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心配するのは当然です、其の弐

「おちびちゃんがディルに懐いた理由って、極論を言えば保護者になるイルファが近くにいて上げられない事態が引き取り直後に頻発したからでしょ。そして通常の新生にはない肝が備わっていた為に、一番面倒見の良い相手に懐いてしまうという事故が起きてしまったわけです」


「アシス、別にディルは意図して新生位を脅かそうとしている訳でも顔が恐い訳でもないよ。愛想笑いができないから見上げる角度の所為で目つきが鋭く見えるだけっぃったい!殴らないでよっ」


「それで殴られないと思っている頭に教育的指導をしてやったんだありがたく思え能天気」




ディルに子供が懐くのは事故なのかアシス、それでフォローしているつもりなのかマリエル、せめて問答無用に殴るより先に一言口を開いては如何かディル。

そんな突っ込みしか入らないやり取りから始まったディル曰く、私のことに関してとっても沸点が低いらしいイルファへの対策がこれである。


それどころではない驚きを提供すれば一時的にではあるが、話を強制的に聞かせることが可能なくらいの時間的余裕は生まれるのではないだろうか。


よって、当初の予定とは少々異なるが、万事が予想通りに動くわけはないのだからこれは誤差の範囲として処理するのが妥当だ。

そういった理由でございましてね保護者殿。どうぞどうぞディルに抱っこされて登場したお怒りの私と、通信端末へと送られました我がお怒り文面をご堪能あれ。そうしてこの怪我内緒よとひっそり処理しようとした行動をたっぷりと咎めた後に、人見知り枠から外れたお師匠さんと意思伝達ツールとして通信端末による文章入力を提案してくれた先輩の話を聞かせてやんよ!

驚きどころはまだまだあるっ。取りあえずは、はよ読め!


そんな風に苛立っている私を知ってか知らずか、一体全体何がどうなっているのやらといったご様子で困惑している保護者殿の驚き、知ったことか。


―「え、……ちょっと…………ちょっと、待って」


視線があちこちに流れて行って挙動不審。最早何に驚いていいのかわからない、そんな状態でございましょうか保護者殿。

えぇえぇ吃驚でしょうよ、さぞ驚きでしょうよ。何せシェネレスの家を出発する時には触るな嫌だと身を小さくしてみせた相手にしっかりと抱っこされている姿を見せられて、どういう画面表示されているのか知りませんが私が認めましたとディルが追加情報をぶん投げてくださいましたお怒り文面まで提示されていらっしゃいますからね。どうしていいのか戸惑い狼狽えるのは仕方のないことなのでしょう。

けれどね、保護者殿。私、結構気が短いのよ。


残念極まりない表情筋でもひくりと蟀谷が引きつるのがわかる。そして自分の周囲にひんやりとした空気が流れ始めたのもわかった。それがクールダウンを目的としているものではなく、ボクと同じように苛立ちを訴えていることも不思議なことにわかった。新しい発見ですね。どうしてそんな風に思えたのか面白くて詳しく誰かに問い質したいけれど後にします。それどころじゃありませんので。


そんなご機嫌が下降の一途をたどっている私と私の感情に呼応している加護精霊の様子に、抱き上げてくれているディルと数歩しか離れていない自席に座っているアシスが、顔を動かさず静かに視線を向けたのに気が付かなかった。

私が現在視界に入れているのはたった一人、通信画面の向こうにいるイルファだけだ。


おろおろと混乱から泳ぐ視線、単語にすらならず意味をなさない声を漏らしていたイルファだったが、ギュッと眉間に皺を寄せて揺らいでいたお日様色を鋭く細め視線を固定させた。

直後、ボクを抱き上げてくれているディルの腕に不自然な力が込められ、イルファが何をしようとしているのかを察した私の何処かでぷちりと細い糸が切れる音が聞こえた。


「ディ」


『気にする順番が違うっやり直し!!』


「はいっすみません!」


意味ある言葉を発する為に開こうとした唇は、その途中で強制的に謝罪へと変更されることとなった。

ふむ、即答とはいい反応ですね保護者殿。反射的っぽいですが。


「……は?」


戸惑いの声はごく近く、思わず漏れたとわかる程に頼りない。その声を発したのは視線の先、通信画面の向こうで鋭く細めた目を丸くしてびくりと肩を震わせ停止したイルファではなく、私を抱き上げてくれているディルのものである。


