第五話 気遣いに涙す
「弥彦っ!逃げんな、こらっ!」
「嫌だあああああっ!俺、ちゃんと一人で洗えるもんっ!」
「駄目だ。今日は身体を洗ってやる」
「嫌だあああああああっ!!!」
二人で真っ裸のまま風呂場で追いかけっこして、やっと弥彦を捕まえてガシガシと洗う。こいつ、サボってる時に必ず庭ん中転げまわってるから、ホント泥だらけなんだよなあ。
「弥彦、ちゃんと洗わねえと病気になるぞ?」
「ならねえよっ!」
頭洗ってるから目をぎゅっと閉じたままで俺の方へ顔を向けながらそう言って来る。
まったく、本当に生意気な奴だ。
「おい弥彦、テメエ泡が茶色になるじゃねえかこの野郎っ!」
「いてっ!叩くなっ!」
「手伝いサボった証拠じゃねえか」
弥彦の頭を叩いてそう言うとぶすくれてしまったが、コイツがちゃんと洗わねえと俺の部屋で一緒に寝ている奴らも被害に遭うんだよなあ。
まあしょうがねえ。
「一斤、お前の頭洗ってやる」
「うん」
弥彦を洗い終えた俺は、弥彦にちゃんとケツを洗えよと言った後、一斤にそう言って頭を洗いながら思ったんだが。
普通、女の子って何時まで父ちゃんと風呂に入るんだろうか?身体が大きくなってから別々になる?それとも、年齢でそろそろ別にってなるんだろうか?
年齢的にはもうそろそろ別々に入るべきなんだろうけど、俺は生憎と女の子の知り合いなんていねえからなあ。
やっぱちゃんと誰かに相談しなきゃ駄目だなと思った。
「おし、綺麗になったぞー。次は央太な?」
「……お願い」
弥彦程風呂嫌いではないが、央太もあんまり風呂が好きじゃねえ。
やっぱ毛深いのと関係があんのかなあ?いや、でも猿とか熊が温泉に浸かってるって事はあるよな?やっぱ本人次第なんだろうか?
「お、央太はちゃんと毎日洗ってんな?ちゃんと泡立つし泡も真っ白だ」
「えへへ」
洗いながら褒めたら央太が嬉しそうに照れて笑った。ホント、可愛いなあコイツ。
じゃばっとお湯を掛けて泡を流し、身体を洗うように言い付け。
「待て弥彦」
「……なんだよ」
「テメエ、肝心のケツ洗ってねえだろうがっ!」
「あ、洗った」
「自分でちゃんと洗えって言っただろう?お前、俺に洗われたくなきゃ今すぐ洗え」
石鹸で遊んでた弥彦が浴槽へ入ろうとしてた所を捕まえてそう言うと、「いーっ!」何て言って歯を剥き出して見せたけど、ちゃんと言われた通りに洗い始めた。まあほら、俺だって好んでケツを洗いたい訳じゃねえからな。
「どれ、萌葱の頭は私が洗ってあげようか」
「ふざけんなテメエ、殴るぞ」
「じゃあ背中を流して上げよう」
「触んなっ!どさくさに紛れてあちこち触る癖にっ!」
「ははは、だって美味しそうだから我慢できないんだよね」
「近付くなっ!そうすりゃ匂いも嗅げねえだろうが」
「匂いを嗅ぐくらいで我慢している私の理性を褒め称えて欲しいね?」
「そのまま理性で全身固めてろ、馬鹿め」
風呂に入って来た千歳がそんな事を言いながら俺の隣に並んで座る。
一斤と央太は既に身体を洗い終えてお湯ん中に入ったし、弥彦も綺麗に洗ったからすぐに入る予定だ。三郎はさっきから既に風呂の中で浮いてた。
「照れなくてもいいのに」
「照れてねえよ」
チビ共を洗い終えてから自分の身体を洗い始めるから、どうしても体が冷えるんだが。
前に千歳が背中を流してくれるって言葉を信じて洗って貰ったら、ビタッと張り付いて来やがったからなあ。張り付くっつうか、後ろから抱き付いて来やがったんだがな。
しかもあん時はまだ俺が小さかったのもあって、耳元で『ああ、美味しそうだ』ってやけに色っぽい声で言われて、全身が総毛だったもんだ。
二度とあんな気持ち悪い思いはしたくねえ。
酒を飲みながら入っている妖怪達の中、チビ共が騒ぎながら風呂に浸ってて。
空には真ん丸のお月さんが出てた。
「あー……やっぱ露天風呂って気持ちいいよなあ」
「そうだねえ、開放感の為せる業だねえ」
千歳と並んで湯の中に身体を浸してそんな事を言って。
いや、俺まだ十五だって。何でこんな年寄り臭い事言ってんだよなあ?
