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水難

しんと静まり返った家の中、誰もいないことに慣れた当たり前。

己以外の存在が鳴らす音など無い広過ぎる閉鎖空間。

それが、あの日小さな音に壊された。

片腕で抱き潰せてしまいそうな小さな体から聞こえた己以外の拍動に、どうしようもなく泣きそうになった。




「はよー」


四大室に入るとすでに居る面々に声をかける。因みに今日いるのは本日居残り組のマリエル、アシス、カラリナの三人でディル、レミィ、タルージャ、ナヴァの四人は現場直行組だ。

確か調査ばかりだったはずだからそのうち順に戻ってくるだろう。


「おはようイルファ、リトネウィア」


最初に答えたのはマリエルだ。挨拶をされて片腕で抱いているリトがぺこりと頭を下げることで返答をしているのにマリエルが頬を緩ませている。


「おっはよ~イルファ、おちびちゃん。ご機嫌如何かな?」

「おはようございますイルファ、おちびさん。元気ですか?」


ひらひらと手を振ってきたアシスとカーリィには一瞬身を強張らせてから同じように頭を下げた。

が、第一印象がまずかったのか二人ともかなり警戒されてるみたいだな。マリエルの時と違って視線が外れない高さまでしか頭を下げなかった。視界から外せないほど信用がないってことだ。

二人はその反応を面白がっているみたいだが、程々にしてやってくれ。落ち着けなくて可哀想だ。


さて、誕生からまだ三日目のリトがどうして四大室に連れられているのかと言えば、昨日に遡る。

胃がねじ切れるかと思った聖魔殿での両王様方への謁見では色々あった。本当に色々…。

驚くほどに落ち着いていて、両王様方に物怖じすることも怯えることもなく、自ら抱き上げられて最終的には両王様方の膝の上に乗せてもらうなんて…俺からすれば胃がねじ切れるどころか消滅しそうな体験をしていたリトとか不思議でならなかった。

シータ様には僅かに身を固くした程度だったが、苦手意識が付いてしまったのかリフォルド様には身を竦めて怯える様子を見せるというのに、両王様方には一切そんな様子は見せず自然体に見え、笑顔を浮かべてもいた。

その光景にどうしてか胸の奥にもやりと不快さを覚えたのだが、なんだったのか。


入室から退室まで驚きしかなかった謁見だったが、まとめてしまえば随分短いものになる。

専用の封印石が完成するまでは魔王様の封印石を貸与される。

翼に異常がある可能性、迫害対象となる危険性を視野に入れ、会話によるリト自身への詳細確認が可能になるまでは現状維持、詮索を保留とする。

又制御が困難である現状からリトの行動を一時的に制限し、万が一に備え常に四大以上の高位者一名と行動を共にすることとする。

といったもの。


封印石については一悶着あったんだよな。まさか僅か一日で微細とはいえリフォルド様の霊泪石で作られた封印石に罅を入れてるなんて思わないだろう。御自身の封印石と交換なさった魔王様がおっしゃられた言葉に驚愕したリフォルド様に「何をしたんだお前ら!」と複雑な表情で両肩を掴まれて揺さぶられた。

特に何もしていないと返答したのだが、余計に悪いと嘆かれてしまった。何もしていないのに罅を入れるなんて確かに問題しかないな。

なんにせよ、堅苦しさを抜いてしまえば、危なっかしいから対応できる高位者と一緒に居てくれがまとめだ。


そういう理由で本来なら一定年齢までシェネレスの家で自宅教育になるはずのリトはこうして四大以上の高位者が常に一名以上共に在れる四大室にいるわけだ。

聖魔殿ほどではないが四大室だって入室者は限られているのだから異例といえば異例だ。

許可していらっしゃるのが両王様方なので問題はないだろうが、うるさい(やから)が来ないわけではないから気をつける必要はある。


というか、その目からリトを隠す意味合いもあって引き取ったのだから気をつけないわけがない。

四大の皆には元々協力を求めるつもりだったので両王様方の命令付きという大義名分ができて正直な話、渡りに船だった。色々なことに手を加えなければいけないと思案しているところだったので安全策として四大室に堂々と連れて来ることができる状況は非常にありがたい。

