第八話 ぐちゃぐちゃの心
「萌葱、勘違いしてはいけない。いつの世も妖を召ぶのは人なんだよ」
「その通りじゃ。そうして世界を乱す」
「だからこうして退治屋があるんだよ、萌葱」
そう言って三人が真剣な顔で俺を見てた。
人の世で妖怪は長生きできない。糧を得られず衰弱して無くなるのだと言う。
逆に、妖の世で人は長生きできないと言う。
そう言う事聞く度に、俺はどっちなんだろうって思うんだよな。
「じゃあ……勝手に召んでおいて、それが迷惑だからって退治される?」
「そうだ。理を超えてはならない」
「でも、それって」
「萌葱。お前は自分が人間なのだと言う事を忘れてはいけない」
鈍色さんに強く言われ、俺は黙り込むしか出来なかった。
納得なんて出来ねえし、理解も出来ねえ。そんなの、おかしいだろうとしか思えなかった。
「人の過ちを正す事が出来るのも、人なんだよ」
鈍色さんに言われた事は、やっぱり理解出来ないけどさ。
そんでも、理不尽なことしてるって事だけは理解出来たよ。
「萌葱、お前は人の側に立たなくてはいけないよ?」
千歳にそう言われたけど、そうなった時に俺はどっち側に立つのか解らなかった。
でも、このままちゃんと成長して、色んな事をもっと学べば違うのかもしれねえと思ってさ。取り敢えずは、自分がやれる事をやるべきだと、そう思い込んで仕事を始めた。
百入さんがまだ戻ってなかったから、鈍色さんに膳を運んだ後皆で夕飯を食べてさ。
そうしていつも通りに騒がしい風呂に入って布団に潜って。
久し振りに両親と弟の顔を思い浮かべたのは寂しいからじゃねえ。たぶん、何で俺がこんな風に神気を持って生まれたのかが気になったからだ。
百入さんの話しじゃ稀にあるのだと言っていたけれど、俺の他には預けられる子供なんて来ねえし。やっぱ良く分かんねえと思いながら瞼を閉じた。
そうしてどかっと腹を蹴られて目が覚めて、一斤の両足が俺の腹の上に乗っているのを見てまたかと溜息を吐く。ったくコイツ、ホントに寝相直さなきゃヤバいだろ。
これ以上転がらないように抱き込んで眠り、今度は熱くて目が覚める。
ああ、くそ。
眠れなくなった俺は、身体を冷やす為に窓を開け、そこから庭に降りた。
庭のあちこちに置かれている縁台の一つに腰を下ろして月を見上げながら、そういや人の世に似せて創られたと言っていたなあと思い出した。この月も創られた物なんだろうかとふと思う。太陽も昇るし月も出る。ちゃんと満ち欠けもあるし四季だってある。
だけどそれは全部作り物の世界だと、千歳が言っていた。
ガサガサと足音を立てて近付いて来たのはきっと、俺が脅かすんじゃねえといつも言っているからだと思うと、何となく笑える。大妖怪が俺みたいなガキに気を使うなんてな。
「なんだ、千歳も眠れねえのかよ」
「やだなあ、妖の本分は夜なんだよ?」
声を掛ければ答えが返って来て、縁台がぎしっと音を立てた。
「そういや、妖怪って夜行性だよな?」
「夜行性……まあ、そうだね」
「人の世が明るくなって、住めなくなったと聞いた」
そう言うと、背中で笑う気配がした。
「昔は、人と妖が共存していたんだよ。その頃は持ちつ持たれつと言うか、まあ、力を貸す代わりに糧を貰っていてね」
「ええと、糧ってのは神気でいいんだよな?」
「そうだよ。昔はもっと神気が強い人がたくさんいたんだ」
「へえ……」
互いに顔を見合わせずに語り合うのも、面白いかもしれねえと月を見ながら思う。
「いつの頃からだろうね。妖を悪として裁く人が出て来てしまってねえ」
