第四話 妖怪の反抗期
「千歳の機嫌が悪かったのかもね」
「機嫌、ですか?」
「そう。いつもならそこまで怯えないだろう?」
「そうですね?」
「って事は千歳の妖気がだだ漏れになってたって事なんだと思う」
「……だだ漏れ?」
黒紅さんの言った事が理解出来なくて聞き返した。
「ほら、千歳ってさあれで一応自分の妖気を抑え込んでいるんだよね。他の妖怪が一緒にいられるのは、千歳がそうして抑えてくれているからなんだよ?」
「へえ……アイツ、一応気を使えるんですか」
そう言うとクスクスと黒紅さんは笑う。
「神気と妖気は表裏一体だと言う話しはしたよね?」
「はい」
「百入さんと千歳の力はたぶん、拮抗していると思うんだ」
「……同等、ですか?」
「うん。もしかしたら、千歳の方が強いかもしれないなんて笑ってたけどさ」
うわ……アイツ、もしかしてすげえ奴だったんだろうか?
単なる気色悪い奴だって思ってたけど。
「千歳はね、気紛れでここにいるって言われてるけど、たぶん、俺達が少しでもこの世界を壊そうとした時には、容赦なく牙を剥く為にいるんだと思うよ?」
「……それって、見張りって事ですか」
「たぶんね」
何か、初めて千歳を怖いと思ったかもしれない。
「萌葱は大丈夫だったのかな?」
「あー、俺そう言うの鈍くてわかんないんですよね」
千歳の妖気に充てられたんなら、俺も震えたかもしれないなあ。
「鈍いって言うか、まあ、萌葱は神気が強いからね」
「え、俺強いんですか?」
「そう。自覚ないみたいだけど、あれだけ妖怪に囲まれてても平気でいられるんだから、凄いよねえ」
黒紅さんのその言葉に、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「でも、皆も同じじゃないですか?」
「まあそうだけどさ。俺はきっと三日も持てばいい方だよ」
黒紅さんはそう言うと、「勉強しろよ?」と言って歩き去って行った。
えー……。何か、結局千歳の事良く分かんねえままじゃねえか。
「私の事が知りたいのかな?」
「うおおおおおおっっっ!!!千歳、テメエいきなり後ろから声掛けんなって何回言やわかんだこの野郎っ!」
跳び退りながら振り返って文句を言うと、千歳が可笑しそうに笑ってごめんごめんなんて言って来る。あー、ちくしょう、本気でビックリしたぜ。
やっぱ黒紅さん買い被りすぎだよ。コイツはこうして意地悪しちゃあ喜んでる小悪党だ。
「盗み聞きか?」
「萌葱が見えたから近くに来たら、偶々聞こえたんだよ」
「そう言うのを盗み聞きって言うんだ。ったく、趣味悪いぞ?」
まだ笑ってる千歳はもう一度ごめんと言った後、ふいっと俺から視線を外した。
「萌葱は、私が怖いかな?」
「……お前は単なる変態だ、馬鹿野郎」
そう言うと視線を俺へと戻した千歳が、ふっと笑って見せた。
「やっぱり……萌葱はいいね」
「うるせえよ。俺はお前を超えてやるからな」
「おや、そうかい。では楽しみにしているよ」
「余裕かましやがって。そう言う所が気にらねえんだよっ!」
ホント、いつでも余裕扱きやがってムカつく奴だ。
「そういやお前、機嫌悪いのか?」
黒紅さんが言ってた通り、千歳が機嫌悪いならチビ共がまた怯えちまう。
「……悪かったけど、直そうかな?」
「そうしろ。お前の機嫌が悪いと皆が迷惑するらしいからな」
「萌葱は迷惑じゃないのかな?」
「俺はわかんねえからなあ。まあほら、千歳だって機嫌悪くなる事くらいはあるだろうけどさ、話せばちょっとは良くなる事もあんだろ?」
「……萌葱が聞いてくれるのかな?」
「しょうがねえ、聞いてやるから言ってみろ」
乗り掛かった舟だとばかりにそう言えば、千歳は俺の顔を見た後ぷっと吹き出して笑い出した。この野郎、ホント腹立つ。
「今、俺の顔見て笑っただろ」
「違うよ」
千歳はそう言って微笑むと、いきなり俺に抱き付いて来た。
「テ、テメエッ!何気色悪い事しやがるこの野郎っ!」
そう言って千歳の頭に拳骨したら「痛い、痛い」何て言って俺から離れた。
「お前ふざけんな。俺は男に抱き付かれて喜ぶ趣味はねえって言ってんだろうっ!」
「残念だなあ」
「残念じゃねえよ、ったく。あ、だからってそこいらの女性に抱き付いたりすんなよ?」
「さあねえ」
「さあねじゃねえよ。お前、いつか刺されるぞ?」
「ふふふ、妖怪が人間の女性に刺されるなんて、ロマンチックだねえ」
「……何つうかやっぱお前の頭ん中どっかずれてるよ」
そう言ったら、千歳がまた怪しく笑った。
ったく、何処でも色気振りまいてんじゃねえよ。
「さて。萌葱の匂いも堪能したし、機嫌を直そうかな?」
「だから気持ち悪い事言うなっつうの」
ちょっと来いと千歳に声を掛けると、千歳が大人しく俺の後を着いて来る。
