其の玖
「萌葱、肉のお代わりは自由だぞ?だから遠慮せず食えよ」
店に着いて楽しみにしてた肉が目の前に出された途端に、肉をじっと見ながらも食べながら悩み続けていたら、百入さんにそんな事を言われ。
「くおおおおおおっ!今までの俺のあの崖から飛び降りるかどうかみたいな悩みは何だったんだちきしょうめっ!」
「ん?萌葱、テメエ自殺なんざ考えるなよ?」
「あ、ち、違いますって!ただ、その勢いで決断しなきゃいけねえかなって事が合ってですね」
「なんだそりゃ」
「あの、ほら、俺達こんな良い肉食った事ねえって言うか、見るのも初めてだから兄としては弟に少し分けてやった方が良いかなって、ですね」
「……なるほどな」
百入さんは特別だぞなんて言ってどうやら店の個室、と言うより特別室みたいで通常は入れないようになっている階段を上がった二階へと案内された。
おいおい、張り切り過ぎだろうって思って支払いが気になったけど、料理が出て来て食べ始めた途端にそんな心配は宇宙の彼方に飛んでった。
本当ならフルコースも食える店だと百入さんが言ってたけど、特別に肉だけをメインにしてくれるって事らしくて。
それで、俺達はすげえ美味い肉をたらふく堪能できたって訳らしい。
「よし、俺の肉を半分ずつくれてやろう」
「え、いいんですか!?」
「ああ、いいぞ。そして俺はお代わりだ」
弟と顔を見合わせ、それはもう遠慮なくバクバクと食べ始め、分厚くて柔らかい肉を存分に堪能しまくった。ご飯は三回お代わりし、肉に至っては二人共五枚も食べてしまった。
「一生分食ったな?」
「うん。もう死んでもいい」
「おいおい、若い命を散らそうとすんなよ」
錫は帰ってから奥さんの手料理を食べるから軽く食べるぐらいにする、何て言ってご飯を五回お代わりして肉を八枚食ってた。
まあ、錫が本気で食ったらこの店の肉が無くなるだろうなあって思うから、抑えてくれて良かったって感じだ。
「美味かっただろ?」
「すごく!ご馳走様でしたっ!」
「俺も、ご馳走様でした」
「あー、いいなお前ら。可愛い奴らめ!」
そう言って頭をぐしゃぐしゃっと撫で回され、凄くご機嫌になった百入さんと帰路に着き。
そのまま百入さんの部屋まで連れて行かれ、今度は酒を飲むから付き合えと言われて百入さん、鈍色さん、雪姫、千歳が揃って酒を飲む中、俺と弟は酌をして回った。
「百入、さすがに中学生に酌をさせるのはまずいだろう」
「良く言う。萌葱はここに来たばかりの頃から酌をしてたじゃないか」
「あー、そう言えばそうだったな」
百入さんと鈍色さんのそんな会話の最中も、俺と弟は酌をしながら膳から肴を頂戴しつつ楽しんでた。
「あ、そういやお前ら、二人共ここで暮らす事になったから」
「学校へは送り迎えをするつもりだったんだがよ。ちいと遠過ぎるから、特別を通した」
え?え?なんて疑問符浮かべてる間に、百入さんと鈍色さんがどんどん話を進めて行く。
「丁度夏虫んとこが近いからよ、通路を繋げておいた」
「念の為にどれぐらい時間がかかるか確認したが、朝飯を食ってからここを出て通路を通って夏虫の所に着くのが三分ぐらいだ。夏虫の所から学校までは十三分」
「大体二十分で学校に着くから、それだけ覚えておけよ?」
「そうそう、二度寝する時には必要な事だからな」
「百入は良くそう言って寝ておったの?」
「二度寝ってのは格別なんだよ」
「寒い時期には余計にね?」
雪姫と千歳まで混じって進んだ会話は、何故か弟が二度寝をする計算までされてたようで。
「……あの、俺、ここにいてもいいんですか?」
「ああ、いいぞ。その代わり学校が休みの時は手伝いをしろ」
「はい!それは勿論!」
「うん。あ、勉強は鈍色か黒紅に聞くと良い。こう見えて一応大学を出てる」