全員への顔合わせも…多少の警戒はあったが一応済んでいるので一先ずはリトの声が出るまでを目安に必要なことをしていくつもりだ。


リトは…環境に慣れろって天王様からおっしゃられていたからな。共有時間が必然的に長くなる四大の面々から慣れて貰うのがいいだろう。

レミィには固まり、タルージャにはどうしてか首を傾げていたが、ナヴァとは不思議と見つめ合ってたな。

あんまりじぃっと見つめてくるものだから流石のナヴァもちょっと反応に困ってたみたいだが、最終的には口元を緩めてたからなあ。近付かれるのには身構えていたが、野生動物もかくやといった様子のアシスとカーリィに比べれば前向きな第一印象だろう。


かくいう俺自身も気をつけないといけないみたいなんだよな。

昨日も今日も朝食までの間リトはリビングにある羊型のクッションに顔を埋めて俺を見てくれなかった。

本当に何をやらかしてるんだろうか俺は。原因がわからないから謝りようもない。背中を向けられているおかげで拒否されている感じがすごくて凹む。凹むがどうしてそんな反応をされているのかわからない以上何も言えない。

俺が気付くのが先か、リトが話せるようになって教えて貰えるのが先か。

できれば自分で気が付ければいいんだが…全く見当がつかない。弟妹がいる奴らに相談でもしてみよう。

嫌われるなんて耐えられない。


そんな発想に至って不思議なものだと小さく笑う。リトが卵から孵るまでの三週間、俺はそんな卵がいたなと記憶こそすれ思い出すことはしなかったし名前を調べることもしなかったくらいに興味がなかった。

それがたった三日でこの状況…いや、初日からかな。


力の強さ、制御の困難さ、自力で孵ることができなかった状況、魔王様に匹敵する密度の長い黒髪。

問題点に疑問点を考えればその先は自然と想像できた。

関わり合いを持ち、見過ごすことができないやさしさをお持ちのリフォルド様なら、リトネウィアを引き取ることもお考えだろうと。

でも気が付いたら口にしてたんだよな。


「俺が引き取ります。シェネレスの家で引き取らせてください」


ってさ。意外だったんだろうな…リフォルド様の目、丸くなってたから。

だけど、一番意外で驚いてたのはそれを口にした本人だったりするんだから何とも言えない。

どうしてそんな反射みたいな行動に出たのか未だにわからなくて、理由もなくて、我ながら大丈夫かと言いたくなるのに、後悔はしてない。むしろよくやったとすら思ってる自分がまた不思議で堪らない。

今後どうしてそう思ったのか、そう思うのかがわかる時が来るのかな?

それはそれで面白そうだ。


ふわふわと形のないことを考えていると、ピピピピピッと通信を知らせる電子音が四大室に響いた。

この音は特定の誰か宛てではなく四大室へと向けられた通信だ。何かあったのか?


「司令室からの通信だね。四大室マリエルです。用件をどうぞ」


自席に着いていたマリエルが通信を開くと通信者の姿が映像投影され、同時に送信されてきた地形図が別枠で表示された。


―「水霧の地にて生態不明の水耐性物を確認。詳細調査、場合によっては討伐の必要を考慮し上位火属性者へ助力を願います」


端的な要請に思ったことは、なんでこのタイミングなんだろうかだ。


「水霧で水耐性って当然の耐性だけど、ものは何?自然物、人工物、変異種とか情報はないの?」


四大室への全体通信の為共に聞いたアシスが声を上げ、現時点でのわかる範囲の情報開示を求めながら手持ちの備品をチェックし始めている。


「?」


その様子を視界の隅に入れつつ自席へと向かっていた足を中央のソファへと向けた俺はリトをソファのど真ん中に座らせる。きょとんと小首を傾げながら見上げてくる大きな黒い目に苦笑いを返し、俺もアシスと同じように手持ちを確かめていく。


