表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/44

羞恥心に持ち合わせはあります

ぴちち。ぴちゅぴちゅ。ちちち。

耳に届く軽やかな鳥の鳴き声。

思い出すのは鳥の声で目覚める爽やかな朝――ではなく、もっと眠りたいのを邪魔してくださった小鳥ちゃんたち丸焼きにして食うぞ!というひどく物騒極まりないかつ残念な己の思考である。

何処の野生児だ。いい年した成人女性が思うことではないだろうに。


そんな呆れを思い浮かべながらも目を開けてやろうという気になったのは、恐らくその時の睡眠が足りていて夢を見ていなかったからだろう。

何かしら夢を見ていたなら半覚醒までいっても続きを見たいと寝入る努力をするのが私である。故に目を開けるなんて覚醒へと進んだのは寝足りている証拠だ。


「……、……」


音をつけるならきっとむにゃむにゃとかだろうな。心境としてはそれだ。

実際はぬぼーかもしれないが。


ぴちち、ぴちゅ。

小鳥の声が変わらず聞こえる。

すぅ、すぅと呼吸音も聞こえる。

ふわぁっと欠伸をしながらぼんやりとしている頭をゆっくりと起こし、あまり目によろしくないらしいが目をこすって少々ぼやけ気味の視界をはっきりさせる。


ぴちゅぴちゅ、ぴちち、すぅ、すぅ。

うん。呼吸音。試しに息を止めてみた。

ぴちちちち、すぅ、ぴちゅ、すぅ。

うん。呼吸音。何故だ?!


自分以外の呼吸音がすることに「気が付くのおっそ!」と自分で突っ込みを入れてばちりと開いた目と目覚めた思考で確認を行う。

耳には変わらず自分のものではない安定した呼吸音。目には肌色。…………肌色?


ぼやけていた我が目をこすった小さな紅葉の如き手は二本ともここにある。

にぎにぎと動かして自分のものであると改めて確認して小さく頷く。OKだ。

ではこの肌色は何だ?

鳥の声はするがまだ日が完全に昇り切っていないのだろう薄暗い影色を含む色彩、それでも肌の色だと認識可能なこちらは何だ?


いや、皆まで言うな。わかっているとも。

理解したくないというか理解してはいけないというかとにかくそういうことなんだよわかってくれっ!

私の頭が何処に乗せられているのかとか寝返り打てそうにないどころか身動き取れないんですけどとかいろいろ気が付いてはいても現実逃避したいっそういうお年頃なんです!

精神年齢が四捨五入で三十だろとかいまこの場では断じて認めんぞ!関係ねえっ!!


「…………ぅ、ん……」


悩ましげなお声とか聞こえてないんだからぁ!


「…………ん、んー……ん」


やめてきっと爽やかなはずの朝からそんなご褒美ボイス!脳内が煩悩ピンクになりそうですから!

わかったわかりましたよ解説しますよっすりゃいいんでしょう!

わたくしリトネウィアは目が覚めたら視界真正面には逞しい男性の胸板があり、頭は腕枕、抱きすくめらているらしく動けない状況でございますねちくしょい!誰とか聞くなよわかるだろう!?

視線を真正面の胸板から上へと角度を変更することで確認できるのは、ほんの少し開かれた形の良い唇、高すぎず低すぎずの通った鼻梁、とろりと眠そうに開かれたお日様色の目がやや薄暗い場所でも鮮やかとわかる赤髪と共に我が視界を攻撃してくれた。


「んー……」


低血圧ですかイルファさん。気が合いそうですが現在のボクは貴方様のおかげで朝からギンギンに冴えて悶えておりまする。

視界が狭くて確認できていないのですがこの場は室内で寝室でベッドの上なんですよね。薄暗いのは明かりを灯しておらず窓にはカーテンがあったりして日差しを遮っておられるのでしょう。だから薄暗いのですよ。ははは。

で、薄暗い室内で見ると明るいお日様色が琥珀色とか蜜色と形容したくなる艶めかしくとろりとした御色に見えるのですね。間違いなく眠いのだとわかるぼんやりとした目で一体貴方様は何を見ておられるのでしょうか?