ああ、そういや妖怪って皆長命だったんだよな。こう見えて百入さんの爺ちゃんも知ってるって話しだし。
「なあ、長生きって疲れねえの?」
「……疲れる?」
「ああ。なんかさ、長く生きてると色んな事あり過ぎんだろうなって思ってさ」
ちょっと気になっただけだから気にしなくていいと言えば、千歳はクスクスと笑う。
「羨ましいと言われた事はあるけれど、疲れるだろうと言われたのは初めてだよ」
「へえ。長生きが羨ましいのか」
そんなもんかねと思いながら月を見上げ。
弥彦と一斤がさっきからお湯ん中に潜っては「ぷーっ」と言いながら顔を上げて、ケタケタと笑うのを見てたんだが、はっと気付いた。
「またかこの野郎っ!弥彦っ!お前いい加減にしろっ!」
怒りながら弥彦をとっ捕まえる。
「昨日止めろって言っただろうがっ」
「まあまあ、いつかは見るものだよ」
「そう言う問題じゃねえっ!」
「ちんちん見たら駄目なの?」
不安そうな顔をして俺を見上げた一斤がそう聞いて来る。
「一斤、女の子がちんちんって言わない」
「じゃあ何て言うの?」
「いや、あー、そうじゃねえ、そうじゃねえよ」
上手い言葉が見付からずに詰まってしまったら、千歳がクスクスと笑い出した。
しかし、この隙を見逃さずに俺の手を逃れた弥彦が逃げようとしたので、傍にあった桶を手にしてそれを投げ付けると、『スコーンッ』と小気味のいい音がして弥彦の頭にヒットした。
はっ、俺のコントロールの良さを舐めんじゃねえよ。
「いてえっ!畜生っ、萌葱めっ!」
弥彦がそう言って桶を投げ返して来たのをさっと避けると、俺の後ろにいた青鬼の藤次の額にぶつかった。
瞬間、しんと静まり返った風呂の中、藤次の笑い声が響き始め。
「逃げろ、チビ共!」
そう俺がそう言ったのと同時ぐらいに、藤次が手近に置いてある桶を手当たり次第に投げ始め、風呂ん中にいた妖怪共に命中して「誰だこの野郎っ!」と騒ぎがデカくなり。
昨日と同じ事になった風呂の惨状を眺めつつ、八重婆が来る前に退避しようとしていたら、いきなり冷水を思い切り浴びせられた。
「おやおや、昨日に引き続き今日もこの八重婆に見て貰いたいとはねえ。どうれ、じーっくりと見てやるよ」
そう言ってヒッヒッヒッと不気味な笑い声を上げながら本当にじっくりと俺達を見回した八重婆は、にんまりと笑った後「風呂は静かに入るもんだよ」と言って出て行った。
……くそ……くそうっ!!!
チビ共は慣れてるのと素早さを生かし、さっさと浴槽から出て洗い場へ退散し、皆が立ち上がって股広げて立ってるもんで、ぶら下がるそれを眺めながら笑ってたそうだ。
「千歳が一番大きかった」
そう言った一斤は千歳にアイス貰って上機嫌だったがな。
やっぱそろそろ一斤は女風呂に入れる方が、教育的に良さそうだと思う。
「萌葱も大きかったよ?」
何か疲れてしまった俺は、自室に戻って「早く寝ろっ!」と怒鳴り付けた訳だが。
変な勘違いした一斤の気遣いに涙出るかと思ったぜ、ちくしょうめ。
「……怒鳴って悪かったよ」
そう言ったら弥彦と央太と一斤が俺にくっ付いて来たもんで、そのまま寝たんだが。
熱くて目が覚めた。しょうがねえから空いてる所にチビ共寝かせて、もう一度自分の布団に横になって眠りに付く。
駄目だ、反省しよう。
そうして翌朝。
いつものように朝飯の支度を手伝い、自分達の朝飯を食う為に大広間に入り。
そうしておかずの奪い合いをしながら飯を食べた後、俺達の仕事が始まる。
「弥彦、お前足が汚れてる。どこほっつき歩いて来たんだよ」
「庭から来ただけだ」
「履物を履けと何度も言ってんだろうが」
「面倒だったんだよっ!」
せっかく廊下を雑巾掛けして綺麗にしてるってのに、拭いてる傍から汚れて行く廊下に、全員が足の裏を見せ合って発覚した。
まったく、珍しくちゃんと手伝いを始めたと思ったらこれだ。
雑巾で弥彦の足を拭いて綺麗にした後「よし、いいぞ」と頭を撫でてやれば、弥彦は俺の手を振り払って、一人で雑巾掛けを始めてしまった。
ったく、そんなに照れなくてもいいだろうに。
そうして廊下の雑巾掛けを終えた俺達は、今度は庭掃除だ。
さっさと掃き清めて昼飯の支度を手伝わなければならない。
「弥彦、葉っぱを散らすなっ」
「ちっ」
面白がって集めた葉っぱを妖力で舞い上がらせた弥彦を叱る。
妖怪ってのは、悪戯の為に力を使うから侮れないんだよな。何つうか、楽しい事に目が無くて面白い事は率先してやる。面倒な事が大嫌いで出来るだけ後回しにしようとするんだ。
何て人間臭いって思うよなあ、ホント。
集めた葉っぱを片付け、掃除道具を片付け。
「よし、今度は昼飯の手伝いだ」
そうしていつものようにチビ共引き連れてお勝手に行き、忙しそうにクルクルと動き回ってる小梅さんの手伝いをし。
皆で昼飯を食べた後、片付けをしてからチビ共は昼寝タイムだ。
そうしてチビ共が寝入ってからそっと部屋を抜け出す。
「ご苦労さん」
「いえ、全然苦労じゃないですよ」
「若いのにお父さんが板に付いてるよ」
「……せめてお兄さんて言って下さい」
俺はまだ十五なんだって。思わず抗議した俺の言葉に、百入さんが苦笑する。
「どうしたんです?」
昼飯の膳を百入さんの所に運んだ時、チビ共が昼寝をしたら部屋に来いと言われたもんで、こうしてやって来た訳だが。
「ちょっと、出掛けなきゃいけなくなってな。そうすると留守番が誰もいないんだよ」
「ああ、そういや皆、まだ戻ってないですね?」
皆ってのは人間の事だ。仕事で外に出てる方が多くて滅多に帰って来ねえんだよな。
つうか、妖怪の起こすトラブルの後始末をしに行ってるから、帰って来ちゃすぐに出かけてるって言うか。まあ、そんだけ仕事が忙しいって事なんだけど。
「ああ。二時間ほど萌葱が一人になってしまうんだが、大丈夫か?」
百入さんはそう言って、心配そうに俺の顔を見て来た。