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水難、其の参

ずぶ濡れ、ビリビリと続く痛み、じめじめと水分を強制供給してくる霧。

半泣きで逃げ腰の同僚其の壱、見た目だけおっとりを返上する勢いで物理的な冷気と滲むどころか駄々漏れの殺気をばら撒いている同僚其の弐。

…まともな同僚がこの場に欲しいと願っても罰は当たらないと思う。

というか、何でこんな色々と面倒な事態になっているのか誰でもいいから説明してくれ。



「イルファ、アレの詳細を教えてくださいます?」


視線を得体の知れない物体に固定したまま言葉繰りこそ問いの形だが、どう聞いても命令にしか聞こえない抑揚で聞いてくるレミィ。

水属性者有利のこの地で火属性者に勝算なんてものは基本的にない。例外があるとすれば位に差がある、力に差があるなどの条件付きだ。

よって、同じ高位者で力に大きな差がない俺とレミィでは俺に勝ち目は全くと言っていい程にないということだ。


因みに、レミィは目の前に越えられない壁があったらどうするかと色々考えた後、手っ取り早くぶち破ろうと結論を出すやはり肉体言語側だ。壊さなくても越える方法を考えたのに壊す選択を取るのが見た目にそぐわぬ好戦的な思考が色濃く反映されているところだ。

つまり何が言いたいのかというと、殺す(やる)気満々のレミィを思い留まらせるのは難易度が高く非常に面倒だということだ。殺意を向けられている対象が消滅しては困る類でなければ、おとなしく犠牲に差し出すのが無難だ。

どうせ消される未来、手を下す相手が俺やアシスでなくなるだけで問題はない。

ただやり方が五から八割増しでえぐいだけだ。


「蔦状の物体が接触箇所から水分を吸収、その水の一部で粘液を生成し恐らく本体になるだろう蔦を保護、粘液にも接触による水分吸収効力はある。衝撃耐性も切断耐性も低めだが、切断した部位と切り離した部位はそれぞれが急激に成長だか再生を行い伸びる。勢いがあるので突き刺さり注意。また切り離した際に内包している水属性濃縮水を上空に噴出、どういった理屈なのか害した者の頭上に展開後落下してくる。量が多いと圧死するだろうから噴き出しを確認したら回避は諦めて防御に徹することを推奨。地上分を一度一掃した際に先端部分を調査用に確保してあるので根絶やしにして可だ」


判明している情報を開示すればこくりと小さく頷いたレミィ。


「概ね相違ないですわね。で、あればまずは溜め込んでいる水を吐き出して貰うところからですわ。イルファ、地面との接触点を中心に直径四メートル、真下へ二十二メートルの円柱形で上部を閉じない地属性隔離結界を。アシスは隔離結界外へ水を吐き出すように蔦へ切り込みを作って維持なさってください」


「…こ、枯渇させるってことね。でもそれだと隔離結界内の地面も枯渇しない?」


やや思考へと傾いたおかげで撒き散らされているレミィの殺意とそれに反応して冷気を発生させている水精霊たちが少しだけ落ち着いた隙を見計らいアシスが疑問をぶつけた。

よくやった、後のお楽しみを極小で軽減してやろう。


半泣きではなくなったが腰が引けているアシスをいい加減見てやって欲しいところだが、レミィの視線は地面から動かない。恐らく地中の状態を探っているんだろう。感知能力が高く、水天使のレミィならこの地でも土地とそれ以外の水の気配の違いも十分判別できる。


「問題ありませんわ。一時的な枯渇程度でどうにかなる地質じゃありませんもの。狭い範囲限定ですし長時間その状態を保つわけでもありませんから。重要なのは糧と思われる水の供給源を断ち、本体の水分量を減らすことですわ。炎火と比べますとこちらの方が無駄に大きいので除草剤が一瓶で足りるのかが心配ですもの」


言葉の端々に悪意がみられるが心の平穏の為には全力でスルーだ。

密かにアシスと視線を合わせて頷き合ったがレミィが気付いた様子はない。是非とも気が付かないままでいて欲しい。


「コレを使うのは確定事項なのか」


手にしている危険物の手配を頼んだのは俺だが、中和薬すらない正真正銘の危険物と知ったからには活躍場がないまま封印されていて欲しいのが本音だ。

情けない顔と言われそうな眉尻を下げた表情を浮かべているだろう俺の代わりなのか、レミィは片眉の眉尻を上げてくれていた。明らかに何を言っているのかと読み取れる表情だ。


「使わずにどうやって地中部分を死滅させますの?地中二十メートルもの範囲に炎を走らせるつもりですの?枯渇させたからといって土地にある水の加護が消失するわけではありませんのよ。地表で炎を繰るよりも地中で炎を繰ることの方が面倒なのは火属性である二人の方が存じ上げているでしょうに」


確かに。地表でも条件が悪いのに地中でそれを行うのはかなりきつい。

指摘は御尤もでぐうの音も出ないが、その冷めた空気を纏った状態で呆れの息を吐くのはやめてくれないかレミィ。周囲に集まっていまかいまかと指示待ちしている興奮状態の水精霊に敵視されそうで肝が冷える。


「…わかってはいるけれど新たに知らされた危険度を聞くと使用を躊躇われる」


正直に告げると視線を地面固定だったレミィがこちらを見てふふっと上品そうに笑う。


「別にイルファに飲めと言っているわけではないのですからそんなに恐ろしがる必要はありませんでしょう。取扱いには確かに注意が必要ですが、それだけですわ。ぱしゃりとかけて待つだけ、簡単でしょう?」