―「現時点では変異種の可能性ありとだけ。範囲が広範囲の可能性が高く、奥へ踏み入るのは困難だと現場にいる中級位からの要請です」


「濃い霧と深部へ入ると面倒な水生植物なんかにちょっかいをかけられますから…仕方ありませんねこれは」


カーリィが息を吐いて俺を見るので視線に込められた意味を理解した上で苦笑を返す。


「アシスは情報管理、カーリィは経由頼む」


「任せとけ」

「任されました」


即座に返される言葉に頷きながら準備を進めていく。

水霧の地。

名の通り対応属性は水、土地の属性分布が極端に水属性に偏った一点特化地。

属性恩恵で水属性には通常より二倍近い上乗せがあるが、反属性の火属性には真逆の半減効果をもたらす。


水属性者に有利、火属性者には不利な地だが、地の特性上どうしても水に強い耐性を持つ生物が生まれやすく、それらは反属性の火に耐性を持たないことが多い。

故に火属性の法を多用することになるのだが、そもそも土地と相性の良い水属性者は一部の例外を除き反属性の火が最も力が弱い。そこに火属性半減効果が追加されるのだから威力は散々なものになる。

四大の水属性者であるレミィやカーリィでもこの場所では火属性の法は残念の一言だ。

よって、水霧の地で異常が発生した際には土地の半減効果があってもなお威力がある炎を行使できる火属性者が必要とされるわけだ。


とはいえ土地との相性が悪い為水霧の地にいる間中能力制限がかけられている状態になるので交戦の危険性が少しでもある場合は高位者が出て行くことになっている。下手を打てば高位者でも生死の危険を伴うのだからこの要請は妥当なものだ。

ただ、どうしていまその要請が入るのかと思わずにはいられないだけだ。

零れそうな溜息を抑え込み、万が一に備えて戦闘用の指ぬきグローブを両手に嵌めながらマリエルが展開してくれている水霧の地の地形情報と送信されてきた地形図とを照らし合わせる。


「結構深いな」


元々何の調査だったかは知らないが、始点が下層域よりも中層域に近いところにある。そこから奥ではなく横へと捜索範囲を拡げていて今回の問題に遭遇したわけか。で、ちょっと奥へと捜査範囲を拡げてみたがどうにも怪しい雰囲気だったわけだな。


「四大から火天使イルファ、火悪魔アシェリスが出る。いま現場にいる天魔の中に水属性者以外がいるなら帰還させろ」


水属性者だけを残すのは攻勢では役に立てなくとも守勢では遺憾なくその力を発揮できるからだ。

水霧の地で水耐性持ちだと攻撃手段も水属性に比重が傾く。そして火属性者には反属性なので危険が増す。

その為攻撃を火属性者が、防御を水属性者が受け持つ組み合わせを作るようにしている。

これが一番効率的な組み合わせだからだ。


―「承知致しました」


司令からの映像通信が途切れるが文面上の情報は随時送られてくる。それを処理するのはカーリィに任せ、カーリィからの情報を受けるのはアシスの役割だ。

これは俺が近距離格闘型で最前線へと出て、アシスが中距離法術型の為やや後方へと位置取るからだ。

役割分担は出て行く前にはっきり決めておくのが通例だ。その場で切り替えることもないわけではないが、その辺りは臨機応変な対応を。でも己より得意なものがいるのに態々苦手分野ででしゃばる必要はない。

自ら危険を招き入れ、己だけでなく仲間まで危険に晒すなんて愚かにも程がある。


「マリエル、念のためレミィに連絡取れるようにしておいてくれ」


「もう準備してるよ。ただ、いますぐは無理だから緊急になったら急かして」


「そんな事態にならないことを祈ってるよ。正直乗り気じゃない」


「だよねぇ」と苦笑うマリエルの声を聞きながら上着を脱ぐ。


「リト、ちょっと出て行かなくちゃならないからいい子にしてるんだぞ」


脱いだ上着を手に膝を折るとソファに座るリトの膝上へかける。ブランケットみたいな掛け布状態になったが、足元が綺麗に覆い隠されているのでまあいいだろう。

俺が着ている服は全て自分で作ったものだ。縫製作業の間に法を織り込んで作っているため防護性能が高い。

自画自賛じゃなくてちゃんと周囲からの評価だと言っておく。


リトが身に着けている衣服も急拵えではあるが俺が作ったものなので防護面は良くできている方なのだが…如何せん急拵え、所々に斑がある。

四大室に居て戦闘に巻き込まれることはそうそうないだろうが、全くないと断言できない以上念には念を入れておくに越したことはない。傍にいない俺の代わりに足りない防備を補って貰う。