ふぅーふぅーっと興奮して猫の威嚇音のような音を発している私の声を伴わない呼吸音に混ざり、ちりんちりんと涼やかな音が何処か遠くで聞こえている。ざわつく(エフ)の音と共に広がる冷気が頬を撫で、視界の端々で蒼い光が煌くのに、このままではいけないと冷静な部分が警告を告げている。

それは無視してはいけないものだとわかってはいるけれど、煮え滾るような感情が従ってくれない。


「っちょっと待て!落ち着けこの馬鹿っ!」


顎に力がかけられたかと思うと、視界が思いっきり睨み据えていたイルファから焦った顔をしたディルへと強制変更された。

通常の思考ならここで何事ですか?とか、顎くいではなく顎ぐいですかお師匠さん、なんてちょっとどころか結構ずれたことを考えているはずだ。

だが、残念極まりないことに現在の我が思考は通常の状態ではない。どんなに細くとも聞こえてはならない音がしてしまっている。

そのため基本表情に淡々とした語り口調の双方を何処かへ放り投げ、誰が見ても焦っているとわかるディルの様子に驚きも戸惑いもしない。それどころか視線の先を強制的に変更させられたことで睨む先を変更する始末。そしてこの状態の私が睨むだけで終わる訳などない。短い腕を勢いよく振り、その先に伸びる腕よりさらに短い人差し指で直前まで捉えていた視線の先を指し示し、唇を震わせた。


『馬鹿はあっちでしょう!』


「っぐ!?」


声を伴わないボクの叫びの直後、見慣れぬ焦った表情を初めて見る苦悶へと変化させたディルが、悲鳴の代わりのように呻くのが妙にはっきりと聞こえた。


「「ディルッ?!」」

―「ディルッ!!」


驚きに上がった声は三つ。けれどぐらりと揺れた視界と腹部を真下から押し上げられるような奇妙な浮遊感に襲われて、上手く認識できなかった。不快な感覚に息を呑み目を伏せて、反射的に掴めるものを掴んで身を固くする。そんな私へと続いて襲い掛かったのは、体を何かに押し付けられる圧迫感とその何かを通して伝わるドッと鈍い衝撃。耳に届いたのはガタンッという何かが倒れぶつかるような音だった。


「っ……?」


くはっと衝撃と反射的に身構えたことによって詰められた息を吐き出して、一瞬止まった所為でやや荒くなってしまった呼吸を再開する。

何が起きたのかよくわからない。そろりと開けた目は視界が狭いのか暗いのかそれとも他に理由があるのか、上手く働いてくれていない。

耳はちゃんと働いているようだが、むぎゅっと何かに押し付けられている為に音はくぐもっていてよく聞こえない。見えない聞こえないの現状打開もさることながら、まずはこの苦しいのを何とかしたい。

……したいのだが、私の短くか細い貧弱な腕で何かにしっかりサンドされている状況から抜け出せる気がしない。さあ、どうしたものか。


「……っぅう……」


次の行動を回らない頭で考えようとしていたところ、先程の私のように詰めていた息を吐き出す要領で、呻きながら呼吸を再開したと思しき声が聞こえた。……何故か、耳のすぐ傍で。


―「ディルッ!リトッ!」


「うーわっ二人とも大丈夫?!」


「ディルッ聞こえてる?リトネウィアもっ」


ようやくはっきりと三種類の声が聞こえたが、思考の回転が空回っているのか噛み合っていないのか瞬間的にどれが誰の声だと上手く認識できず、ちょっと雑に処理することにした。

三つ聞こえた声の内二つは女性の声、加えてディルとボクの名を呼ぶのであれば、いまの苦しげな呼吸再開音はディルのものであると確定していい。


いやそもそも私はディルに抱っこされていたのだからこのむぎゅっと圧力はもしかしなくてもディルによるもののはずで、でも心配と驚きが聞き取れた四大位三名の声が何事かあったと教えてもくれていて……。

