手紙は読むものです
「わ、たしですか?」
虚を衝かれた様子の声が近いはずなのにひどく遠く聞こえた。
受取人が触れること、もしくは触れていることが鍵である加護精霊の可否判定なのだろう。持っているのはボクだが、イルファの体が封筒に接触したことで申し訳なさそうに冷気をそよがせていた加護精霊はほっとした様子で冷気を止めたのだから間違っていないはずだ。
ただ、だったら受取人の手を使って開封してしまえばこっちのもの状況も可能ではないか、とか捻くれた考えが一瞬で過る脳の処理速度がちょっとだけいただけない。
自分の目とリフォルドの答えでもう一人の受取人が保護者殿だとわかり、頭を上に向けてイルファを窺えば、イルファもこちらを窺っていて、お日様色の目とぶつかる。
「っ!」
「え!?」
その目を見つめて、その目に見つめられて、ボクが取った行動は二通の封筒をぺたんこだけれど柔らかい胸元に押し付けて隠すことだった。
勿論ボクのおちびな腕一本よりも幅がある封筒を隠すことはできていないし、何より視認されているものを隠せる訳もない。ボクが亜空間への収納技術を持っていたならば隠せただろうが、そんな技能は当然ない。
ばっちり腕の向こうに白い色は確認できるはずだ。イルファが狼狽えた声を出したのはバレバレとわかっているのにそんな理解不能な行動に出た意図がわからないからだろう。
「え、え?リト?!」
慌てた声と困惑した表情から逃れたくて封筒を抱き込んだまま体を丸め、自分の顔ごとイルファの視界から隠す。ひんやりとした封筒からも困惑する様子が感じ取れたがそこは完全に無視させていただく。
すまないレイジェル様の加護精霊、きっとお願いされて胸を張って請け負ったのだろうけれど、一身上の都合により邪魔をする。
だって、この手紙には恐いことが書かれているんでしょう?
何が書いてあるのかなんて本当はわからない。私はレイジェル様ではないのだから。
彼の王のように豊富な知識も経験もない私にできるのは身勝手な推測でしかない。違う可能性だってある。
たかだか二十余年の知識と経験、それも前世のものしか持たない私の推測などで考え付かない別の何かだってことも十分に考えられるはずだ。
「…っ」
でも、頭の何処かが訴えている。違うと縋るように否定している私を無慈悲にも切り裂いて、間違えてないと確信めいて訴えているんだ。直感だと思うそれが示す答えが、きっと間違えていないんだろうと認めているボクがいて、否定して欲しい私は頽れ震えだす。嫌だ、どうしてと泣き叫ぶ。
イルファの腕の中、二通の封筒を抱き込んで丸くなったボクがカタカタと震えだすのを見ていたリフォルド、マリエル、ディルの三人は何事かと瞬き、腕中で震えられるイルファは、混乱していた。
「え、ええ!?な、何でそんな泣きそうな顔してっ震えてっ俺が何かやらかしたのかっ?!」
訂正、混乱している。大事なことなのでもう一度繰り返す、混乱している。
気にすべきところはそこではないだろう保護者殿。注目すべきは渡すことを拒否しているレイジェル様からの手紙であって、泣きそうに見えたらしい私ではない。
冷静なボクが機能していれば即座に顔を上げて首を高速横振りして否定するのだが、生憎人の話に耳を傾ける余裕が消滅している。
そしてその理由はきっとこの場の誰にもわからない、わかって欲しくない。
ぎゅうっと目を閉じて怯えるボクの様子に抱き込まれた封筒の鍵である加護精霊が本来の頼まれ事に絶対含まれていないだろうに、どうしてか宥めるようにひんやりとした空気で頬を撫でていく。
キミたちの何より優先すべき加護者からのお願いを邪魔しているのに気遣う気配が感じられることが、より現実味を帯びていて出すことのできない悲鳴を上げたくなる。
ああ、本当にどうして、誰よりも何よりもわかっているはずなのにどうしてなんですか?