朝楽しみながら結い上げた艶やかな黒髪を崩さないように撫でながら言い聞かせる俺にリトは不安そうに目を揺らしたが、きゅっと唇を引き結んでこくりと一度首を縦に振った。

ディルとは少し違うが表情の変化が緩やからしいリト。

いい子にしていろと言った俺に是と返した表情はきりっとしているのに、眉だけがハの字を描いていてとても不安そうだ。その表情の差に何とも言えない複雑な気持ちになる。

だからしっかりと目を合わせて笑いかける。少しでも安心できるように、心配かけないように。


「すぐに戻るよ。だからここで待っててくれ」


重ねた言葉にリトの引き結ばれた口元が少し緩んだ。

眉はそのままだったから苦笑いになったが、それでも笑顔には違いない表情でまた頷いたリト。

よし、と膝を折った体勢から立ち上がり視線を巡らせる。


「頼んだ」


「頼まれた」

「言われなくとも、ですね」


何を、なんていちいち言わなくてもいまのやり取りを見ていれば十分わかることに四大室に残るマリエルとカーリィが応じてくれた。


「んじゃま、とっとと片付けてきちゃおうじゃないの」


ぱしりと掌に拳を打ちつけて、にやりと笑うアシスに俺も口角を上げる。


「同意見だ。行ってくる」


「「いってらっしゃい」」


いつもと変わらないやり取りの中にひらひらと小さな手を振って送り出してくれる天使の姿が見えて、緩みそうになる頬を引き締めてアシスと共に翼を広げて四大室を飛び立った。






水属性一点特化地とは水精霊が数多く集まっている地であり、その為周囲環境に水精霊の影響を色濃く受けている地である。


「ねえイルファ」


しっとりと多分に水分を含んだ空気が視界を狭める下層域と中層域の狭間で俺とアシスは空気同様水分多めの柔らかい地面に立ち、視線を水平位置から四十五度近くまで上へ傾けて前方に見える物体を仰いでいた。

霧がかかっているために見渡せる範囲は精々十メートル前後なのだが、全体像が見えないと言えばその大きさがある程度伝わるだろう。


「コレ、何だと思う?」


半眼で得体の知れない物体を仰いでいるアシスに、同じく半眼で得体の知れない物体を仰ぎながら答える。


「蔦状物体が絡まり合ってできた鈍色の塊」


「あたしの目の錯覚じゃないんだね」


取りあえず見たままを表現すれば同意が返ってくるので、こちらからも問いかけてみることにする。


「追加は?」


「一つ一つは二から六センチの太さで表面がジェル状のぬめぬめコーティング仕様。触りたくない」


ちらりと横を見れば険しい表情をしているので結構本気で嫌がっているようだ。

そう言いたくなる気持ちはわからなくもない。


「触らずに処理できるといいんだがな…。色は透明で無害そうだが実際そうとも限らないだろうし」


あからさまな危険色をしていないだけで安心していいわけじゃない。

気になるのは地面だ。生えているのか突き刺さっているのか定かじゃないが、あの物体の周辺地面の草は枯れ、俺たちが立っている場所から十メートル以内の同じ条件下のはずの地面が乾いている。


水霧の地の地面は水分を多く含んでいて、地の外周や下層域は湿り気を帯びている程だが、最深部の中央など最早地面ではなく沼だ。乾いた地面なんてこの土地には存在していないはずなのだが、目の前にあるのは乾いている地面、それは錯覚でも幻でもない。