この見た目と会話のギャップが何よりも恐ろしいとは決して言えない。

無言で固まる俺を同じく無言で見たレミィだったが、すっと掌を上に向けてにこりと笑って手を伸ばしてきた。

…嫌な予感しかしない。


「イルファは隔離結界。アシスは水抜き作業。薬剤散布は私、ですわ」


頂戴と示されているはずの動作が寄越せにしか見えない。

そして言っていることが真っ当でそうするしかない現実が切ない。


レミィは地属性があまり得意ではなく、アシスは可もなく不可もないが、二人とも用いる法の方向性が攻勢に傾いているので結界構築はやや不得手だ。そうなると補助系は得意としている俺が結界を担当するのが妥当。

水抜きはどちらが担当してもいいだろうが、あの危険物の取り扱いをアシスが良しとはしないだろうし、扱いを知っているレミィがいるのに態々教わって恐る恐る使用することに効率性が見いだせない。

さらに考えるなら得体の知れない物体へと近付いたことで何らかの突発事態が発生したとしても近距離型のレミィの方が安心できる。

となれば、提示された役割が最良と言わざるを得ない。…ばら撒き発言でどんなに不安を掻き立てられていても、だ。


「………用法容量を守り正しくお使いください」


一秒でも早く手離してしまいたいが、その相手を選べないことで泣く泣く差し出されている掌へと危険物を返却する俺にレミィはにこやかに笑った。


「あらあら、心配しなくてもぶち撒けておしまいですわよ」


それが一番心配なんだよ。

目から水が出てきそうだ。アシス、天を仰ぐな。そんなことをしても一度滲んできたものは簡単には消えないぞ、耐えろ。


「そう言えば、いつまで私の友人たちに張り付いているつもりですの?」


禍々しさしか感じられない瓶を手にした見た目だけおっとりさんが、ふと思い出した様子で俺とアシスを視界に収め、急にその声音を低くした。


「離れなさい」


「「ぃっ!!」」


バチッと一際きつい電気が皮膚の上で弾け、ビリビリと継続していた痛みが消える。それは痛みをもたらしていた御水様に恩恵を与える水精霊をレミィが威圧して弾いたからだ。

流石高位水天使、周囲に結構な数の水精霊が集まっていたことで自動的に威力の上乗せがなされていたとはいえ、威圧だけでべったりと張り付いていた水精霊を追い立てるとは…。

何に向けられているものなのかわかりはしたものの、紡ぎ出された声と斬るような視線の鋭さに痛みとは別に身が強張ったぞ。


「さあ、これで専念できますわね。行きますわよ、二人とも」


鼻歌でも歌い出しそうな様子で得体の知れない物体との距離を…気の所為でなければうきうきと詰めに行くレミィの背を見送りながら、御水様からの解放時の痛みを撫でることで落ち着けている俺とアシスはどちらからともなく深い息を吐いた。


「事後承諾になった経緯を考えるとあたしに発言権はないしそれについて文句は言わないけれど、ちょっと早まった気がしてない?」


「結果的には必要な応援要請だったと言えるから一人で判断、決行したことに対して詫びることはしないが、それを言われると否定はできない」


互いに互いの行動を振り返ってちょっと残念な気持ちにはなるが、今現在が間違えた判断だと言えないので後悔はしない。

無言で左手と右手、互いに片手を握って作った拳をこつりと打ち合わせて気合を入れ直す。


「やるか」


「おうよ」


ばさりと一度大きく翼を羽ばたかせて羽から水滴を払い、幅二メートルある得体の知れない物体の中心点が見下ろせる地点で静止する。

指定されたのは直径四メートル、真下に向かって二十二メートルの円柱形。

ということは、だ。こいつ地表では上空へ斜め方向に伸びてるのに地中は地面に直角方向へと真っ直ぐに伸びているってことだ。それも地上の倍近く。

効率よく水を得る為なのか、それとも他に意味があるのか。


「詳細はお持ち帰り品を掻っ捌いてから、かな」


ぽた、と雫を落とす髪をかき上げて、切り替える。


「流動に怯まぬ泰然たる地に生くるものよ、我が呼び声に応えよ」


風属性同様、地属性も反属性ほどではないが属性制限を受ける。地中という環境では地属性が有利に働くのが通常だが、この地ではたっぷりの水分と共に水の恩恵が染み込んでいるので、地中であっても他の地と比べしっかりとした呼びかけが必要になる。


「求めるは静止、揺るぐこと無き鋼の意志」


さらに、実際に見えてはいない場所に結界を敷くので空間認知が同時に行使される。

もぞもぞ、と地面付近で集った地精霊が控えめな光を発しているのを把握しながら実際の視点と空間認知での感覚視点、二種類の視点からレミィに指定された場所に当たりをつける。


「強靭たる其の力を振るえ、築くは一切を阻む堅牢の城塞」


法として発露した力が静かに、けれど駆け抜けるように地精霊を介し属性を帯びて指定した点と点を繋いで円柱形を形作る。

完成したのは地上に三十センチばかり頭を出している上部の開いた隔離結界だ。

上部を閉じない蓋開きの形状にするのは、閉じると地上に出ている蔦と地中の蔦とを結界が完全に分断してしまうから。これでは法の種類が異なるだけで切り裂いたのと変わらない為、隔離結界を解いた瞬間にアシスの二の舞、意味がない。