うん、どういう状況だ?悪いがさっぱり理解できないし見当もつかないのだが。あーちょっと待ってくれ、圧迫感が緩んで顔が持ち上げられそうだから。


もぞもぞと芋虫のように蠢いて開けた場所に頭を押しやれば、目的通りに頭上へと視界が開ける。

そうして見えたのは、


「ぃっつぅ……」


肌の露出を好まないのか高い襟元で隠された白く滑らかな喉元。すっきりとしていながらもまろやかさのある何処か中性的な顎のライン。はぁっと体の内から何かを逃がすように紡ぎ出される吐息が形のいい柔らかそうな唇を震わせ、薄く開かれたその向こうに見える熟れた苺のような鮮やかな色が艶めかしく視線を奪う。

けれど、苦痛に歪んだ麗しい御顔が煩悩直行になりそうな思考に冷静な待ったをかけてくれた。


待ってくれ。何がどうしてこうなったんだ?どうしてディルが苦痛に呻いているのかわからない。

というかどうしてこんなにむんぎゅと抱き寄せられて……ああいや待って、視点がさっきと違って随分と低い。低いといってもボクが自力で立っている時よりはまだ高いのだが、ディルに抱っこされているはずの状態でこんなに低い視点になったことは数少ない抱っこ歴でもないことだ。

どのくらいかというと、我がおちびな身長よりも高い位置にあるソファの上にぺたりと張り付き横になっている時と同じくらい。これと同じくらいということは、だ。ディルが床に座り込んでいる状態だということで、どうしてディルが床に座り込むような事態に陥っているのかがわからない。苦痛に呻いているからですとなっても何故苦痛に呻いているのかがまた不明な謎スパイラル。

何がどうしてこうなった。そんな疑問まみれになった私の目に空色が見えた。


「っの」


「っ?!」


ギロリと迫力ある擬音が聞こえそうな眼差しが至近距離で私を睨み据え、全身へとかかっていた圧力の代わりに我が柔らかほっぺを捉えるむにぃではないぎゅむっと感。ああ、この感覚は朝味わいましたね。


「馬鹿弟子がっ!!」


みぃぃぎゃあああぁぁぁああああああああぁぁあああぁーーーーーーーっ!!

痛い痛い痛いいいいいぃいぃいぃいいっっ!捥げ、はしない気がするこの感じは心なし朝より手加減されているような気がしなくもないけれど、ぎゅむっとほっぺが大変いとうございますればお師匠さん!わたくしめは何事か叱られてしまいますような愚かなことをやらかしましたかお師匠さん!不出来な弟子で申し訳ございませんが身に覚えがございませんので無意識にやらかしたのだと思われます故まずは教育的指導よりも先に御指摘の方をお願い致したく候ぅうううぅうぅ痛い痛い痛いいいいぃぃいぃいいーーーーっ!!


「ぅわ……気持ちはわかるけれど程々にしてあげなよディル」


「陸に打ち上げされた魚と化してるね。ぴちぴちと元気がいい魚っぷりだよおちびちゃん」


―「っちょっと待て!いきなりぶっ倒れて消えたってだけで驚きなのに画面外で何が起きてんだよっリトに何してんだディルッ!」


「「教育的指導?」」


―「何のだよっ!」


一応聞こえた三人のやり取りがどう聞いてもコントですよねこんにゃろい。

意味もなくぴちぴちと蠢いている私に、見た目の表現としては的確な陸上の魚扱いをしてくれたアシスといつの間にやら戻ってきたらしいお茶係もといマリエルの哀れみとほんの少し愉快さが混ざった感想に、ヘルプと叫びたくても叫べない。なにせ声は出ませんからね!


通信画面が視界外の為に見えない画面の向こうのイルファはともかく、二人の姿が見えないのは私から見て後方にいるからで、そんな私の視界は現在ディルのドアップでいっぱい。見目麗しい御顔の攻撃力に鼻血の心配をするのではなく、般若の如き怒りの形相の攻撃力と物理的な頬の痛みに落涙の心配をしております。

泣いて喚くのはひどく疲れるので下手するとそのまま寝落ちなんですよ。それではイルファに物申せないではないかっ泣くのは嫌でござる!