あるはずのないものが存在していて、そこに得体の知れないものがあるのだから原因はこれと考えていいのだろうけれど、さてどう確認したものかと一人思案していたのだが…。


「ていやっ」


素晴らしく適当な感じの掛け声と同時に耳に入るヒュゴッという風切り音。

聴覚が正常に働いていることは前方の得体に知れない物体へ速球と言える速度で拳大の石がぶつかっていく光景を視界で捉えたことで確認できた。

ぬめぬめコーティングと表現された表面の粘膜っぽいものが一部弾けてびちゃりと地面に落ち、ぶつかった石は激突した状態で粘膜の部分に突き刺さっているが、石の重量を支えきれるほどの耐久性はないのか徐々に滑り落ちていく。


「お、風船みたいな割れると零れていくものでも弾力があるゴム状のものでもない、と。むしろ…スライム状?ぬめっとしてるのに弾けるとでろっとするとか余計にヤダな~」


うへぇ~とか嫌そうに言っているアシスの頭頂部へと一瞬前まで得体の知れない物体に向けていた半眼を注いでやれば、視線に気付いたアシスが顔を上げて含んだ意味にも気が付いたのか不満そうに頬を膨らませた。

頬を膨らませるって、お前いま何歳だったっけ?


「あ、何その“コイツ何してんだ”って目は。イルファだってどうやって確認しようかな~って考えてたでしょうに。先に行動したあたしを褒めこそすれ、そんなディルみたいに残念な子見る目を向けないっ」


めっと年下の子供を叱るちょっとお姉さんぶりたい年上の子供みたいな動作を取られても、とは言わない。

確実に続くだろう後の会話が正直いまは面倒くさい。


「微妙に外れだ。そして確認のところは同じでも俺は一言声をかける。お前ついこの間同じようなことしてディルに殴られてただろうに懲りないな」


「う、今日はディルいないから平気だもん」


痛みを思い出したのか小さな山を作っていた頭を押さえるアシスに反省がみられない為追撃をかけておくことにする。


「本能で行動する野生動物みたいな真似してたら教えろって言われてんだよ俺は」


「な、何ですと!?」


「我が身が可愛いから報告しておいてやるよ。ちゃんとさっきの余計な一言も伝えておくから安心しろ。今日の帰りには見事な山が見られるんだろうな。楽しみにしておく」


あははははと態とらしく笑ってやれば目に見えて慌てるアシス。これに懲りたらもう少し後先を考えて行動してもらいたいものだ。

着眼点がよく注意力があるのはわかっているし最終的に問題が起こってないのもそれなりに長い付き合いなので知ってはいるが、せめてあと一つまみ分くらいの慎重さが欲しいんだよ。何かやらかすとわかってても心臓に悪いからなお前の行動は。もしもの時フォローに走らされる俺の身になれ。


はあと息を吐きつつ視線を得体の知れない物体へと戻せば丁度アシスが投げた石が落下するところだった。

地面にぶつかって転がると思われた拳大の石は衝突と同時に砕け、粉々とまではいかなかったが、一部は細かな粉状になり落下先の土を巻き上げてほんの少し土煙を立てた。

常時濃い霧が立ち込めるこの土地で。


「なかなか見れない光景だな。あの石もそれなりに湿ってたんだろう?」


思いがけぬお叱り未来予想にあわあわしていたが、結果はちゃんと見ているアシスも多少は真面目な表情を顔に乗せている。


「触るとしっとりするくらいにはね。蔦の方が主なのかジェルの方が主なのかはいまのじゃ確定には至らないけど、触るのはなしだね。接触箇所からえげつない速度で水分吸収してるみたいだし。人体なんてあっという間に干からびそう」


視線の向かう先は砕けた石のなれの果て。

乾いた地面は接触しているところから十センチもないが、問題なのは周囲が十分な湿り気を帯び続け、その余剰分が乾いた地面へと流れて行っているにも拘らず乾燥状態を保っていることだ。

その吸い上げた水量は何処に消えてるんだ?


