第三話 千歳って妖怪
寝ていたら何かすげえ息苦しくて目が覚めて。
俺の上に一斤が乗ってる事に驚いて何度か目を瞬かせ、起こさないように抱き込んで横に転がって布団の上で寝かせてやった。ったく、コイツは何処まで寝相が悪いんだろう。
一応性別的には女なんだから、気を付けさせた方が良いんじゃないだろうか。
しかし、寝相が悪いのってどうやったら治るんだ?
窓から明るくなった光りが入って来てるから、陽が昇るくらいか昇ったくらいだろうと思う。もう一度寝たら絶対寝過すってわかるから眠る気はねえが。
くそ、眠いだろうがっ!
そう思いながら隣で間抜けな顔で寝てる一斤を見て、何かもういいかと諦めた。
ごそごそと起き出して、浴衣脱いで着替えて。
タオルを持って顔を洗いに行けば、小梅さんが「おはよう!」と声を掛けて来る。
「おはようございます」
「どうしたんだい、こんな早くに?」
「あー、気が付いたら一斤が俺を布団にしてたんですよ」
「ははははは、萌葱はお父さんだからね」
「……せめてお兄さんがいいなあ」
小梅さんの言葉にガックリ来ながら、冷たい水で顔を洗えば眠気が飛んでさっぱりした。
「何か手伝える事ありますか?」
「いや、まだ早いからね。いつもの時間になったら頼むよ」
「わかりました」
小梅さんの返事に、そういや百入さんにもらった教本でも読むかと自室に戻り、寝ている奴らを起こさないようそっと歩いて文机の前に座る。
貰った教本には、妖怪に付いてビッシリと書かれていて、どんな事に注意を払うべきなのかが細かく記されてるんだ。まあ、退治屋って言う性質上、妖怪と戦う事があるから理解してた方が良いって事なんだが。
何となく部屋の中見回して、寝ている妖怪共を眺めてさ。
コイツラを退治しろって言われたら、俺は退治する事が出来るんだろうかとふと思った。
時間になって妖怪共を叩き起こして、寝惚け眼で俺を見て来る一斤を着替えさせ、連れだって小梅さんの所に行って手伝いを始める。
百入さん、錫、千歳は百入さんの部屋で飯を食うからそれだけは別々に運んで行って、後は大広間に運び入れる。そうして朝から奪い合いの朝飯を皆で食べて、そっから仕事だ。
鈍色さんはどっか遠くに行っててまだ戻ってねえし、青藍さんは昨日から仕事に出てて戻ってねえし、黒紅さんは朝のまだ暗い内に仕事で出たらしい。
まあ、人間が働いて妖怪を養ってる状態っつうか。
そんな感じだ。
「萌葱、これ嫌だ」
「駄目だ。小梅さんがせっかく作ってくれたもんを残すんじゃねえ」
「でもこれ嫌い……」
「鼻摘まんで噛まずに飲み込め。そうすりゃ大丈夫だから」
「無理だよぅ……」
一斤が泣きそうな顔をしながらそう言って来るが、ちゃんと食べさせるのも俺の仕事の内だ。アレルギーだってんならともかく、好きだ嫌いだで残すんじゃねえと思う。
「あのなあ、お前は料理した事ねえからそんな事が言えるんだ。毎日毎日朝飯食いながら今日の昼飯は何にしようって考えてる小梅さんに悪いと思え」
大人数の飯を作ってる小梅さんは、あんな小さな体でちょこちょこと動き回りながら、そう言うのを全部一手に引き受けてる強者だ。
「一斤、好きなもんだけ食ってると、千歳にちゅうされんぞ?」
「ええっ!?じゃあ食べる」
「よし」
千歳は何が気に入ってるのかわからねえけど、俺と同じように一斤も構う。
まあ一斤の場合は、まだ小っちゃいってのがあるみたいだがな。
ん?俺の事もそう思ってんのか?あの野郎、やっぱいっぺんもげればいいんだ。
朝飯を食べながら密かに闘志を燃やしつつ、皆が食べたもんを片付ける。
最近では、洗い物は俺の仕事になってるから三郎や弥彦を使って膳を片付けさせて、洗い物をするのが仕事の始まりになった。
「弥彦、テメエまた落としたな?」
「うるせえっ!それが嫌なら俺にやらせんじゃねえよっ!」
「テメエにただ飯食わせる程豊かじゃねえんだよ。落とした所拭いて来い」
そう言うと、弥彦は「いーっ!」と言った後走り出して逃げてった。
あの野郎、最近いつもこれだ。
「持って来たぞ」
「おう、ありがとよ、三郎」
弥彦も三郎くらい可愛げがありゃいいんだがなあ。
「央太、悪いが弥彦が零した所拭いて来てくれ」
「はい!」