答えが返る訳もない疑問に埋もれ、不安と恐怖に飲み込まれていく。
スパアァンッ!
そんな状態の我が思考に、ァン…と余韻が響いた。
いまの何の音?何か振動が来たんですけど何事?
突然の破裂音にも似た異様に響いた音にずぶずぶと沈み込んで行っていた思考が急浮上を遂げた。
震えも丸まった姿勢も変わりはないが、瞬間的に開いた目と同期して意識は見事に切り替えられていた。
「いってえぇっ!何すんだディル!」
「っ?!」
抱かれている体ごと揺れてしっかり支えられているとわかっていてもぐらついた体は、反射的に手を伸ばして触れたものに縋る。
「叩いた」
「何で急に頭を叩いたんだっ意味わかんねえよ!」
淡々とした調子でさらりと答えたディルに至極真っ当な叫びを上げるイルファ。状況はわからないが良いタイミングの突っ込みでした。
しかし、叩いたと申されましたが一体何で叩きましたのかいまの音。スパアァンッてものすごく良い音しましたよ。よく見る緑一色のスリッパやハリセンで叩きなさったのか?
いやそれより何よりどうしてイルファは叩かれた?音だけでは何がどうなっているのかが伝わりきれないが、顔を上げるのは嫌だ。
「お前が取り乱してどうすると言いたかったんだが、音に驚いて意識がこっちに向いたようだな」
丸まった背中しか見えていないだろうにどうしてわかるんですか、そして溜息はやめてつかあさいお師匠さん。展開についていけてないけれど凹みます。
「いつまでも俺を睨んでないで信頼を植え付けろ愚鈍」
理解が追い付かない思考にも貴方様の辛辣な言葉と突っ込みを入れたくても入れられない言葉繰りが突き刺さりますね。
「そしてお前はついさっき俺と交わしたばかりの約定を違えるつもりか騒音兵器」
副音声でいい度胸だと聞こえそうなものがこっちにも飛んできました。想像の中のあなたの表情が恐いです。
交わしたばかりの約定と申しますと信頼と信用の妥協、ですよね。分かってはおりますがこれはそれでカバーできるぅえ?
支えられていた腕の感触が突如として消え、腹部にすうっと流れた浮遊感。落ちると本能が答えを出して、先程縋った何かを強く掴もうとするのだが…。叩き叩かれの会話を耳にしていて力が緩んだらしく、握り直そうとした手からそれはするりと外れた。支えも掴まるものもなくなったなら残る選択肢は一つのみ。
落ちる。
落下を防ぐことに早々に見切りをつけ、せめて訪れるであろう衝撃に備えようと身を小さくしようとしたのに、何かが両脇に差し込まれて団子虫よろしく丸まろうとしていた体は真逆に開かれる。
絶対に痛い未来予想しかできなくてきつく閉ざした視界、ぱさりと軽い何かが落ちる音が聞こえ、額には熱が触れた。
こつりとぶつかったのに衝撃がない熱源、何だろうね。というかそんなことより、ボク落下してない。
何というか…ぶらりと宙ぶらりんな感じ、いや足裏に何か柔らかいもの踏んでる感触がうっすらある。
これは…両脇に手を差し込まれての強制立ちだ。
目を閉ざして状況把握を放棄したのだが、出て来た結論を確認しようとそろりと瞼を押し上げて見えたものに瞬く。
お日様色の目。
……ただしものすごく近い。至近距離、むしろ目と鼻の先、いや目しか見えない。
