第七話 一滴の濁り
百入さんが出掛けた後、再び三人でお茶を飲みながら馬鹿話をしていると客がやって来た。
表玄関から「ごめんください」と声が聞こえるので、千歳と二人出てみれば蛙みたいな顔をした男が立っている。
蛙の妖怪かと思ったら、どうも千歳と顔見知りらしく。
「これは千歳様。お久し振りでございます」
「ああ、本当に久し振りだねえ」
なんて会話をしてて、やっぱ妖怪だったかと思っていたら人間なのだと言われて焦った。
妖怪だと思っていたなんて、口が裂けても言えねえ。
玄関に置かれている椅子に座りながら千歳と喋り始めたもんで、俺はお勝手でお茶を煎れる為に一度引っ込んだ。
「誰じゃ?」
「千歳と顔見知りみたいです」
「そうか。なら大丈夫じゃの」
煎餅に噛り付いていた雪姫はそう言うと、新たに煎れたお茶を受け取りながらふうと息を吐きかけて冷やしていた。
さすがに凍り付かせはしねえけど、やっぱり猫舌なのかと思うとちょっと面白い。
「失礼します」
「おお、スミマセンね。ありがとう」
蛙の前にお茶を置けば、そう言って何故か俺を見て来た。
「君が萌葱君だね?私は夏虫と言うんだ」
「……え、夏虫?」
「そう。一応、色の名なんだよ?」
蛙、いや、夏虫さんはそう言って笑った。
「そう、ですか。スミマセン、俺まだ学んでいる最中でして」
そう言うと夏虫さんはいいんだと言って笑ってくれる。
「萌葱はこれからの男だからね」
「うるせえよ」
千歳の言葉に即反応してしまうのは、日頃から鍛えられているからだな。お客さんの前でやる事じゃなかった。反省しながら夏虫さんを見れば、夏虫さんの顔は驚きと戸惑いで覆われてて、口をぽかりと開けて俺達を見ていた。
「……あの、どうしました?大丈夫ですか?」
声を掛ければはっと我に返り、「いや、これはすまない」と言って汗を拭いてた。
「まさか、千歳様がお許しになられているとは」
「萌葱は特別なんだよ」
夏虫さんの言葉に千歳が答えれば、夏虫さんはもう一度驚きと戸惑いの顔で俺を見て来る。
ああ、そういや千歳って大妖怪なんだっけ。つい忘れちまう。
「夏虫、用向きは何だい?」
「あ、ああ、し、失礼しました」
「いいよ」
夏虫さんと千歳のやり取りを聞きながら、何となくやっぱり、千歳ってすげえ妖怪なのかもしれねえと思ったんだが。
残念ながら俺にとってはやっぱり、千歳は千歳だ。
「神気が大きいのかい?」
「それ程でもありません。ですが放置すればそこに妖が寄り付きましょう」
「……いつの世も、人と言うのは厄介だねえ」
そう言った後二人が黙り込んでお茶を飲んでた。
夏虫さんの話しでは、ある人の子がこの世の全てを呪っているのだと言う。そこに付け込んだ妖共が跋扈しているらしいと。あまり集まり過ぎればそこは『禍』となり、厄災となる。
「わかった、百入に伝えておくよ」
「よろしくお願い致します」
そう言って夏虫さんは帰って行った。
夏虫さんの背中を見ながら、何だかモヤモヤしている気持ちを抑え込みながら千歳に聞いてみる。
「なあ、夏虫さんって一応ここの人なのか?」
「そうだねえ。ただ、器が小さいからここには住めないねえ」
「ふうん。そう言う人もいるのか」
「だから言っただろう?萌葱は特別なんだよ」
「……千歳に言われると何か背筋がぞわっとするから止めろ」
千歳がふふふと怪しく笑うのを横目で見ながら片付けをし、お勝手に戻れば雪姫がアイスを食べていた。
「雪姫、太りますよ?」
そう声を掛けるとピタリと動きを止めて俺をジロリと睨みつけて来た。
うわ、怖いって、雪姫。
「萌葱。女性に向かって痩せた太ったは禁句じゃ」
「……気にするなら食わなきゃいいんじゃないですか?」
「生意気なっ!凍り付かせるぞ!」
「姫、萌葱の言う通りだよ。あまり食べ過ぎるのも良くない」
千歳がそう言うと雪姫はもう一度俺をジロリと睨み付けた後、ふんっと鼻息を荒くし、椅子にどかりと座り直してアイスを食べ始めた。結局食うのかよ。
「雪姫、お菓子で腹を膨らましちゃ駄目ですよ?」
「うるさい」
「今日の飯、残したら火鉢置きますからね?」
「私を殺す気かっ!」
「嫌なら、ちゃんと食べて下さいよね。雪姫は好き嫌い多いんですから」
「もう成長する事も無いから好きな物だけ食べて何が悪いっ!」
「何言ってんですか。成長が止まったって事は後は肉になるだけじゃないですか。痩せた太ったが気になるなら食事をちゃんと摂らなきゃ駄目なんですよ」
ゴウッと音を立てて吹雪が舞った。
それを千歳が右手の一振りで散らしてしまう。
「邪魔をするでない」
「萌葱に手を出すな」
そう言って睨み合う妖怪共の間に入り「止めろ、俺が言い過ぎた。ごめんなさい」と謝れば、雪姫は睨みながらも再び椅子に座って落ち着いてくれた。
「雪姫、ごめんなさい。でも食事はちゃんと摂って下さいね?」
もう一度謝った後そう言うと、雪姫はふんっとまた鼻息を荒くしながらも頷いてくれる。
「千歳、ありがとう」
「……萌葱、あまり荒立てるな」
「ごめんて。気にしてる事ズケズケ言い過ぎた」
「別に気にしている訳ではないっ!」
「おっと」
