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精霊石調査、炎火、其の弐

穏やかに見えるのは外周のみ。

下層域へと踏み込めば、そこに在るのは降り注ぎ風に巻き上げられて細かに煙る灰の色。



「流石に霞んでるな」


遠くに見える上層域の暴風に吹き荒ぶ火山灰の暗い色に比べれば、この場所の風はそよ風で視界は良好、なのだが……それでも衣服の裾がバタバタと音を立てる強さの風が吹いている下層域の視界はそれなりに悪い。砂嵐とまではいかないが、砂塵が舞い散る砂漠の光景を想像してくれれば凡そ間違ってはいない。


水霧の濃霧も厄介だが炎火の灰も厄介なんだよな。粒子が細かく硝子質、水分と反応すればどろりと粘つき、乾けば固まり簡単には落とせない。その為下層域以降は風を繰って自分の周囲に吹き荒れる灰を遮る簡易防壁を張り続ける必要がある。絶対ではないがそうなると呼吸の問題が生じ、長時間の滞在は難しくなる為、同じ一点特化地の水霧よりも立ち入りに制限があったりする。

俺もレミィも風属性は不得意ではないので、反属性の水ほどではないが土地特有の制限がやや付いても特に苦も無く火山灰を含んだ強風を遮り、安全圏での呼吸を確保できている。


「ここは高低差が少ない分まだましな方ですわよ」


外周の見渡す限りの荒野とは異なり火山活動による地震、溶岩の流れによって沈降したかと思えば隆起し、溶けたかと思えば固まる不安定な地盤の最深部、以前は通れた道が噴石で塞がれていたり溶岩地帯に変わっていたりと変動の激しい上・中層域の影響を受けて下層域も奥へ進む程凹凸のなかった道に岩場が増えていき、ところどころ岩壁も見受けられる。

そんな下層域の中程、比較的土地の起伏が少なめの場所ではあるが、その起伏の所為で風が奇妙な流れを作り所々で渦を巻く。防壁で自身へ直接の影響は防げても煙る灰がどうしても見通しを悪くする。

それを鬱陶しいと思うのは、姿を見せない何かの存在に気が付いているからだ。


周囲へと視線を走らせて互いに互いを補える位置取りで進んでいるが、俺もレミィも上手く相手の場所特定ができずにいる。その理由は俺という火属性の気配につられて集まってきている大小様々な生物にある。

無謀にも跳びかかってきて返り討ちにあい、その光景で学習してなのか元々警戒心が強いのか様子を窺いながら後を追ってきているものが少なくないからだ。数えることを放棄している雑多の中に上手く溶け込んでいる所為で正確な位置を特定できない。


「モテますわねイルファ」


「水霧で同じ台詞を言ってやるよ」


溜息混じりの嫌味に下層域へ入ったことで同じ種族ではあるが大きさが掌大から二の腕ほどに変化した火蜥蜴を蹴り飛ばしながら即答する。


「……鬱陶しいですわね」


パンッと岩場の上から降ってきた二メートル近い大きさの大蛇を強制開きにしているレミィが舌打ちをするのが聞こえた。中層域側へと近付いてくると反属性の水を嫌って排除しようと襲いかかってくるものが出てくる。ただ、外周の時と同じく一蹴できる程度なのでいちいち相手にするのが煩わしいのだ。


「気持ちはわかるが我慢しろ。この状況で出てこない慎重な奴に逃げられたら探すのは面倒だぞ」


何の警戒もなく歩いているだけの俺たちは、一見すると隙だらけ。その証拠に火蜥蜴や大蛇などのやや大きめのものは様子を窺いつつもポンポンと飛び出してくる。払い除けなければしつこく追撃に来るし、雑魚と呼べる実力差があろうと数の暴力という言葉がある故に無視し続ける訳にもいかず、仕方なく向かってくる自殺志願者のみあしらっている。

結構な数が天に召されてるってのに、それを見て感じてもぞろぞろぞろぞろ…………。

ちっと思わず漏れた舌打ちはどちらのものだったのかと思うほど。


「わかってますわよ。一掃する為の法で警戒を強め、隠れられては現在進行形で我慢しているのが全て無駄になりますもの。イルファ、あなたもうっかり苛立って圧力をかけないよう気をつけてくださいね」


蟀谷(こめかみ)の目立たないところに小さな青筋浮かべてないよな?レミィ、お前が怒ると加護精が水属性半減地であっても、いやむしろ半減地だからこそ頑張ってなのかひんやりではなく明確な冷気を発生させるからな。それはレミィ曰くちょろそうな俺が、本当は襲い掛かってどうにかできるようなものじゃないと意識して威圧するのと大差ないからな。どっちも法で一掃するのと変わらないからな。わらわらと群がって鬱陶しいその他大勢が怯えていなくなれば、隠れ蓑がいなくなって場所特定できてない恐らく今回の目的物抱え込んでるだろう何かもいなくなる可能性が高いからな。ちゃんとわかってるよなレミィ?


「言われずとも。ったく、その他がいなくなって出て来てくれるってんならこの煩わしさから解放されるんだが……」


「気配が一定距離で付かず離れずですものね。正面切ってぶつかって来ないこそこそ付け回すタイプは勝ち目がないとわかれば大抵逃げますのよ。根性のない」


「本能で生きてる相手に根性論を持ち出すな。でもってその手のタイプが悪いわけじゃないだろう。レミィだって偵察と情報収集をすることはあるだろうに」


殺気と怒気はどうにか抑えているが……ちょっとずつひんやり空気が流れてきているのが気になって仕方ないんだよな。苛々しているのは俺もわかるが、もう少し落ち着いて欲しいと思うのは贅沢なことなのか。

さっきから返り討ちにあっている火蜥蜴、大蛇の魔物たちのはじけっぷりが激しい。外周から追ってきた大型種の通り道をたどっている為に時折地面へと落ちる目は、よく見れば半ば据わっている。


「それはそれ、これはこれですわ」


ああ、我慢の限界が近いなこれは。通り道も……そろそろ終着点が見えそうだ。

となると。


「……イルファ」


「…………ご要望は?」


バチンっと火蜥蜴がはじけて飛んでいくなんて明らかに間違えているスプラッタな光景を背景に、にっこりと見た目だけは朗らかおっとり癒し系の笑みを浮かべたが、直後にすらりと抜身の刃を彷彿とさせる凄惨な笑みに変化させるな性質悪い。印象の落差が激しくてきっとこうなるとわかって予測をしていても背筋に嫌なものが走る。


