其の肆
百入さんの見合いの回数が十回目を迎えたその日、俺は百入さんの見合いの席に同席していた。
「……あの、取り敢えず食べませんか?折角の料理が冷えるのは勿体無いですし」
仲人が双方の紹介を終え語り尽した後、互いの付添人と本人同士が残されたその部屋で、さっきから何も喋らずに見合ってる二人に焦れてつい口を挟んだ。
「そうね、確かに勿体無いわよね」
「…………じゃ、じゃあ、頂きます?」
そうして何だかギクシャクした空気の中、咀嚼する音だけが響いてるって何かマズい気がする。
「あ……、あの、これ、美味しいですね?」
何か言わなきゃと焦った結果、そう言って指差したのは箸休めで出されてる豆腐だった。しかもまだ食ってねえとか。
「…………美味しそうですね」
気まずくなって言い換えたけど、もう遅いってな。うん、判ってる、俺には荷が重過ぎるって。ああ、だから言ったんだ、俺には無理だって!なのに百入さんが他に人がいねえんだから仕方がねえだろなんて言ってさ。
やっぱ千歳に頼むべきだったんじゃねえのか?あ、でもアイツが来たら見合いが台無しだ。
「美味しいわ?貴方の言う通りね?」
優しい声が聞こえて顔を上げれば、百入さんの正面で俯いていた女の人が俺を見て笑ってた。
「で、ですよね、見た目からして美味そうですし」
「貴方も食べてみて?」
「ああ、はい、あの、頂きます」
「貴方もどうぞ」
「…………ああ」
百入さんの見合いの相手である桃葉さんが気を使ってくれたのか、やっと口を開いてくれて何とかこの微妙な空気を打破できると思ったらほっとした。
「ね、姉さん」
「ほら、梨葉も」
「姉さんっ」
「えっと、萌葱君、で良かったのよね?」
「はい、そうです」
「一番年下の萌葱君に気を使わせてごめんね?あの、百入さん?」
「……なんだ?」
「も、百入さん、緊張してますねえ。そんなぶっきらぼうな返事じゃなく、ほら、もっとこう、ね?」
百入さんが何で無口になってんのかさっぱり解んねえけど、ここは俺が何とかしなきゃいけないって思っちまった。
なのに百入さんは眉間にしわ寄せてさ、じっと俺を見て来るんだ。
頼む、子供が欲しいならもうちょっと愛想を振り撒いて欲しい!
「あの、桃葉さんごめんなさい。えっと、確かにいつもぶっきらぼうな人なんですけど、今緊張してて更にぶっきらぼうなんです。ホント、あの、気を悪くしないで下さい」
「あら、いつもぶっきらぼうなの?」
「あ……、えっと、家、男所帯でして……」
「ああ、そう言えばさっきお仲人さんがそう言っていたわね?」
「そ、そうなんですよ!だから、女の人に慣れてなくてですね」
「うん。萌葱君、気を使ってくれてありがとう」
「……いえ、駄目駄目で、スミマセン……」
もうちょっと、上手く話が出来れば良かったのにって凄く思った。
「萌葱、悪かったな」
「も、もういいですよ。百入さんも食べましょう?」
「ああ。そうしよう」
そう言って笑った百入さんを見て、やっぱり何が何だか判らないけど何とかしなきゃ駄目だと思う。
「どうしてこの見合いを受けたんだ?」
「え、ちょ、」
「あら、私じゃ不満なの?」
百入さんの言葉にそりゃ駄目だろうと慌てて間に入ろうとしたら、桃葉さんはにっこり笑いながら百入さんに言い返してきて、俺はそれにビックリだ。
「ごめんね、実は知り合いなのよ」
「姉さん……」
「梨葉、これ以上黙ってたら萌葱君が可哀想だと思わない?」
「それはあっちの事情でしょ?私達は、」
「梨葉。黙ってて」
俺が呆気に取られている内に、どうやら姉妹のやり取りは終わったらしい。
「……何回か、パーティーでご一緒させて貰った事があるのよ」
「パーティー?」
「ええ。萌葱君にあったのはこれが初めてだけど、パーティーでは鈍色さんや黒紅さんが一緒にいたわよ?」
「……百入さん」
「わ、悪い。今度連れて行こうとは思ってたんだぞ?」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「じゃあいいです。あ、続きをどうぞ」
俺に黙って美味い物食いやがってと悔しくなってそう言えば、百入さんが慌てたように言い訳をしたけどまあ、次を約束してくれたからそれでいい。
「ねえ萌葱君」
「はい?」
「ズバリ聞きたいのだけれど」
「……はい」
「百入さんはどうして女性を避けるのか知りたいの。誰か思い人がいるとか、実は既に結婚してるとか、そう言う事実はない?」
桃葉さんが真剣な顔をしてそう聞いて来て、俺はゆっくりと百入さんへと視線を動かした。
「あの……、俺の思い違いって言うか……、女性に夢み過ぎって言われるかもですが。その、桃葉さんはもしかして、百入さんの事が……、その……」
「あ、やっぱりわかる?私、百入さんの事が好きなのよ」