「…………」

「…………」


沈黙が長く感じられるのは気の所為ではない。これ絶対。


「…………はやぃ」


何が?!ねえ何が何に「はやい」のさイルファ!!

すでにキミの腕の中にいるというのにさらに丸まって抱き込まないでおくれよ!潰れるような力はかかっていないけれど胸板に顔面摺り寄せてる密着具合に昇天しそうですからねボク!!


すぅ。


「っ!!」


幸せそうな寝息を立ててんじゃねえぞこの野郎がああぁあーーーーっ!!




しばしお待ちください。




「……くぁ…………、おはよぅ……リト」


ベッドの上で上体を起こしてひどく眠そうに欠伸をしているイルファを同じくベッドに座って見上げている私。

口と鼻を同時に塞ぐなんていう凶行に及んで起こしにかかったのだが、慌てた様子も苦しそうな素振りも見せず重そうに瞼を持ち上げたイルファはたっぷり四拍現在進行形で凶行に及んでいる私を見つめて(おもむろ)に身を起こした。ベッドに残されたので私も身を起こして見上げているのがいま現在。


とにかく眠そうでぼんやりとしているイルファ。これは余程の低血圧で寝坊助だ。

私も大概寝汚(いぎたな)いが強制息止め何ぞくらえば問答無用でぶちキレるぞ。

ギロリと睨みつけて手と足が出て女にあるまじき低い唸り声で暴言が次から次へと吐き出される。容赦?そんなもの我が眠りを妨げた愚か極まりない輩に必要なわけないだろう。己が愚行を悔いて逝け。


とまあ、私までいかずとも何かしらの反応すらないとか、大丈夫かイルファ。

油断すればくっついてしまいそうな上下の瞼をどうにか離したままイルファは何処かを見て欠伸を一つ。


「…………んー……、四時?早起き、だなぁ……リトは」


くぁっとまた欠伸。四時って時間は何処見て判断したの?時計的なものがあるの?まさかの体内時計ですとかないよね?ところでボクの名前省略されてないか?リトってボクのことだよな?


「ぁふ…………まぁ、早いのは……いいか。行くよ……リト」


「?」


ゆっくりした動作だがひょいと抱き上げられた。幼児故におちびだがもしやこの体は軽いのか?それともイルファが細マッチョなのか?軽々だよな。

ゆっくりとした動作で立ち上がったが、行くって何処へだ?顔でも洗いに?


ねえ、そもそもここは何処なのかを私は知りたいんですが。ひょっとしてイルファのご自宅ですか?来た覚えないよ。つーか寝た覚えもないよ。さらに言えば着替えた覚えもないよ。この寝間着に最適そうなロングなTシャツ的御召し物はどなたが着せてくれたのだ?何気に下着の感触がございませんが私は知らぬうちにノーパンで寝ていたということでございましょうか?

ねえそれなんて初体験?ちょっと涙出そう。


なんて考えていれば、ゆっくり低速で廊下と思しき通路を歩いていたイルファが目的地なのかドアを開けて室内へ入る。

触り心地の良さそうなタオルに着替えなのか衣服がいくつか置かれている棚。

洗濯機と乾燥機にしか見えない何かしらの機械。

身支度用品と思われる細々とした道具類。

大きな鏡に洗面台。

あと横開きらしき曇りガラスのドア一つ。

うん。顔を洗ってさっぱりリフレッシュで頭を起こすんですね。おはようございますイルファ!です。


「ちょっとだけ、立てるか?」


まだまだ眠そうなイルファが床に膝をついて抱き上げていたボクを下ろす。足の裏に床を感じて、もしかしなくても立つの初めてじゃないか?と思い至る。

幼児体型故に重心がどうしても頭へ傾くが、二足歩行はマスターしていた大人だったんだぜ。任せてくれ、初めての立位くらいこなしてみせる。

やる気みなぎる頷きを返すとイルファはほにゃりと緩く笑って言った。


「じゃあ……ばんざーい」


万歳?何で?と思いながらも反射的に両手を肩より高く上げている素直な体。言われるがままに理由もわからず万歳した直後、一瞬視界が阻まれてすぐに回復。

え、何事?と首を傾げかけてバランスを崩した体が傾いてあわわわわとたたらを踏む。


「おっと……危ない。でも良くできました」


イルファの手に支えられて倒れかけた体は立位を保ったが、また抱き上げられて髪を梳くように頭を撫でられる。ちょっと嬉しい。

カラカラと背後で音が聞こえて首を回せば、横開きのドアが開けられていた。

シャワー、シャンプーなどと思われる容器、ここにもあります大きな鏡、大人が三人は余裕で入れそうな大きな浴槽、とても広い浴室でした。宿泊施設の家族風呂とかのレベルじゃないですか。