「法なし、切断なし、全力手加減で。根性なしを釣り上げなさい」


攻撃性の法の使用禁止に下級位の法へ変化するので蹴りつけるのも三、四発までに制限しての立ち回りをし、更にはそれによって隠れている奴を引きずり出せときた。

レミィの中で根性なし扱いが確定したらしい何かが出て来るまで俺は一人で頑張らなくてはならないご様子だ。

それも提案、相談ではなく決定事項。正論による不平不満もただの文句も受け付け不可と言外の訴え。


「危うげなく危うく見える戦闘しろ、ね」


面倒な注文だが、隠れたっきりで出てくる気配のないお相手は、俺たちの注意が疎かになり本当の意味での隙を見せるのを待っているんだろう。

翼を顕現させているにも拘らず歩いているから飛行できるとは知らず、灰除けの簡易防壁以外の法を用いていない為に数で攻め込まれれば苦戦して隙ができる、と考えてその瞬間を待っているんだろうな。

レミィもそう予想したからこその囮になれ発言で、このままでは出てくる様子が見られない何かを引きずり出そうとする意見は俺も賛同できる。その他大勢の相手を長々とさせられるのは体力や耐久力なんかよりも忍耐力が持ちそうにない。……気が短いんだよな、俺たち。


それにしても、只管待ちに徹する臆病とも取れる積極性のない狩りの手法か。

そういうのは動きの鈍いタイプか力や能力が他に劣るタイプに多いんだが、力で劣るなら数の多いその他に襲われている中に割り込んでくることはしないだろう。相手の獲物を横取りするからには返り討ちにされない存在でなければならない。

となれば少なくとも火蜥蜴、大蛇の集まりを一蹴できる力量もしくは能力持ち。敏捷性の方は徒歩に十分ついて来ることが可能な時点で極端に鈍いわけじゃない。移動方法が地上ではなく地中なのも引っかかるが、何が引っかかるのか明確なものが出てこない。

種族特定にも決定打に欠ける。こうなると多少賭けの要素が大きくても相手の希望に寄って引きずり出すのが適当だな。変な能力持ちじゃないと楽なんだが…。


ふうと肩を竦めつつ息を吐き出す俺の動作を了承でも承諾でもなく仕方ないと諦めての無言の返答と知っているレミィは、笑みをごく普通の見た目に戻してにこりと笑う。

せめて脅している様子がなければ平和的に見えるのにとは思うだけ無駄だな。これがレミィなのだから。

ほんの少しばかり思考を別のところへと飛ばし、気持ちを切り替える。


「では」


すっと掌をこちらへと向けて差し出してくるのに同じく掌を向ける。


「健闘を祈りますわ」


「そっちも」


パンッと互いの手を打ち合わせた音が戦闘開始の合図だ。

ぴたりと足を止めた俺と歩を進めるレミィ。その距離が五歩を数える頃には獲物認識されている俺の周囲にずらりと集まるその他大勢。その多さに面倒くさいと出かけた言葉を飲み込んで、代わりに一つ息を吐き、吐き出した分ゆっくりと吸い込む。

開いている距離は二、三歩分。視界で三列、気配で五列はある襲い掛かる順番待ちの最前列が、地面を踏み込み跳びかかろうとする動作を瞼の向こうに感じながら身構えるのではなく、力を抜いてただ立つ姿は無防備に見えるんだろう。


地を蹴り、その身を宙へと投げ出し、獲物へと跳びかかってきた火蜥蜴たちをさらに上から見下ろして、足蹴にした。

ベチン!ベチン!ベチン!と連続して聞こえる打撃音は、下から上へと跳躍してきた火蜥蜴たちをその上空に跳躍した俺が上から下へと踏み落としているからだ。飛行できない為に空中で踏ん張りの利かない火蜥蜴たちは、俺の踏み台にされては地面へと激突して動かなくなる。はじけ飛んでいないから手加減は上手くいっているが、開きになっていないだけで中身は見られたものじゃないだろう。見る気もないが。


とん、ベチン!とん、ベチン!と軽い足取りで飛び石の上を歩くように火蜥蜴たちを足場にして空中を歩いていく俺の姿は、やる気がなさそうなのに視線だけが油断なく動いていて異様に見えるんだろうな。

翼を顕現しているのに飛ぶことをせず、次から次へと跳びかかってくる自身を捕食者と勘違いした残念な生き物たちを踏み落とすのにはちゃんと意図がある。


居場所を悟らせない慎重さ、ずっと追いかけてくる執拗さ、移動方法は地中、加えてこの場所、炎火の地に生息する主な生物は爬虫類となれば、八割方相手は爬虫類で確定していいはずだ。それも移動手段が地中故に視覚に頼らず聴覚や蛇に多い熱感知などで獲物の位置を把握することが可能なタイプ。

属性感知の可能性もあるが、それでいくと威圧的ではなくちょろそうに見えても、属性としては高位に分類される火属性を持つ俺は脅威対象になる。

そんな俺を獲物認知できるのはここにいる火蜥蜴などとは比べ物にならない大物になるが、そういった手合いはさっさと上層域へと移動する。中・下層域の生き物など餌にもならないからだ。

だから、恐らく熱感知。


これまでの情報をまとめればぼんやりとその姿を想像できるようになるが、それでも何であるかを特定させるには足りない。恐らく精霊石の影響で突然変異を起こし姿も性質も変質しているのだろうが、俺の知る変異種はもっとがつがつしてるんだよな。食欲旺盛で自身以外の生き物は全て敵だと言わんばかりに攻撃的。

こんな風に身を潜めて追い続けてくるものじゃない。

変異種とはこうである、なんて決めつけはいけないが、ある程度の予測をつけ易くできるのでどうしても既存の知識で考えてしまう。姿を視認できれば変質する前のものが何であったのか確認が取れて的確な対策も取れるのに、出て来てくれないのだから面倒くさい。