状況としては外に生えてる植物を周辺の土ごと鉢植えに移植する感じだな。

外部から水を注がない限り水分は供給されず、鉢植えの中の水分を吸い尽くすしかない状態。


「揺蕩う停滞を抜け出し吹き荒べっ」


そして、吸い上げた水の出口を作るのは最初よりも短くなった得体の知れない物体の先端側上空に位置するアシスの役割。


「鋭き刃は絡み付く束縛の茨、巡りし旋風数多を飲み込み制止を拒めっ」


アシスの周囲で渦巻いた風が蛇の如くうねり、不可視の茨を形作ると霧を引き裂き、鋭く天を向く得体の知れない物体の先端に絡み付いた。

ゆとりを持って絡まり合っていた蔦を縛り上げた不可視の茨は粘液を越え、内部の蔦をも引き裂く。

引き裂かれた部分から成長だか再生をするはずだろう蔦だが、ぎちぎちと食い込んで離れない風の茨に邪魔をされ、千切れることも伸びることもままならない。さらに茨が刺さり引き裂いた部分からは蔦の内部から吸い出されるようにして水が排出されていく。強制排出されている水は茨の根元となる旋風に飲み込まれ、アシスの傍らで水の竜巻と化している。

…なかなかえげつない法を使ってきたなアシス。頼むから俺の前で生物に転用しないでくれよ、それ。


なんておどろおどろしい想像をしている間に蔦を覆っていた粘液が薄れていき、やがて消えてしまう。

粘液を維持できるほどの水分がもうないってことだなこれは。

ああ、うん。内包されていた水の多さにアシスが水の竜巻を分散して小さくしているのが見て取れる。

蔦に突き刺さる風から切り離された水は巨大な水球の形をとり、俺が作り上げた結界の外側に撒かれて土地へと戻されていく。どう考えても一つがトン単位だろうと思われるんだが、この物体の内部構造どうなってんだか。


さて、水の吸い出しを終えた茨は未だ蔦に絡み付いたままだが、これは傷をつけた場所から蔦が伸びることを警戒してのことで吸い出し機能は停止している。内部を通っていた水が失われて粘液も消え去ったとなれば、水を失い続けた地面は…カラカラというかサラサラだな。砂浜の様相、いや水捌けのよい畑、的な?

土の質なのだろうがきっとこんな事態でもなければお目にかからない地面の様子を視界に収め、最後の仕上げを成す不安しかないレミィを見る。


除草剤と銘打った危険物を与えに行くレミィは地に足をつけているが、その場所は隔離結界の外にある。

直径四メートル、その中心にある得体の知れない物体までの距離は幅二メートルの正面側に立って二メートル。直接散布するには遠い距離なので飛んで近付くのか、それとも上部の開いている隔離結界内に足を踏み込むのか、法を使って散布するのか。どの方法を選択するつもりなのだろうか。

個人的には隔離結界内に踏み入るのは推奨しかねる。カラカラサラサラに乾いてしまった地面を経由して…なんてことが万一にでもあったらまずい。

まあ、近接戦闘型は不思議とそういった危機察知能力に優れてるから本能的にやばいことはしないだろうが。

あー、本当に使うのかと瓶にかけられた封が解かれていくのをげんなりと見ていた。


「風よ」


いたのだが、短く呼びかけて掌に集めた風で瓶を包むレミィの様子に何をしているのかと細めた目は、蓋が閉じられたまま球体状に風で包まれた危険物を捉えて目一杯見開く羽目になる。

オイ、ちょっと待て、まさか…っ。


「えいっ」


投げた。

……瓶ごと投げやがったアイツ!!

えいっとか軽い掛け声でヒュンッなんて球体の物体を投げたにも拘らず鋭く風を切る在り得ない音が発生する剛速球でもって何の躊躇もなく取扱い厳重注意物をぶん投げやがった!!

お前もアシスと一緒かっこの肉体言語脳共っ!!


叫んでやりたいのに声にならない状況の中でも時間は過ぎており、放物線を描かずに最短の直線距離をぶっ飛んだ瓶は幅二メートルのでかい的に命中。

誰に聞いても剛速球で黙って首肯を返してくれるだろう勢いで蔦に激突させられた瓶はガシャンと割れ砕けた。当然だ、やや頑丈に作られている薬剤用の保存瓶であってもあんな速度でぶん投げられてものにぶつかれば砕けないわけがない。

ちゃぷんと瓶の中で揺れていた天魔界でも指折りの調合師が危険物と言い放つレベルの内容物は瓶が砕けた衝撃で周辺一帯へと飛び、散らなかった。

繰り返す、飛び散らなかった。何故かって?瓶を包んだ風が凶悪過ぎる中身の飛散を防いだからだ。


ああ、包んだ風は瓶の保護ではなく飛散防止の保護フィルムだったわけか。

そーかそーか最初から投げる気だったのかこの野郎!

何がぱしゃりだ!何がぶち撒けるだけだ!

思いっきり振りかぶってぶん投げてるじゃねえかよ大馬鹿野郎っ!!

