないのはディルがリトを抱き上げているなんて気になって仕方のない事象が放置されているからだと俺は思う。思うがそれを真っ先に追求しようとしてリトに「順番が違う」とやり直しを要求されている。もう一度やればさっき以上の怒りを生むと思われる。

それが意味するのは封印石の破壊で力の暴走で命の危機だ。そんなダメダメな選択を選ぶほど馬鹿じゃない。感情は焦って慌てているが普通に思考も回っている。

これはこれでおかしいが、いまはどうでもいいことにしておく。

とにかく、リトの目は黒に戻っているし、いつの間にか俺の周囲の圧迫系水精霊も落ち着いてほぼ散っているので大丈夫そうだ。


―「ふぅ……おい、いい加減呆けてないでこいつの作った通信文を見て何とか言え」


大丈夫じゃないのは間違いなくこの後の俺である。

青白い顔色で気分悪い上に機嫌も悪いディルの空色の目は、かなりきつい意味合いで俺へ向けられている。


―「泣かせたのは俺だが泣く要因を作ったのはお前だぞイルファ」


どちらも聞き捨てできないものをどうしたものか。いや、ちゃんと確認すればいいんだがな。


―「不安を煽った上に怒らせるな。とばっちりが騒音による昏倒は流石に笑えないぞ」


……もう、ちょっと一度いろいろ考えるのやめたい。何処に注目していいのかわからない。全部に注目して根掘り葉掘りしたいが、その問うべき順番がわからない。

いや、俺の優先順位とリトの差がな。次がないってのは恐怖でしかないって話だ。


―「…………音声にはならない理解不能な心声だっていうのに、無自覚で俺への個人特定である心声の照準固定はこなすのか。器用なんだか不器用なんだかわからない奴だなお前は」


とかなんとか逃避していれば、妙に遠い目をしているリトと溜息吐いているディル。何で会話になってんだ?どうやって…………端末、認めた……。

話せなくて、書けなくても、文字を読めるのなら入力はできるからか!

それでさっきからリトが端末を持ってるのか。

ってことは、だ。コレ、本当に冗談でも聞き間違いでも俺の妄想でもなく、リトが作った通信文ってことなんだな。


一体何が書かれているのだろうか。卵の時とさっきような一方的な心声ではないリトからの言葉だ。ちょっとドキドキして期待くらいするだろう。

そんな風に考えることをやめたいなんて思っていたのを棚上げにして、ドキドキしながら開いた通信文の攻撃力は高かった。


< 我が保護申請者であるイルファ・ソル・フライトシェネレス殿に物申します。怪我の重軽傷の度合いについて生まれてたかだか四日の私と貴方様では違うのは当然のことでございましょう。ですが、治療を必要とする怪我をしたことを知らせることすらなさらず、内密に処理なさろうとされましたその行為を私はどう受け止めればよろしいのでしょうか?私如きの心配などいらぬ、という拒否であると受け取ってよろしいのでしょうか?ご返答願います保護申請者殿 >


「――――」


ずらりと並んでいる文字数に一瞬驚いて、書かれている内容にさぁーーっとゆっくり血の気が引いていくのが嫌なくらいはっきりわかった。


何、この物凄く他人向けかつ事務的な響きの文章たちは。

いや、シェネレスへ来るのはまずはお試しでもいいからって言ったけど、言ったけど……っ。こんなあからさまに距離を感じる程なんでしょうかリトネウィア。

それともとても生まれて四日とは思えない知識と感情から生み出されたこの様式は、怒りとディルが表現した理由によって意図して作られているのでございましょうか?


もしも態となのだとすれば、コレ、相当怒ってるってことだよな。

この例えはすこぶる嫌だし実際そうとは限らないどころか絶対違うだろうけれど、……レミィが腹が立つ程に顔の筋肉だけで笑うのが、思い出される。

応対は丁寧で一見すると問題なさそうなのに、淡緑の目が気付かなければ良かったと遅すぎる後悔するほど猛吹雪の極寒状態。

ひどく丁寧な文章がそれを思い出させてそんな訳はないのにひどく寒い。


怪我を伝えないようにしようとしたのも、考え方の差も、しっかり理解された上で何故隠そうとしたんだって詰め寄られてる。

文章上はどう受け止めればいいのかって問われてるんだが、印象が……そうはなってくれない。新生と四大という立場ならあながち間違いではないかもしれないくらい下から仰ぎ見る問い方がまた、その印象を強調して……っ。


どう、しよう。いや、返せる言葉は決まっていて、簡単で、単純なものなんだけれど。その……説明が……。どうして怪我を知らせたくなくて、隠して治そうとしたのか、は……。心配させたくないと思ったのは、心配して欲しくないなんて、そんな意味じゃなくて、そうじゃ、なくてっ。





「じゃあ、いってくるよ。何かあったらすぐに心声、通信で呼んで知らせるんだぞ!って、イルファは賢いからわかってるか」


頭を撫でてくれる手が、温もりが離れていくのが嫌で、けれど笑ってくれるその顔を曇らせて、無理だとわかっている我が儘で困らせるのも、嫌だった。

だから――――蓋をした。


「うん。心配しないで、大丈夫だから」


箱に入れて、鎖でぐるぐるに巻いて、たくさんの鍵をつけて、見えないように覆い隠した。


「いってらっしゃい」


行かないで、と泣いて叫ぶ幼い自分を笑顔で偽った。

箱の中に閉じ込めて、我が儘な自分を殺し続けた。

幾度となく閉じられる扉。誰もいなくなった広いシェネレスの家。

自分の鼓動と呼吸しか聞こえない静かさが、閉じ込めたはずの何かに突き刺さって痛い。無意識に触れ、握り締めた胸の奥からズキズキと痛みが生まれて治まらない。


しん、と静まり返った家の中。ひとりきりの絶望感。

静寂がこの痛みをもたらすのなら、俺は……。



――――そんなものいらないと耳を塞いだ。

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