其の参
結局、あの後泣きながら笑った俺に「女子かっ!」と言って笑った百入さんに、「ついでだから酒に付き合って行け」と言われて酌をさせられた。
まあ、いいんだけどよ。
「面倒でずっと逃げてたんだけどな、でも、百入の血を残さなきゃならねえのさ」
「……けど、結婚しても一緒に住めないんじゃ」
「そうなんだよなあ。今の世の中、子供産め、子供寄越せなんて言えねえだろ」
百入さんが持つ切子グラスは、薩摩切子って奴ですげえ高価だって聞いた事がある。
間近で眺めた事はあっても、絶対触った事がねえ代物だ。
「まったく、本当に面倒だよなあ」
「……百入さんは、結婚したくなかったんですか?」
「したくねえな。そもそも向いてねえんだよ、俺」
「結婚に?」
「だってよ、俺、母親を知らねえからな」
……え!?
「俺の親父は、俺を産ませた後直ぐに俺を連れてこっちに引っ込んだらしくてな。物心ついた時にはここで妖怪共と暮らしてたんだ。正直、赤子ん時に何飲んでたのか考えたくねえよなあ」
そう言ってハハハと明るく笑った百入さんは、何でもない事のように「参るだろ?」なんて言うけどさ。
何か、俺、何も言えなくなっちまった。
「……萌葱?どうした?」
「あ、の……、俺……」
何とか声を絞り出して言葉に出来たのはそれだけだ。
「なあ萌葱。どっかに子供産むだけで満足する女はいねえかな?」
「……いないと思います」
「だよなあ、そうだよなあ……」
「あ!もしかして、見合いでそれ言ってます?」
「勿論。言わなきゃ駄目だろう?」
あー……、なんで何回も見合いを繰り返してんのかやっと理解出来たぜ。
身内贔屓になるかもしれねえけど、百入さんって格好良いと思うんだよな。
いっつも着流しに眠そうな顔して煙管燻らせてたりするけど、それもまた様になってると思うし。見合いの時はちゃんと髪も整えてるし、髭も剃ってる。
パッと見、確かに格好良いと思うけどいきなり子供産んで寄越せって言われりゃ、そりゃ振られるよ。
「言わない方がいいんじゃないですか?」
「それは誠意が無いだろ」
「けど、最初の条件がそれって、絶対誰も賛同してくれないですよ」
「……そういうもんか?」
それを真剣な顔で聞いて来た百入さんに、俺はがっくりと肩を落とした。
「あの、余計な事かもしれませんけど。女の事なら千歳に聞くのが一番だと思います」
「あー、千歳なあ。アイツ、俺には懐いてねえからよ」
「え?」
「まあ、必要なやり取りぐらいはするが、そう言う個人的な事って言ったらいいか、そう言う事するのは萌葱だけだぞ?」
「……そ、そうなんですか?」
「ああ。萌葱とは一緒に風呂に入るわ気に入りの土産を買って来るわ、やけに甘やかすよなあ」
「甘、甘やかすって」
「まあ、妖ってのはそうして自分の好きなように生きるからな。アイツら、媚びたり諂ったりってのはねえだろ?」
「……そう、ですね?」
「絶対やらねえんだよ。気に入らねえ事はやらねえしそもそも、興味も抱かねえ。嫌だ嫌だと言いながら仕事をしてるのは人間ぐらいだ」
そうして嘲るように笑った百入さんは、「しかしどうすっかなあ」なんて言いながらまた酒をガブッと飲み込んだ。
「……女の人で神気が強い人を探せば……」
「残念だが、女に宿る神気は男に比べると小さい……って、テメエこの間鈍色にびいろの授業で教わったはずだぞ」
「あ、いや、俺は可能性の話しをしたんですよっ!もしかしたら何処かに神気が強い女の人がいるかもしれないって」
慌ててそう言うと、百入さんは片目を眇めて俺を睨んだ後「その可能性は限りなく低い」と言って溜息を吐き出した。
まあ、それもそうだよなあ。
そんな人がいるならとっくにここにいるはずだもんな。
「俺も女の人の事は判らないです」
「だよなあ。ま、お互いに頑張ろうぜ」
笑いながら肩をパンパンと叩かれ、そろそろ寝ろと言われたので挨拶をしてから部屋を出る。薄暗い廊下を歩きながら、何となく軽くなった気がするのはやっぱり、百入さんが家族だって言ってくれたからだろうなあ。
「おわああああっ!!!!」
嬉しくて顔がニヤけてたのは判ってたが、どうせ誰もいないし気にせず歩いてたんだが、曲がり角の向こうから身体を半分だけ出して俺を眺めてる姿を認めて思いっきり叫んじまった。くそ、何だってんだよっ!
「誰だ?」
「……萌葱?」
その声にほう、と息を吐き出す。
また千歳の野郎だと思ったら一斤だった。
「一斤だよな?どうした、何かあったのか?」
そう声を掛けた途端、角から飛び出して来て俺に抱き付いて来た。
思わず両手が上に上がるのはどうしてなのか判らない。
「お、おい、一斤?」
「萌葱……、萌葱……」
胸の腹の間、胃袋の辺りに一斤が顔を押し付けて来て、一体何がどうしたんだと聞いてもただずっと、俺の名を呼びながらぎゅううっと抱き着いてた。
「おやおや、こんな所で逢引きとはね」
千歳の声に一斤の身体が跳ねて、抱き着いてた腕が離れて行く。
「あ、おい!」
そのまま振り返って駆け出し、あっと言う間に行ってしまった。
……何だったんだ?
