第九話 妖
夏虫さんの話しに出て来た世界を呪った奴ってのが気になってたからさ。
その仕事に行った青藍さんに話を聞いてみた。
「……あまり深入りしない方が良いのではないのか?」
「えっと……何か、気になって」
すげえ鋭い目で俺を射抜くように見ながらそう言われてさ、必要以上にビビってるけど青藍さんは、この話しを聞く事で俺が何か気にするんじゃねえかって心配してくれてんだよな。いっつもこうして気を使ってくれる優しい人なんだけど、やっぱり青藍さんは怖い。
「集まっていた妖はすぐに散らした。それを召んでしまった者は……神気を整えておいた」
「散らすってのは殺すってのとは違うんですよね?」
「ああ。夏虫の発見が早かったから散らすだけで良かった」
「あの、じゃあ、召んじゃった人は?」
「……大丈夫、人の世で生きていける」
青藍さんはそう言うと、これ以上は聞くなとばかりにさっと背を向けて歩いて行ってしまった。何となく、聞いちゃいけなかったのかなあって思っちまう。
俺も、ツラくてツラくて。それでもどうしたらいいのかわかんなくてさ。
確か、そんな時に誰かがここの事を教えてくれたんだよなあ。
「やあ萌葱。難しい顔をしてどうしたんだい?」
廊下に立ち竦んだままで考え事してたら、千歳がやって来て声を掛けて来る。
ホント、大妖怪のくせに俺みたいなガキに気を使ってるとか変だろ。
「なあ千歳」
「なんだい?」
「お前、大妖怪って本当は嘘だろ?」
「失礼だねえ。いきなりその言い掛かりはなんだい?」
「いや、大妖怪のくせにそういや最初っから俺に抱き付くわ匂い嗅いで来るわで変態だったからよ」
「仕方が無いじゃないか。萌葱の神気の香りは妖の本能を擽るんだよ」
「嗅ぎ分けるお前が凄いって事か?じゃあやっぱり筋金入りの変態だな、お前」
千歳が言うには、神気にはそれぞれ『香り』があるのだと言う。
人間にはさっぱり解んねえけど、小さい妖怪はともかく、錫もそう言ってたから妖気が強い程その『香り』を嗅ぎ分ける事が出来るらしい。
千歳が言うには、俺の香りってのは極上の美酒のような香りなんだと。
「まったく、萌葱でなけりゃ食ってやるのに」
「……お前さ、ご馳走は後に取っておく方だろ」
「おや、良く分かったね?」
くそ。
千歳は赤い舌をチロリと出して見せながら、妖艶に笑う。テメエのその顔は俺には効かねえんだよ。
「絶対俺はお前を超えてやる」
「……楽しみだねえ」
千歳はそう言うとにっこりと笑って何処かへと歩いて行った。
ちくしょう、今に見てろよ俺だって!
神気の器ってのが完成したら、どんな修行にでも耐えて見せるぜ!
そう思いながら気合いを入れ直し、ふんっと鼻息を荒立てながら部屋へと戻れば、チビ共が口を開いて間抜けな顔で昼寝をしていた。
何かそんな顔見てると、鼻摘まみたくなる。
笑いを堪えながら文机の前に座り、百入さんから貰った教本を開いて勉強をする。
神気の器ってのは俺的に解釈した事によれば、身体ん中にコップみたいなもんがあるんだと思う。そんで、そのコップの中に神気が入って行くらしい。そのコップが大きければ神気が強いし、小さければ弱い、と。だけど、大きな器を持って生まれたけど成長して行くにしたがって小さくなることもあるって言うんだよな。その辺はもう、神様次第なんじゃねえかって鈍色さんが言ってた。
最初に聞いた時には、俺のコップが小さくなること願ってたけど、どうやら叶えられないらしいし、それなら千歳を負かせるくらいの強さが欲しいと思う。
まあ、アイツは俺に取っちゃ単なる変態だから、大妖怪だって事を忘れちまうんだがな。
この屋敷は百入さんの神気で満ちている。
妖怪の世界に在って俺達人間がこうして生活出来てるのは、その神気のお蔭だ。で、この妖怪の世界に満ちている妖気に負けないように、自分の神気を高めているとか。
だから、ここで生活してりゃ自然と修行になるんだそうだ。