壁面、床、天井と全体の色は統一されて温かみのあるひよこ色とちょっと可愛い色合い。シンプルなのかと思いきや所々に暖色の花が描かれていて華やかでもある。

あまり詳しくないので何の花なのかは皆目見当がつかない。菊花系の花っぽい気がするがその程度だ。


「ちょっと待ってろよ」


そう言って下ろされたのはお風呂ではよく見かける浴室用の椅子。ちょこんとそこに下ろされて座っていますがどうしてですか?

何らかの音と共にザァーっと勢いよく水が流れる音がしてますね。浴槽にお湯を張ってるんですね。そうですか、顔を洗うのではなく朝風呂ですか。それはそれは目が覚めそうですね。


で、どうして浴室の椅子にボクを置いてあなたは浴室を出て行くのか教えてくれませんかイルファさん?

今更ですが万歳時にどうやら一枚きりの衣服を剥ぎ取られたらしい現在すっぽんぽんな私は幼子らしくなく恥じらっていいのでしょうか?


「……………………」


非常にひじょ~に嫌な予感がしているので視線は正面にある容器に固定します。

卵の時の詰め込み教育はちゃんと生きている様子ですよ。文字らしきものを文字として認識できます。

人間だった時の知識が横切ってスラスラ読むのには少し時間が必要そうですが慣れればどうとでもなるでしょうから問題なしです。


ところでこれmade inどなた様ですか?読み間違いでなければ、

“爽やかの中にちょっと甘い”、“どこか懐かしい乳の匂い”

とか書いてるんですが。どういう表記の仕方だよ、ちょっと気になるじゃないか。

爽やかなのに甘いってどういう系統の匂いなんだ?懐かしい乳の匂いってアレですか?生クリーム系な?


「お待たせー」


そわそわと気になる表記の容器を眺めてしまった私を愚かと言うなら言うがいい。いまならその通りだと思いますと謹んでお受けする。

ひょいっと声のする方向へと視線を上げてしまった私は凍り付いた。

そしてたっぷり硬直した後に声にならない悲鳴を上げた。

似合わないだろうけれど「きゃーーーーーーーーーーっ!!」と。

ま、声出ないので意味はありませんでしたがね。




しばしお待ちください。




「リト、リトネウィア?なんでこっち見てくれないんだ?」


どうしたんだろうという副音声が聞こえるイルファの呼びかけに一切答えず、高級ホテルのスィートルーム並みの広さのリビングに置かれたソファ、そこにある愛らしい羊型のクッションに顔を埋めていたりする。

かちゃかちゃと何かしているらしいイルファに背を向けてソファの上でもふふわの羊さんに網膜に焼き付いた煩悩ピンクを手紙を読まずに食べてしまった山羊さん張りにむしゃむしゃと貪り食って頂きたい。


予期せぬ朝風呂体験(回避不可能な強制)で何が起きて何を見てしまったのかはノーコメントを貫きたい所存。でなければ私の脳が羞恥でぐずぐずに溶け崩れて顔面にある穴という穴から流れ出す。

そんなホラーは御免被る。トラウマ映像はノーサンキューで。


確かにボクは生まれて恐らく一日の幼児で大人の手を煩わせますが、やり方を知っているので様々な物事一人でもやれなくはないと思うんですよ。時間はかかっても頑張れば。

我が身に誂えられたかのようなジャストサイズの真新しい衣服は当然のご様子でイルファの手によって装着されました。私の身長の何倍ですかと問いたくなる異常に長い髪は火精霊によって一瞬で乾かされかなり感動した。精霊をドライヤー扱いってどうかと思うけれど、この長さの髪を乾かす労力を考えると素直にありがとうございますと深々頭を下げますよ。おかげで艶やかにソファの上に広がっております。

さっき「本当は結ってあげたいんだけど少なくとも今日一番の重要案件が終わるまではそのままだ。それが終わったら結うから」とイルファがなんだか必死な様子で言っていたが、重要な案件ってなんだろうか?