「萌葱」
「なんだよ」
「邪魔しちゃった?」
ニヤニヤと笑いながらそう聞いて来た千歳に、「阿呆」と答えて歩き出す。
まったく、本当に何を考えているのかさっぱりわからねえ奴だ。
「あ、そういやお前に聞きたい事があるんだが」
「何だい?」
「あのな、女の人に子供を産んでもらって」
「何時仕込んだんだいっ!?」
いきなり俺の両肩を握ってそう聞いて来た千歳は、その後廊下に頽れた。
「嘘だ……、何時の間にそんな事に……、絶対、絶対萌葱の初めては撮影しようって決めてたのに」
「すんなよ。つうか俺の話しじゃねえよ」
膝と手を付いてそんなバカな事を言ってる千歳に冷静に突っ込みを入れれば、千歳は顔を上げて俺を見上げて来る。
「萌葱の事じゃない?」
「ああ。ちょっとした相談だ」
「……なんだ、それならそうと最初から言ってくれないかな」
あっと言う間に立ち直った千歳に軽く溜息を吐いた後、さっきの続きを話す。
「女の人に子供を産んでもらって、その子を渡して貰うって事をやりたいんだが」
「子供が欲しいのかい?」
「ああ。嫁はいらないんだ、ただ子供だけ欲しいって場合はさ、どうしたらいいと思う?」
「…………萌葱。それは、何て言うか」
「やっぱ無理か?」
そう聞くと千歳は何故か酷く悲しそうな顔をして俺を見下ろしていた。
「萌葱。あまり感心しないねえ」
「……何がだよ?」
「そう言う考え方だよ。もっと女性を尊重して可愛がって大切にしてさ」
「いや、だからそう言う一般論はどうでもいいんだ。ただ、そう言う事が可能かどうかが聞きたいんだ」
千歳が言いたい事は良く解ってるんだ。
そりゃ当然だってことぐらい、俺にだって解ってるからな。
「萌葱、女性から子を取り上げるのは鬼畜の所業だよ」
「…………鬼畜か。妖のお前が言うと説得力あるな」
「笑い事じゃないよ、萌葱。女性はその胎内に子を宿した瞬間から母親になるんだ」
「ふうん?」
「子を守る為なら時に神さえも敵に回す」
「……やけに実感篭ってるが、お前、誰かを妊娠させたことでもあんのかよ?」
「残念ながらまだ無いんだ。ただまあ、萌葱よりは長い時を過ごしているからね」
「まだってなんだよ、まだって。お前ちゃんと避妊しろよなあ?」
「やだなあ、童貞の萌葱に言われたくないよ」
「うるせえな。童貞って事はどこかの女性を泣かした事はねえって証だろうがよ」
「おや。どうしたんだい、萌葱?今日はやけに突っ込んで来るけど?」
面白そうに聞いて来る千歳に、もういいやと言ってから挨拶をして歩き出した。
千歳はくっ付いて来て、どうしたんだ、何があったのか教えろとうるさかったが。
「じゃあな、おやすみ」
そう言って自分の部屋に入ってしまえば、千歳は諦めて戻って行ったようだ。
部屋の中では小さな妖共とチビ共が、既に寝息を立てて転がっている。
そんな姿を見下ろしてから、空いてる場所を探して俺も転がった。
百入さんの話しは正直、身につまされた。
ここにいる人達皆、結婚してないからだと思う。
俺は別に血を残さなきゃいけないって生まれじゃないから、そこまで切羽詰ってねえけどさ。でも、百入さんの血が残らなきゃ、この世界が無くなるのかもしれねえって思ったんだ。たぶん、この世界を維持してるのは百入さんの血なんだろうなって。
ま、弥彦から『この世界を創ったのは百入の御先祖だ』って話しを聞いて無きゃ全く分からない話だっただろうけどさ。
ここが無くなっちまったら、コイツラ生きて行けんのかな?
どっか山の中にでも移り住んで暮らして行く、とか?
いや、食い物がねえか。
そんな事を悶々と考えながらぼうっと天井を眺めてた。
きっと、コイツラはここが無くなっても何とか生きて行く気がする。
ここが無くなって生きていけなくなるのはたぶん、俺の方だ。
今更、普通の振りして生活するなんて出来ないだろうし、それに、俺が社会生活送れるかって聞かれたら何か無理な気がするんだよなあ。
「……萌葱?」
暗闇から弥彦の声が聞こえ、ぼうっとしていた意識が回復する。
「ん」
「眠れねえのか?」
「……まあ、な」
そう答えると弥彦が俺の方へとゴロゴロと転がって来た。途中に寝そべってた奴ら、弥彦が登ってもまったく気にせず寝てるってどうなんだ?
「萌葱」
「ん?」
「少し悩んでも解決しねえ事柄はな」
「ああ」
「明日に回せ」
とっておきの話をするようなそんな言い方だったから真面目に聞いたってのにこれだ。
だけどまあ、確かに一理ある。
「……だな」
「ああ。明日になりゃ、明日の解決方法があるんだよ」
判った風なその口ぶりに思わず笑ってしまう。
「肝に銘じておくよ」
「……そうしろ」
もう一度笑った後、おやすみと言って瞼を閉じた。