第十七話 シンと風呂
この屋敷にシンが住み着く事が決まったから、皆に挨拶させようと思ったもんで昼飯の後部屋から連れ出したらすぐに千歳が近寄って来た。
「これが噂の猫又か」
「食うなよ?」
「やだなあ、食べたりしないよ」
念の為と釘を刺せば、千歳は笑いながらそう答えたけど。
シンの怪我が治るまでは俺の部屋から出さなかったから、妖怪共は興味津々だった。
ああ、何でチビ共以外の妖怪が俺の部屋に入れねえかって言うと、部屋ってのは一種の結界にする事が出来るんだ。神気を使いこなす修行の一つで、自分の部屋に自分の神気を巡らせるって事をやっているから、俺の部屋には俺が招き入れた者しか入れねえ事になってる。
まあ、千歳は当然として他の妖怪を入れないのは、形にならない小さな妖共が脅えるからだ。形を保てる妖怪は、そんだけ妖気が強いんだろうなあ。
まあ、千歳が教えてくれなかったら知らなかった事だけどさ。
千歳や他の妖怪共から、風呂に入った時には必ず質問攻めにされてたが、出て行くって事もあるからと言って、何も言ってなかったんだ。だからきっと、余計に興味をそそられちまったんだろうな。
「シンって言うんだ。これから頼むよ」
「ふうん?」
「……よろしくお願いします」
シンは、千歳を見上げて怯えながらもそう言っていた。まあ、妖怪の世界にも礼儀は必要だからと思ってさ。
「私は千歳と言う。先に言っておくけれど、萌葱は私の特別だから」
「テメエ、挨拶がてらに何気持ち悪いこと宣言してんだよっ!」
千歳の言葉に即時言い返し、シンを見下ろしてみれば、シンは眼を真ん丸にして俺を凝視してた。そんなに驚く事なのかね?全然わかんねえんだけど。
「……なあ千歳。お前ひょっとして妖怪の中じゃ何かこう、ヤバイ奴みたいな認識されてんのか?」
「どうだろうねえ?自分の事と言う物は、自分では良く分からないよねえ」
ニヤニヤと笑いながらそう返され、結局いつもこうして煙に巻くんだよなあと思いつつ、面倒だからまあいいやと思っちまう俺も悪いんだが。
「百入さんのとこに行くんだが、お前も来るのか?」
「暇だからね」
「ああそう。言っておくがシンには手え出すなよ?」
「わかったよ」
千歳に再度釘を刺してからシンを促し、そうして百入さんの部屋へと入ってみれば、そこには百入さんを挟んで錫と雪姫が鎮座していた。
「えっと……入っても良かったんですか?」
「ああ。と言うか、コイツラにもどうせ挨拶に行くつもりだったんだろ?」
「はい。必要だと思ってたので」
「だと思ったから呼んでおいた。いっぺんに済ませた方が面倒が無くていい」
百入さんはそう言って、相変わらず着流しの胸元を見せながら脇息に肘付いて煙管をくゆらせてた。色っぽさで言ったら、千歳の方が色っぽいな?
ああ、いやいや、俺ちょっと毒されて来てんのかもしれねえ。
男が色っぽく見えるとか駄目過ぎんだろ、俺。
「猫又のシンです。シン、この人が百入さんだ」
「……シンと申します。厄介にならせて頂けます事、お礼申し上げます」
シンはそう言うと、座布団の上で頭を下げて目を閉じた。
妖怪が目を閉じて見せるってのは、敵意は無いって証拠なんだって千歳に教えて貰った事がある。
「シンって名は、誰が付けてくれたんだ?」
百入さんがそう聞くと、シンは少し黙って悩んだみたいだけど答える事にしたらしい。
「昔、俺を飼ってた女が」
「そうか。ならその名の方が良さそうだな」
「……はい」
どうやら百入さんが聞きたいのはそれだけだったみたいなので、その後錫と雪姫を紹介し、シンは同じように目を閉じて挨拶をした。
「お前、人の形にはなれぬのか?」
雪姫の問い掛けにシンはまた少し考えた後、人の形へと変化した。妖怪の変化ってのは本当に一瞬で、瞬きなんてしなくてもわかんねえんだよな。
それだけ妖気を使いこなしてるって事なんだろうけどさ。
「猫息子っ!?」
つい、俺がそう言っちまったら、部屋ん中がしんとした後百入さんと千歳に爆笑された。
いやだってよう、猫娘がいるなら男なら猫息子だろうって思ったんだよ。
しょうがねえだろうが。
「息子か。よし、シンは萌葱の息子に決定だな?」
「え、いやいや、俺まだ十六ですからっ!」
「いいじゃねえか、もう子供が四人いるだろ?これで五人なんて子沢山でいいな?」
「子供じゃないですよっ!弟妹ですっ!兄なんですっ!」
俺の心からの叫びに、錫と雪姫が可笑しそうに笑い。
振り返れば千歳まで声を抑えて笑っていた。
「……じゃあ今から百入さんの事父ちゃんて呼びます」
「おう、いいぞ」
え……何でそんなあっさり認めんだよ。おかしいだろ。
「百入は余裕だねえ」
「いや、俺どうやら嫁貰えねえみてえだからなあ」
「貰わないんだろ?」
「いや、錫を見てたら欲しくなったが。何か誰も来てくれねえだろうなあって思ってよ」
「本気なら誰ぞ紹介せんでもないが」
千歳の言葉に百入さんが答えれば、錫と雪姫までが乗って話しててさ。
その会話聞いててそう言えばって気が付いたんだが。
「……もしかして、退治屋って結婚できない?」
思わず呟けば、全員が俺を見てさ。
「そりゃまあ、な?」
「萌葱、お前は今頃何を言っておる?」
「通い婚ならありではないのか?」
「浮気され放題になっちゃうねえ」
……マジか……マジなのかっ!?