「簡単に弾けたから衝撃耐性はそうない。切断耐性も同じようなものだね。飛散物にも毒性や酸性は認められないから熱してぬめぬめが蒸発されても大丈夫そう。気掛かりなのはそれだけの水が何処にいったのか、だね」


同じ結論に至ったが、今度はアシスも黙って得体の知れない物体を仰ぎ見る。

次に手を出すのは本格的に処理するときだからだ。


「…仮に植物と同じ構造だとすれば、ここって根っこの部分ってことだよね」


「あれを生えてるって表現するならそう言えなくもないな。俺は突き刺さってるに一票だ」


「あたしもそっち。でもそうなると変異種じゃなくて人工物になるんだよね。さっきから記憶探ってたけどあたしこんな植物生物知らないもん」


本能で行動する野生動物、なんてディルが言うのもわからなくもないくらいに行動的で大胆なアシスだが、実は植物生物について詳しい。

植物生物というのは、書いて字の如くだ。植物の生き物。

簡単に説明するなら種から芽を出して葉から花へ種子になり枯れてまた芽吹いての繰り返しではなく、種から芽を出して地面に生えずに動き回る、もしくは種からおぎゃーと植物っぽい生物が誕生して動き回るなど、一ヶ所におとなしく生えているのではなく動物みたいに自ら動き回り移動する植物だ。


もうそれは植物じゃないと言いたくなるが、解体してみれば中に詰まっているのは維管束で臓物じゃない。

結果、植物の構造を持っているので一応植物、ただし自発的に動き回る生物でもある為まとめて植物生物。

おとなしい性質で通常の植物と同じ土からの養分、水などを糧とするものを植物生物、小動物や小型の虫などを糧にするものを肉食性植物生物、人種や亜人種、大型の生物などを糧にするものを植物型の魔物として区分されている。


アシスはこの特殊な生態系の植物生物に詳しく、やや学者気質を持ち合わせてもいる。

ただ目の前に越えられない壁があったらぶち壊すと肉体言語側の思考も多分に含んでいるので取扱注意の性格と認識している。

まあ、難はあるが知識は確かだ。得意分野と言い換えてもいいだろうことについてはふざけた発言も適当なことも言わない。


「アシスが知らない新種の可能性はないのか?」


俺はこういった分野は必要最低限の知識しかないので詳しいものを頼るか情報を調べることでしか確認が取れないため、今回は詳しいアシスを頼る選択をする。


「でかい奴って大抵が魔物側なのよ。全くないとは言わないけど地面に固定で動かないのは生物機能がないって判断するから、それでいくとコレは植物側になるわね。植物の変異種の可能性がないとは言わないけど…植物には見えないでしょ。だから人工物」


植物である可能性を除外する理由はたった一つだろう。

脈打っているからだ。粘液内にある蔦状のものが時折何かを送り出すポンプのように脈を打つのだ。

ぬめぬめコーティングまでは良しとしても、脈打つのは植物外だ。

それ故に植物生物の可能性になったのだが、アシスの回答は植物生物ではない。

そうなってくると最後は植物でも植物生物でもないけれど見た目は植物に見えなくもないため、何者かの手によって作り出された人工物の可能性へとたどり着く。


「ただ、人工物と判断したら今度は何の目的があって何を成す為にこの場所へ、が大問題だよね~。水分吸い上げて何処へ行くんだか。背が高くて奥行きがあるっていうのがぱっと見た目でわかる範囲ですね~」


霧の為に開ける視界はなく、見える範囲は自分を中心に約十メートル。人工物と仮定する得体の知れない物体との距離は七から八メートル。

地面に突き刺さっているように見える場所から緩やかに斜め方向で中層域の奥へと伸びている得体の知れない物体は、一つの蔦が二から六センチの太さで凡そ三十本ほどの蔦がゆとりを持って絡み合っている為、幅は二メートルを越えている。


蔦は全てが同じく長いわけではなく短いものもあるらしい。見える範囲にも先端らしき部位が存在しているが、そこを見るとより一層植物ではないと思う。

槍と見紛うばかりの鋭さの先端はどいつもこいつも天を向いていて、地上を向いているものはない。

そのどちらも向いていないものはどういう理屈なのか別の蔦に突き刺さっている。


ああ、ちょっと整理しよう。

枝分かれした短い先端はどう見ても凶器、触ると恐らく干からびて、何処まで角度が上がっているのか不明だが現在地から見える範囲での高さは五メートルを越えており、奥行きに至っては全く見えないのでこれもまた不明。

接している面から水分を吸収、時折脈打ち吸い上げた水は何処かへ送られ行き先は見えない。

植物ではなく、植物生物でもないので自然物、その変異種ではないと判断し、人工物であると仮定する。

人工物であると仮定したならば、何の目的で何を成す為に何故この場所なのかの疑問を解消する必要がある。

ではその方法は?