「リト」
どういう状況だと困惑に目を揺らすボクをイルファが呼ぶ。
吐息すら触れ合えそうな距離で呼ばれた愛称が、何だか甘く聞こえる気がした。
近すぎる位置でぶつかる視線、額にぶつかる熱源で恐らく額をくっつけて視線を外せない状況を作り上げているのだと察する。となれば、落下を覚悟した浮遊感は抱き方を変える為に一度手を放されたからだろう。
乱暴と言えば乱暴な方法だが、団子虫やアルマジロとまではいかずとも丸まろうとしていたのを阻止しつつ、素早くボクの体勢を変更させたかったということかな。
何がどうしてそんな発想に至りこうなっているのかはさっぱりわからないけれど。
目線が合う高さで足の裏には柔らか感触ってことは、座っているイルファの膝の上に立たされてる状態だ。
…靴履いてますよボク。
ぐるぐるぐるぐると思考を全然関係ないところに飛ばしているのに、イルファの視線は動かないのがよくわかる。突き刺さるとかじゃなくて、ただ…見守っているというかなんというかこう…背中辺りからむずむずしてくるような感じのくすぐったさというか。
「リト、俺を見て」
かけられる声が甘く聞こえるのは妄想脳に逃げているからなのでしょうか、と己が行動の気まずさから視線を合わせられずにあっちへふらふら…こっちへふらふらとさせていると、どうやら保護者殿はそれを許してくれる気はないようで追撃がかかる。
「リト」
やっぱり気の所為じゃなくて甘い、それもとろりと流れてねっとり絡み付く感じに。
脳内妄想の例えとしては蜂蜜と練乳がいい勝負です。どろりと濃厚、きっとくどい。
ちょっとこの破壊力を理解して共感もしてくれる女性陣求む。低すぎず高すぎずけれど男の人だと認識する低音ボイスが額をつけた至近距離で発せられている所為でまるで耳元で囁かれているかのような錯覚を起こす。
イヤホンを耳に押し込んでの内側に響くタイプとヘッドホンで耳朶を包みつつ侵攻してくるタイプとあなたのお好みでお好きにどうぞお耳幸せ羞恥に悶絶傍から見ると大丈夫か、多種多様全力で趣味に走ったCDをどれか一つでも聞いたことがあるならばいまのボクの状況を多少は理解できると思われる。
因みにボクが知っているのは昔話だ。反射的に耳を押さえたよ…ヘッドホンの上から。
「リト」
ただただ繰り返されているだけの愛称がこんな威力を持っていいのですか保護者殿。良いお声によってお耳幸せは供給過剰で限界に達しそうですよ。それともそれが狙いですか?まさか私が声フェチと看破しての攻撃だというのか。だとすれば的確な弱点特攻でござる。さっきから背筋がざわついて無理無理もう観念しちゃいなってと訴えておるのです。
「こっち見て、リトネウィア」
ここで名前は卑怯だ反則だ止めだちくしょい!もう耐えられない!根性なしと罵る事勿れ、限界限界もう本気であきません。何か爆ぜてはならないものが爆ぜる。これ以上は勘弁してくだされ保護者殿っ。
ぎゅうっと一度目をきつく閉じ、やけっぱちに視線を持ち上げてばちりと合わせた目、変わらぬ距離で近すぎます。
「やっと、見てくれた」
目尻を下げて笑みに崩れる相好は、砂糖にガムシロップ、水飴、蜂蜜、練乳、etc.