ボクにはきっと関係ないのだろうけれど。四大は忙しいのだろうな。おとなしくしてますから頑張ってください。


「う~ん……どうしようか」


その呟きちゃんと聞こえていますよイルファ。

でもってどうもしないでよろしい。むしろ脳内が落ち着くまで放置で頼む。


「俺が何かやらかしたんだろうけれど……悪い、何で機嫌を損ねたのかわからない」


いえ、機嫌を損ねたのではなくて勝手に羞恥で悶えているだけです。


「だからごめん。俺が自分で気が付けなかったらどれだけ後になってもいいから教えてくれないか?ちゃんと原因を理解して謝るから」


「だからそれまで覚えていてくれないか?」ってキミは阿呆ですか?

そもそも謝らせる気はさらっさらないんですよ!顔面を羊さんに突っ込んでるのは恥ずかしさでいっぱいだから以外にありませんからね!

いまも顔を上げられないのはキミ見たらつい先程刻み込まれた光景が見事に蘇るからですよ!

だからしばらく放っておいて!困らせたいわけではないけれどいまは無理!


「……リト、俺のこと嫌いか?」


近くで聞こえた吃驚発言に顔は上げないが即座に首を横振りする。

拝むレベルの恩人ならぬ恩天使を嫌うとかできないだろう。


「そっか、よかった」


ほっと息を吐くイルファの様子に徐々に膨れ上がる罪悪感が羞恥心とせめぎ合っている。


「じゃあ、触って抱き上げてもいい、かな?」


何処かに移動するの?大丈夫ですよ。

こくんと羊さんに顔面をさらに埋め込む形での首肯を返すボクの姿は滑稽だろうに笑うのではなく胸を撫で下ろすから……あぁ、ちくちく罪悪感。


「抱き上げるよ」


態々言わなくてもいいのにと思いつつこれにも首肯を返すと丁寧な仕草で抱き上げられて、ぽすりと何処かに座らされた。感触と温もりからイルファの膝上と思われる。

自然な様子で腹部へと手を回す落下防止の心配りがちょっと憎い。


「これで俺のこと見えないからちょっとだけ顔上げて貰えないか?固形物はまだ早いだろうから一先ず飲み物だけでも口にしておこう。天魔がいくら最低限の食事だけで生きられるとはいってもリトはまだ生まれたばかりだからちゃんと食事をとらないと大きくなれない」


食事、なんて予想していない単語にもぞもぞと目元だけを羊さんから覗かせるとマグカップが視界に現れた。

白無地のカップはイルファの手に握られていて、中身はスープなのだろうか?ポタージュっぽい色合いのとろりとした液体が見て取れる。


「料理下手ではないからちゃんと食べられるぞ。火傷するような温度じゃないと思うが気をつけて飲んでくれ」


羊さんから顔を上げたボクの口元へとカップを寄せてくれるイルファはすごく甲斐甲斐しいと思うのです。

小さなカップとはいえ恐らく一人では持てない重みだろうそれに両手を添えるとほんのりと温かさが伝わる。

人肌ってところだろうか?すぴすぴと匂いを嗅いでしまうのは人間だったころからの習慣。

おいしそうな匂いに唇を寄せて少量を口に含む。


「……」


ジャガイモのポタージュ?それに近い味がする。でもでんぷん質のざりざりした舌触りはない。

これ何だろうか?


「……まずい、ですか?」


食材が気になって首を傾げたのがいけなかったのか急に敬語になったイルファが気まずそうに聞いてくるので慌てて首を横振りする。

まずくない。ただ美味いかと問われると首を傾げる。未知の味?


「誰かに料理習おうかな」


不思議な味のスープを餌付けされているボクの背後でイルファがぼやいたが嚥下音で良く聞こえなかった。

それにしても設定とどこまで重なるのかな?