「利用してたのにか」
「……そこはお互い様だねえ。互いに利用しあっていたんだけれど、きっと拗れてしまったんだろうねえ」
千歳の声が、何となく寂しそうに聞こえたのは気のせいじゃねえと思う。
「なあ千歳」
「なんだい?」
「お前は、人が憎いのか?」
何となく、それが気になって聞いてみた。
だけど千歳はそれに答えず、長い事お互いに黙ってて。俺はただ月を見てた。
「萌葱、そろそろ戻るといいよ。身体が冷えてしまうからね」
ぎしっと音を立てた縁台と、今度は何の音も聞こえずに千歳の気配が遠去かる。
何か、大妖怪ってのも大変なんだなあと思ってしまった。
ああ。
何だか気落ちしちまったなあと思いながら縁台に横になり、そうして空を見上げた後目を閉じる。ずっと心の中がモヤモヤしてるのは、両親と弟の事を思い出したからだ。自分の家族の事だってのにこうしてモヤモヤしちまう理由も、良く分かってる。
だって、しょうがねえじゃねえか。
俺には見えてたんだから。声だって聞こえてたんだよ。
小さな頃はまだそれ程でもなかった気もするが、小学校に上がってからは段々とはっきり見えるようになったし、聞こえるようにもなってさ。
アイツら、授業中だってお構いなしだった。脅かすのが当たり前って感じだから、授業中に叫んで走り出した。逃げる事の何が悪い。
膝抱えてガタガタ震えながら隠れて何が悪い。
だって、どうしようもなかったんだ。
皆に哂われたし、指差されたり白い目で見られたり。上履きを隠されるなんて日常化してたし、池に浮いてたり焼却炉ん中に入ってたり、わざわざ泥だらけにされた事だってある。
ノートや教科書はボロボロだったし、大きく死ねと書かれていた。
大人達からは、可哀想な子だと言われていた事も知っている。
その度に母親が泣いてた事も知ってるし、父親から酷く叱られた。弟にはこんな兄はいらないと言われたし、俺のせいで虐められている事も聞いた。
でも、俺にはどうしようもなかったんだよ。
だから、俺は世界を呪った。
皆死ねばいい。こんな世界滅べばいい。
必死に瞼閉じて耳を塞いで。
ただひたすらにそう願った。
それでも、俺は人の側に立たなきゃいけないのだろうか。
人の身勝手な行動の末、妖を退治しなければいけないのだろうか。
なあ、誰か教えてくれよ。
「なあに暗い事考えてやがる」
いきなり声を掛けられてビックリして跳ね起きれば、そこには鈍色さんが立っていた。
うわ……最悪だ。慌てて涙拭ったけど、絶対見られたよなあ。くそ。
「見ろ。お前に反応して寄って来た奴らだ」
「……知りませんよ」
勝手に集まってくる妖なんて俺の知った事じゃねえよ。
大体、何でこうして集まって来るのかもわかんなかったっつうの。
「……お前は、人が嫌いか?」
隣に腰を下ろしながら鈍色さんが問い掛けて来る。
好きだ嫌いだの話しなら、嫌いだ。
「なあ、萌葱」
「……はい」
「俺はお前に無理に人を好きになれとは言わない。だが、俺はお前を好いている」
妖は優しい。ここに来てからはツラい思いをした事もねえし、悲しくて泣いた事もねえし。
理不尽な怒りをぶつけられた事もねえ。勿論、死ねと言われた事も無い。
だけど、鈍色さんが言いたい事は、何となくだけどちゃんとわかってんだよ。
「お前の周りの奴らも、お前が好きだから一緒にいるんだろうよ。だがな、そこに逃げてはいけないんだよ、萌葱」
