卵
別視点。
「…何が起きてんだこれ」
思わずこぼした言葉に応えるものはいない。
報告を受けて到着した場所では大気が震えて振動している。どうやらそこに聞くに堪えない不協和音が大音量で撒き散らされている――らしい。
視界の端に耳を押さえて悶絶している下級位の天魔たちとそれを非難させている中級位が映る。それぞれが得意とする属性で防壁を張っているようだが、相手にしているのが音や振動という視覚化できないものの所為かいまいちどの属性も防ぎ切れていないらしく皆ふらふらとしている。
「イルファ」
名を呼ばれて振り返った先には耳を押さえて大変なしかめっ面になっている同僚がいた。
「…すげえ顔になってるなディル」
シィーフィール・アル・ディルリーフス。四大の地悪魔。
大抵のことはさらっと受け流すこいつがこの顔か。しかもちゃんと地属性の防壁張ってあるのに、だ。
「平然としてるのはお前だけだ。何で防壁もないのに涼しい顔していられる」
隣に並んだディルが恨みがましい目を向けてくるがそんなこと言われても。
「どんなふうに聞こえてるんだ?」
眼下にある二本の大樹。天魔が生まれる生命の樹。ここが音の発生源。
「…音として認識できてはいるが、何の音かまでは判別が利かない。ただ、うるさい」
…うるさいときたか。
まあ言わんとすることはわかるんだよな。報告に上がってきた内容もそうだったし、実際ここに来てみればこの惨状だ。
「態々聞くということは…」
「ん?ああ、振動として伝わってはいるけど俺にはそんなの聞こえてないんだよな。俺に聞こえるのは…」
翼を羽ばたかせて新生の地へディルと共に降りる。
そこにあるのは大樹に育まれるたくさんの新生達の卵。
「泣き声、だな」
「…泣き声?」
さっきより音がひどいのか完全に耳を塞いでしまっているディル。よく聞こえるな俺の声。
「そ。泣き叫んでるって感じのすっさまじいやつ」
答えるなり顔を顰めるディル。
「…そっちの方が耳に痛そうに聞こえる」
「ものがわかってるのとわからないのとじゃ違うから俺は多少耳に響く程度で、ディルも含んだその他は耐え難いってことになってんだろ。ああ、この子だ」
小さな卵。
恐らく実ったばかりなのだろうその卵は大樹の保護により守られているが、余程力が大きいのか周囲に力の余波が波打っている。恐らくこれが多くの耳に届く音であり、俺に聞こえる泣き声。
本来生ったばかりの新生の卵はこんな風に周囲へと影響を及ぼすようなことはない。それは母体でもある大樹が力の扱いなど知りようもない新生の代わりを務め、力の制御を担ってくれるからだ。
それがこの有り様。
「…手を焼いてるって感じだな。こーら、大樹はお前を守ってくれようとしてるんだ。そんなに困らせるな」
掌ほどしかない本当に小さな卵。それでも触れるとほんのり温かくて、そこに命が宿っているのだとわかる。
「何をそんなに泣いてるんだ?この場所は恐い場所じゃないぞ。多少狭いかもしれないがお前という存在を慈しんで守ってくれる。周囲はもとより扱いきれない自分自身の力からもな」
俺自身は別に特異性も特別扱いに困るほどの力もなかったのでそこまで意識することはなかったが、そういう力を持ってる奴に聞けば皆同じように言うんだ。力の扱い方を教えてくれたのは大樹だって。
「泣くな泣くな。ここは恐いところじゃない。耳を澄ましてよく聞いてみろ。大樹はお前を必ず助けてくれる。そんなに泣いてちゃ大樹の声も聞こえないだろ?」
実ったばかりの卵が返答を返せるわけがないがそれでも伝わったのか泣き声が少しずつ小さくなる。わんわんと響くようなものだったのがひっくひっくとしゃっくり混じり程度に。呼応して波打っていた力も落ち着いて、大気を震わせていた振動もゆっくりと鎮まっていく。
にしても…この子は一体どれだけの力の保有者なんだ。実ったばかりでこの騒ぎって…。
「大丈夫だ。何も怖いことはない。いい子だな」
泣き声が小さくなって完全に聞こえなくなった。掌に触れる温もりから発生していたらしい振動も音も収まったのだろう。ディルが息を吐いて防壁を解除している。
「…泣き止んだ、ということなのか?」
音の名残を払っているんだろうな。頭を振ってまだ耳が痛そうにディルが聞いてくるのに俺は卵から手を離す。
「だな。たぶん実ったばかりでパニックでも起こしたんだろ。余波が凄まじいことになってたところから将来有望」
「先行き不安の間違いじゃないのか?」
静かになった卵に視線をやるとディルは複雑そうな顔になる。
「…これだけ力が大きいと制御に手がかかる。何処の家の子か知らないが、無事だといいな」
「…ああ」
天魔戦争が落ち着いたいま、大きな争いはない。ただ小さな勢力争い程度は何処でも起こる。特に元老たちとその周辺。ろくでもない奴はいつでもろくでもない。力のあるものはどうしてもそういうことに巻き込まれがちだ。
「…守ってやってくれよ、大樹」
ざわっと葉を揺らす大樹に当たり前だと言われたようで俺は少し笑った。