在り得ないコイツ!と喚き散らしているのは脳内だけで、一言も言葉として発せられることもなければ、誰の耳に届くこともない。

文句も怒りも憤りも引っ込むほどの驚愕が目の前で展開されれば、言葉は失われるものだ。


周辺へと飛び散ることのなかった危険物は傾斜のついた蔦の上に落ち、風の保護フィルムは蔦に接触すると役目を終えてか、ぱちんとシャボン玉のように割れた。

そうして解き放たれた危険物は液体、地面も蔦も枯渇しきっているところにさあどうぞと差し出された貴重な水分が恐ろしい劇物だなどと知る由もない蔦はそれを吸収し、濡れた蔦表面が一瞬で乾いたかと思えば、次の一瞬で朽ち果てた。

しおしおと枯れるのではなく、一気に、「あ」と声を発する間もなく、ぼろぼろと形を保ち切れずに崩れて消えた。約五メートルの地上部分から二十メートルの地中部分まで余すところなく、全て。


何が起きたのか理解が追い付かず落ちた沈黙の中、灰の如く崩れ解ける元得体の知れない物体は、音もなく霧の中に混ざり消えていく。完全に水分を失った結界内の地面では、地上に現れていた蔦が消失するのとほぼ同時に同じように消失した蔦があった部分に空白が生まれ、空白を埋めるために乾ききった土が動き、押し出された空気がぼふっと土煙を一つ上げてやがて消えた。

静かすぎる一瞬に完全に言葉を失い、身じろぐことすらもできなかった俺とアシス。

耳に痛いほどの沈黙を破壊したのは、


「綺麗に根絶やしにできましたわね」


満面の笑みを浮かべ、すっきりした様子で頷くレミィだった。

あまりにもあんまりで訳が分からない現実味のない現実を呆然と見つめ、それでも懸命に飲み込んだ俺とアシスがほぼ同時に口を開いた。



「「なっっんだそりゃっっ!!」」







降り注ぐ陽光を純白の羽が返して艶やかに煌く。

背中の風景はキラキラしていても、顔に浮かぶのはお疲れですねと声掛けしたくなるたっぷりの疲労感。

もう昼だよとぼやくよりもやっと終わったとほっと一息つくのがいまの心境に一番近い。

疲れた。いろんな意味で。

深く長く息を吐き出し、意図して体から力を抜きながら四大室への扉を開くためのワードを入力する。

そこそこずっしりとした見た目の両開きの扉が静かに開くと執務室へ続く短い通路を一人で歩く。

アシスもレミィもいない、一人だ。ずぶ濡れ状態も水霧から出てすぐに解消したので朝四大室から出て行った時と姿形は変化がない。目に見えない疲労ならたっぷりと蓄積させられたがな。


「?」


ふぅとまた一つ息を吐いていたが、執務室から四大以外の気配を感じて緩めた気を引き締める。

今日は来訪系の予定はなかったんだが、朝の俺たちみたいに何かあったのか、それとも…。


「ただいまー」


執務室の扉を開いてやや控えめに帰還を述べつつ、室内全体へと視線を素早く走らせる。

執務室内にいる四大はカーリィだけだ。リトの姿が執務室側にないことを確かめてから予定にない来訪者へと視線を向ける。


「あ、お待ちしておりましたイルファ様」


ぺこりと頭を下げたのは面識のある下級位の悪魔だった。


「…納品、にしては早くないか?」


まだまだ幼い悪魔の傍ら、中央テーブルいっぱいに広げられているもの。

糸。布。反物。紐。帯。針。鋏。などなどなど。

小規模な手芸屋状態になっているテーブルをちらりと見て、それを持参したであろう悪魔へと視線を向け直せば、にこりと商売人のような笑みを浮かべている。…まあ、似たようなものだが。


「都合よくご注文の品が入手できましたのでお届けに参りました。ご確認を願います」


厳密にいうと商売人ではない彼らは職人、と表現するべきなのだろう。

材料を集めて糸を撚り、撚った糸で布を織り、織った糸で衣を仕立てる。

服飾技師である彼らと身の回りのものを賄う程度だが縫製作業を行う俺とはそこそこ長い付き合いがある。

自宅でそれなりに布や糸を保有しているが、法を織り込む工程で素材と効果の相性が合わないことがよくあるため、用途に応じて必要素材をこうして頼んで仕入れて貰っている。


「注文入れてからまだ三日だってのによく準備できたな。でも助かる」


色とりどりの品物を手に取り、質の良し悪しや素材が持つ特徴や効果が損なわれていないかを順に確認していく。


「可能な限り早くと珍しく時間に関するご注文がイルファ様より入っておりましたので」


「珍しかったか?」


確かに注文を出すときに早い方が助かるとは添えていたが、珍しいと言われるほどのことではないはずだ。

いますぐ必要だから大事に所有してある希少品を出せ、と半ば脅しに近い形で要求した時の方が余程だと思うが。


「はい。御引き取りになられたと噂の新生様用なのだろうと当方でも話題になっております」


品を見ていた手が思わず止まった。同様に執務室内の自席に着いているカーリィも僅かに反応を示した。

ディルとマリエルは休憩室だが、マリエルがこの場にいなくて良かったかもしれない。こういうことにはとことん向かないからな。


「噂?」


白々しく何のことだと問い返しながら、不自然さがないよう品物の確認を続ける。

そうして視界の端で相手の反応を見ているのだが…。


「はい、新生位や下級位の間で騒がれておりますよ。なかなか印象の御強い天使だったことが理由なのでしょうが、四大位であられますイルファ様が保護申請をなさいましたことで拍車がかかったご様子で」