コイツもホント、良く分かんねえ奴だ。
「気分が落ち込んだ時とか、どうしょもねえ事があった時は甘いもんを食うといいんだと」
お勝手に千歳を連れ込んで、饅頭を出した後茶を煎れて千歳の目の前に置いてやると、千歳がクスクスと笑い出し、その内腹を抱えて大笑いを始めた。
「何だよ、小梅さんから教えて貰ったんだぜ?」
「いや……ごめん、笑って」
そう言った後千歳が饅頭に噛り付いたのを見て、俺も饅頭に噛り付く。
そうして二人で饅頭を食べてお茶を飲み、馬鹿話をしてた。
主に弥彦の悪戯に付いてだが、アイツこの頃知恵が付いたからどうしょもねえんだよ。
「弥彦はあれで、萌葱にとても懐いているからね」
「あれでか?俺の言う事なんか聞きゃあしねえ」
「甘える事が出来るから、反抗する事が出来るんだよ。信頼の証だねえ」
「へえ……」
そんなもんかねえと思いながら茶を口に入れた。
「萌葱は、悪戯されても許すだろう?」
「そりゃ当たり前だ。悪戯くらいでそこまで怒らねえだろ」
「だから、弥彦も遠慮なく出来るんだよ」
千歳の言う事は良く分かんねえけどさ。
そんでも、仲良くなれるってんならそれでいいと思う。
「こんな事、私から言うのはおかしいだろうけどね」
「……ん?」
「萌葱は、自分が人間だと言う事を忘れてはいけないよ?」
そう言った千歳の顔が、何だか悲しそうに見えた。何でだかわかんねえけど、千歳はきっと、そう言うので悲しい思いをした事があんだろうなあ。
「千歳」
「……なんだい?」
バシッと頭を叩いたら、千歳が間抜けな顔で俺を見て来る。
まあ、いきなり頭叩かれたらそうなるよな。んでも、千歳のそんな間抜け顔見た事無かったから、この後説教してやろうと思ってたってのに、ぷっと吹き出してゲラゲラと笑っちまった。
「酷いね、萌葱。私の頭を叩いて大笑いするとは」
「いや、悪い。あんまり間抜けな顔してたから言いたい事全部吹っ飛んじまった」
そう言って千歳の間抜け顔を思い出し、もう一度笑ったら千歳も笑ってた。
「ああっ!こっそり饅頭食べてるっ!」
「お、起きたか、一斤」
「饅頭っ!私もっ!」
「落ち着け、そして座れ。今出してやるから」
立ち上がって饅頭を取り出して振り返れば、一斤が千歳に抱っこされてた。
ああ、千歳の機嫌が直ったのかってわかってさ。ちょっとだけ力になれただろう事が嬉しかった。
「一個だけだぞ?」
「ええっ!?二個が良い」
「駄目だ。夕飯食えなくなるだろうが」
「ぶうっ!」
まだ三歳くらいの大きさの一斤が、千歳に抱っこされてると余計に小さく見える。
何か、父娘って感じに見えるが……本当に千歳の子じゃねえんだろうなあ?
「一斤、きちんと食べないと大きくなれないよ?」
「いいもん、小さい方が便利だもん」
「おや、大きくならないとこうして小梅に内緒で饅頭が食えないよ?」
千歳にそう言われた一斤が、はっとした顔で饅頭を見てた。
その説得の仕方もどうかとは思うが、まあ、一斤がちゃんと飯を食うならそれでいい。
「零すなよ?」
そう言いながらお茶を出してやり、饅頭に噛り付く一斤を眺めてた。
食ってる間に弥彦が来て、央太が来て。最後に三郎がやって来て。
千歳を見てビクッとはしたが、昼間みたいな事にはならなかったから、千歳が上手く妖気を抑え込んでるんだろうって思った。
「お前ら、食ったんだからちゃんと働けよ?」
「はあいっ!」
「はっ、手伝いなんてクソ喰らえだっ!」
「弥彦、お前今日も一緒に風呂に入ろうな?」
「ふ、ふざけんなっ!俺はもう一人で入れるんだっ!」
「駄目だ。お前はちゃんと洗わねえといつの間にか蚤にたかられてんだからな」
「いねえよっ!」
「いる。絶対いる。手伝えねえのは蚤がいるからだ」
「か、関係ねえだろっ!」
「いいや、あるぞ?」
「そうだよ?手伝いをしていれば蚤がたかる暇なんてないんだからね?」
俺と千歳がそう言うと、弥彦はぽかんと口を開けて俺達を交互に見た後、残りの饅頭を口に詰め込んで飲み込んで「萌葱のいけずーっ!」と叫びながら飛び出してった。
「昨日から何だよアイツ、いけずなんて何処で覚えたよ」
千歳と二人、ゲラゲラと笑いながらそう言えば、千歳が「妖怪だからねえ」なんて言ってた。人間の使う言葉で面白い言葉があれば、あっという間に覚えて来るんだよな。
人の子と、何も変わんねえよ。
「さて。そろそろ小梅さんが来るから片付けておくぞ」
「はあいっ!」
一斤と三郎と央太が返事をし、そうして出した茶碗を片付け、やって来た小梅さんの夕飯の支度を手伝った。
弥彦は錫に見付かって、連れられてしょんぼりしながら戻って来て。
頭撫でてやったら、一回俺にしがみ付いた後皆と一緒に手伝い始めた。
まあ、反抗期ってのはこういう物なのかもしれねえなあ。