でもまあ、そろそろ出て来るだろう。


次々と跳びかかって来ていたものを片っ端から踏み落としてできた光景の上へ顕現させただけだった翼を広げて低い位置ではあるがようやく飛び上がる。

眼下に広がるのは地面に叩きつけられて絨毯のように敷き詰められていった大量の火蜥蜴たち。

多分な手加減の為に中身が致命傷を負っているのに即死はできず、じわじわと息絶えていく。

近寄り難い異常な光景で流石に敵わないと理解したのか、それとも同胞が緩やかに苦しみながら死へと向かう様に恐れをなしたのか、襲い掛かってくるのをやめた火蜥蜴たち。

それでも完全にいなくならないところに執念を感じるな。


異常な感覚持ちでなければ誰が見ても惨いと思う止めを刺さない仕打ちは、この光景を作った俺自身も顔を歪めたくなるものだが、態と隙を作って本当の意味で自分を囮に使う訳にはいかないので今回は仕方ないものだと割り切る。

そうして不快さを飲み込みながら隠れ蓑にしていたその他大勢の徐々に弱っていく気配の中、異様な光景を意図して作り上げる原因となった何かの気配が、動いた。


『出ますわよ』


離れた位置から様子を窺っていたレミィの心声とほぼ同時に、自力で動くことの叶わない敷き詰められた火蜥蜴たちの体が地面の振動で不自然に揺れ、直後降り積もった火山灰、その下の地面とともに真下から突き上げられて吹き飛ばされた。

もうもうと立ち込める砂塵の向こう、予測通りの巨躯が朧に映る。隠れることをやめたからなのか不鮮明な影に感じるのは強い火の気配と……何か異様な忌避感。回避を促している本能の何処かに疑問を覚えながら、その訴えに従いいつでも防壁を作れるように構えていると、強い風に巻き上げられ続ける晴れない砂塵から影がのそりと動き、その姿を現した。


決して目立つわけではない鈍色とも錆色ともつかない色のごつごつとした外皮は触れることを許さない刺々しさを持ち、硬い外皮を持つ蜥蜴の種なのかと思うが、僅かな光でも鮮やかな色を返す火色のつるりとした蛇の鱗を持った部位もあり、どちらとも言えない見た目だ。

全体像は見えていないが、蜥蜴の要素が強い蛇と混ざり合ってできたらしい様子のそれ。

そんな通常種とは明らかに異なる全体像よりも、頭の大きさが高さ一メートルを超えていることよりも、何より先に気が付いた忌避感の正体に声を張り上げた。


「レミィ!目を閉じろっ見るな!」


ギョロリと獲物を求めて動いた大きな両目、金色に滲む虹色の虹彩。

それは魔眼と呼ばれるただ見るだけで能力を発揮する特殊な目が持つ特有の虹彩。


「っ!」


視線が交錯した瞬間、パンパンッとグローブに備え付けてあった自動展開の補助用の法を組み込んでいた結晶石が連続で砕けた。どの石が砕けたのかを確認するより先に重ねてしまった視線を慌てて逸らしたが、地面を割り砕く音に再び視線を戻せば、十メートルは超えると予測される巨躯に似合わぬ俊敏さで二本の鋭い牙を剥き、それは俺目がけて跳躍していた。


ファーストコンタクト直後に腹の中、なんて嫌過ぎる未来を大きく翼を羽ばたかせての急上昇で回避、その勢いのままに体を半回転させ、逆さまになった視界で躱した攻撃の先を確認する。

視界を流れて行った鰐にも似た体格のそれは、俺の後方にあった大岩へ男の腕より太い二本の牙を突き立てていた。

消化不良どころではないどう考えても食べ物にはならないだろう大岩から牙を抜くのは容易ではない、と宙で体勢を整え直して息を吐く俺を嗤うように牙が刺さった場所からぶすぶすと不吉な煙が上がり始める。

風上側にいるお陰で臭気は届かないが、何故何どうしての疑問は湧く前に解を得る。

突き刺した牙から放出されるのは毒、それも通常の毒蛇が持つ神経毒や出血毒などではなく、直接対象物を溶かす酸の類。


「魔眼持ちの上に酸性の毒かよ」


通常種からではありえない進化工程を経る単純な突然変異ではなく、いくつかの種が混ざり合った所謂合成獣の要素が見られる魔物を視界に収めつつ、大岩が溶かされ牙が外れて自由になるまでの短い時間に砕けた結晶石の種類を確認する。


「っち」


砕けた結晶石を見て思わず舌打つ。相手に近付く戦闘方法を取る近距離格闘型は突発的な攻撃からの回避の為に自動展開する防壁や補助の法を組み込んだ結晶石を複数身に着けている。

つい先程砕けたのは毒や麻痺といった状態異常に対する防護で、グローブに残っている砕けた石の欠片が透明な色を失い灰色の塊に変化していることで一体何の種族が変異したものなのかに見当がつき、再度舌を打つ。


「目を開けて姿を確認したいのですが、よろしいのかしら?」


ふわりと静かに傍らへと降りてきたレミィは俺の警告に従って目を閉じたままだ。


「いまなら大丈夫だが……レミィ、状態異常耐性の装飾具か結晶石をつけてるか?」


身動ぎせずに誤って食らいついた大岩が溶けていくのを待っている変異種を見たレミィが小さく息を吐くのが聞こえた。


「made in イルファの服に織り込まれている分だけですわね。自動展開の防壁はつい最近消費して補充ができてませんわ」


俺作でレミィが使える水準ってことは一、二回なら耐えきれるか。とはいえ、確実性のないことを試して仲間を危険に曝す気ははさらさらない。


「石化の魔眼、バジリスクの突然変異、それも強化型じゃなく別の種と混ざる融合系の変異らしい。可能な限り目を合わせる…………な?」


寒さを覚える冷気が傍らで発生して目を向ければ、好戦的に輝く淡い緑の目が無防備に背を曝しているバジリスクへと向けられて、俺を囮にしている間にいつでも法を紡げるようにと待機させていた力を集束させている。


「渇きに落つるは凍てる雫、鋭き牙となり穿てっ」


吹き荒れる乾燥した風の中、涼やかに流れた水が鋭利な氷の棘を生み出した。十数の氷の棘は形を成した瞬間、目標物へと高速で飛来する。レミィの指示通りに穿つべく、的確に虹色の虹彩を持つ金色の目へと。

