第六話 修行中の身
「……たぶん?」
何をそんなに心配されてんのかがわからなくてそう答える。だって、それ以外にどう言えって言うんだよ。
「萌葱、良い機会だから言っておこう。君は人間なんだ」
「……ええと、それこの間千歳にも言われたんですけど、ちゃんとわかってますよ?」
「本当に?」
百入さんにそう問われ、困ってしまう。
俺はちゃんと自分が人間だと思ってるんだが、もしかしてどっか違うんだろうか?
実は妖怪化し始めてるとか?
「えっと、俺、どっかおかしいですかね?」
自分じゃわからねえけど、もしかしたら鱗でも生えて来てんのか?とか、肌の色が青くなって来たりしてんのかって思った。
「……自分の立ち位置を間違えてはいけない、と言う事だ」
「立ち位置?」
「そう。ここは確かに境界だがな。もっと奥へと続いているのさ」
「……奥?」
「ああ。ここは曖昧だからまだこうしていられるけれど、奥はそうもいかねえ」
……良く分かんねえけど、奥へ行かなきゃいいのか?
「ええっと、屋敷を出なきゃいいって事ですか?」
「いや。出なくても向こうからやって来る事もある」
「誰かが来るとか?」
「ここは奥からすれば邪魔だからな」
何となく、そう言った百入さんの顔が怖かった。
脅しつけてる訳じゃなくて、ただ事実を言ってるだけだってのは分かったんだが。
「あの、それでも留守にするんですよね?」
「そうだ」
あっさり認めたよ。やっぱそうだよなあ。心配だから時間ずらすなんてしねえ人だよ、ちくしょうめ。
「俺は奥から来るであろう奴を警戒すりゃいいんですか?」
「来ねえかもしれねえがな。万が一を考えて言っておいただけさ」
「……脅かさないで下さいよ」
「脅しじゃねさ。まあ、色んな事に気を付けろってこった」
ニヤリと笑ってそう言った百入さんに、呆れた視線を送り。
「わかりました。誰か頼りに出来そうな奴は残してくれるんですよね?」
「頼りにはならねえが、千歳と雪姫に頼んである」
「……人選ミスだと思います」
「俺もそう思う。ま、お前なら大丈夫さ」
慰めになってませんっ!という叫びは飲み込んだ。
千歳と雪姫は絶対、百入さんがいない隙に悪戯する。絶対やる。
「ま、頑張れ。これも修行の内だ」
「修行って、今思い付いただけでしょ?そうですよね?」
「ばっか、違うぞ?」
「嘘ですよ、何かもう見え見えですよ」
そう言うと百入さんが、はははと笑った後「じゃあ頼むな」と言って追い払われた。
やっぱ絶対修行なんて嘘だ。
百入さんの部屋を出て角を曲がれば、そこに千歳が笑いながら立っててビックリする。
「んだよ、脅かすんじゃねえよ」
「曲がり角と言うのは、色んな危険が潜んでいるものだよ」
「ああ、お前が危険なのは百も承知だ」
そう言ったら何故か嬉しそうな顔で笑ってたけどな。
「萌葱、大福を食べよう」
「大福?あったかな?」
「私が買って来たよ」
「……お前、珍しい事すんなよ。これから雨降るじゃねえか」
「失礼だねえ、萌葱は」
自室に戻って勉強しなきゃいけねえんだけど、何かやる気もねえしまあいいかと思って、千歳と二人でお勝手に行くと、そこには雪姫がいらっしゃった。
「雪姫までいるとは」
「留守を仰せつかったからの。お前を守れと」
「そりゃどうもありがとうございます」
「気にするでない。お前がこれからの男なのは承知じゃ」
ぐ……。
ほほほほほと上機嫌に笑った雪姫に、恨めし気な眼差しを送りながら茶を煎れれば、千歳が大福を出してくれた。
「利久庵堂?」
庵と堂が合わさってるって変じゃねえの?と思いながらそう言うと、千歳がクスクスと笑う。あれ、間違えたか?