央太ってのは狸の子供だからなのか、愛嬌があってこれがやけに可愛い。
何かコイツになら化かされてもいいかなって思えるから不思議だ。
「俺、手伝うよ」
「ありがとう」
皿を拭いてくれていた一斤に三郎がそう言うと、央太が使ってた布巾を三郎が受け取って拭き始めた。何かこうしてみてるとたぶん、弥彦は反抗期なんだろうな。
鼬の子供なんて育てた事ねえから知らねえけど、他の奴らを見るに反抗期っぽいなあと思う。妖怪にも反抗期があるなんて知らなかったがな。
全部洗い終え、拭いた食器が置かれているテーブルから皿を片付け。
「おし、次は雑巾掛けだな」
「おう」
「頑張る」
三郎と一斤が答え、バケツに水を汲んで皆で雑巾を持った。
央太が戻って来ないのは、まあアイツもサボり癖があるから何だが。素直に返事する分厄介かもしれねえとは思う。思うが、あの垂れ目がすげえ可愛くて許しちゃうんだよなあ。
「行くぞ」
百入さんの広い屋敷の中、廊下って廊下を隈なく雑巾掛けして行くのは重労働だ。
お蔭で、すげえ筋肉付いた気がするからいいけどよ。やっぱヒョロイよっか全然いい。
あちこちバケツ持って雑巾掛けしてたら、央太が泣きそうな顔をしながらやって来た。
「どうした、央太。何かあったのか?」
「だ、だって、戻ったら皆いなくて」
「ああ、悪い。雑巾掛けしてた」
頭撫でたらぽろっと涙零してさ。一斤と三郎も一緒になって謝って慰めた。
「ごめんな?探してたのか?」
そう聞くとうんと頷く。サボり癖があるからって思ったが、今回はちゃんと仕事してたんだろうな。待ってりゃ良かったなあと思いながら央太の頭をもう一度撫でて、やっと泣き止んだ央太も混じって雑巾がけをした。
自室は自分達で掃除するのが決まりだから、空いてる部屋って言うか、大広間とか客間を掃除するのは小梅さんの仕事だ。俺は雑巾掛けと庭の掃除。
だから、雑巾掛けを終えた後お勝手で小梅さんの目を盗んで煎餅を齧った後、外に出て庭掃除をする。
途中でやって来た弥彦を捕まえて、箒を渡して一緒に庭を掃いて行った。
昔ながらの日本家屋と庭園は、こうして妖怪共が手入れしているからとても綺麗だ。
ここが実は異空間なのだと知った時は、すげえ驚いたけどな。人の世界から見ればほんの小さな普通の日本家屋何だが、中に入るとそこは妖の世界に繋がっててさ。そのせいでやたらと入り組んでて複雑な造りになってるんだと。全く、そのせいで小さい頃は便所探して大騒ぎだったっつうの。
人の世と妖の世ってのはすげえよく似てる。
だけど妖怪の世界と人間の世界は似て非なる物なのだと教えられた。
だから、互いの世界を守る為に退治屋があるのだと言う。
退治屋だってのに妖怪が沢山住み着いてるのも、退治屋の仕事に妖怪が協力するのも互いの世界を守る為だと聞いている。
「おい萌葱!」
「なんだよ」
「お前、いい加減俺に威張るの止めろっ!」
「威張ってねえよ。叱ってんだ」
「そ、それを止めろって言ってんだっ!」
「……へえ?じゃあお前の事は今後は千歳に任せるわ」
「呼んだかな?」
「うおおおっ!!!」
口から出まかせで千歳の名を出したけど、後ろから声掛けられてビックリしたわ。くそ。
「いきなり現れんじゃねえよ、しかも俺の後ろに立つな!」
「はいはい。萌葱は注文が多いね」
クスクスと笑われながら、俺は千歳から距離を取る。
「それで?弥彦、お前、私の下で働くのかい?」
千歳が弥彦にそう言うと、弥彦は千歳を見上げて固まりながらもぶんぶんと勢いよく頭を横に振って否定した。
「おや、違うのかな?私に預けるって聞こえたんだけれどね?」
千歳にそう言われた弥彦が、すげえ勢いで俺の所に来て俺の足にしがみ付いて千歳から隠れた。まあ、千歳って大妖怪らしいから弥彦からしたらおっかねえんだろう。
「千歳、弥彦を怖がらせんなよ」
「おや、さっき自分が脅しに使ったんだと思ったけど?」
「……勝手に名を使って悪かったよ」
「いや?萌葱に頼りにされるのは嬉しいからいいけどね」
また気色悪い事をさらっと言いやがって。
そう思いながらふと下を見れば、一斤と三郎と央太が手を取り合って固まってた。
……気色悪いとは思うが、そんなに怖いのかと思ったのでさっさと千歳を追い払う事にする。