氷の棘が幾つも眼球に突き刺さり、勢いのまま顔の内部へと貫き抜けて行く筆舌に尽くし難い痛みに大岩から離れることができない体が周辺の地面を砕き削りながら身悶えする。


「あらあら」


なんてことにはならず、勢いよく飛来した氷の棘は眼球へと届く寸前に閉じられた瞼により弾かれ砕けた。

キラキラと氷片を散らすその先、傷を負ったようには見えない瞼から金と虹が現れるのに、ふうと息を吐くレミィ。


「この程度では傷もつかないと。生意気な蜥蜴ちゃんですわね」


突然の目への攻撃に苛立ったのか瞳孔を細くし、大岩に頭が固定されている為に狭い視野の中で四方八方へと大きな目玉をギョロギョロと動かして襲撃者を探す獰猛な変異種を蜥蜴ちゃん呼ばわりするなレミィ。

狩るべき対象が通常種でも面倒なバジリスクの奇怪な変異種と知っても大した驚きを見せないどころかいきなり目を潰しにかかったある意味適切な反応は、良い意味で冷静、悪い意味で安易と取れる。


ただし、そんな風に考えられるのは表情を見るまでの短い間だけだ。バジリスクへと向けられ浮かべる笑みは、おっとり和やか癒し系なんて言葉が脳裏の何処にも掠めない獲物を前に舌なめずりする獣にも似た狂暴なもの。

一度こうなってしまってはもう止めようがない。制止も忠告もことが終わるまで聞き入れることのないレミィへ俺が行わなくてはならないのは、レミィの行動を遮らせぬよう障害となるものを素早く取り除き排除する正確無比な補助支援だ。


「簡単に壊せないのでしたら、手法を変え壊せるまで繰り返して差し上げましてよ」


にやりと大きく口角を持ち上げた凶悪にしか見えない笑みを浮かべ、俺の隣で宙に静止していたレミィは大気を翼で掴み弾き、足で踏み締め蹴りつけ翔け出した。


「大気に荒ぶ砂塵を纏いて刃と成せ、烈風よっ無慈悲を謳いて万物を切り裂け!」


強い風に巻き上げられる灰が法により形を変え、吹き荒れる強風が後押しを受けて竜巻となり、未だ動けぬバジリスクを包み込み吹き荒ぶ。不可視の風に絡め捕られ三日月型の刃を形作った灰は、竜巻の中を縦横無尽に駆け回り、逃れられぬ標的へと襲い掛かった。



シャアアアァアアァァアアアーーーーーーーッ!!



鳴き声とも空気の抜けるような威嚇音とも異なる、けれど苦悶とわかる音が竜巻の荒々しい音を引き裂いて響き渡る。暗い灰色の竜巻の中に澱んだ赤色が散り、レミィの法がバジリスクの硬い外皮を傷つけたことを教える。

徐々に竜巻が終息していくその中に向かって躊躇いなく翔けて行こうとする無謀と紙一重なレミィの後を追いながら紡いでいた法を展開させる。


「満ち満ち足るは猛り歌う炎熱の恩寵、穢れを厭い守護成す衣に宿りて浄化を成せ」


薄紅の光がレミィを包んで衣服に織り込まれた守護術式と同調する。一体何処で消費したのか知らないが、上級位の法でも凌ぐ防壁が組み込まれた結晶石の補充を何故優先して行っていないんだ。

石の準備と法の組み込みに多少手間がかかるとはいえ、一日もしくは二日で次を準備できるだろう環境にあってできていないのは、理由があるのかないのか。……忘れていたに一票。


取りあえず、これで一度は目が合ったとしても石化の呪力を回避できる。炎火だからこそ簡単に行える威力強化、服の守護に上乗せての効力増強。補助支援特化でないにしても、普通ここまでやれば死の呪いからだって逃れることが叶うのに、耐性と力の保有量によっては法なしで弾くことも可能なものもある石化に確証を持って防ぐことができるのはたった一度だなんて笑えない。


そんな風に威力を高く見積もっているのは、魔眼に気付いて即座に視線を外したにも拘らず、結晶石が二つ連続で砕け散ったからだ。俺が常備している結晶石は通常種のバジリスクの石化なら余裕で防ぎきる効力を持つ。だというのに一瞬で景気よくパーンとなれば、変異種の魔眼が規格外であると認識する他ない。

それに伴い、過剰と思える程の防壁と守護をレミィに施し続ける必要性があると結論が出る。


俺自身はまだ結晶石の手持ちがあるし補助に徹するから視線を合わせる位置取りに立つことも少ないだろうが、直接ぶつかるレミィは気をつけていても避けられないことがある。いまは大岩に張り付け状態なのでいいが、自由に動き出されればうっかり視線が合う度に壊される守護を張り直さなければならないので、自身とレミィの二人分の行動を気にかけなければいけない状況にちょっとばかり呻きたくなる。

初撃で目を潰せていればここまで慎重になる必要はなかったかもしれないが、十センチ程度の厚みの鋼ならバターでも切り裂くようにさくっと貫く氷の棘を無傷で済ませる硬い外皮と一息でこの乾燥地帯に氷の刃を作り上げたレミィの法の速度に対応した反射神経を目の当たりにしてたらればなんて言える訳もない。


硬い外皮と火色の鱗を見るに、前者は熱を通さず後者は熱を弾くもしくは吸収すると考えられ、そこから導き出せる俺が可能な有効な攻撃手段は火属性以外となる。反属性の水属性は論外、風と地もやや制限がかかる為に威力を求めるとなれば余分な時間と力が必要になり、その分隙が増え危険性も跳ね上がる。

そんな理由もあってこの場で俺の最適は有効な攻撃手段を持つレミィを全力で補助支援する事になる。


しかし、有効な攻撃手段と言っても目を合わせられる危険の少ない遠距離からの法や広範囲殲滅級の法は、俺もレミィも最良の条件が揃わなければ詠唱することすら厳しい。代わりに得意なのが極々狭い範囲、対象物が単体といった最少数に対する単体必滅の法だ。ただし、範囲が極小故に使用の際は対象者へ接触もしくは接触が可能な距離にいる必要がある。現在レミィが行おうとしているのは恐らく、ソレ。

それ故近付くまでの間に視線を合わされることなく、迎撃されたりしないように目眩ましの意味も込めての風の法だろう。この場の強風を利用しての威力強化した竜巻でも微量の出血しか確認できないのだからどれだけ外皮が硬いのか。