設定では食事は普通に取るのだが、絶食生活半年とかさらっとやれる程度に天魔の燃費はよろしいので食事はどちらかといえば必須ではなく嗜好品の意味合いが強い。習慣として毎日食べる天魔も当然いれば、全く食べずに水分補給のみなんて天魔も存在する、といったものだった。

だが先程のイルファの話を鑑みるに近いところをいってそうだ。興味調査対象が多くて悩む。


「……」


ちびちびと飲んでいたが、困った。お腹が膨れてもういっぱい。小食ですね幼児体型。

半分ほどカップに残っているがゴメンよ。もう無理。カップに添えていた両手をぺちりと合わせて小さく一礼。

御馳走様でした。

声にはならなくても口パクはできる。こういうのは形が大事だ。うん。


「……もうお腹いっぱいってことか?」


ボクの動作は知らなければ訳が分からないものだろう。

不思議そうな様子の声で問われたが、生憎説明はまだできないので問われたことにだけ首肯を返す。


「ん、お粗末さまでした」


カップを持った手が視界後方、つまりイルファ側に消えたので反射的に見上げて追いかけてしまうと頭の重さでイルファの胸元に頭がぶつかるが、開けた視界の端にカップに口をつけて呷るイルファが見えて間接ちゅーとか考えた私は馬鹿だと思われる。

ごくりと咽喉が動いてスープを飲み込んだイルファがカップを下ろし、唇を舌先で舐め取るまでをじーっと観察した私は我ながらどうかと思う。


そんな意味不明な行動を取っている我が心の内を知らぬイルファは見上げている私に気付いてお日様色の目をぱちりと瞬かせたが、次の瞬間には目尻を下げて柔らかく笑んでいた。


「やっとこっち見てくれた」


鼻血噴いてもいいですか?

キラキラエフェクトが見えた気がするんですよいま。本当に私の目にカメラ機能が付いていればいいのに。

ボクなんかの顔見てそんなに嬉しそうに笑ってくださるならどうぞいくらでもご覧くだされ、とは羞恥心がどすこいっとしゃしゃり出てくるので言えないが、いまは我慢しようではないか。

食事してちょっと気が逸れているのかそれとも羊さんが山羊さんばりに貪り食ってくださったのかちょっぴり煩悩ピンクが自重できそうです。


「リトの顔も見れたところで…………頑張りますか、ね」


ひょいっと抱き上げられて間近になったイルファのお顔は急激にお疲れ顔へと変貌した。

どうした、何があるんだ、大丈夫か?

先程まで羊さんに顔を埋めて隠してたのに今度は顔を覗くボクの変わり身の早さ。

しかしイルファは呆れもせずに笑顔をくれる。眩しいぜ。


「これからちょーっと偉い御方に会いに行くんだけれど、いまから緊張で……」


ほう、四大のイルファが緊張するような偉い御方とな。誰かなと思考を巡らそうとしたが……。


「胃がねじ切れそう」


大丈夫か!?と問いたくなる遠い目をしての発言に一旦停止。

顔色は普通だ。蒼くも白くも土気色でもない。でも目が虚ろ。しっかりしろ!


「……は、はは……、こうしていても始まらないからな、行くか」


本気で大丈夫か?むしろ大丈夫じゃないよな!?

何処へ行こうとしているんだイルファ、ひょっとしなくても私も一緒なのか?!

気持ちを落ち着けるためなのか深呼吸をしているイルファは私の疑問に気付ける余裕はきっとない。

そんな風に見えないもの。


リビングを出て歩いていく先は、玄関なんだろうな。

余裕のなさそうなイルファからの回答を諦めてボクは流れていく室内風景とたどり着いた玄関を見て気が付いた。

生活様式が日本?室内履きらしき靴から外履きらしい靴へと履き替えているイルファを見てちょっと意外な気がしていた。天使も悪魔も西洋の宗教概念だからか生活様式もそちらよりかとてっきり思ってました。

へぇ~、なんて注目していると足元に違和感。


「リトはまだ上手く歩けないだろうけれどちゃんと履いておこうな」


何処から調達したのかおちびな足にジャストフィットな可愛らしい大きさの靴が装備されました。

履かせてもらうなんてとてもお嬢様待遇。


「よし、行くか」


玄関扉を開いて外へと出るイルファの腕に抱かれて開けた世界に息を呑んだ。


青。

上も、下も、右も、左も。見渡す全てがただ只管に青い広大な空の世界。

初めて見た、生まれ落ちた世界の姿。


「リトは外を見るの初めてだから少しだけゆっくり飛んで行こうか」


目を見開いて惚けていた私にイルファが口元に笑みを浮かべて言ったのだが、飛ぶ?