「気持ち悪い事言ってんじゃねえよ。ほら、仕事の邪魔だ、どっか行け」
「ふふふ、いいよ。萌葱の匂いも堪能したからねえ」
千歳は気色悪い一言を残し、「じゃあねえ」と言って手を振って歩き去って行った。
まったく、あの野郎、本気で気持ち悪い。
千歳が歩き去ってもチビ共は何か固まってて。
「大丈夫か?怖かったな」
そう声を掛けたら、しがみ付いてた弥彦は更にしがみ付いて来て、一斤、三郎、央太が俺に飛び掛かりながらしがみ付いて来て。
情けねえ事に俺は尻もちをついた。
「いてえ……」
後ろにいた弥彦がさっと避けたのは良かった。んでも、座り込んだ俺に四人が再びしがみ付いて来るもんで、ちょっと宥めるのに苦労した。
「アイツ、気色悪いけどそんな怖くねえだろ?それに、アイツなりにお前らの事可愛がってると思うぞ?」
そう言いながら背中を撫でてやったが、チビ共は中々落ち着かなくて。
結局、昼飯前に庭掃除が終わらなかったから食った後にもう一度やる事にした。
何となく、チビ共の態度が気になったもんで後で百入さんにでも聞こうと思う。
昼飯の後いつものように洗い物を済ませ、庭掃除に入った。
落ちてる葉っぱは増えてたけど、まあ、明日の仕事が楽になると思えばいいかと思いながら掃除をした。
いつも午後は自由時間を貰っててその間に勉強をしてるんだが、今日はそんな気分にもなれなかったな。大体鵺って妖怪自体良く分かってねえのは、千歳がそう言う事全部隠してるからだ。大妖怪だって事だけは分かってるが、そんだけだ。
百入さんが言うには、気紛れでここにいるだけで本当なら人間と慣れ合うような奴じゃないって話しだからなあ。
俺の部屋で昼寝してる一斤と弥彦、央太を眺めながら窓の外を眺め。
やっぱ妖怪って良く分かんねえと思いながら俺もごろっと転がった。
一斤が今後どうなるのかも分かんねえし、俺が何時までここにいられるのかもわからねえけどさ。もし、コイツラを退治しろって言われたら、俺には出来ねえ。
たぶん、退治屋として失格だろうな、俺。
百入さんも、鈍色さんも、青藍さんも、黒紅さんも。その辺はもっとしっかり割り切ってるって言うか。錫も千歳も、ちゃんとやってるってのにな。
「やあ、萌葱」
窓から声を掛けられ、少し微睡んでいた俺はビックリして目が覚めた。
慌てて身体を起こしたら、窓から黒紅さんが覗いてて。
「あれ、戻ったんですか。お帰りなさい」
「ただいま。チビちゃん達を起こすのが可哀想だからこっちから声掛けさせてもらったよ」
少し抑え気味のその声と、チビ共を見る顔は優しかった。
「そっち、出ます」
「ああ」
そっと立ち上がって部屋を出て玄関に向かい、草履を履いて外に出る。
庭へと周りこんで行きながら黒紅さんを探せば、黒紅さんは池の所で三郎の父ちゃんと何か話してた。
「待たせてスミマセン」
声を掛けながら近付けば、黒紅さんは三郎の父ちゃんと話しを切り上げて俺へと向き直る。
「あ、お土産文机の上に置いたからね」
「いつもありがとうございます」
「いや。勉強は捗ってるかな?」
「……努力してます」
学校に通わない俺に、学校で教えられる事を俺に教えてくれたのは、鈍色さんと黒紅さんの二人だ。それ以外にも、退治屋の仕事の事とか神気の使い方とか教えてくれてる。
「黒紅さん、あの、千歳の事で聞きたいんですけど」
「あれ、とうとう食われたか」
「違いますっ!つうか食われたって何ですか」
「あー、なんだ、食われた訳じゃないのか。どれどれ、お兄さんに相談してみなさい」
やっぱ黒紅さんは千歳とキャラ被ってると思う。
こうして面白がってる所なんて本当にそっくりだ。
「ふーん……チビちゃん達がねえ……」
そう言って顎に手を当ててちょっと悩んだ黒紅さんは、首を傾げながら遠くを見てた。
この百入さんの屋敷では、皆が着物を着て生活してる。妖怪共が着物を着てるからってのが一番大きいんだが、最初の内は着た事がねえから苦労したんだよな。
んでも、小梅さんと黒紅さんに教えて貰いながら一人で着物を着られるようになってさ。
あん時はホント嬉しかったなあ。
黒紅さんはなんかこう、お洒落な感じに着こなすから見習いたいもんだと思う。
でも、千歳も似たような感じなんだよなあ。
アイツと同じになるのだけは絶対に嫌だ。