すぐ後ろに続きながら色々と思考を巡らせている俺とはきっと対照的になっているだろうレミィは目標物に向かって一直線、迷いも躊躇いもなく最短距離を突き進む。

丁度あと一歩分の跳躍でバジリスクに取り付けるところで竜巻が消え、灰に阻まれて見えなかった負傷部位が確認できた。

どろりと粘性の強そうな暗赤色の血液が流れているのは外皮部分ではなく鱗の部分。

砂塵付与の風の刃ってのは高速で動く灰の粒子の所為で滑らかに斬られるのではなく、ガリゴリと荒く削り切られてるってことなんだが……それでも切れないのかよその外皮、何でできてるんだ。

ああ、鱗の部分もか。そこまで深くないものな、その傷。

鱗の部分ですら生半可な鋼より硬いとか末端の竜種並みの硬さに近い気がする。何と混ざったか知らないが、随分面倒な変異を遂げてくれたものだな元蜥蜴。


ここまでの道中でのその他大勢の煩わしさと現在進行形の戦闘での精神摩耗を考えると、バジリスクに対して思うところは厄介よりも面倒が先に立っていたが、ガキンッと大岩が砕ける音にそんな悠長な思考は流石に蓋をされた。


「炎よ、壁を成せ」


短い詠唱に進行方向の空間へ突如として炎が走り、四角形の壁を作る。進路を阻まれたレミィと俺が炎の壁から右方向へと直角に進路を変えるのと同時に、燃え盛る炎はその色も躍動も失い、石の塊となって落下し砕けた。

視線の先から外れる為バジリスクの背中側に回り込みながら、目を合わせぬように視線を阻む役割を全うしてくれた炎の防壁の先をちらりと窺えば、大岩に張り付いていた状態から四肢を地面へと下ろしたそれは、のそりと緩慢な動作で身を反らし、広げた視界の中で金色の目を忙しく動かして俺たちを探していた。


動けるようになればまず“見る”だろうと思って備えたが、大当たりだ。どうやらこの個体が持つ石化の魔眼は、生き物というより動くものを石化の対象にしているらしい。だから防壁の効果として上になる透明度の高い不可視のものよりも遥かに効力は劣るが、燃え盛る炎によって視界を妨げる不透明で動きのある下級位の法が適当だった。狙い通りに石化を防いでくれたお陰で、魔眼の対策がしやすくなった。

下級位の法で対応できるれば、どう楽観的に見積もっても無茶しかしないレミィの補助に少しばかり余裕ができる。

無言でほっとしていると、跳びかかりも失敗、怪我もしてご立腹らしいバジリスクが折り畳んでいたえらを広げ、シャアアアーッと例の空気の抜けるような威嚇音を迷惑な音量で発している。

煩いなと片方の耳を押さえようとしたんだが、


「耳に障りますのよ、お黙りなさい」


俺より遥かに気が短いレミィがそんな前置きを口にバジリスクの脳天目がけて足を振り下ろしていた。

一蹴五発、蹴撃の方向を意図して集束した踵落しにより発生した衝撃波という名の刃が、威嚇音を上げていたバジリスクの口を強制的に閉じさせた。更にバジリスクの頭は勢いよく地面に叩きつけられ、その衝撃によって地面はバキバキと悲痛な音を立てて罅割れた。……口から舌先が出ていたなら間違いなく噛み千切れてるなあれは。


静かになったことで耳を塞ぐ必要のなくなった手を下ろさず、地面に叩きつけられた頭部に遅れること数秒、石化した二枚の防壁が落下して砕ける様を視界の端で確認しながら次の法をすぐに紡げるよう準備しておく。

まったく、いくら図体がそれなりにでかくとも頭部に張り付きでもしなければ爬虫類の頭上は死角にはならないっての。

溜息を吐きたい俺の心境なんて知っていても無視されるだろうスイッチオン状態の戦闘脳様は舌打ちなんてしていやがる。何が不満かは聞くまでもない。


「無駄に硬いですわね。かち割る気で行きましたのに」


前半には同意してやるが後半の言葉は自重しろ。衝撃波を一点集中させてあったからそうだろうとは思ったが、削り切る風の法で無傷とわかってどうしてそこで選択肢に蹴りつけるが躍り出て来るのか不思議で仕方がないよ俺は。

結局溜息を吐きながら耳が捉えた鋭い風切り音に後方へと視線を転じる。火色の太い尾が大きく振られて傍にあった岩壁が砕かれ、高い風切音を奏でながら危険な速度で顔面大の大きさの岩が周囲へ飛び散る。

直撃すると流石に痛いでは済まないので高度を上げてやり過ごしながらレミィはどうかと確認する。


「風よ」


どうやら振られた尾は攻撃ではなく、叩きつけられた頭部を持ち上げるための反動にしたかったようだ。

自分を蹴りつけたレミィを狙い、海老反り状態になって牙を向いているバジリスク。その視線を逸らすべく、風を繰って飛散した岩を目に向けて投擲していると、柔らかいであろう眼球を守るため瞼の下に目を隠すバジリスクの牙も毒も視線からもさらりと身を躱してきたレミィとすれ違う。


「邪魔ですわね」


すれ違いざまにぼそりと呟き右足を引くレミィが起こす次の行動に、今度こそ耳を塞ぐことにした。


「切り裂けっ」


刃渡り五メートルのギロチンを高さ十四、五メートルくらいの位置から落とせばこういう音がしないだろうか。

ズドンッ!てさ。



ギィイジャアアァアァアァァァアアアァアアァーーーーーーーッッ!!