「え、そうだったんですか!?」
「萌葱、お前の勉強みてやってんのに何言ってんだよお前」
「スミマセン」
「萌葱は仕事の手伝いをして貰う」
百入さんのその言葉に顔を上げ、こくりと頷いた。
「萌葱の仕事デビューの日は私も行くからね?」
「来んなよ」
「嫌だよ、録画するんだ」
「だからそれ止めろって言ってんだろ!」
「萌葱コレクションを作る為にどれだけ大変だったか解るかい?だから絶対外せないね」
「ストーカーかよ」
「おい、不吉な事言うなよ!」
「そうだよ、私は萌葱のストーカーなんだよ」
弟の言葉に焦った俺がぞわりと鳥肌立てながら否定しようとしたら、何故か胸を張った千歳があっさり認め。止めろおおおおお!と俺が叫んだのも記念だなんて言って写真を撮られた。アイツのコレクション、いつか全部捨ててやる。
「え、ちょっと待って!あの、俺達ここに世話になっていいんですか!?」
「……そう言っただろ?」
さも当然みたいに返事をされ、思わず弟を見れば弟も俺を見て笑ってた。
「あ!あの、お金の事なんですけど」
「お前が働いてくれるんだろ?」
「優秀になる予定の部下が出来て嬉しいよ、萌葱」
これまた当然って顔で返事をされ、また弟を見れば弟は少し困った顔で俺を見返して来る。
「弟よっ!」
「うわ、何だよっ!気色ワリイッ!!」
「兄ちゃん頑張って働くからなっ!だがそれはお前の為じゃねえ、俺の為だからお前はお前で頑張れ」
抱き着いてそう言ったら、嫌がってた弟が一瞬動きを止めた後。
「ふざけんなっ!大体頑張るのは兄貴の方だろうが、この世間知らずっ!」
「だからそれはこれからなんだって言っただろうが」
「中学生に負けてるって駄目過ぎんだろ」
「しょ、しょうがねえだろっ!?いいか、俺は兄ちゃんだからすぐにお前を追い越して、そんでお前が追い付けない所に行くからな?」
「はいはい、楽しみにしてるよ」
そんなやり取りをしていたら千歳が嬉しそうな顔でスマホ構えてたから、慌てて弟から離れた。
「ま、お前らは何も気にする事はねえ、ここでスクスク大きくなれ」
「……ありがとうございます」
結局百入さんにもっと世話になる事になっちまったけど。
そんでも、そうして受け入れてくれたのが凄く嬉しい。
「けど俺、ここに住んでも大丈夫なんですか?」
「その事なんだがな」
後で言おうと思ってたが何て言いながら、弟のこれからの事を相談する事になった。
取り敢えず今だけと言うか、春先ぐらいまではいても大丈夫だけど、それ以上いるのは少し危なくなって来るらしい。
だから、高校は最初の予定通り遠方の寄宿舎付きの学校か、どこかの寄宿舎付きの学校に行って欲しいって事だった。
「高校、行ってもいいんですか?」
「当たり前だ。菖蒲は学校に通えるんだから行った方が良いに決まってる。それに、最初から俺に投資させろって言っただろうが」
「そう、ですけど」
「だから子供のくせに一端に気い使ってんじゃねえって。思いっきり楽しんでくれりゃそれでいいさ。だが、勿論成績もそれなりに維持させるんだぜ?」
「……はい、解ってます」
「ならいい。追い出す訳じゃねえって事をちゃんと理解してくれてるなら、それでいいさ」
そして、俺と弟はこの後百入さんに「そろそろ風呂に入って寝る時間だ」と言われて追い出され、ついでのように千歳がくっ付いて来て三人で風呂に入った。
「……萌葱。左頬、痛くないの?」
「あ、すっかり忘れてた。そういや殴られてたんだった」
「殴られた?」
「ああ。まあ避けたからそれ程痛いって訳じゃねえんだ。大丈夫、三日もすりゃ治ってるよ」
「……念の為に、今晩は冷やしておいた方がいいんじゃないかな?」
「そうかな?」
