其の弐
「見合いに行って来るわ」
「はい、行ってらっしゃい!」
百入さんが初めて見合いをした時から既に八回目の見合いの日。
いつものように軽く片手を上げてヒラヒラと振った後、百入さんは出掛けて行った。
丁度この妖怪の世界が梅雨時に入ってからの事で、毎日毎日降り続ける雨とそのせいで水分を含んで重い空気にうんざりしている。
弥彦、央太、シンは毛が重くなると言ってよくゴロゴロしているが、三郎はこの時期が大好きで、一人で庭に出てははしゃいでいる毎日だ。
初めて見合いに行った百入さんを見送った時は、何故かざわざわしてて落ち着かなかったってのに。随分俺も慣れたもんだ。
「おや、百入はまた見合いかい?」
「ああ、そう言ってたぜ?」
「……もう泣かないの?」
「泣いてねえよ」
ニヤリと笑いながらそう言われて言い返したが、まあはっきり言って泣いてたのと変わりなかったかもしれないと、ちょっと恥ずかしく思い出したりしてたんだよな。
ったく、千歳は相変わらず痛いとこ突いて来やがる。
「なあ、千歳」
「なんだい?」
「百入さんが結婚したら、さ」
「うん」
「ここに、住むと思うか?」
何となく気になってたけど誰にも聞けなかった事を聞いてみた。
「お母さんが出来るね?」
「……ば、バカ、違うだろっ!」
「んー、でもここに住むのは無理じゃないかなあ?」
千歳のその言葉に、やっぱそうなのかと思ったらちょっとほっとしながらも、何となくもやっとしてしまう。
なんだ?
「萌葱は……」
「なんだよ」
「まだ彼女出来ないの?」
「うるせえ、放っとけよっ!!!」
千歳の肩に拳を叩きこみ、足音を立てながら歩いて部屋へと戻る。
部屋の中で転がっていた弥彦と央太とシンが、俺が入って行った途端に纏わりついて来て遊べ、構えと言って来た。
「お前ら、図体デカくなったんだからくっ付くなっ!鬱陶しいんだよっ!」
「何だと?」
「くっ付かれている内が花だって、黒紅が言ってたよ?」
「すまない、ただ、何となく傍に行ってしまうのだ」
それぞれに答えられても、俺は聖徳太子じゃねえっつうの。
「あれ、一斤はどうした?」
「雪姫んとこだ」
「行儀見習いをさせると」
「嫌がってたけど連れてかれちゃったんだ」
あー……。
助けてやりたいのは山々だが。
「救出は諦めるか」
「そうだな」
百入さんが見合いの日は雪姫の機嫌が最下降してるからな。
迂闊に手を出したらあっと言う間に氷漬けだ。
一斤は背が伸びてから、小梅さんや雪姫に世話になるようになった。
さすがに、あんだけデカくなったら一緒に風呂に入ったり一緒に寝たりは出来ねえよなあ。
チビ共と離れるのを嫌がってたけど、こればっかりはしょうがねえ。
まあでも、雪姫なら間違いはねえって良く解ってるからな。
「なあ、三郎は?」
「外にいるだろ」
「この雨は、当たっておかないと勿体無いって」
「気が知れないな」
央太の言葉にさも嫌そうな顔をしてそう言ったシンに笑いながら、窓から外を覗いて見た。
中庭の池が良く見えるこの窓から、三郎と三郎の父ちゃんが並んで庭に寝そべっているのが見えて、吹き出して笑ってしまう。
「毎年の事だが、なんかやっぱり変だよな?」
「三郎たちは皆、雨が降るとああして寝転がってるだろ?」
「……有り得ない……」
俺が笑った事で、一緒に窓から三郎親子を眺めてた弥彦が答えると、シンがぼそりと呟く。
「シン、お前本当に濡れるの嫌いだよなあ」
「……どうしても、どうしても苦手なのだ」
「そっか。けど、毎日ちゃんと我慢して風呂に入ってんだ、すげえよシンは」
「俺だってちゃんと入ってるからなっ!」
「ああ、弥彦も最近大人しく入れるようになって偉い偉い」
そんな話しをしながら俺は三郎親子を眺めてたんだが、二人揃って同時にゴロリと転がって、今度はうつ伏せになって雨を楽しんでいるように見える。
「……雨に、何か含まれてんのかな?」
その質問には誰も答えてくれず。
けど、清水でしか生きられないと言う河童がわざわざああして当たるんだから、きっととても良い物が含まれているに違いない。
「飲んでみるか?」
「……どうやって?」