断末魔もかくや。耳を塞いでおいてよかったと心底思う大音声で苦痛の訴えを叫びながら地面をのたうち回るバジリスクを見下ろすレミィは騒音を越えている叫びが響く中、耳を塞ぐこともなく悠然と微笑む。


「あらあら、自ら切り落とすこともあるのでしょう?いちいち喚くんじゃありませんわよ情けない」


的確な補助の為に常に視界に入れる必要があるのだが、目を逸らしておきたかったと思う邪悪な微笑みと共に紡ぎ出される嫌味と暴論。もう少し長く耳を塞いでおけばよかった。本当に真っ黒だなお前。

蜥蜴の尻尾切りをバジリスクが行うかどうか知りもしないし興味もないが、頭部が純粋な蹴撃五発で足りなかったからって再チャレンジした尾へは先の失敗を活かしてか反属性の冷気を纏わせて回数を追加した七発の蹴撃だ。不可視のギロチンに根元からばっさりいかれれば痛い以外に何があるのか。


本当なら切り落とされた瞬間から噴水の如く血液を撒き散らしているはずなのに、お前が確実に落としてやろうと加護精に呼びかけをしたから張り切った水精霊たちが傷口を凍りつかせてぱっと見は止血しているように見せかけて、傷口を抉ってるぞ。

ちょこちょこえげつないところが見えてもすべて目撃するしかない俺の何処かが疲労を訴えるのにもう少し我慢しろとしたくもない説得をする。きっとこれよりひどいのが待っているから覚悟もしろと付け加えておこう。


「自分でお口を塞げないなら、一息に止めて差し上げますわね」


恐怖しか覚えない笑みを浮かべて更に恐ろしい想像を働かせる言葉を放り込んできたレミィが紡ぐ法がどういったものかに気が付いて、発動時には離れなければまずいと顔が引きつるのがわかった。


「生きとし生ける全てに等しくありて生を繋ぎ巡る命の源」


乾燥と共に熱を運ぶ風に冷気が流れる。

灰を巻き上げる強い風の中、レミィの周囲だけが切り取られたように灰が除かれて、クリアな視界だ。

代わりに映るのはレミィの周囲を浮遊する炎火では滅多に見られないだろう無数の水の粒で、灰に遮られても届く薄暗い下層域の微かな光源の下、キラキラと煌いている。


「我が身に在りて、汝が身に在りて、停滞を許さず回り廻る」


そんな単純に綺麗だと思える光景を引きつれたレミィは、尾を切り取られた痛みにのたうち回るバジリスクの不安定な体の上を、平坦な道を進むのと変わらぬ軽い足取りで尾から背へと駆けて行く。


「温もりを奪え、その身を巡る熱を冷却し留まり食い破れっ」


静かに紡がれていた言の葉が強く響き渡るものへと変化した瞬間、周囲を浮遊していた水の粒が鋭角な氷の粒へとその姿を転じる。そんな変化とほぼ同時に駆けてきた足跡が先を行くレミィの後を追うようにしてバジリスクの火色の鱗を水色の氷で彩っていく。突然己が鱗の上に忌々しい反属性が我が物顔で生じれば、新たな痛覚を与えられたバジリスクはさぞかし不愉快なことだろう。

その証拠に痛みにのたうち回るのを急遽取りやめて、背の上を軽い足取りで駆けているが、実際は蹴りつけるのと変わらない強さで一歩一歩踏み込んで行く自身へ害成すレミィを捉えようと憤怒と殺意に満ちた金色の目を向ける。


「我が名はレミエル!水精纏いし氷結を求むる者っ」


だが、もう遅い。カメレオンのように眼球が自在に動き回る事のない狭い視野では死角に入るレミィを捉えることはできず、素早く駆け抜けていく姿を補足するのは困難だ。それに、死角から外れた時には俺が防壁で妨害している。バジリスクがレミィの姿を捉えることはもうない。

そもそも外周で大型種とわかった時点で都合よくぶちのめして良い相手だとレミィに認識された時点で、こいつは詰んでいる。


「静止し凍てつき内より出でよっ」


思い切り踏み込んで頭部を蹴りつけることで、脚力だけで後方へと一回転しながら散々踏みつけて来たバジリスクから距離を取ったレミィ。俺が作る防壁とレミィの周囲で吹き荒ぶ炎火の地に場違いな吹雪によって視界を遮られたバジリスクは、自身が最早抵抗も逃れる術も絶たれてしまっていることに気付いていない。

口角を上げ、凶悪に笑いながら死神の鎌を振りかぶった水天使が何をしようとしているのかを冥土の土産に教えてやろうか?


「咲き誇れっ」


水属性、その中でも威力の高い氷雪の法。

近距離格闘型故に火属性一点特化地なんて最悪の条件下で望める訳もない広範囲殲滅の法に代わり行使できる極小範囲の個に対してのみ絶大な威力を発揮する単体必滅の法。

それは俺が知る限り背筋が凍りつく程に恐ろしい見た目なのに、同時に綺麗だと思えてしまう残酷な美しさを持つ法なのだと。


「鮮血の氷結花!!」


花が、咲く。

軋みながら凍り付き、命令に従い内側から外側へと顔を出そうとしてブチブチと筋肉を、神経を、皮下組織を、鱗を、外皮を、レミィの法の力に屈した全身の隅々にまで行き渡る血流が、心臓の鼓動に逆らい流れることをやめて一滴残らず凍り付いた血液が、体という器を引き裂きながら、大輪の鮮やかな紅い花を咲かせる。


キィンと涼やかな音を奏でて生み出されたのは、自身の血液が己が体を食い破って花の形に凍り付くなんてどうやって回避していいのか悩む暇すら与えてはくれない滅殺の法。

肉体を食い破って花を咲かせる凍り付いた血液、その花が咲くまでの工程が惨い、えぐい、グロいの顔を顰めて目を逸らしても耳に届く全身を引き裂く悲惨な音と断末魔が結末を教えてくれる恐怖仕様。

見て聞いてしまったことを後悔しかしないとんでもない法だが、完成図はどうしてか目を奪う美しさ。

恐らく引き千切られて粗挽きミンチになった肉の部分が地面側に隠れ、大輪の紅い花の部分が人目につく天を向いて咲いているからだろう。


全工程を見知っていても目を奪われるのは、死に逝くのならばせめて美しく在りたいではないかと言ったレミィを知っているからなのかもしれない。手向けの花、的な。

とはいえ大半のものが直視に堪えぬスプラッタ、これを独自に組み上げたレミィの嗜好には正直不安を覚えるが、我が身が可愛いので絶対に口には出さない。同じ末路は死んでも御免だ。