とにかく甘いものをこれでもかとぶち込み混ぜて完成した蟻も裸足で逃げ出しそうなげろ甘い物体である。
そんなとんでもないものを疑似生成して人様のご様子に例えた間違いなく失礼極まりない我が脳内、その一角でひどく冷めた冷静な部分が震えと共に零す。
これはまずい。
何がまずいのかなんてわからない。ただ漠然とした危機感が警鐘を鳴らすことさえ忘れてぽつりと零した警戒事象。
ぞわぞわと襲いくる羞恥の中にぞくりと一筋走った何かはきっと無視してはいけない類のもののはず。
だがしかし、それを思考させぬイルファの熱い視線が何かもわからぬものを埋もれさせてしまう。
お日様色はとろりと艶を帯びて蜜色に見え、甘い声音が蜘蛛の糸のように絡み付く。
こちらを見ろ、他のことを考えるなとやんわり首を絞められている錯覚を起こす異様な状況に、羞恥に悶えればいいのか怯えて震えればいいのかわからなくなる。
「なあリト、教えてくれるか?」
混乱を極めそうな状態に疑問符こそついているようだが疑問ではない言葉が入り、硬直することを選んだらしい我が体と思考することを一時的、ほんの僅かでもいいからと放棄することにした頭。
「リトは魔王様からの手紙を見たくない?」
すわ尋問かと戦々恐々で思考放棄したのに意外と普通の問いでした。ほっ。
まあ、声音は変わらずの調子ですがね。無意識に鼻から真っ赤な汁が出てきたらゴメン。
いや意識して出てきてもやばいんだけれどね。
取りあえず、問いに答えるべく再起動させた体と頭でこくりと首肯しようとして接触している額が擦れた。
…上手く頷けないよイルファ。
「ああ、ごめん」
ボクの返事が首振りだと忘れていたのか額を離してはくれたけれど、依然としてその距離は近い。
拳一つ分も開いていない至近距離からの視線が非常に痛いのだが、突っ込みの入れようもなければ逃れようもない。何せいま我が身は足の裏こそイルファの太腿に接触していますがな宙ぶらりんに等しい状態だ。
私の全体重は差し込まれた両脇の下、イルファの手によって支えられている。つまり自由などない。
そしてその状態から変化は見込めそうにない。よって魔法の言葉を心の中で唱えよう。
人生は諦めが肝心。いつか悟りも開けるさ。
遠い目に深い溜息、をして吐きたいところだがこの至近距離でそんな動作はとてもいけない気がするので心の中にそっと仕舞い込む。代わりに失敗に終わっていた首振り返事を縦に一つ行うことで話を進めることにする。早く解放してくれ。
さて、レイジェル様からの手紙を見たいか見たくないかの単純な二択ならば、見たくないです。
なので頷きを返しますが、イルファに「魔王様からの手紙を見たくないだなんて新生如きが生意気な」とか言われたら地の底レベルに凹みますよ。言わないとは思うけれど。
逃げようのない体の代わりなのか思考だけが往生際悪くあちこち逃げて回っている。
そんな私を知ってか知らずかイルファの表情は変わらず、目元柔らか声甘いまま。
申し訳ありませんがもうちょこっと糖分を押さえて頂けないでしょうか保護者殿、そろそろ腰に来そうです。
「それは何が書いてあるのかがわかるから?」
目線もふらふらと逃げ出しそうになっていたところに問われてぴたりと停止する。
どうして、と問いたい。子供らしくないのはすでに承知済みとディルが言った時点でイルファもそれを承知していることはわかる。
いまのところ詮索不要と言われた私のことを調べている、それも四大全員でと言ったリフォルドに否定を返さなかったばかりか保護者ですからと言い切ったのを聞いて見たばかりだ。
情報は共有するに決まっているだろう私だってそうするよ。分担して情報収集しているならばなおのこと。
共有しなければ効率悪いもの。
でも子供らしくないというだけでボクが手紙の内容を予測しているだなんてどうして思えるんだ?
この手紙はレイジェル様が突然訪問を行おうとしていたところリフォルドが気付き、手紙にしなさいと説得されて記した突発手紙だというのに。
ただ単に私の態度が分かり易いだけならば、複雑な心境にはなるが少しはほっとできる。
「それで俺宛ての手紙も見て欲しくない、か」
沈黙、いや頷きも横振りもできず視線を合わせたまま静止していたというのに、イルファは正解をはじき出す。反応すら返せないボクの脳内では一つの回答が浮かんでいた。
沈黙は何より雄弁なYesです。
追加するならばディル曰く駄々漏れですからね、ボク。イルファにも駄々漏れ、いやむしろ周囲全てにかもしれないですよ。言われていないだけで。
茫然と視線だけを合わせているボクから何を読み取ったのか、イルファは失礼な表現で表した表情を変化させた。笑顔なのは変わりないのだが、にこりとかじゃなくてにんまりもしくはにやり。目にも悪戯なと表現するのが正しそうな色が浮かんで見えてより困惑する。
「燃やそうか?」
甘いから楽しげに、弾むのを抑えようとしている調子に変わった声が発した単語の意味が理解できませんでした。沈黙三拍、首の角度は三十から四十五度くらい、横へと傾けて、浮かべる言葉は一つです。
もう一回。
「燃やそうか?」
ご希望に沿って一文字一文字はっきりゆっくり発音してくださり誠にありがとうございます保護者殿。
それではわたくしめの返答にございます。
何でそうなったっ!!