痛みに悶絶している割には余裕があるじゃないかと思われましたならば、痛いと叫んで回転数が最高速度の思考の歯車の横、余裕な様子でカラカラと回し車で運動している我が脳内のハムスターを御想像あれ。

現実逃避している部分はハムスターによって賄われている。つまり余裕があるのではなく、どうにもならないと早々に諦めたが故のものである。

私は学んだ。ぺちぺち叩いて解放を求めたところでお師匠さんのお求めの反応が私から返るまで、このぎゅむっと指先が緩められることなどないのだと。必要なのは、諦めだ!


とかなんとか言っているうちに、たゆんと目元で揺れていた液体が許容量オーバーですと零れ落ちていってしまう。ポロポロと頬を伝い落ちる塩辛い水に、ひんやりした空気が顔の周囲を右往左往といった落ち着きのない様子で流れて行く。

そして、はあぁと溜息が吐かれてぎゅむいっとから解放された我が頬がじんわり鈍く痛いと。

音声がない為に情けなさは半減しているだろう我が泣きっ面を見て、般若が引っ込むディルのそれはどうなのかと思える反応を理解できないのは間違いなく私だけだった。


押し潰す勢いよりは多少ましな手心が加えられていた頬を摘んでいた手は、役目を終えてそのまま顔から離れるのではなく、耳元のピアスへと向かった。

それは魔王レイジェル様に貸与されたボクの制御不能の力を無理矢理抑え込んでくれている命綱の封印石。

その封印石へと触れて、まだ苦しげな様子を残しているディルの表情は苦々しく歪められた。

が、ひぃひぃと情けない呼吸音を発しながらぴぃぴぃ泣いている私は気が付かない。


頬が痛くてそれどころではないし、イルファに対する腹立たしさが不完全燃焼で燻っていることが不安定な感情をより煽っているのか、それともどうしてディルに頬を摘まれなくてはいけなくて、馬鹿扱いまでされたのかと解決していない疑問に腹を立てているのか。いろんな感情が脳内を駆け巡っている間はこの涙は治まりそうにもない。


「どうにか持ち堪えている、か。流石魔王様の封印石だ」


そんなこんなで、ほぅっと封印石の様子を確認して安堵の息を吐くディルにも当然気が付くわけはない。


「……マリエル、手を貸せ。立てない」


泣き続ける私を一旦放置することにしたディルが座り込んで……いや、机の脚元へ凭れることで床に座り込んでいる体勢を維持している状態からマリエルへと片手を伸ばした。

もう片方の手は泣いている私をしっかりと支えてくれている貴方様の素晴らしい行動に心の底から感謝します。痛いのは頬だけで十分です。

いやそんなことより自力では立てない状況に一体いつの間に何が起きて追い込まれたのだお師匠さんよ。


「あー大丈夫、じゃないみたいだね。三半規管がご愁傷様?」


苦笑しながら伸ばされた手をしっかりと掴んだマリエルが、立ち上がろうとするディルの動作に合わせて手を引く。息の合ったやり取りで無事に立ち上がったディルだが、思いっきり顔を顰めて何かに耐えるように目を閉じているその足元はふらふらとおぼつかない。

そんな様子を見かねたのか、離れた位置に転がっていた椅子を風を繰って回収したマリエルが、ディルに座るように促していた。


「何で心声にそんな機能があるんだ……。くらくらする」


椅子に座ったことで倒れる心配はなくなったようだが、ぎしりと背凭れに体を預けるディルの様子は大丈夫とはとても言えない。本人がくらくらすると言っているように座っていても重心は安定に欠けるのか何処かぐらついており、さり気なくマリエルが椅子の背を手で押さえて万が一に備えていたりする。

何が起きたのかがさっぱりで、聞くこともできない泣き喚き状況では疑問が増えていくばかりであるが、そもそもこの会話が耳に入っているのかどうかすらも怪しいのが実情だ。


「騒音兵器ですから~ってことにしておけば?傍にいたあたしには全く聞こえない照準固定はお見事だったけれど、やっぱダメ?」


イルファに厳しい顔を向けていたアシスは、少々困った色が多い苦笑を浮かべて机に頬杖をついていた。

茶化す成分がぐっと控えられた心配していると取れなくもない様子でディルを見ていたが、問われているディルは目を閉じたままで表情は険しい。


「言語じゃない音と呼んでいいのかすらもわからない音が脳内を飛び越えて全身反響。防ぎようのない音に内部から揺らされて意識が飛んだのが一瞬だったことは褒めていいはずだ」