俺はまだ成長途中で器が完成してねえから、神気が安定していなくって、まだ屋敷から遠くに出る事は出来ない。なもんで、退治屋の仕事が出来ないし、ほんの少し買い物に行くだけなのに誰かが必ず着いて来る。まあ、千歳の場合は途中でいなくなる事の方が多いんだけどな。
やっぱ身長伸びねえと、こう、見下ろされてるのは癪に障るんだよな。
せめて千歳と対等ぐらいにはなりてえんだけど……。だ、大丈夫大丈夫、これからこれから。だって俺、まだ十五だからな。
……小梅さんに頼んで、牛乳飲ませて貰おう。可能性を捨てちゃいけねえよ、やっぱり。
そうして昼寝から起き出したチビ共と、夕飯の支度を手伝っていたら黒紅さんが戻って来て。ああ、今日は賑やかな夕飯になりそうだなって思った。
久し振りに青藍さんと黒紅さんが揃った夕飯だ。
「萌葱ー、久し振りに酒が飲みたいねえ」
「女装はしませんっ!」
「いいじゃないか、ここはむさ苦しい顔ばかりなんだからさあ」
「なら千歳にやらせちゃどうです?綺麗ですし」
「ははは、無理に決まってるじゃないか」
「俺だってお断りです。大体なんで俺に女装させるんですか」
「やだなあ、可愛い顔をしているからに決まってるじゃないか」
「……黒紅さん、呪いますよ?」
「じゃあ呪い返しをしなきゃね」
ジリジリと距離を取りながら睨み合いを続け、その場からダッシュで逃げ出した。
まあ、結局黒紅さんの術で絡め取られるんだけどな。
「……黒紅さん、俺もお年頃なんで勘弁して下さい」
「黒紅。止めておけ」
「青藍。いたのかい?」
「ああ。萌葱を放してやれ」
青藍さんがのっそりと現れたと思ったら、黒紅さんの術を解いてくれて俺を解放してくれた。つい、青藍さんの背中に隠れたのは俺が弱いからじゃねえ。まだ術を教えて貰ってねえからだ。大体、黒紅さんは術使えるからってずるいよなあ。
「仕方が無いね。諦めよう」
そう言った黒紅さんの肩を叩き、そうして青藍さんは黒紅さんを連れて行ってくれた。
ほっとしたぜ。
「残念。萌葱の女装を見られるかと思ったのに」
「……千歳。お前傍観してただろ」
「楽しかったよ」
これだよ。
まったくこれだから妖怪ってのはどうしようもねえんだ。
「まあ、萌葱はからかいやすいからね」
「嬉しくねえよ、ちくしょう」
ぽんぽんと頭を叩かれながら言われ、その手を振り払いながら文句を言う。
俺だってもっと背が高くなって神気が強くなったら、絶対負けねえんだよ。
そうして、大広間で皆で一緒に夕飯を食べながら思う。
退治屋って名乗ってんのに、こうして妖怪と一緒に暮らしててもいいんだろうかって。
その辺ちょっと気になったんで黒紅さんに聞いてみたらさ。
「いいんじゃないかなあ?楽しいし」
「んでも、やっぱまずいんじゃないですかね?」
「そりゃバレたらね。でもここにいる妖怪は、人型を取れる者しか表に出ないし」
「あ、そういやそれ、聞きたかったんですよ。人型を取れる妖怪ってのは妖気が強いって事なんですか?」
「そうだよ?逆に言えば自分の妖気を自在に操れるって事だから面倒な奴って感じだね?」
「……なるほど。じゃあ妖気が強い奴じゃないと駄目なんですね?」
「そうそう。チビちゃん達は人型を取れないだろう?」
「ですね」
人型って言うか、二足歩行の動物だ。
一応手足の指は五本ずつなんだが、弥彦は偶に七本にしてたり十本にしてたりして遊んでやがるから、その辺は自在に出したり引っ込めたりできるんだろうな。
ちょっと羨ましいと思う時があったりする。
「錫や千歳は大妖怪だからねえ。きっと子供の姿にもなれると思うよ?」
「え……」
「妖怪と言うのはそういう物らしい」
黒紅さんの言葉に驚いたら、青藍さんがそう言って来た。
って事はだ、錫が子供の姿になる事も可能って事かとちょっと見てみたくなった。
あのデカい大男が子供……想像出来ねえな?