燃やす?燃やすって何をだよっもしかしなくてもお手紙ですか?お手紙ですよね!?何を考えていらっしゃいますかや四大火天使!差出人は上司です!悪魔の王様魔王様っわかって言ってるねえ何でっ?!聖魔殿に行かなきゃ謁見しなきゃって笑えない程緊張していた雲の上的存在からのたぶんきっと珍しくて貴重で大変重要だと思われるお手紙ですのに出てきた答えがよりにもよってファイアですか!あなたは別に基本無表情で言葉は辛辣、態度はドライの時折ファイアじゃないでしょう!何故何どうしてWhatにWhy?!三十文字以内で答えてよ!
「リトは見たくないし俺にも見て欲しくない。だから燃やそうか?」
見事な回答本当にありがとうございます。どうしてわかったボクの問い、そして駄目だろその回答!!
あなたは四大、天王直属配下四大火天使!直接の上司は天王殿だろうけれど同等位の魔王であるレイジェル様も上司には変わりない。その上司からの希少な紙媒体お手紙、しかも厳重な鍵付きを何故燃やす!とんでも結論の理由の核にどうしてボクが居座る!そこはむしろ「魔王様からのお手紙なんて珍しいものにはきっと重要な物事が書かれているに違いないのだから我が儘言ってないで読みなさい」ってな感じに諭すべきだろう!自分の首を絞めろと差し出している意見だがボクは何か間違ってますか!?
頷きも否定もできずにあわわわわわと目まぐるしく心の中で突っ込みまくっているボクの硬直具合にこの至近距離で気付いていないはずがない。それでもイルファは笑顔と言う名の悪い顔と声で唆すのだ。
「リトと俺以外が開けても時間が経過しても駄目になるんだから受け取るだけ受け取って放置してもいいかもな。そうでなければ態と誰かに開封させるとか」
悪い発言悪い発言悪い発言んんっ!!
正気に戻って保護者殿!ボクは子供らしくないけれど一応生まれて三日のちびっ子で新生です!本来なら純真無垢なお年頃おちびちゃんに何を姑息な抜け道示してますかや!あかんあかんっあきませんって保護者として駄目な奴ですそれ!
別にこの手紙は仕事のものですと言っていないので個人宛ての私信をどうしようが受取人の勝手でしょうけれど、珍し過ぎる差出人が何よりも大きな問題なんですよ!ねえねえわかっていてどうしてそんな提案をしてくるのですか?!あっはっはーー、私が見たくないってお返事したからでしたっけねちくしょい!
うわあどうしようと硬直したまま慌てふためいているボクを見つめながら、それでもイルファの暴走は続くんですよ。
「ただそれだと封になってる加護精が時間経過まで戻れない。あまり時間を置いて加護精の居場所探知で場所特定されても困るし…。一度開いて中身を見ずに燃やすのが最適かな?」
白山羊さんからのお手紙を読まずに食べちゃった黒山羊さんっキミ以上の暴挙に異様なまでに堂々と臨もうとしている天使を止める力を私に下さい!!
「っ、っ!!」
ふ、ふる、ふるふるふるとぎこちない動きで首を横に振ることに成功した。ボクは私を褒め称えたい。
よくやった!だがしかし、それは説得の一歩目だ。引き続き頑張れ!負けるなっ何かが終わる!