謀る様子も惚ける様子もなければ至って真面目に答えた悪魔に内心でどうしたものかと苦虫を噛み潰す。

いまの言い様では引き取ったことも引き取られたのが誰なのかも特定されているってことじゃないか。


「高位の皆様方は下の者には憧れの的でございますから騒がれますのも致し方ないところがございますね。実は私も納品に向かう前に話をお聞かせ願えないかと窺ってこい、などとよろしい笑みで見送られたものです」


「…おとなしく仕事に精を出してろとでも伝えてやれ」


この幼い悪魔に窺ってこいと申し付けたのが誰なのかに見当がついたので平坦な声でもって告げれば、言伝を頼まれた悪魔は苦笑を一つ零していた。


「品に問題はない。むしろ良品を揃えているところにちょっとした悪意を感じるくらいだな。こっちの納品はもう少し待ってくれ仕上げが終わってない」


人間であれば金が対価として支払わられるのだろうが、天魔が行うのは物々交換だ。技能と技量の関係で欲しいものが自分では決して手に入らない、といった事態がままあるからな。

俺の場合だと良質の糸や布が欲しいが流石に原材料から集めて作るのは骨が折れるし、必ずしも必要とする質の素材が作れるわけではないため、素材を作ることが得意なものに依頼する。

代わりに彼らには準備することができない原材料を提供したり、素材の糸や布に術式加工を頼まれて行うこともある。ものづくりを得意としている天魔は属性の偏りが極端なものが多い傾向にあり、できるできないの差が天と地ほどもあるのだ。

そんな技術や物品の交換で生活や仕事に必要な諸々を賄うので、「誰が何を得意だ」なんていう情報は常に飛び交うものだ。


「畏まりました、御伝え致します。当方は急を要しておりませんのでいつでも構わないと言付かっております。それではお暇申し上げます。貴重なお時間を割いて頂き有り難く存じます」


「ああ、また頼む」


丁寧に礼を取り退出するのを見届け、執務室と通路を隔てる扉が閉じるなり俺は盛大に溜息を吐き出す。

ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜながら行儀悪くどすりとソファに腰を落とした。


「ったく、何処から漏れたんだか」


新生の登録を出しのは俺だが、それで保護申請を出したと推測するのであればともかく、特定とするのは少々強引だ。俺と共に外を出歩いたのは四大室への出入りを除けば聖魔殿を訪れた時の一度のみ。

朝も早い時刻だったから天魔の姿はなかったし、ただ俺が連れていたというだけで保護申請を出したなんて思われることもなければああも断定されることはないはずだ。

あとは、記録による情報の入手となるが…これは実際に調べて仰天したからないと言っていいはずなんだが。


「……ワードの難易度は僅かの変化もない鬼畜仕様ですよ」


自席の機器を操作して態々ワードの入力画面を拡大表示で見せてくれるカーリィ。

表示されている画面に渋い顔しか浮かばないのでひらひらと手を振って必要ないことをアピールしておく。


「その画面、正直見たくない。背筋が寒くなる」


「ですよね~。僕もひやひやします」


表示画面を消すカーリィの下がりきった眉が緊張していたことを示している。

そーだよな、うっかり操作ミスすればとんでもなく痛い目に合う未来しか見えない画面だから緊張するよな。

いま開いていたのは俺が誰に対して保護申請を行ったのかという情報開示を求めたワード入力画面で、リトの身の安全を図るため念のため確認をしようと四大室で開いて、全員絶句した代物だ。

四大でも余裕で死ねる即死級のアタックシールド内包。

画面表示された瞬間冗談でも比喩でもなく四大室の空気が凍りついたよ。


因みに、リト側から情報開示をしようとすれば、誰にでも開示される基本情報以外は全て高難易度ワード、ものによってはアタックシールド内包で威力もものによって、運が良ければ生き延びるから奇跡が起きない限り必ず死にますまで選り取り見取り。恐ろし過ぎて逆に笑えてきた。

リトの詮索保留っていうのはコレを含めてのことではないのかと思ったが、そうなると天王様はこのことを御存じ、もしくは予測なさっていたことになる。

リフォルド様から報告があったとしても内容は簡易のもので、リト自身のことを天王様ご自身が事前に調べていたわけではないことはリトを見て驚いたことから知れる。

では、一体いつ、どうやって?


「……」


推測の推測で真意を推し量ろうとしている心地悪さから気を紛らわそうとテーブルに広げられている品々を亜空間へと収納していく。細かい部類分けは家でやるのでいまは放り込むだけ。


「ワードでなければどこから情報が漏れたのか気になる限りですね。このことを知っているのは四大全員、側近ではリフォルド様とシータ様、そして両王様方だけのはずでしたよね?」


「一応そのはずなんだが…。あとはそれぞれが懇意にしている一部の天魔だろうけれど、皆高位者ばかりで制限のかかった情報を外部に漏らすことはなさらないだろうし…」


ふぅむと二人して頭をひねっているが疑わしきが出てこないのは思い浮かぶ天魔の方々にそれだけの信頼があるからだ。


「強いてあげるならうっかりがないとは言えない、くらいか?」


「ですよね。リフォルド様程の技能があれば四大室や側近室の機器類にハッキングをかけて保護申請の内容を盗み見ることは可能かもしれませんが、ばれたときに消される未来予想しかできない方法ですからいくらなんでもないでしょう」


「リフォルドの構築したブロック越えてたどりつける奴がいるのなら見てみたいもんだな」


答えのでないだろう会話に淡々とした声が挟まれて、収納作業を丁度終えた俺は視線を持ち上げた。


「ただいま」


俺より先に戻ってきていた直行組のディルにひらりと手を振ってみたが、どうしたわけか半眼で見下ろされた。何でだ?