「「……」」


生まれた沈黙には言葉にできない複雑なものが詰まっている。

何度目かわからない息を吐き、ようやく目を開いたディルは不快ではなく気分が悪そうに空色を瞬かせた。

自身の調子が誰の目から見てもよろしくない状況とわかっているだろうに、この御人はきっと根っからの気遣い屋さんなのだろう。


ぱらっぽろと次々と雫を落とし続けるボクの目元へと手を伸ばし、人差し指の背でそっと撫でて涙を拭おうとしてくれる。ただ、浮かんでいる表情は苦しげで渋い。きっと通常のちびっ子が見れば余計に泣き叫ぶだろう険しい御顔だが、懐いているボクは適応外。

ひんひんと泣きまくって情けない呼吸音を撒き散らしていたのだが、与えられた優しい感触にちょっとだけ泣くことから思考が呼び戻された。

まあ、それでも正常に機能し始めるのにはもうしばし時間が必要なのだが。


代わりといっては何だが、マリエルが思考には長く、時間としては短い沈黙から返って来ていた。

ただし、浮かんだ表情は苦瓜生絞りジュースをごくりと飲んだ渋さである。


「……それはもう音による攻撃だね。騒音兵器って言葉が事実になりそうだよ」


「卵の時に昏倒者がいる時点で紛れもない事実だ馬鹿」


その呼び名はやめなさいと否定していたマリエルの騒音兵器肯定的意見という衝撃かもしれない内容は、即座に否定された。しかもディルが言う通りすでに昏倒者がいるのは紛れもない事実のため反論の余地はない完全なる敗北。

眉尻を下げて更に苦い顔になったマリエルだが、当の本人とっくにその呼び名のことを訂正する気はありませんよ。諦めています。ついでに申し上げますと、ぐずっており聞いちゃいませんのでごめんなさいね。

よく聞こえるのは、子供に不慣れなはずなのに、いまではとんとんと背中を叩いてあやしてくれる動作を習得したちびっ子適応速度が素晴らし過ぎるディルの溜息である。


鈍い痛みを訴えていた頬がほんのりと痛い程度に治まってきたお陰なのか、あやされて気分的に落ち着いてきたからなのか。それともおろおろと心配そうに顔の周囲に冷たい空気を発生させて熱を適度に鎮めてくれた加護精霊さんのお陰なのか。ささくれ立った気持ちが宥められ、ゆっくりと思考能力が戻ってくる。


「素地が王クラスとはいえ生まれて四日のちびだぞ。四大が新生に昏倒させられるとか冗談じゃない」


……いきなり穏やかさが消失した会話内容が耳に入ってきたのだが、目を点にしてもいいだろうか。

前半のちびはどう考えてもボクのこと。では後半の四大は誰のことでしょうかねあっはっはっ。


「ああ……豪華な防御付きとわかっても馬鹿が増えるか。それは一大事」


ひどく嫌そうで鬱陶しいに煩わしい調子の声だったのに最後の一文だけが投げやりに明るく聞こえる謎めいた発言はアシスからです。これ何の会話ですか?


―「いい加減俺に状況説明しろっ姿を見せろっ!リトは無事なんだろうなあっ!!」


「っ?!」


急に聞こえた怒声に思わずびくりと全身が跳ねたが、いまの声はイルファのもので、怒声は怒声でも焦って慌ててといった余裕のなさから来ているらしいご機嫌斜めっぽい。通信画面外にいる為に表情は見れないが、恐らく間違いないだろう。

なんて怒っているイルファの様子をほとんど知らない私がこんなことを思えるのは、熟知しているお付き合いの皆様方が静かだからです。


ようやく周囲の様子を見渡せた視界には、顔を顰めているディルとその傍らで苦笑している少々距離が近いマリエル、通信画面と真正面位置でイルファに対峙しているこちらも苦笑いのアシス、以上が映し出された。