幼子を自身の膝上に立たせる形で持ち上げ、上司からのお手紙処分方法を悪戯な笑みを浮かべて提案する青年天使、否定の意味を示す首振り動作を血の気を引かせ怯えの入る引きつり顔で行うちびっ子。
傍から見るとこれはこれで幼児虐待に見えなくもない光景なのに誰も止めないのはどうしてだろうか、と状況を俯瞰することのできない私の燃やしますか?いいえ駄目です!返事にイルファは小首を傾げる。
見目のよろしい美のつく青年の幼く見える動作は胸キュンもの。
だが、表情が悪戯笑みから変更ないままだとNot胸キュンYes肝ギュッ。むしろ恐ぇよ!
「燃やさないのか?」
はい、燃やしません!
こくこくと縦振りされる我が顔をたっぷりと眺めて次の問い。
「見たくないのに?」
見たくないのにです!
「受け取るのか?」
受け取っちゃいますよ!
「読むのか?」
そうですね!………ん?
こくこくと頷いてから止まるボクの視界でイルファがにっこりと笑った。
その表情は、えっと……して、やったり…的な…ものに、見えますね。
「じゃあ、ちゃんと受け取って開いて読んでみようか」
そう告げるが早いか行動が早いか。強制立ちの体勢はあっという間もなくそろそろ定位置と呼べる片腕横抱っこへと戻された。流れるような無駄のない行動と見慣れたやさしいお兄さんの笑みを浮かべているイルファを呆然と見つめる。
あれ、もしかしなくても嵌められた?
え、嘘、本当に?と一旦停止させられた頭をどうにか回そうと奮闘を始めたところ、はあと溜息と共に視界に生えた白い封筒二通。
いや、封筒が視界に差し込まれたのであって生えてはいない。というかいつの間にボクの手を逃れたのだお手紙さん。
なんて差し出した手の持ち主を仰げば麗しお師匠さん。どうして可哀想なものを見るような目をしていらっしゃいますのか教えてください。
「落とすな」
『ご愁傷様』
二重音声で耳と頭に同時に届いた肉声と心声のディルの言葉。生憎同時に答えられる技能と機能が整っておりませんので心の中で叫びます。
申し訳ありません!
何ですかご愁傷様って?!
やばい本気でついて行けないというか処理できない。休憩を挟んでください。いまなら頭から煙を出せそうな気がする。
ぷしゅーなんて妄想音が聞こえてきそうなボクはディルの発言に無意識に背筋を伸ばしただけで手紙を受け取るどころか硬直してしまっている。
「悪い。ありがとうな、ディル」
その所為でついにレイジェル様からのお手紙がイルファの手に渡ってしまった。
のだが、受け取った手紙の内一通が即座にボクの膝へと乗せられた。その軽いが重い感触にぶっ飛んでいた意識が引き戻される。
だが映ったのは顔を顰め、器用に薬指と小指でもう一通の手紙を挟み持ち、親指を人差し指で撫でているイルファで意味が分からない。
早速疑問に思考が裂かれる忙しさ、脳の使用領域一杯で本気で煙が出そうです。
「流石反属性」
悲観に走りそうなところにほぅと感心するような調子のディルの呟きが聞こえて思い出した。
指先に冷気。
「何でもない顔で試すな。いまの一瞬で凍傷になる勢いだぞ」
ディルの言葉に眉を寄せて不服そうに応じたイルファだが、聞いているボクは疑問が増えて困惑ですよ。
一瞬で凍傷って何それ?