二人とも肉体的にはまったくの無傷で喜ばしいことだが、俺は精神的に大打撃を受けてげっそりとなる。

俯くと奈落の底に通じるほど深く昏い溜息が出てきそうで仕方なく俯かない位置に視線を固定していて、見てしまった。


「ふうっ、すっきりしましたわ」


それはもう心の底から思っているのであろうことが嫌でもわかる満面の笑み。

そうだな、大嫌いな害虫退治が成功して憂いがなくなり心の底から晴れ晴れと笑う眩しいほど上機嫌の笑顔といったところだ。その足元に己の血液に引き裂かれ凍り付いたバジリスクのなれの果てが転がっていても、輝くこの笑顔。

ひどすぎる対比に思わず頭を押さえた俺は全うな感性を持っていると信じたい。


「……」


だから、このくらいは許されるだろう。

上機嫌で今にも鼻歌を歌いだしそうないろんな意味で残念極まりない同僚の背後にそっと近づき、握った拳を振り下ろした。


「やり過ぎだこの馬鹿」


ゴンッと音がした。したが……。


「痛いですわよ。何ですのいきなり」


一応といった感じで俺が殴った場所を撫でてはいるが、大して痛そうに見えないレミィの様子に物凄く意味のないことをした気になる。殴った俺の手の方が痛いなんて本当に詐欺だ。

互いにじとりと見つめあっていたが、これもまた意味をなさないのだろうと一つ息を吐く。


「手加減容赦ないところには何も言わないが、忘れてないよなレミィ?」


過剰殺傷、もしくは惨殺と言っても誰も否定はしないだろう凄絶な見た目に成り果てた骸のことをレミィに説いても無駄なので、窘めることは諦めてさっさと本題へ入る。

しかし、俺の問いかけに何のことだと無言で答えてくれたその御顔、鷲掴みにした上で握力に物言わせてギリギリと締め上げてやろうかコイツ。

ああ、溜息が止まらない。


「今日の予定は炎火と水霧、共に一点特化地で大変面倒な厄介事付きな案件。ここで滅殺なんて派手な法を行使しているお前に、水霧で十分な働きを期待して大丈夫なのか俺は?」


他の地でも威力にふさわしい力を消費する単体必滅を属性条件の悪い炎火で使用しているのだから下手すれば通常の二倍近く力を消費している可能性がある。四大位に就けるだけの力の保有量があっても滅殺系統の法は乱発できるようなものじゃない。俺だって連続で使用できるのは三度が限度だ。それ以上は身を削る。

同じ近距離格闘型、戦闘技能は互いに比肩すると認識している俺とレミィ。力の保有量にも大きな隔たりはなかったと記憶しているが、返答は如何に?


じとりと身長の関係上、見下ろす位置にある淡い緑の目。殴られたことへの抗議と問われたことへの疑問が浮かんでいたが、説明付きで問い直したところつつっと逸らされた。あからさまに。

これでは言葉での回答はいらない。


「この大馬鹿者」


怒りではなく呆れを込めて咎めれば、流石に後ろめたさがあるのか逸らした視線を戻した。


「こ、これには深くもなく高くもない……けれどそれなりに納得できなくもない理由があるような…ないような……」


戻したがすぐにまた逸れた。自信のない物言いと同じ勢いのなさでしおしおと枯れていく花のように俯いて、胸の前で指先を合わせては離す特に意味のない動作に視線を落としている。


「はいはい、わかったわかった」


ふうっと大きく息を吐き出して理由の追及はやめだと伝える。


「根絶やしにした炭とやらのお陰で怒髪天を衝いていた怒りが副産物の存在で再燃、半ば八つ当たりで全力投球ってことだろう」


ただし、返答を期待する追及はしないが、確認はするぞ。精神疲労に対しての相応の対価としてこれを貰い受けようじゃないか。

そんな心持ちで意地悪な笑みを口元に乗せる俺を見て、対するレミィは口をへの字に曲げた。


「怒りの大元は、恐らく八日前に大好きなお兄様から頂いた水の結晶石付きのブローチが例の炭の所為で壊されたから」


「…………」


ギリィとか苦虫を噛み潰すを越えて液体レベルまで磨り潰しているだろう歯が軋む音を立てるのに加え、水色のふんわりとした前髪の隙間から射殺すような視線が突き刺さって来ることで解を得る。

確認している場が炎火じゃなければ俺は今頃凍てつく空気に晒されていることだろう。半減地で良かった。

面には出さずにほっとしながら記憶をたどる。


「高位水属性、自動展開の守護防壁が組み込まれた浅葱の結晶石。事務作業嫌いのお前が、丸一日時机に張り付かなきゃならないのに朝から妙にご機嫌だったから覚えてるぞ」


「…………目敏いですわね」


「レミィが分かり易いだけだ」


睨むな。睨んでも事実はひっくり返らないし、俺が記憶している過去の出来事の修正も忘却も攻勢に偏ったお前じゃ不可能だ。物理的な忘却については何処が消えるともしれず、加えて確実性もないので除外する。


「それにしても……アレ、ご自身の結晶石だからって理由もあるだろうが随分強い防壁だっただろう。まさか一度で砕けたのか?」


遠距離支援型のレミィの兄君が作る防壁の堅固さは多少なり知っているつもりだ。貰った日から胸元に在った飾りのない結晶石だけのそれが、あの除草剤を作ろうとしていた時には影も形もなかった。身の安全を想って渡されているのだから大事に収納しているはずがない。なのに身に着けていないのは、無いから。

得体の知れない物体共の何がレミィを苛つかせるのかの確認はとれたので、話を打ち切っても良かったが、流石に気になって問えば……あーあー忌々しいって顔だなオイ。


「元々実験で一度使用したものをくださいましたのよ。ですから効果は上級には届かぬ中級位までが限度と言われていましたわ」


何の実験に使用したのかは聞かないことにする。間違いなく俺の苦手分野で理解するのに多大な労力を要するので全力でスルーだ。


「それでも十分な効果なのに一度で砕かれたと」


否定されなかった部分を重ねて問えばついに舌打ちが付いてきた。段々藪蛇な気がしてきたが今更引けない。


「不用意に近付いたのがいけませんでしたわ。一瞬で炎に巻かれて……あれがなければ見事に焦げてましたわ」


不用意に近付いたってのはきっと炭のことで、炎に巻かれたというのは……。


「範囲迎撃機能付いてたのかよ」


「でしょうね。範囲外に退いたところでタルージャが炎を消してくれましたわ」


タルージャが消さなきゃ水の防壁に守られていたレミィを炎が包んだままだったということで、その炎の威力は上級位側ってことだ。


「端も端の外周でも炎火で属性影響地、直撃しなくて幸いだ」


そんな高威力の炎に焼かれていれば、幾らレミィでも無事じゃ済まない。


「……兄様に、持たせてよかったと言われましたわ」


知らなかった事実に眉を顰めていたが、頬を染めて俯き気味に呟くレミィにくつりと笑いが起こる。

兄君が関わるといつも前面に押し出されている凶悪な部分がなくなって可愛いものだ。


「それで!どうして今、そんなことを追究なさいましたの。確かに半分以上先程の法に持って行かれましたからあまり大規模なことはできませんが、そもそも水霧では補助に回りますし、その補助も攻勢に傾いている私では元々高度なものは使えませんわ」