「…お帰り。一先ずお疲れと言っておいてやる」


すたすたと軽い足取りで近付いてくるディルに警鐘が鳴る。

逃げた方が良くないかと本能の何処かが訴えているんだが、どうしてなのかがわからない為行動に移すことが躊躇われる。逃げて余計に怒りを買うような内容だったりしたら目も当てられないだろう。


「ディル」


だから、聞く。


「ん?」


僅かに口の端を上げているけれど、細められた空色が寒々しい色を湛えているので絶対に機嫌がいいわけがないディルに問う、勇気。


「俺が何かやらかしっぶふ!」


たのか?と、逃げ出そうと構えている足をどうにか抑えての問いだったが、言い切る前にほぼノーモーションで何かがぶん投げられて無様にも顔面で綺麗に受け止めてしまった。時々お前は俺よりも近距離向きじゃないかと思うことがあるよディル。


「ぃっつ…本?」


きっと赤くなっているだろう顔の中心を撫でながら膝上に落下したぶん投げられたものの正体を確認すれば、幼子が文字の読み書きを習得するにあたって使う天魔の存在について簡単に説明している本だ。

なんでこんなものを投げられるんだろうか、と浮かんだ問いは言葉にはならないしてもならない。


「おいそこの大馬鹿野郎」


地の底を這うような低い声音に呼応してカタカタと弱いながらも振動を伝えてくる地精霊が、目の前の地悪魔がかなりご立腹であることを十二分に教えてくれる。…俺、何をしたんだ。

腕を組んで見下してくる無表情に訳が分からないが姿勢を正しておく。これ以上の不興を買えば手か足が出てくる。それは非常にまずい。


「お前はこの三日間何をやってたんだ?」


随分限定された期間だったがこの三日間というと、リトのことばかり。協力を願ったことはむしろ良しとされたくらいで、他に何か…。


「本を読むことはできたな。それ以外は?」


あ、それで本がぶん投げられたのか。


「他に何ができるかと聞いたら、虚ろな目になったぞ」


どうして怒ってくれているのかが、わかった。


「お前はあのちびを生かす気があるのか?」


どうやら、ディルの逆鱗に少しばかり触れてしまっていたらしい。


「人形のように手元に置くつもりだというなら、血反吐吐くまでずたぼろにした後多種多様な危険物を浴びせかけてやる」


「ぼこぼこにした後にさらなる追い討ちなのかよ!?」


「液体、気体、固体、鉱物、その他諸々、不満があるならマリエルの知識を活用しての法も有りだ。安心しろ、死ぬことだけはない」


思わず入れてしまった突っ込みに返ってきたのは加護精が呼応するほどの怒気を放っているのにいつもと変わらない淡々とした口調で、本気の度合いが知れてサァーッと血の気が引くのがわかった。

回答を間違えたら物理的にやばい。

カーリィがふざけることもなくおとなしく引きつった顔で笑顔を張り付けているのが妙に目についたが、目の前の現実からの逃避だ。

ただし、逃げれば死ぬ…以上の何かにさらされる。死ぬことだけはないって何だ。それの何処に安心する要素があるのか十文字以内で教えてくれ。……「死なないことだ」と返ってきそうだやめておこう。


「…勘違いを招いた理由は何となくわかるが」


だが、逃げる選択肢など選ぶわけがないので早々に葬り去っている。

言葉を紡いだ俺の声もまた、低く地を這った。


「本気でそんな馬鹿を俺がやると思ってんなら、流石に俺も怒るぞ」


案じられている内容が内容だけに怒ってくれているディルを責めるのは間違いだと思う。

だが、釈然としないものがあるのもまた然り。

ゆらりと俺の周囲で熱が揺らぎ、漏れ出る怒りに加護精が呼応し始める。

数拍視線をぶつけ合ったが、言葉以上に感情を反映する加護精の様子を感じてディルは、一つ息を吐き出した。途端に霧散する怒気と威圧は、俺とリトのことを真剣に案じてくれていることをこれ以上ないほどに示してくれていて、俺の怒りもあっさりと消える。


「構うのはいい。お前がどれだけ甘やかそうが別に気にはしないが、守られなければ生き残れない最も危険な時期に必要なことぐらいさっさと習得させろ大馬鹿野郎」


寒々しい色ではなく全力の呆れを乗せた目と深く深く吐き出された息。


「後悔する要因を作るな」


そこに含まれた意味を知っているが故に、返せる言葉は二つだ。


「悪い、ありがとう」


至らなさ故に怒らせてしまったことに対する謝罪、戒めてくれたことに対する感謝。

ふんっと素っ気なく息を返したディルは本当に気配りができる良い奴だ。この不器用なやさしさにいつも助けられる。


「アシスと合流したレミィはどうした?」


「後片付けと心の底からの反省を求めて置き去りにした」


この話は終いだと話題を変えてきたディルに真顔で即答してやったら瞬かれた。

いまの一瞬で浮かんだほんわりと温かい気持ちは霧散して代わりに寒風が吹き荒んだ。


「地中深くに根を張った植物の除草作業だいぶ疲れる、じゃなかったんですか?」


事と次第によっては一触即発な緊張感が消えてカーリィも近付いてきたが、何だって?