「属性偏りはそうでもないくせに、本当に面白いくらい相性が悪いな」
「そりゃ俺の生涯思うだろう疑問だっての」
えっと、火属性のイルファは反属性の水と相性が良くないので地属性のディルよりも冷気の吹きかけが激しかったということでしょうか。
てことは、この早く開けろと八の字浮遊している加護精霊さんの方が静止していた加護精霊さんより攻撃的ってことなんでしょうかね。精霊にも攻守の差があるんでしょうか。もしくは気性の差とか。
「詐欺師まがいの誘導尋問に呆然とするな。イルファはこういう奴だ」
ぽんっと放られたディルのお言葉にほっとして落とされる。こういう奴って…。
どう考えてもフォローではない単語が並んだお言葉にイルファはむっと再び眉を寄せて口を開いた。
「誰が詐欺師まがいだ。人聞きの悪いことをリトに吹き込むなよ。大体、俺がやったのは後押しだけだろうが。読まなきゃいけないんだってわかっていても読みたくない感じだったから背中を押した、それだけだ」
う、確かに。しなきゃいけないとわかってしたくないと足踏みしているのを見ると蹴り飛ば……こほん、背中を押してあげたくなりますね。案ずるより産むが易し。どれだけ考えても確証を得られないならやって後悔した方が建設的ですってね。
「内容を予測できる程の事前情報がないから俺には何が書かれてあるのか見当もつかないけれど、俺に読ませたくなくて必死なリトは可愛かった。…不謹慎だけどな」
目尻を下げて、顔を緩ませて笑うイルファの言葉が理解できず、再試行されようとしていたところに聞こえた溜息。
「それであの脳内お花畑面か」
「どんな面だよ」
イルファによる即座の突っ込みにディルは一瞬苦虫を噛み潰した表情を浮かべたが、目を伏せてはあっと一息吐き出した後には平常へと戻っていた。
「不謹慎な面だろ。いいからとっとと封を開けろ、手紙を読め」
平常じゃなくて面倒くさいが正しいのかもしれないな。あしらわれた感じがする。
「はいはい。リト、取りあえずは封になってる加護精を帰してあげようか」
…開けるんですね。はい、諦めますし観念します。勢いとはいえ読みますと返事もしちゃったもの。
嘘はいけないし…恐いと同時に気にはなるんですよね、中身。
だって、確認か忠告もしくは警告だと思うんだもの。
じぃと膝上のお手紙さんを見つめ、そろそろと手を伸ばしてはみたが、この早く開けてよとハッスルしている加護精霊さんを避けて封を切れってことなの?難しくない?ぷちっとか事故が起きたりはしないのか?
むぅっと封の上を八の字浮遊している精霊を困り顔で眺めていると、イルファ宛ての封筒が視界に入ってくる。
「開けるって思いながら指を乗せるだけでもいいんだよ。ほら」
そう言いながら片手で器用に封筒を持ち替えて、封の上、加護精霊が静止している部分に指先で触れるイルファ。
すると封の上で静止していた加護精霊が封の上から宙へと跳ね上がる、と同時に糊付けしているように見えた封がぱかりと口を開いて御開帳。何てことでしょう。加護精霊には糊付け効果もあったご様子です。
じゃなくて跳ね上がると同時に封筒全体が一瞬光って弾けたから精霊の力で真空パック状態にでもしていたと見るべきなんだろうな。多機能ですね、精霊。
そしてどうして役目を終えて即座に帰宅ではなくてボクのお手紙さんの加護精霊を見物するようにしているのだろうか。おかげで早く開けてじゃなくて狡いと聞こえてきそうな高速八の字始めちゃってるんですけど…。
おちびの指なのでぷちっとはならないでしょうが、もう少しだけおとなしくしてはくれまいか。
やや困った気持ちで見ていたボクに気が付いてくれたのか、急ブレーキを踏んだように停止した加護精霊がちょっと面白かった。
御免ね、お待たせしました。開けさせて頂きますね。
そう思いながらちょんっと淡い水色の光に触れる。
「っ」
ぱちと光が弾けるより早く加護精霊がボクの方へと飛び跳ねたのでちょっとびくついてしまう。
ひんやりとした、けれど何処かやさしい感触が頬を撫で、淡い光は空気に溶けるようにして消えた。
加護者であるレイジェル様の元へと帰ったのだろうか。
消えた加護精霊を目で追っていたので上を向いたボクの目は見下ろしているディルの空色とぶつかった。
「………」
「………」
お、お師匠さん。何故眉間に一本線刻んでいらせらる?ボクは何をやらかしまして?