疑問が鎌首をもたげる前にそれは解消された。

人間と変わらぬ姿形なれど、その背に顕現する一対の翼こそ彼らが人間とは異なる種であると言わしめるもの。

ばさりと広げられた純白の翼こそ、イルファが天使であると示す証。


「…………なんでそんなにキラキラした目で見てるんだ?」


おかしなものを見るとまではいかずともそれに近い様子のイルファなどいまの私には見えていない。

視界に入れているのは見事な翼、白い羽。鳩やら鶏などの鳥類全般、視界に入れば羽を眺めていた私の目の前に天使の羽があるんです。これに興奮せずに何に興奮してときめけと!!

さ、触ってもいいですか?触りたい、触らせて、触らせろよぅ。

イルファの羽を完全ロックオン状態でうずうずしている私は恐らく傍から見れば得物を前にお預けをくらっている犬もしくはいますぐにでも得物に跳びかかろうとお尻を振り振り準備万端状態の猫。


「よくわからないが、行くぞ。落とすなんてへまはしないつもりだけどちゃんとくっついてるようにな」


お求めのGOサインは貰えなかったけれど代わりにしっかりと抱き寄せられ、羽ばたく翼という大興奮な映像を至近距離で提供頂けてこれはこれで堪らない。大きく羽ばたく翼に目は釘づけだ。

凄い凄い!人一人分の物量を浮かせ飛ぶ力はどうやって捻出されているのだ?いや神経とかどうなってるの?普段は背中に顕現してないけれどその時翼はどうなっているの?背中は?翼の付け根部分はどうなっているのですかっ!?ちょっくら脱いで見せてくださいよ!むしろさっきどうして気が付いて見なかったんだ私!とか言い出しそうな痴女街道まっしぐらな己の思考には気が付かないふりをしておこうと思う。

純粋な興味、知的好奇心だよ、うん。


「……、……」


キラキラではなくギラギラした目でごく狭い範囲を見ていたが、風が頬を撫でて顔を上げた。

果てがないのではないかと思わせる広大な青空世界。

点在する浮島のような大地に大小様々な家屋が見えているのはここが住居地区みたいな場所になっているからなのかもしれない。


確かこの世界は三層構造で区分されている。

上層は天使が主に活動する天界、下層は悪魔が主に活動する魔界、中央は所謂仕事場的地帯である天魔界。

居住区も天使は天界、悪魔は魔界となっていたはずだ。設定では明確な地図表記を作っていなかったので場所の配置がさっぱりだ。地図、あるといいな。方向音痴なので覚えきれる自信はこれっぽっちもない。

しかし各地の位置関係云々よりも先に移動手段が問題になりそうだよな。

天界・天魔界・魔界の三世界、全て空中浮島世界だもの。

翼ありきの有翼種に対応した世界故に翼を持たぬ人間はお呼びでない。そういう世界。


どうやらこの世界にも恩恵を与えているらしい陽の光に照らされて艶めくイルファの真白な翼。

羽ばたきに生み出され、飛翔することで生じる風に流されて道を作るかのようになびく私の異様に長い黒髪。

相対する白と黒を視界で追いながら広がる世界の在りように嘆息する。


私はこの世界で生きていけるのだろうか?


不安が胸に広がるのに、どうしてだろうか。初めて見たはずのこの青い世界を、天地すら判別できずに何処かへ落ちて行きそうな世界を、どこか……懐かしいと安堵している自分がいる。

得体の知れない感覚にきゅっと握った小さな拳。その手の内に引かれた衣服の感触に気付いてかイルファが顔を覗きこませて微笑んだ。


「大丈夫、落とさない」


それは私自身にもよくは理解できていない無条件の安堵。

向けられた微笑みに私の口角が上がるのがわかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