「植物の、除草作業?」


語尾が異様に上げられた発音へ込められる色々なものに二人が顔を見合わせた。


「討伐に切り替わった追加報告にはそう書かれていましたが、違うんですね」


「誰だその追加報告挙げたのは。アレが植物とか俺は認めてやらないし生物扱いもしてやらねえよ。というか報告は罰としてレミィに挙げさせるようにしたが、植物を素体にした人工物仮定で取りあえず落ち着けた物体だ。正式には確保した一部を調査しないと何とも言えない」


思い出すだけでも腹が立つ。色々と。

そんな俺の様子を見てどうしたものかと窺ってくるのはこいつらどうしてか俺が四大一温厚だと認定してあるからだな。本人から言わせれば何の冗談だって感じなんだが。


「気になる点は多々あるが、討伐は済んだんだな」


「アレを討伐と言って問題ないとするなら、な」


「引っかかりしか覚えない言い方ですが、イルファの機嫌を損ねそうなので敢えて聞かないことにしましょう。報告はレミィが挙げて、現在はアシスと二人で後片付けをしているんですね」


カーリィが再確認をしてくるのに短く是と応じていて思い出した。


「ディル、後でアシスに一撃入れとけ」


「ということは、また何の相談もなく勢いで行動しやがったのかあの馬鹿は」


何をどうした、という説明が一切ない状態で導き出された回答に常習性が窺える。同時に学習性のなさも。

学ぶ気零かあいつ。


「いきなり投石。注意に返ってきたのは“今日はディルがいないから平気”だとさ。見事な山を期待しとく」


ほぉと不穏な反応を見せたディルにカーリィが静かに黙祷を捧げている。良かったなアシス、救いの手を差し伸べる必要がないくらいにお前に落ち度があることが証明されたぞ。心置きなくお叱りを受けろ。

暴力ではなく愛が感じられるだけやさしいってものだ。喜べ。


「さぁてと」


一度背を丸めて体を伸ばす。変な緊張を感じた名残をその動作で拭い去って視線をカーリィへと向ける。

と、ぱちりと一つ瞬いてから視線を外された。……ふぅん。


「俺がいない間に四大室でなぁにがあったのか教えて欲しいなあ?」


誤魔化すでもなく分かり易く視線を外したのは、誤魔化しが不可能だってことだろう。

マリエルがいるから誤魔化したところで破綻するのが目に見えているのも理由の一つかもしれないが。


「お前の不在で沈み込んだちびとどう接し良いのかわからず、見守るという名の放置を敢行し、仕事に逃げたへたれ二名だ」


「うわ~、事実とはいえ客観的に指摘されるとどうかと思われる行動してますね僕たち」


ちくちくした視線を放るディルに告発される申し訳なさそうなカーリィ。

どう反応していいのか悩んで沈黙した俺にディルは追加情報をくれるようだ。拝聴しよう。


「俺が戻るまでの間ちびはここにぽつりと一人きりでおとなしく座ってぼーっと考え込んでいた。一歩も動いていないことはちらちらと様子だけを窺っていたへたれ共が証明する。さらにこの救いようのないへたれ共はガキを相手にするのに向くわけがないだろう俺にどうにかしてくれと戻って来るなり心声で陳情申立てしてきやがった大馬鹿者共だ。口汚く罵っても今なら反論ごとぶちのめせるぞ」


目線で「どうだ?」なんて誘ってくるな。やらねえよ。


「それで自分に不向きだと思いながらもリトに向き合った結果が俺への叱責と相成ったわけか。戻ったばかりのところに悪かったな、ありがとうディル」


礼を言うと微妙に顔を顰める天邪鬼な反応は長い目で付き合ってみないといい方には取れないわな。


「もう少し配慮してやれ。変に聡いぞあいつ」


「やっぱりそう見えるよな」


視線が向かう先はリトがいる休憩室。

言葉がない分表情と動作で何を考えて何を思っているのかを読み取ろうとすれば、見えてくるのは幼子にはまだまだないはずの気遣い。

必要な知識を大樹に教授されて生まれてくる天魔の子たちは、人間の赤子と違って生まれた時点で自ら思考することを知っている。幼いとはいえ知性のある天魔の子だが、子供であることには変わりなく、自由奔放な言動で大人を翻弄することもあれば困らせることも本気で怒らせることもある。

でも、リトを見て感じたことは妙に大人びている、だ。

子供らしさがないとは思わない。見知らぬ物事に目をキラキラさせて食いつくところは子供だなと笑みを誘う。そんな子供らしい一面を見ていると余計に差異が目につくのだ。


例えば、リトはわかりやすく人見知りだ。恐らくリトの基準で良しと判断が出なければ近付くことすらも許容して貰えない。アシスやカーリィみたいに常に警戒対象とされたりな。

正直大変だとは思えど、人見知りが別に悪いことではないと思うから俺は気にしないんだが、それでは駄目なのだと天王様からおっしゃられているので行動を共にする時間が多い四大から慣らしていこうとしているんだが、この時点で子供らしくない。