少なくともこの場の三人に焦っている様子はなく、逆に一息ついている状態に見えたのでなんとなく大丈夫なのだろうと判断しているが、すでに焦った後って何だ?私がぴぎゃーと泣き喚く前あたりのざわつき部分に理由があるのでしょうか。問いたいけれど、それは焦って慌てての保護者殿を落ち着かせてからでしょうかね。これ以上大きな声を出されてはいま現在大変顔を顰めているお師匠さんの顔面の筋肉が大変すぎる。


「っ……声を落としてくれ、目が回る。泣きはしたが、封印石は無事だ。実害も俺が倒れただけで済んだ。問題ない」


―「違う意味で大問題だよっ!何で泣いてんだよリトが!!」


いや私のことなどどうでもよいよ保護者殿。倒れたってどういうことでしょうかお師匠さん。あの視点が急に低くなっていたのがそれですか?どうして倒れたのか聞きたいけれど気になる発言が実害の単語に籠っているのでしょうね絶対に。

うーわー何をしたのか言動を反芻しようか私。これはつまり四大位のディルが実害と言い切り倒れてしまうような事態を私が引き起こしたということで、私が行った直前行動はといえば……。


「あー、違うところで感情の発散をさせないとリトネウィア本人と四大室と僕たちがお陀仏直行だったからで納得しようよ。ね?」


へい、待たれよマリエル何その物騒極まりない発言。


「そーそー。画面越しじゃこの場の温度まではわかんないでしょイルファ。快適温度通り越して寒いよ」


ねえ、確かにボクの周囲にはひんやり空気が加護精さんのお陰なのか感じられるけれど、いまの発言はごく一部ではなくもっと広い範囲のことを言っていないかアシス。


―「ぅえっ?!」


そしていまの情報で驚くに値すると理解できて素っ頓狂なお声を上げるイルファ、置いてけぼりの私。


「付け加えると、結構ヤバいぞ封印石。リフォルドの見立ては確かだ。もう二声もかければ罅が入ったはずだ。いくら魔王様のものだとはいっても余分な負担がかかっている所為で余裕があまりない。っぅ……悪いな」


待って、物凄く気になる単語が聞こえたよディル。

というか非常にヤバいお言葉しか聞こえなかったよどうしよう。


「いえいえ。辛いなら法かけようか?」


「いや、いくら急遽場を区切ってその他を遮ったとはいえ、肝心の加護精が落ち着いてない現状じゃ対象者が俺でも距離が近すぎて攻撃と勘違いされるだろう。そこまでしなくていい」


次々与えられる何をどう聞いて考えてもよろしい答えへとたどり着きそうにない間接的な情報に、私が一体何をやらかしたのかの原因究明を早急に始めるべきであるとは、十二分に理解している。

しているのだが、何かを拒否する思考はそこから逃げていま現在の変化を捉える。


ボクを抱いてくれている顔色がやや青白く見える具合の悪そうな様子のディルが座る可動式の椅子が、マリエルの手を借りてコロコロと位置を変え、アシスの傍らへと配置される。マリエル同様距離が微妙に近いが抗議ができる雰囲気ではないので身を小さくしつつ我慢です。

だってお加減よろしくないディルへと恐らく治癒を申し出たマリエルの善意を……どうにもボクの加護精さんの様子で断ったお師匠さんにこれ以上愚かな弟子が迷惑かけられましょうか。


そんな感じで通信画面の範囲内に移動したことによって視界に映ったイルファの姿は、泉に両腕ぽちゃりの様子からあまり変わっていない。違うのは身を乗り出し画面に寄ってきてアップになっている御顔の映り方であろう。その表情は声から想像した焦って慌てての様子がどんぴしゃり。

イルファが焦っているのはわかるのだよ。一時的とはいえど画面から消えたディルと私を心配してだと思うので。……うん、怒声の中で心配されていたのは私だけだったが、そこはそれ。ディルの話し声はしていたのでその声の調子から大丈夫そうと判断。ついさっきディルがイルファに対して行っていたものの逆バージョンですね。で、残った私の様子はわからないので心配の流れではなかろうか。