びくびくしながら視線は逸らせないでいると空色が伏せられ……眉間の皺が深くなった。何故ですか!?
「鬱陶しい、睨むな、手紙でも読んでろ見苦しい感情発生機」
瞬きから戻った空色が見たのはボクではなくてイルファでした。しかし見苦しい感情発生機って何ですか。
恨み嫉み妬みとかの類がぱっと浮かんだんですが、それらに該当しそうなものをイルファがどうしてディルに放つのかがわかりません。
上向いた視線をそろそろとイルファに向けて見れば、確かに。むっとした顔して半眼で恨めしそうにディルを見ていますね。砂吐きそうな甘さの笑顔は店仕舞でしょうか。だとしたらちょっとほっとします。
物事は適度がいいよね。
「釈然としない」
「それはこっちの台詞だ馬鹿、いい加減にしろ」
明らかに機嫌がよろしくないお声のイルファの発言にディルはげんなりとした声で返した。
それから視線を遠くへと放る。いや、その方向にはリフォルドがいますね。なんて思ったら再び眉間に線が出現。
「お前が来ると碌なことがないな」
「ちょっと待てっ俺の所為なのか!」
舌打ち付きの発言は暴言でした。
「なんでまだ居やがる。配達が終わったなら帰れ、暇人かお前は。とっくに終業時刻だ、暇なら直ちに自宅へ帰れ失せろ消えろ」
「おっまえは本当に口を開くと半分以上が暴言だな」
「いまこの瞬間に関してはお前が吐いた暴言の影響を受けてのことだ。心声も使えんガキの代弁とでも思って恭しく受け取って消え去れ」
はい沈黙頂きましたがお師匠さんや、やり過ぎです。同じ言葉でもせめて敬語か丁寧語でお願いします。
「あ~…ほら、リフォルドは忙しいから時間があるなら少しでも休みなよっていう感じで、どう?」
あははとマリエルが苦笑いで提案をしたがされた方は笑いもしませんよ。
「天邪鬼にも程がある発言だがすでに本人が否定してんだから何の意味も持たないだろうが馬鹿」
「…何で僕まで馬鹿扱いなのさ」
じろりとリフォルドに睨まれてむすっとしていますがマリエル、それは絶妙に間が悪いからだと思うよ。
どんまい。
「つーか手紙の内容はともかく反応くらいは見届けるぞ」
「何で?」
「何でだ」
「何故ですか?」
見事な活用形台詞ですね。でもボクも思いました。何故に?
ボクも含めた四人全員から疑問を向けられたリフォルドは少々ばつが悪そうな顔をしているが、答える気はあるようです。
「イルファを中心に四大全員で調査してるんだろう?」
………あ?こいつ話を蒸し返すつもりだってのか?そっちがそのつもりならこっちもその気になりますが?
にょきりと怒りの芽を出すボクに気が付いたのか、それとも敵認識されたとおっしゃっていたボクの加護精霊が睨みを利かせ始めたのか。ぱっと視線をボクへと転じさせてホールドアップしたリフォルド。
心なしか必死だね。
「違う違う違うからな!俺も混ぜろと言いたいだけで咎めようとしてる訳じゃないから落ち着いてくれっ」
素晴らしい反応と反論口上速度でしたが、何ですって?
「両王様方、特に魔王様からの制止で自由に動けない分俺たちに手を貸すことで便乗するってことか」
呆れ交じりのディルの言葉に苦い顔をするリフォルド。ホールドアップの格好と相まって残念ですね。
「利用する形になる分利用してくれて結構だ。情報に関しては手詰まりだろう」
「「…」」
反論もなく黙ってしまったのが答えである。