笑ったのが聞こえたのか照れた顔のままでギッと睨み上げてくるレミィ。その言い分に賛同はしても反論をする気はないし、本人が無理だと言っていることを求める気もない。


「凶悪に硬いバジリスクの混ざりもの変異みたいな異常物が水霧でも出ないとは限らないだろう?そうなると攻撃担当になっていても俺が補助に回る必要性が出て来る」


自己申告通りレミィは補助系統が得意じゃない。攻勢で俺がレミィに敵わないように補助で俺にレミィは敵わない。だからレミィで及ばない補助の必要があれば急遽担当変更することになるのだ。


「しかしながら相性の悪い水の一点特化地、場が悪い所為で防ぎきれないなんてことがあったら困る」


だからと続け、――強制する。


「万が一の為に補助用の石をいますぐ補充しに帰れ」


「……」


態々告げなかった言葉はわかるだろう?何せ朝一番にお前が俺に言ったんだからな、レミィ。

他者にいちいち指摘されなくても、己の位が意味する責務をわかっている。

これは当然口にした自分自身にも適用される言葉だ。だからこそ腹を立て、首を絞めるなんて行動で表されたのだから。

四大位が出向くのは命の危険が伴う物事、一人一人がそれを理解し覚悟してかからなければ、その危険は己だけでなく仲間にも及ぶ。私事の感情で無茶をやられては迷惑だ。


「ご、めんなさい」


きついことを言っているとは思うし、逆の立場で言われればいまのレミィみたいにしょげるだろうけれど、実際に怪我をさせたり……失ったりして嘆くよりずっとずっと辛くない。

しおっとさっきよりも俯いてしまったレミィの額を人差し指で押して顔を上げさせる。起きていたかもしれない可能性に気が付いて揺れる淡い緑には、にやりと意地悪に笑う俺が映る。


「そういう訳で“イルファに脅されましたので可愛い妹の身を守るための補助石をくださいませお兄様”っておねだりしてくるように」


先の強い言葉を払拭する為に努めて明るくからかいを含んだ調子の声音で告げれば、何を言われたのか一瞬わからなかったのか、ぽかんとなってからたれ目返上と目を吊り上げて真っ赤になったレミィ。


「イルファッ!」


「っと、素直に甘えられる機会を提供してるんだ。活用しろ不器用」


「余計なお世話ですわっ!」


払い飛ばされそうになった人差し指を危ういところで回収しながら、からかい混じりに更に助言する俺に、耳まで赤くして怒鳴るレミィは身を翻した。肩を怒らせている背に一応付け足しておく。


「水霧で待ち合わせだからな~」


「わかってますわよ!おとなしく待ってなさい!」


「気をつけて帰れよ~」


ばさりと荒々しく翼を羽ばたかせて一足先に炎火を後にするレミィの姿が見えなくなるまで見送り、ひらひらとふざけ半分で振っていた手を下ろした。


「さてと」


滅殺の法でようやく襲い掛かる気力を失くしてくれたらしいその他大勢の邪魔がなくなった地に足を下ろす。


「どう処理したものかな、この巨体」


巨大な氷塊と化している元バジリスクの変異種を見上げ、息を吐く。感知する限り精霊石の原型はなく、体内に取り込まれてしまっているようなので、十メートルを超える精霊石になった骸は自然処理に任せる訳にはいかない。

とはいえ、レミィによる滅殺の氷が生半可な火力で溶かせる訳もない。これを跡形もなく処理しようとすれば、属性補正があるとはいえ俺も滅殺に近い威力の法を行使する必要がある。ただそれを行えば続く水霧で支障が出ないとも限らない。非常に悩ましい事態に何度吐いたかわからない溜息が零れる。

良案が浮かばず、取りあえず全血液を氷に使われて水気を失った残りの部分を先に処理するかと法を紡ぎかけ、急速に高まった炎の気配に気付き慌ててその場から飛び退る。


「阻めっ!」


逃げ切れないと急遽展開した炎の防壁を突如として発生した視界を焼く程の炎がひどく乱暴に叩く。圧倒的な熱量を周辺一帯へと撒き散らす炎は、氷の花、十メートルを超える精霊石から迸っている。


「っち」


一節詠唱での急展開とはいえ高位火属性者が優位属性の炎火で紡いだ火属性の法、中級位程度の威力であればびくともしない。だというのに、防壁を越えて閃光から視界を庇った両腕を舐める熱に顔を歪めた。

それはほんの数秒の間、爆発的に燃え上がり、幻のように掻き消えた。

…………凍り付いたバジリスクの骸ごと、何も残さずに燃え尽きたのだ。


「……ふ、ぅ……」


急変した事態に詰めた息を吐き出せば、限界を超えた防壁が崩れて消える。罅割れた地面を滑らかに灼き尽くした炎によって作られた直径三十メートル程のクレーターの淵へと頬を流れた汗が一滴落ち、水滴となって滑って行くのを呆然と見つめ、一度きつく瞼を閉ざしてから目を開く。いま見ているものが夢でも幻でもない現実であると認識するために。


光沢すら認められそうな地面、そこに消えることなく存在する一滴の水の粒を認め、吸い込んだ息を天に向けて吐き出す。水霧へ向かう為の準備とはいえ、レミィを先に帰らせておいて正解だったと跡形もなくなった精霊石を宿した変異種の末路に苦笑う。


「とんだ自爆仕様だな、オイ」


赤みを帯びた両腕の皮膚がちりりと痛んだ。

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