いくら王という位に着く上位者からの命令であっても生まれたばかりのリトは知識としての位しか知らないため、恐れ多いなんて感情のない幼子らしく嫌だと泣き喚いて駄々をこねても仕方がないと思われた。

なのに、頷いた。嫌だと思っていることはわかるのにそれを表してはいけないものだと判断して、ただ頷いたんだ。自分の感情を抑え込んで。

天王様から感じる言外の圧力を感じ取ったとか適当な納得理由をつけてもいいのかもしれないが、腑に落ちないんだよな。

一番気にかかったのは天王様がリトに対して向けられていらっしゃった言葉だ。言葉をかみ砕いた言い回しや説明の仕方は幼子に向けられていて不自然さはないが、話している内容は責務を負って職務を全うする配下に対するものと変わりなかった。あの場所では緊張とかで冷静に判別することができなかったが、思い返せば返すほどに異様さが浮き彫りになる。

それに…。


「……心ここに非ずな陰った目で考え事をする様は昔のお前見てるみたいで不安と苛立ちを煽る」


はあと溜息と共に零された言葉に苦く笑う。


「だよな。どうにもしてあげられないことを我慢してくれるのは四大の位にある以上、正直助かると思わざるを得ない」


今日のようにリトを残して外出しなくてはいけない時に行かないで欲しいと訴えられても、できないことはできない。四大である俺に要請が来るということは危険性の高い案件だ。子供のお願いと誰かの命の危険性を天秤にかけて、子供を取るわけにはいかない。

四大という位に課せられた責務はそういうことだ。


だから…それを理解した上で平気だ、大丈夫だと示して我慢することを覚えた。

大切な人たちを困らせることをしたくなんてなかったから、いい子を演じることを選んだんだ。

頭を過る事柄に重い息が零れそうになるのを抑え込む。


「我慢するってことは平気じゃないって言ってるも同然。それをわかっていてありがたいなんて利用する嫌な大人になった自分に気付かされて、実は結構荒んでるんだよな」


頬杖をついて項垂れそうになるのを辛うじて阻止していると溜息と苦笑が返ってくる。

前者がディルで後者はカーリィだ。分かりきってるだろうが。


「それでべたべたに構い倒した結果が生まれて三日経っても自力では何もできない箱入りか」


「随分とらしい理由でしたね」


呆れの中に仕方のない奴だというのが含まれているのがわかり複雑な気持ちになる。


「悪かったな適度な加減を知らなくて」


どのくらいの距離が適切なのかがわからないんだよ。だから逆の立場で考えて…気が付いたらべたべた表現を貰う今に至る。


「悪いわけではないと思いますよ。むしろ、おちびさんにはそれでいい気がします。あくまで僕の感想ですけど」


「へ?」


べたべたと言われるどう柔らかく受け取っても過剰だと告げられているものが適切だと?


「お前が過剰な分を別のところで補えばいいんだ。飴と鞭は必要だからな。安心しろ、飴がげろ甘でも鞭が適切なら自制心があるらしいあのガキらしくないちびは真っ当に育つはずだ」


「ちょっと待て何処から突っ込みを入れるべきなのかすこぶる迷うんだよ何言ってくれてんだコラ」


ちょっと一気に辛辣なことを放り込まれて混乱した。妙な言葉になった俺にディルは、これ見よがしに呆れの溜息をくれた。…こいつぅ。


「ちょっとそこで待ってろげろ飴」


「省略の場所がひどすぎるだろうがっ」


げろ甘い飴、が重要な真ん中を失ってとんでもない物体にされた。

即突っ込みを入れた俺に背を向けて歩き出したディルは指を耳に入れて煩いと行動で示してくれやがる。

……本当に、こいつは。


「本人アレで至って真面目なのがすごいですよね。流石本物の天然は格が違う。僕も精進しなければ」


「一体何の精進をするつもりだカーリィ」


演技でも冗談でもなく感心している発言に脱力した。頬杖の抵抗虚しく俯いた頭は持ち上げるのが少々困難だと思われる。


「鋭く抉る言葉のチョイス」


「暴力と紙一重だろうが」


「そこは慣れと友情でカバーするんでしょう。素晴らしいですね、友情」


「虚しくなるほど薄っぺらく聞こえるからやめろ。そして慰めてくれようとする心遣いには感謝するが今後の為にもっと一般的な方法を勧めておく」


はあと息を吐く俺にきっと、間違いなくカーリィは張り付けている胡散臭い笑みではなく、自然な笑みを浮かべているはずだ。


「素晴らしいですね、友情」


同じ言葉でも声音が大きく異なれば、それは別物と言っていいだろう。


「…まあな」


面映ゆい心地で肯定を返した俺にくすくすと笑い声が返される。

ふざけにふざけて流石にそれはどうなんだと思えばやんわりと包んで返す。落ち込んでも荒んでも嘆き悲しんでも、最後にふっと笑いが零れるのが今代の四大のいいところだと思っている。


「ああ、来ましたよ」


「ん?」


ちょっとそこで待ってろ、と告げてこっちの言葉に聞く耳持たずディルが歩いて行ったのは休憩室。

カーリィに促され視線を持ち上げて床ではなくそこに立つ人物の足を視界で捉えたが、捉えたディルの足が随分と狭い歩幅を刻んでいる。

ちまちまとした不自然な歩みにどうしたのかと視線だけでなく頭を持ち上げて、俺は言葉を失った。

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