そう言いながらひょいっと肩を竦めて見せれば、雪姫と千歳が笑ってくれた。
「まったく、怖いもの知らずにも程がある」
千歳はそう言いながら俺の頭を撫でた後、お勝手の椅子に座り込んで雪姫と話しを始めた。さっきの夏虫さんから聞いた事を教えてるみたいだから、俺は後片付けを始める。
「人はいつでも騒がせてくれるのう」
「そうだねえ、いつの世も騒がしいねえ」
そう言った二人が、今度はニマニマと笑いながら俺を見て来る。
「なんだよ」
「いやあ、萌葱のような者がいると思えば面白いなあと思っただけだよ」
「訳わかんねえ」
「そうじゃの、萌葱がおるのは人の世があってこそだからの」
「……俺、何か変ですかね?」
何か二人の言葉が気になってそう聞けば、二人はカラカラと笑い。
「お前はそのままでいるがよい」
「そうだねえ、そうあって欲しいねえ」
何て、更に訳の分からねえ事言われたが。
片付けを終え、どっこらしょと椅子に座れば千歳と雪姫が笑いながら俺を見て、これでも食えと煎餅を出される。
「……萌葱は、人の世に戻りたいと思う事は無いのか?」
「え?んー、そうですねえ……俺、人の世からはみ出したもんでそこまで戻りたいと思った事無いんですよねえ」
普通なら、親が恋しく思うのだろうが。小さな頃から変な言動繰り返して来た俺にとって、親ってのは理不尽な生き物だった。まあでも、仕方ねえよなあ、自分の子供がいきなり泣き喚いて叫んで走り出すんだもんな。見えない人からしたらそんなの、おかしいってしか思わないさ。
泣いて叫んで暴れる俺を、両親がただ悲しそうな顔で見てたのは良く覚えてる。
「苦労したの」
「ははは、苦労したのは俺じゃなくて両親ですよ」
ここに来たばっかりの頃は、怖くて怖くて仕方が無かったけどさ。そんでも、三郎と小梅さんがいっつも俺の傍にいてくれたし、泣いてる俺に寄り添ってくれたんだよなあ。
三郎、俺よりずっと小さいのに、あれでずっと年上だからな。
「そういや、最近お夕さんが来ないですね?」
お夕さんってのはろくろ首の姉さんで、気風が良くて楚々とした美人だ。
あ、考えてみりゃ妖怪って、顔が良い奴が多いな?
「お夕は先頃、居を違えたであろう?」
「ああ、そういやそんな事言ってましたね?」
「新地で馴染めるまでは、こちらにはこないよ」
「そうなのか?何かそう言う決まりでもあるとか?」
「いいや?これでも、人の世に馴染む為には努力がいるって事さ」
「ふうん……まあ、妖怪が人の世で生きるってのも大変だって事だな?」
確認の意味を篭めてそう聞けば、千歳がこくりと頷いて寄越した。
お夕さんは人の世が好きなのだと言う。色んな奴がいて、色んな出会いがあるのが良いのだと言う。俺も妖怪の世界が面白くて好きだと言ったら、優しく笑いながら頭撫でてくれた。何かこう、昔の女の人って感じで良いんだよなあ。
「ああっ!いねえと思ったらこんな所で内緒で煎餅食ってるっ!」
「おー、弥彦起きたか」
「起きたかじゃねえよっ!お前がいねえから騒いでたぞっ!」
「呼んで来いよ。煎餅やるから」
「約束だぞっ!」
そう言いながら弥彦がドタドタと走って行き、戻って来た時にはお勝手が一気に騒がしくなり。チビ共勢揃いでわいわい騒ぎながら夕飯の支度までの時間を潰した。
雪姫が煎餅を凍り付かせてくれたのが嬉しかったらしく、きゃあきゃあはしゃぎながら冷たい煎餅を齧ってたのが可笑しかった。
「賑やかだな?」
「あ、お帰りなさい、鈍色さん!」
久し振りの鈍色さんが戻って来て、土産だと言って渡されたクッキーにチビ共が群がり。
「こらっ!夕飯前にそんなに食うんじゃないっ!」
「うるせえっ!そう言って自分だけ食うつもりだろうっ!?」
「お前、自分がそうするからって人も同じだと思うな」
そう言いながら弥彦の頭を叩けば、弥彦がむくれる。
「ははは、相変わらずで安心したよ。何か変わった事はあったかな?」
「夏虫さんが訪ねて来ましたよ。千歳が対応してくれました」
「……へえ?」
鈍色さんにお茶を出しながら答えれば、鈍色さんはニヤリと笑いながら千歳を見る。
「百入に伝えるよ。仕事の依頼だからね」
「わかった」
何となくなんだが、千歳と鈍色さんはあんまり仲が良くねえみたいだとこの時初めて気付いた。まあ、妖怪共と遊んでるのって、俺ぐらいなんだけどな。皆仕事でいねえし。
「鈍色さん、今度は何処に行ってたんです?」
「相変わらず山の中を走り回っているよ。僕も偶には都会に出たいものだね」
「力が強い奴って、どうして山に篭るんでしょうね?」
「山の気を吸い取ろうとするんだろうね。確かに大きな力だから」
「……って事は、人に対してそれやられたら、溜まったもんじゃない?」
「そうだ。あっと言う間に死の街が出来上がるだろうね」
鈍色さんの答えに、人がいなくなった街を想像してぶるりと震える。
「人から吸い取るだけでは足りないと分かっているからこそ、山へと入るんだよ」
「……なるほど。でも、そこまで不便な思いして人の世に出て何がしたいんでしょう?」
そう聞くと鈍色さんがふっと、悲しそうな顔をして俺を見て来た。