「今度錫に頼んでみます」
「……萌葱はてっきり千歳かと思ったよ」
「なんでアイツですか。大体千歳の子供姿見たって面白くもなんともないでしょう?」
渋面を作りながらそう言うと、黒紅さんが笑った。
「ま、俺じゃ聞いてくれないけど萌葱が言えば聞いてくれるだろうね」
「……それは俺がまだまだだからですかね?」
「まあ、それもあるかな。俺達相手じゃ警戒しちゃって無理だろうし」
ちっ。
どうせ俺はこれからの男だよ、ちくしょうめ。
「萌葱、お前は成長中なのだから気に病む必要はない。黒紅、言葉が足りない」
「うわ……青藍に言葉が足りないと言われるとは思わなかったよ」
不貞腐れた俺に、青藍さんが慰めの言葉を掛けてくれたけど。
そうして気を使われるくらい、まだまだって事なんだなあと思ったら悔しいぜ。
「いいですよ、俺はまだ修行中ってのは良く分かってますから」
「修行中もそうだが、お前はまだ十五だろう。中学生だぞ」
「いや……それはそうなんですけど」
「きちんと勉強をするのも大切な修行だ。学ぶ事を疎かにしてはいけない」
「……わかりました」
青藍さんにそう言われ、こくりと頷き。
そうして皆で後片付けをして風呂に入る。
まあ、お約束は全部熟して部屋に入って布団に潜り込み。
あっと言う間に寝息をたてはじめたチビ共に苦笑しながら瞼を閉じる。
……中学生、か。
そういや、学校行ってないからそんな事も忘れてたなあ。
俺がここに来たのは小学四年の時だったから、何か学校って言うと小学校を思い浮かべてたけどよ。そういや中学生だよなあ。
あのまま学校に通ってたら、俺はどんな人間になっただろう。
あの頃はもう、家族が限界だったんだよな。
婆さんが俺の事をここに連れて来た時は、母親が入院しちゃっててさ。父親も弟も俺のせいだって言うのを隠しもしなかったからなあ。勿論、その自覚はあったし俺のせいじゃねえ何て言うつもりも無いけどさ。
でも、少しでもいいから俺の言う事信じて欲しかったよ。
両親や弟でさえ他人にしか思えないのに、婆さんなんて更に他人だ。
偶に家に来ては俺を叱って殴って、母親にグチグチネチネチと文句を言うババアだ。
そんな奴に家族の情なんて沸くはずもねえし、血が繋がってるって事自体拒否してえよ。
ま、そんな人だからこそ俺を預けるって事に躊躇もしねえし、俺の事置き去りにするくらい何て事無いんだろうな。
でも。
ここに来てから一度でも両親が会いに来た事もねえしさ。
俺はきっと、そう言う存在だったんだろうなって思うよ。
「……萌葱」
いきなり名を呼ばれて驚いて目を開ければ、暗闇の中で沢山の眼が俺を見てた。
「って、何だよ皆して。ビックリするから止めろよ」
「お前、変な事考えんな。俺達を呼び覚ます気か」
「あ?何、言ってんだよ、弥彦」
部屋ん中で寝てたチビ共が、一斤を残して全員俺を見てる。
何だよ、何なんだよ。
「……俺達はここが好きだしお前の事も好きだ。だからまだここにいたいんだよ」
「いりゃいいじゃねえか。何なんだよ」
「お前は俺達の本能を刺激する」
弥彦の、見た事も無かった妖の本性を垣間見た気がする。
目が金色に光って牙が伸びてる気がする。
「……悪かった。気を付ける」
ごくりと唾を飲みこんだ後そう言うと、小さな妖共は俺から離れた所に転がり、弥彦は俺を睨み付けつつもゴロリと転がった。
……あれが、弥彦。
いつも俺と言い合いをしている弥彦とは別物のようなそれを見た俺は、中々寝付けなかった。