「んじゃイルファ」


ぐっと胸の前で腕を伸ばして軽くストレッチをしたアシスは人差し指を得体の知れない物体、正確には地面に近い蔦の一本へと向ける。


「試しに一本切断してみよう。問題がなさそうなら一気に刈り取る方向で」


「さくっとね」なんて手首を動かして刈る真似をしているアシスの顔は何処か楽しそうな笑顔だ。

きっとどんな反応が起きるのかが楽しみなんだろうな。

俺はそろそろこの地味に全身へと水気を含ませてくれる霧にうんざりしているんだが。

ただ立って観察しているだけで髪の先端から水滴が落ちようとしているんだぞ。じめじめを通り越した環境で地味にストレスが溜まる。

へにょりと水気を含んで重くなった前髪をかき上げて、待てもしくはお預け状態の犬にも似た様子のアシスを見て息を吐く。相談とは言えないが実行前に報告しただけましか。


「飛び散らないようにやれよ。俺もあの粘液には触りたくない」


「あっはっは~、あたしもだから気をつけるよ。ではではやりましょうか!」


ばさっと背に折り畳んでいた蝙蝠の翼にも似た翼を広げるアシスから半歩だけ横にずれる。

霧の所為で翼についた水滴が払われて散る中、急速に集められる火の気配。水属性一点特化地とはいえ火精霊が皆無なわけではない。ただ、隠れてしまっているこの地の火精霊を呼び出し集めるのは下級位には不可能と言っていいほど難易度が高く、中級位でもかなり厳しいだろう。


「我が声に応え集え、鮮烈なる赤」


アシスの求めに応じた火精霊が周囲に熱を放ち始め、霧を蒸発させていく。中心にいるアシス自身を濡らした水も徐々に乾いていくのが見て取れる。

近くに居るので呼ばれた火精霊に反応した俺の加護精が余波の熱を届けてくれるおかげでじっとりした嫌な感触から解放された。

法を行使しようとしている者の隣で悠長なことを考えていると準備が整ったのがわかった。

すっと一度下ろされていた腕が持ち上げられて、細い指が目標を示す。

オレンジの髪が蒸気で揺れ、金色の瞳が爛々と輝く。そして唇が法を紡ぐ。


「切り裂け」


高く細い風切り音。

短い紡ぎは下級位の法だが、炎で形作られた鋭く赤い一線が目標である蔦を正確に一本だけ切り裂いた。

じゅっと音がしたのは粘膜部分の水分が切り裂く際に蒸発させられたためだ。ずるりと切り口を晒した蔦が地面に落下しようとした時、それは起きた。


切り裂かれて地面へと向かう蔦が急激に伸び、勢いよくザクッと音を立てて地面へと突き刺さった。

地面から出ている方の蔦は脈打った瞬間に何処からそれだけの水を吸い上げたのかと問いたくなるほど大量の水を上空へと吐き出し、地面に向かって伸びた蔦と同じく急激に伸び、別の蔦に突き刺さった。

意味が分からない。


「「……」」


一瞬の光景に切り裂いたアシスも見ていた俺も呆然とそれを眺めた。声もなく眺め、確認の為に互いを見た直後、上空へと吐き出された大量の水が落下してきて面で全身に激突してくれやがった。

雨粒ならば点だ。どんなに勢いが良くても雫型の点でしかない。

なのに、いま落ちてきたのはバケツの中身を水平方向にぶち撒けたときのような面。

点と面、どちらがより衝撃を与えるかなんて言わなくともわかるだろう?


「~~っだぁああ!!」

「ぃってえぇえ!!」


霧深い水霧の地にアシスと俺の怒鳴り声が響いた。

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