例えば、俺の家が代々神主だとか坊主だとかならまだ納得もするさ。それに、両親だってあそこまで酷くもならなかっただろう。普通のサラリーマン家庭に生まれた俺が、何故神気が強いのかなんて、俺が一番知りてえよ。
「お前は役目を持って産まれたんだよ。選ばれたんだ」
「嬉しくないです」
「だが、選ばれてなかったらこの出会いは無かった」
そう言った鈍色さんをじっと見詰めたら、鈍色さんも俺を見てた。
「なんで、俺なんですか」
「それは神さんに聞け。きっといつか会える」
「……鈍色さんも、苦労したんですか」
「まあな。青藍も黒紅も、色んな事があってそれを乗り越えて来た。勿論、百入だってそうだ」
皆も、母親を泣かしたんだろうか。父親から殴られたんだろうか。
……家族から、存在する事を拒絶されたんだろうか。
「萌葱。ここに来て名を捨てるよう言われただろう?」
「……はい」
「だが、自分から捨ててはいけない」
「何故ですか」
「両親から最初に贈られた愛だからだ」
鈍色さんは俺をじっと見ながらそう言った後、気まずげに顔を逸らして「何か恥ずかしいな」と言っていた。耳が赤くなっているのは、どうやら照れているかららしい。
この人でも照れる事なんてあんのかと思ったら、何か可笑しくて。
「耳、赤くなってますよ」
「うるせえ、そう言う事は黙っておけ」
笑いながらそんな事を言い合ってさ。
何か、悩んでも答えなんか出ねえって分かったって言うか。
「鈍色さんも愛なんて言うんですね」
「だから黙れって」
そう言って軽く小突かれながら、鈍色さんと色んな話しをした。と言うか、鈍色さんが仕事で出てる所の話しを聞かせてくれたって言うか。
鈍色さんは百入さんの次に力の強い人だから、いっつも仕事に出るとなかなか戻って来ない。相手が大物になる程捕えにくいし退治も中々できないから仕方がねえんだけど。
「そういや、萌葱は千歳に特別扱いされてんだな?」
「みたいですね。夏虫さんもビックリしてましたよ」
「あの千歳がねえ……」
「でもアイツ、大妖怪って割りに色々と俺に気を使ってくれますよ?」
まあ、抱き着かれたり匂い嗅がれたりしてんだけどよ。
あの野郎、絶対楽しんでやがる。
「そこだよ。千歳は今までそう言う事した事無かったからビックリしてるんだ」
「へえ……俺の知る限りじゃ、千歳ってあんな感じですけどね」
鈍色さんがそれを聞いてニヤリと笑う。
「まあ、いいんじゃねえか?嫌われるよりは好かれる方が良いだろ」
「……でも、抱き着かれたり匂い嗅がれるのは嫌です」
そう言うと鈍色さんは驚嘆し、何度もぱちくりと瞬きを繰り返した。
「抱き着く?」
「はい」
「匂いを嗅ぐ?」
「はい。何か美味そうだって」
ぽかりと開いていた口が、今度はゲラゲラと大笑いに変わり。
「熱烈に愛されてるね」
「嬉しくないですよ。俺は女の人が好きです」
「んー、まあ確かにそうだな。でも千歳って綺麗な顔してるから」
「それは別の問題ですよ。俺は男に抱き付かれて喜ぶ趣味は無いです」
「なるほど。何だか千歳が萌葱を気に入っている理由が分かった気がするよ」
そう言いながら鈍色さんは俺の頭を軽く叩きながら微笑んだ。
「ああ……徹夜してしまった」
「あ、ごめんなさい、付き合わせて。でも、話し出来て嬉しかったです」
「……ああ。俺も話せて良かったよ」
空が朝焼けに染まって来るのを見ながら鈍色さんに礼を言い、そうして窓から自室へと戻り。チビ共が口を開いて寝入っているのを見ながら苦笑する。
目覚まし時計の鳴る音と同時に、チビ共を叩き起こしてまた一日が始まった。