そう言った俺に、弥彦と央太が目をキラキラさせて聞いて来たので、台所からコップを持って来て庭の縁台の上に置く事にする。
「シンも飲むよな?」
「…………飲みたい、が」
「いいよ、俺がシンの分も置いて来てやるから」
「だ、だが」
「大丈夫だよ、これくらい。それについでだしな」
飲んではみたいがこの雨の中外に出たくないと、心の中が良く顔に出ていたのでシンの分は俺がセットしてやろうと思った。
弥彦と央太と三人で傘を差し、庭に出てコップを置いた後何となく空を見上げる。
重く淀んだ雲が、動かずにずっとその場に留まっている気がする。
「……何時になったら晴れるのかねえ」
うんざりしながら空を見上げた俺達は、その後俺の部屋で枕投げをしたり、勉強をしたり、双六をして過ごして。コップの事を思い出したのは夕飯の最中だったので、片付けが終わってからコップを取りに外に出たんだが。
「……私のは?」
一斤にそう言われた俺達は全員がコップを傾けた所で固まり。
「ご、ごめん、忘れてた」
「悪かった」
「すまない、一斤」
「ぼ、僕のを少し分けてあげるよ」
素直に頭を下げて謝った後、全員のコップから少しずつ分けて行ってもう一度皆でコップを持ち。
「頂きますっ!」
たかが雨水なんだけど皆で分け合って飲むってのが楽しいのか、それともやっぱり雨水に何かが含まれていたのかはわからない。
わからないけど、コップに溜まった雨水を皆で飲んで笑い合った。
味は……、普通に水だったけど。
「なんだ、騒がしいな?」
「も、百入さん!お帰りなさい!」
「おう、ただいま。何だ、もしかして酒でも飲んでんのか?」
そんな事を言いながら部屋の中へと入ってきた百入さんに、実はこれこれこう言う訳でと話しをすると、百入さんはクツクツと笑って皆の頭を撫でた。
「いいなあお前ら。雨水でそんなにご機嫌になれるなんてなあ」
そう言った後、早く風呂に入って寝ろよと言われ、はあいと返事をし。
小梅さんの所で一斤と別れ、皆で風呂に入った後。
「……なあ、俺ちょっと、百入さんの所に行って来る」
「わかった」
聞いてもいいのかどうかすごく悩んだんだ、これでも。
俺は百入さんに世話になってるだけだから、百入さんのそういう、個人的な事を聞いてもいいのかどうかってさ。
けど、何かさ、聞いてもいい気がしてさ。
廊下を歩いて行って百入さんの部屋の前で止まり、何か緊張して来て何度か深呼吸繰り返して。
「萌葱です」
「おう、入れよ」
「……失礼します」
そう言ってからもう一回深呼吸してさ。
そんで、襖を開けて百入さんの部屋に入った。百入さんは一人で夕飯を食べてる所だったから、食べ終わった頃に出直そうかって思ったんだけど。
「どうした、萌葱?」
夕飯を食べながら話しを聞くっていうから、百入さんの前に座り込んで何回か深呼吸して。
そんな事をしてる間に、百入さんは最後の沢庵を口に入れてボリボリ齧りながらご飯を全部口の中にかきこんだ。
「あの、俺ずっと気になってて……」
「……ああ」
お茶をゴクリと飲みながらそう返事をした百入さんを見たら、やっぱり止めれば良かったって思えて来た。
手の汗を太腿で拭いながら何て言おうか、どう言えばいいかって散々考えて。
急に怖くなって来た。
変な事を聞いて怒らせてしまったらどうしよう、ここから追い出されたらって考えたら、何も言えなくなってしまった。
「……なあ、萌葱」
百入さんの声にビクッと身体が跳ねた。
何しに来たんだと怒っているんだろうか、それともいつまでここにいるのかと怒っているんだろうかと、ぎゅっと手を握り締めたのと同時に瞼もぎゅっと閉じた。
ガチャガチャっと食器がぶつかる音がした時は、俺の心臓がバクバクと音を立てていた気がする。
「萌葱」
凄く優しい声で呼ばれたのと同時に、俯いた俺の頭に大きな百入さんの手がポンと乗せられる。
「俺とお前は、血は繋がってねえけどよ」
そう言って髪をグッシャグシャにかき混ぜられながらさ。
「俺を父と呼べとか兄と思えなんて、そんな偉そうな事は言わねえ。言わねえけど、俺がお前の家族だってのは忘れんな」
そう言われて。
気付いたら握り締めた手の甲に、ポタリポタリと涙が零れてた。
何か……、何て言うか。
そうだな、俺、凄く、嬉しかったんだ。