「ふぅ……おい、いい加減呆けてないでこいつの作った通信文を見て何とか言え。泣かせたのは俺だが泣く要因を作ったのはお前だぞイルファ。不安を煽った上に怒らせるな。とばっちりが騒音による昏倒は流石に笑えないぞ」


…………………………現実逃避をやめましょう。理解した。しちゃった。できちゃった。

拾い集めた断片のピースがカチリとはまっていく脳内映像を諦めの境地で眺めながら、どうやら落とすことはなかったらしいお腹の上の通信端末へと指を伸ばす。

いま現在の私の心境は、キャッチボール中に勢い余って近くの民家の敷地へと飛び込んだボールが窓ガラスをパリーン、覚悟を決めて怒られに行く子供です。

怒鳴り散らされても仕方ない、不可抗力でもやらかしたことには違いない。

なので、逝ってきます。


< わたくしは、お師匠さんに騒音扱いされております心声もどきをお見舞いしてしまったということでございましょうか? >


口に出していたらどもって噛んでの別の苛々を生み出しそうな発言も、文字入力ならすっきり見えて逃げ場がないね。なんて考えてしまうところに往生際の悪さが窺える。


「…………音声にはならない理解不能な心声だっていうのに、無自覚で俺への個人特定である心声の照準固定はこなすのか。器用なんだか不器用なんだかわからない奴だなお前は」


カタカタ言わせていたのに気が付かれ、上記文面の作成終了後にはあっと溜息付きでお言葉を頂戴致しましたので項垂れてもいいですよね。



とんでもないことやらかしちゃったねひゃっほーう!土下座の準備はいいかな?お・ろ・か・も・の!



さぁーっと血の気が引いていくと、熱を失い頭が冷えた分冷静にでもなったのか逃避した思考がきっちり仕事を始めてくれた。


イルファへのお怒り文面作成終了後、送信を終えて回答待ちをしていたのによりにもよってイルファが選んだ最初の行動が、私を抱っこしているディルへの威嚇。

これに気が付いてしまった私の怒りが噴き出し、封印石に負担がかかるから使用厳禁と言われていた心声をついうっかり使用してのイルファに駄目だし決行、ただし無意識。


その程度で沸点に急上昇している我が怒りが治まるわけはなく、暴走の危険を案じて急停止をかけようとしてくれたディルへとどうして私が止められる側なんだと自身へと忍び寄る緊急事態を理解していなかった私が理不尽に文句を叫んでしまった。……それもイルファ以外には通じない騒音指定の心声もどきで。

なお、こちらも無意識。無意識だから勘弁してよと言いたいのではない。むしろより性質が悪いよと自分自身へ罪の意識と称した五寸釘打ち込んでいるんです。次はないぞわかってんだろうなという戒めですね。


自己呵責はさて置き、どうやら周辺一帯に響き渡る垂れ流し状態の心声ではない個人様への一点集中型だった所為で騒音の威力が跳ね上がったのでしょう。分散しないってことはそういうことだ。

そんな無意識に威力の底上げがなされた危険物が、我が身と周囲を案じて停止をかけてくれようとしたディルに逃れようもない不可視の一撃をクリーンヒット。そりゃ倒れもするよ。


だって卵の時はそれを狙ってやっていたんですよわたくし。使用方法を激しく間違えたことで鍛えられてしまった心声とは名ばかりの騒音の威力、推して知るべしですよ。なんちゅーことしでかしてんだよ私。

間違えた使用方法であってもベースは心声、つまりは聴覚ではなく直接頭に響く音になるということ。

それが意味するのは直接脳を騒音に揺さぶられたってこと。それも音である以上不可視、心声である以上回避不可能の攻撃ということです。


自他ともに認める騒音兵器、ここに爆誕ですね。泣いてもいいですか?もう泣いたから駄目ですかそうですかわかりました土下座してもいいですか?床にガンゴン額を叩きつけながら反省しますので床に下ろして、いやいっそ叩きつけて下さっても結構です。そのくらいされても仕方ないので見た目が誰がどう見ても幼児虐待にしか見えなくても受け入れます。やった分にはお返しを、それが例え無自覚であれあわや昏倒なんてとんでもない攻撃を行っている事実がある以上、犯した罪には罰がなければならないでしょう。

そうしないと私がすっきりしないなんていう我が儘事情なだけなんですけれどね!