百入さんにロックしてた視線を勢いよく桃葉さんへと動かし、そして百入さんに戻した。
「……何が不満なんです?」
「萌葱」
「いや、わかります、言いたい事はわかるつもりです」
「なら言うな」
「けど」
「黙ってろ。それより食え、外で食うのもいいもんだぞ?」
そして、見合い相手をすっかり無視して食べ始めた百入さんを見ながら、どうすればいいのか考え込み。
「桃葉さん、俺達は特殊な環境で過ごしています」
「萌葱」
「なので、普通の恋愛が出来ないし、結婚も無理だって言われてるんです。俺、まだ十七なのにそんな寂しい事言われてます」
ちゃんと答えるべきだと、そう思ったから。
「そんな所にいるので、皆恋人もいなけりゃ結婚なんてとても。どんだけ特殊な環境なのかはたぶん、家に来れば一目瞭然なんでしょうけど」
「駄目だ」
「ええ、判ってます。百入さん、あの家は女性が入ると何か物凄くヤバい事が起こるんでしょう?」
「……判ってたのか?」
「何となく。それと、短時間なら大丈夫だって事も」
「おいっ」
「見て貰った方が早いですよ、百入さん。それにね、誰かの好意を無下にするのは、絶対にやっちゃいけない事だと思います」
弟が泊まる事は承知するけど、俺の両親は三時間だった。
たぶん、それ以上いると駄目なんだろうってのは何となく気付いたんだよ。
ま、何で女性が入っちゃいけないのかは判らないんだけどさ。
「……ありがとう、萌葱君」
「いえ。生意気言ってスミマセン」
百入さんは、子供を産ませてその子供を取り上げるつもりだから、自分に好意を持ってる桃葉さんにそれをやるのは酷だって、そう思ってるんだと思う。
「百入さん、外からあの家に通うんじゃ駄目なんですか?」
「駄目だな。それでは境界が揺らいでしまう」
「じゃあ、あの境の所を建て替えてそこに住んだらどうです?」
「……なに?」
「ほら、玄関ですよ。あの辺を壊して建て替えて、奥さんは入れないようにすればいいんじゃないですかね?」
単なる思い付きだった。
だって、あの世界でたった一人で生きて行くなんてツラ過ぎる。
「百入さん、それが可能なら、色々前向きに考えられますよね?」
せめて、百入さんぐらいは幸せになって欲しい。
そうじゃないと俺の未来が暗すぎるだろ。
「……萌葱。お前頭良いな?」
「じゃあ今度のパーティーは絶対に俺を連れて行って下さいね?」
「ああ、約束しよう」
そして、微妙な見合いの席は徐々に空気が柔らかくなって、百入さんと桃葉さんが会話をするようになり。
「姉さん、絶対やめた方が良いわよ、こんな男」
その柔らかい空気を梨葉さんのその一言が突き破った。
「何度も言ったじゃない、絶対騙されてるって!今、この子が言ったじゃない、特殊な環境だって!」
「だからそれは」
「特殊な環境って何っ!?それに、女性が入ったら危険、しかも男所帯だって!」
「梨葉」
「まるっきりヤクザじゃないのっ!」
梨葉さんの勢いに戸惑ってた俺は、その一言に妙に納得してしまった。
ああ、そういやヤクザって確かにそうかもしれないなって。いや、実情は知らないけど。
「……誤解を解くには招くのが一番だってのは知ってるが。悪いがアンタは招く事は出来ねえな」
「ま、招かれたくないわよっ!」
「なら、知りもしないのに決め付けて物を言うな」
「ならアンタが何をしているのか言ってみなさいよっ!」
梨葉さん、可愛い顔をしてるって思ってたけど……、いや、可愛い人だと思うけど。
俺、もっとこう……。いや、俺の事はどうでもいい。
「俺の仕事はな、この世にいる妖怪を捕まえて保護すると言う特殊な仕事だ」
あっさりとそう言って退けた百入さんに驚き過ぎて、眼を見開いて百入さんを凝視する事しか出来なかった。フォローするべきだって解ってるんだけど、頭ん中何にも思い浮かんでこねえ。どうすんだよ、何言ったらいいんだよ、つうか何で喋ってんのっ!?
「バカじゃないの?」
どうやらパカッと口まで開いてたらしい。
目と口を大きく開いたまま、俺は百入さんから梨葉さんへと顔を動かした。
「言うに事欠いて妖怪とはね。姉さん、だから言ったじゃないの、止めなさいって」
「あら、信じないの?」
「姉さん!?まさか信じるの!?」
「いえ?半信半疑って所かしら?」
梨葉さんの言葉にそう答えた桃葉さんは、そう言って綺麗に笑った。
「招いてくれるのよね?」
綺麗だけど有無を言わさないその笑顔に、この人、本気で百入さんと合うんじゃないかとそんな気がした。
「そうだな。だが、」
「止めてっ!」
「……梨葉」
「姉さんがヤクザの家に行くだなんて、家族に迷惑が掛かると思わないのっ!?」
こういうのを何て言うんだったか……、ああ、そうだ、ヒステリックだ。
そんな事をぼんやり思いながら、梨葉さんが泣き喚きながらヤクザを連呼し、座卓の上の食事を払い落として行くのを眺めてた。