「最近、君子さんの家の近くに出来たんだって」
「誰だよ君子さんて」
そう言うと千歳はふふふと笑って大福に噛り付いた。
ったく、相変わらず女の知り合いだけ増える男だ。
「萌葱はあまり屋敷を出ないな?」
「小梅さんの手伝いで買い物に行くくらいですね。屋敷の中だけで生活してますよ」
「これからの男だから仕事も出来無いしねえ」
「うるせえよ。家ん中の事なら任せろ」
そう言いながら大福を齧りつつお茶を飲む。
「お前はまだ修業中の身故、仕方なかろう」
「わかってます。不便を感じた事も無いんですけどね」
雪姫の言葉に答えれば、雪姫もうんと頷いた。
この屋敷は百入さんの神気で満ちているが、場所が妖怪の世界に入り込んでいる為に丁度良い状態を保っているんだそうだ。だから、この屋敷の中で神気と妖気を浴びてるだけで修業になるとか何とか。
神気を養いながら、妖気に対抗できるようになるんだとさ。
まあ、大妖怪である錫とか千歳が出入りしてんだから、妖気も入り放題だよな。神気に関しては百入さんを筆頭に、人間の数は少ないとは言え格段に強い人ばっかりだし。
俺ホント、まだまだなんだよなあ。
「萌葱、まだ成長途中なのだから悩む必要なんてないよ」
「その通りじゃ。器が成長中なのだから、これからどれだけ大きくなるかもわからないからの」
良く分からんが、二人が俺を慰めてるって事は理解出来る。
「ありがとうございます」
「萌葱、雪姫の言う事は素直に聞くねえ?」
「人徳の差だろ」
「おかしいなあ、私はこれでも萌葱にはきちんと接しているつもりなんだけどね?」
「抱き着いたり匂いを嗅ぐ事がか?」
「千歳、そんなことをしていたのか?」
「まあねえ。萌葱の傍にいるとどうしてもやってしまうんだよ」
「まあ、本能故仕方が無いの」
「本能で済ませられるこっちの身にもなって下さい。俺は男に抱き付かれても嬉しくもなんともないって言うか不快です」
そう言うと雪姫が可笑しそうに笑ってた。
すんげえ美人が笑うと、すんげえ可愛いんだよなあ。妖怪だけど。
「あ、そういや雪姫に聞いてもいいでしょうか?」
「なんじゃ?」
「一斤の事なんですけど、アイツ身体は小さいけどあれで八歳なんですよね。女の子っていつまで男風呂に入ってて大丈夫なんでしょうか?」
「ふむ……」
「身体が小さいのだからまだ大丈夫だろう?」
「でも八歳だ。お前みたいな見せたがりがいる所に入れんの、教育上よくねえと気が付いた」
「私はお子様には興味が無いよ」
「あったら怖いわ」
千歳とそんなやり取りしてる間も、雪姫は色々と考え込んでたんだが。
「萌葱、一斤はまだ一緒に入っても良いだろうが、まあ、あまり教育に良くないのは同意じゃ」
「ですよねえ。そろそろ小梅さんに頼んだ方が良いですかねえ?」
「おや、何故私の顔を見て言うのかなあ?」
雪姫が千歳を見ながら言ったのと、俺も千歳を見ながら言った事で千歳は笑いながらそう言って来る。悪の根源めが何を言うかって感じだな。
「……萌葱は、弟妹がおるのか?」
雪姫にそう聞かれ、睨み合っていた俺は千歳から視線を外した。
「弟がいます。俺とは違ってましたけど」
「そうか。面倒見が良いのはそのせいかの?」
「元々の気質でしょう。萌葱は一度懐に入れると手放せない」
「……そのようじゃ」
千歳と雪姫がそんな事を言って俺をじっと見て来た。
「なんです?」
「いや、何でもないよ」
千歳が微笑みながらそう言ったけど、何か誤魔化された気がするぜ。
まあいい。
「萌葱、もっと修行を積み神気を高めよ」
「……え、えっと、他に何かやった方が良いんでしょうか?」
「器が完成したらの」
「器って、神気の器ですよね?」
「そうじゃ。もう少しすれば完成する。そうしたら、百入の言う事をよく聞いて修行に励むが良い」
「……はい、頑張ります」
雪姫の言う器ってのの説明は受けてたんだが、これは身体の成長と共に大きくなったり、小さくなったりもするそうだ。目に見えないもんだから全然わかんねえけど、その器ってのが完成しなきゃ、本格的なもんは学べないとか。
要するに、神気の強弱ってのはこの器の大小で決まるらしい。俺は元々その器が大きかったんだろうなって、話し聞いた時に理解できた。
「萌葱、行って来る」
「あ、行ってらっしゃい。お気を付けて」
「ああ。二人共、頼む」
「わかっておる」
「大丈夫だよ」
お勝手に百入さんが顔を出してそう言って来たので、俺と千歳は立ち上がり、百入さんの見送りに出る事にした。雪姫はお勝手でひらひらと手を振ってたけど。
「小梅もいるし、それ程力む事は無い」
「……じゃあ脅さないで下さいよ」
「ははは、まあ修行だ、修行」
「はいはい」
百入さんは俺の頭をガシガシと撫で、そうして車で出て行った。
表玄関は人の世界に繋がってるから、仕事の時は表玄関を使う。裏口っつうか、まあ、表玄関以外は妖怪世界だから、こうして妖怪共がいるんだけど。
丁度、玄関が境界線って事らしい。
「……人間の世界か。見た目で変わらねえからなあ」
「まあ、妖怪の世界は人間の世界を元に創られているからね」
「……創られている?」
「そうだよ?」
千歳の言葉をゆっくりと咀嚼するように頭の中へ叩き込む。
「なあ千歳」
「なんだい?」
「誰が、創ったんだ?」
そう聞くと、千歳はにっこりと笑って見せた。
「それは秘密」
そう言って今度は声を上げて笑いながら俺に背を向け、お勝手へと歩いて行く。
ちくしょう、いつもこれだ。肝心な事は教えて貰えねえ。
いつか、千歳を悔しがらせてみたいもんだぜ。