「そうだよ。風呂から出たら氷を用意してあげよう」
「そんくらい自分で出来るっつうの」
ったく千歳は心配性だなあと思いながら月を見上げた。
百入さんのお蔭で弟と離れなくて済むのは素直に嬉しい。だって、やっと解りあえたっつうか、やっと本当の兄弟になれた気がしてるんだよな。
だから、もっと色んな事を話したいんだ。
例えば、将来の事とか、何になりたいかとか。
俺、そう言う事考えるような子供じゃなかったから、普通はどう考えるのかなって思ってさ。そう言う俺の考えも話したいし、弟の事も教えて欲しい。
「なあ、千歳。百入さんの事なんだけどさ」
「ああ、なんだい?」
「……女の人とデートしてたとか」
「さあ?私は百入には興味が無いからね」
出たよ。これだから妖怪って奴は。
「ところで、百入はいつの間にデートをするような女性と出会ったの?」
「…………いや、いたらいいなって思っただけだよ」
「ふふ、まあ、それでいいよ」
俺が誤魔化したのは解ってるんだろうが、千歳にとって百入さんの色恋沙汰は興味が無いからどっちでもいいって事なんだろうなあ。
「……なあ、千歳っていつもこうなのか?」
「いつもって?」
こそこそっと耳打ちをするように聞いて来た弟に聞き返すと、一瞬戸惑うように視線を揺らした後、言い方を変えた。
「千歳は兄貴にしか興味が無いのかって聞いてんだよ」
「その通りだよ、菖蒲」
「だから止めろって。弟をからかうな」
「やれやれ、本気なのになかなか解ってもらえないのは悲しいね?」
「だからからかうなって言ってんだよ。あのな、千歳はいっつもこうしてからかうんだよ。だから本気にするなよ?」
「萌葱はいつもこうして躱してしまうんだ」
「良く言う。あ、そういやお前、黒紅さんの彼女か思い人に手を出さなかったか?」
「え、黒紅?」
「ああ。えっと何て言ったっけ?ほら、トイプードルを連れてるっていう」
「鈴音かな?」
「そうかな?」
女の人の名前は忘れてたけど、トイプードルって名前だけは覚えてた。
すげえ可愛い犬だったから覚えてたっつうか。
「プリンって名前だったよな?」
「え、犬の方?」
「うん、ほら、茶色のもこもこでさ」
懐っこい犬で小っちゃい尻尾を必死に振りながら俺に近付いて来てさ。
いいよな、ああいう小さい犬も。
「あ、ここって動物風な奴がたくさんいるじゃねえか!」
「……いまさら何を言ってるんだい、萌葱?」
「いやだって、毛が生えてるっつったら弥彦と央太だぞ?アイツらの毛は硬いんだよなあ。ああ、触り心地ならシンの髪の毛がすげえふわっふわで気持ちいいんだよ。お前、撫でてみたか?」
触り心地を思い出しながら弟に顔を向けたら、弟は何故か呆れた顔して俺を眺めた後、長く溜息を吐いて空を見上げた。
「おい、何だよ」
「いや……」
「いいねえ。弟君とはその内語り合ってみたくなったよ」
「そうだな、その内俺も語ってみたくなったよ」
「え、何だよ、急に仲良くなっちゃって」
千歳と弟は、何て言うか水と油みたいな気がしてたから、仲良くなってくれるなら嬉しい。
「何だか、はしゃいでいるね?」
「やっぱ解るか?だよなあ、そうなんだよ。だってさ、弟と一緒に暮らせる事になるなんて思ってもみなかったからさあ。なあ、俺達これから色んな事話そうな?そんで、偶に喧嘩したりもしてさ。あ、でも仲直りもするんだぜ?」
千歳が笑いながら聞いて来たから、何かすげえご機嫌になってそう言ったら弟がぷって笑い出してさ。
「何で笑うんだよ」
「……俺もそう思ってた」
「弟よっ!」
「バッ、バカかっ!裸でいる時に抱き付くんじゃねえっ!」
そうして風呂から飛び出して逃げて行った弟を見ながら、何か、心ん中がぽかぽかあったかくなってくるのを嬉しく思った。