「萌葱は結婚したかったのかな?」
「あー……いや、願望って程じゃねえけどさ。何つうかこう、普通に結婚するもんだと思ってたっつうか……ええ?」
「諦めろとは言わねえけど……まあ、頑張れ?」
ぐは……俺、何か普通に女の子と付き合えるのかどうかもわかんなくなって来た。
えー、俺もデートしてみてえよ……。
「萌葱、大丈夫、私が誰か紹介してあげるから」
「いらねえっ!お前の施しは受けねえっ!」
「やだなあ、友達の友達はどんどん広げていくといいんだよ?」
「お前が言うと変な想像しか出来ねえんだよっ!」
あー、もう何か……ちくしょうっ!
「やだなあ、行き付く先は皆同じじゃないか」
「うるせえっ!俺は手え握るだけでドキドキしてえんだよっ!」
千歳に言い返せば、皆がどっと笑う。
「いいねえ、若いねえ」
「純粋でいいなあ」
「百入はもっと爛れておったの?」
「妖の中で生きて来たからなあ。食うか食われるかって言う危機感がな」
そうして皆に笑われながらも、シンの挨拶が済んでさ。
百入さんの部屋を出て廊下を歩きながら、シンにどっちの姿でもいいけど、ここにいるなら手伝いをしろって言っておいた。
ちゃんとやれる事はやらねえとな。
「お前を手伝えばいいのか?」
「まあ、俺と同じ事だな?まずは雑巾掛けと庭掃除、飯の支度の手伝いだな」
「わかった。では人型のままでいよう」
「ああ……」
シンはそう言って手伝いを了承したんだが。
何かこう、違うんだよ。猫息子の姿だと小っこい男の子にしか見えねえからさ、この喋り方だと何か生意気にしか見えねえっつうか。
「なあ、喋り方を変えるって事は出来るか?」
「……何故?」
「いや、何か小っこい子が偉そうにしてるみたいで、何か違うって思っちまう」
「私は小さな子供ではないが?」
「いや、わかってる。わかってんだが……何だろう、こう、思い切り頬を抓りたくなる」
生意気な口めっ!みたいな気分になって来るんだよなあ。
まあ、元々が白地に黒のぶちだからなのか、髪の色が白いのも何かこう、違和感ありまくりでなあ……。
「その喋り方をするなら、身体を大きくするとか?」
「……この中では無理だ」
廊下で立ち止まって話してたんだが、俺をじっと見上げてそう言って来てさ。
そこではっと気付いたんだよな、俺。
「シン、悪かった。今言った事は俺の我儘だから気にしなくていいんだ」
「……だが、お前が不快な思いをするのだろう?」
「いいんだ。ごめん、ごめんな?」
しゃがみ込んでそう言って頭を下げた。
無理に誰かに合わせる事なんてねえって、自分で良く知ってんのになあ。
駄目だな、俺。
「……萌葱、すまない」
「お前が謝る事じゃねえよ。俺が悪いんだ」
あー、すげえ馬鹿な事言っちまった。
反省しろ、俺。
「シン、お前はお前のままでいいんだ」
昔、ここに来た頃に言われた事をそのままシンに伝える。
『無理しなくていい』って、何度もそう言ってくれた事がどれだけ嬉しかったか。
そのままで受け入れて貰えた事が、どれだけ嬉しかったか。
「シン。これからよろしくな?」
「……ああ」
何か情けねえなあって思いながら立ち上がってさ。
シンと部屋に戻って文机の前に座って勉強始めたら、シンは俺の隣に座り込んで教科書覗き込んで来た。文字が読めるのかって聞いたら読めないって言うもんで、シンに平仮名を教えたら『面白い』何て言うもんでさ。
つい、勉強そっちのけでシンと二人で平仮名の勉強してた。
まあ、こんなのも偶にはいいよな?
昼寝から起き出したチビ共にも、シンがこれからは一緒に暮らす事を伝えてさ。
初めての手伝いに最初はビクビクしてたシンも、そんな事言ってられなくなるくらい動き回ってた。まあ、小梅さんは容赦なく扱き使う人だからな。
「いただきますっ!」
手を合わせて夕飯食べて一緒に風呂に入れば、物凄く嫌がったが俺は例外は許さねえんだよ。
「嫌だっ!水を浴びるなんて正気の沙汰ではないっ!」
「ここに住むなら毎日入るのがルールだ」
「そうだぞ?俺だって大嫌いだが仕方なく入ってる」
「お前は洗うのが面倒なだけだろうがっ!」
嫌だと暴れるシンを無理矢理風呂に引っ張って来て、チビ共と一緒に着物剥いで身体をゴシゴシと洗ってやった。怪我は治ったと言うから、そりゃもう遠慮なく洗ってやったぜ。
「……もう……やだ……」
洗い終わっただけで力尽きたシンを湯の中に放り込んで、三百数えるまで出るなと命令すれば、弥彦が慰めてて笑える。
人型になって猫耳と尻尾だけが生えてる状態ってたぶん、漫画と同じなんだろうなあ。
お蔭で洗いやすいし、蚤も付かねえだろうけど、それでも一緒に住むなら最低限の礼儀の一つだ。慣れてもらうしかねえな。
「……萌葱、お前は鬼のようだ」
風呂から出て身体を拭いていると、シンが恨みの篭った目を向けながらそう言って来たから、つい、腹を抱えて笑っちまった。
本当に、猫って風呂が嫌いなんだなあ。