罰をくださいが受け入れられないなら仕方ない、何もしないという罪の意識を負う精神的な罰と受け取ります。別に自分いじめが好きな訳ではないぞ!罪には罰が普通の価値観が根付いているんだから仕方ないだろう。


< お叱りは? >


恐る恐る上目づかいに問うてしまったが、一つだけ瞬いた空色に何かおかしなことを聞いただろうかと不安になった私へと二本の指が示された。

親指と人差し指。


ぱちりと反射的に両頬をおちびな掌で覆いきれていないけれど隠したのは、その痛みをこれ以上上書きしたくないからである。

罰を受けますと覚悟した割にはそんな身を守る行動を即座に取る自分に呆れるが、そんなボクを見ていたディルはその動作は間違えていないと肯定するように口角を持ち上げた。


「十分だろう。追加が欲しいというなら考えてやってもいいが」


「!」


不安定な幼児体型、頭が一番重いですと知っていても高速で頭を横に振りまくった私の判断はきっと間違えていない。

意地悪で妖しい笑みと流し目はこんなところに必要ナッシングであります隊長!今回ばかりは鼻から血液ではなく頭蓋から魂が幽体離脱しそうですっ誠に生意気な限りではございますが、全力で勘弁願いたく!


最早罪には罰の話が何処かへと掻き消えている。

これは私の残念過ぎる性格及び思考の所為なのか、それとも……。


「俺へとうっかり使用した心声に関する仕置きは済んだが、封印石に負担をかけるなということに関しては俺の管轄外だ。言ったのはリフォルドだからな……リフォルドに仕置きを求めるか、監督者として代行できるだろうイルファにでも求めろ」


はいですお師匠さん。もしも保護者殿が四大室に帰還する前にリフォルドに会うことがあればそうします。

私自身を案じてくれているから聞けた発言だったのに、それを破るなんて幻滅されるかもしれませんが、やらかしているのは私なのでそうなったとしても仕方のないことですね。うぅ……気鬱になりそう。


「尤も、あいつは馬鹿みたいに忙しいからな。現実的に考えるとイルファに要求するのが妥当だ」


はい、この数日で何度も会っていますが、四大室来訪理由が私の特殊さが原因故のものですからね。

顔色はまだよくはないが、淡々とした普段の様子を取り戻したらしいディルの言葉に眉が下がった情けない顔……になっているのかどうかは鏡がないので確認は取れないが、気持ち的にはそうなっている私がこくこくと首を上下運動させていると、補足が入った。


「……でも、いまのイルファにそれは無理じゃないの?」


「マリエルに同意。見てみなよあの愉快通り越して笑いの起きない悲愴顔。ディル、おちびちゃんが作った通信文こっちにも回して。何書いてあったの?」


呆れた様子で告げたアシスの言葉が気になり、先延ばしになったうっかりミスのお仕置きにしょんぼりと下向きになっていた視線を通信画面へと向けて、瞬いた。


「…………鬱陶しい」


こらお師匠さん。そんな正直な感想を零すでないよ、思わず頷きそうになった私がいたじゃないか。

動かしそうになった首の筋肉に緊急停止をかけて不自然に固まった私の腹部、その上に乗っている通信端末を片手で器用に操作しているのはアシスの要求に応えているからだろう。

タンッと終了の合図のようにキーが押され、間が空くことなくアシスの前に一つの画面が新規で開かれた。


< 我が保護申請者であるイルファ・ソル・フライトシェネレス殿に物申します。怪我の重軽傷の度合いについて生まれてたかだか四日の私と貴方様では違うのは当然のことでございましょう。ですが、治療を必要とする怪我をしたことを知らせることすらなさらず、内密に処理なさろうとされましたその行為を私はどう受け止めればよろしいのでしょうか?私如きの心配などいらぬ、という拒否であると受け取ってよろしいのでしょうか?ご返答願います保護申請者殿 >


そこに映し出されているのは、私がディルの通信端末を拝借してイルファへと認めたお怒り文面であった。

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