第十一話 鼻の穴
「吸血鬼?」
「ああ。ちいと預かる事になったから頼みたい」
「ええ、それは大丈夫ですけど……チビ共に手え出したりしないですよね?」
「大丈夫だ。牙は抜いておくからよ。それに、萌葱も十六だしな」
百入さんはにかっと笑いながらそう言った。
器が完成した訳じゃねえから外の仕事はまだ出来ねえけど、ここに連れて来た妖怪の面倒見るくらいなら大丈夫だろうって話しでさ。
んで、そんな話しをしたのが三日前だ。
青藍さんに連れられてやって来た吸血鬼は、何か映画の中からそのまま抜け出して来たみたいな服着てて。正直、笑える。
貴族みたいなヒラヒラが付いてるシャツと、スカーフって言うんだったか?これもヒラヒラのもんを首元に巻いて、赤い宝石が付いてるブローチ付けててさ。黒のスーツに、髪はオールバックなんだが、ちょっとだけ前髪が垂れてるのがポイントだろうか。
ホント、映画通りって言うか、漫画通りって言うか。
まあ、俺は付いてたテレビで流れてたコマーシャルを見た事があるだけだからわかんねえけど。
「君は?」
掛けてたサングラスを外しながら俺に向かってそう言うんだけど。
その外し方とか、名前の問い方がどうにもおかしくて。俺はもう笑いを堪えるのだけで限界だった。くそ、出迎え何て出なきゃ良かったと思いながら、懸命に視線を外してんのに、吸血鬼はわざわざ俺の視界に入って来てさ。
「……なるほど、君が萌葱君だね?」
って、鼻の穴膨らませてそう言った。
いや、千歳から聞いてるから俺の神気の匂いが何か美味そうな匂いだってのは知ってるからいいんだけど、鼻の穴……もう駄目だとばかりに吹き出し、思い切り笑ってしまった。
スミマセン、本当にごめんなさい。
「すまないね。萌葱はまだ子供だから後で良く叱っておくよ」
「……君は?」
「私は千歳だよ。君の仲間さ」
俺に手を伸ばした吸血鬼から庇うように前に立った千歳がそう言ってくれてさ。
俺は千歳の背中に隠れて何とか笑いを収めるべく頑張ったんだけど、こういう時って余計笑っちまうんだよな。もうどうしてもあの鼻の穴が……駄目だ、俺、今日はもう駄目だ。
青藍さんが「こちらへどうぞ」っつって吸血鬼を連れて行ってくれて。
何とか笑いも落ち着いて来たんで顔を上げたら、千歳と目が合って、俺はまた笑いのツボへ身を投じた。ああ、駄目だ。
「あー、すっげえ笑った。ごめんな、千歳」
「まあ仕方が無いね。あの鼻の穴じゃあね」
「っ、言うな、千歳っ」
そうして再び笑いのツボに入ってしまう。
ああ、くそ、何でこんなに笑えるのか。
「青藍が笑っているのを初めて見たよ」
「え、青藍さんが笑ってた?」
「ああ。萌葱は見なかったのかい?」
「……見はぐった」
そんな貴重なもんを見逃すとは……不覚。
ちっ、また笑ってくれねえかなあ。
吸血鬼、侮れない奴。
まあ、最初の出会いはこんな感じですげえ失礼だったなあって自分でもわかってる。
そんでも、あの膨らんだ鼻の穴を思い出す度にどうも笑っちまって。
「萌葱君、何がそんなに可笑しいのか、教えてくれないかな?」
「いや、ごめんなさい、本当に。貴方がどうって訳じゃなくて、自分の問題なんです。不快な思いをさせてしまって申し訳ありません」
吸血鬼は、サー・ネストウェルと名乗った。
青白い肌に金色の綺麗な髪をしてて、やっぱり顔は良い方だと思う。
「サー・ネストウェル、ご無礼をお許し下さい」
人の顔を見る度に笑いを堪えていてはいけないと、反省する。
「……いいんだよ、萌葱君。良かったら、一緒にお茶を楽しまないか?」
どうだい?と聞かれれば、俺はありがとうございますと受けるしかない。
頼む、鼻の穴を膨らませるなよ?と思いながらサー・ネストウェルの対面にある椅子に腰を下ろした。この屋敷、日本家屋で畳の部屋しかねえって思ってたけど、何故か洋間があった。大きめのベッドとこうしてテーブルと椅子が置かれてる客間だ。
まあ、小梅さんが担当してるから知らなかっただけなんだろうけどさ。
「君はまだ若いようだね」
「はい。修行中なんです」
「そのようだ。ここに来てからは長いのかな?」
「そう、ですね。六年になります」
何故か嬉しそうに笑いながら頷き、そうして俺の目の前にお茶とクッキーを出してくれた。
「……ここの暮らしは楽しいかな?」
「そうですね、楽しいです」
「そうか。では、我々の事が好きかな?」
「……え?」
「ああ、ええと、妖怪、と呼ばれているんだったか?君は妖怪が好きかい?」
サー・ネストウェルの言う事は理解出来たが。
何かコイツ、ヤバイか?
「……人と同じですよ。好きになれる奴もいれば嫌いな奴もいる」
「そうか……そうだね」
用心しながら答えれば、サー・ネストウェルは口だけ笑った顔で頷いて見せた。
そうか、眼が笑ってねえから何か変だと思ったのかと気付く。
「萌葱君、君はいくつかな?」
「十六です」
「若いね。我々吸血鬼はとても長命だと言うのは知っているかな?」
「ええと、フィクションの世界ならそう言う決まりになってますね?」
「ああ、そうだね、確かに。我々は題材になりやすい」
「そうですね。色んな物語がありますよね」
「……中には、本当の事も描かれていたりするんだよ?」
「そうなんですか?」
「ああ」
笑顔でそう言って頷いた後、お茶を飲んで再び俺へと視線を向ける。
「萌葱君は、こちらの世界に興味はないのかな?」
「……まあ、それなりにはあります」
何だろう、やっぱ何かヤバい気がする。
んでも、話しを途中で遮って部屋を出て行くなんて事したら失礼だしなあ。
そんな風にどうするべきかと悩んでいる時だった。
サー・ネストウェルが、すうううっと息を吸い込んだ。
鼻の穴を物凄く膨らませて。
丁度お茶を口にしようとしてた所だった俺は、思い切り吹き出してサー・ネストウェルの顔に思い切りお茶を吹きかけてしまい。
「ごめんなさいっ!今タオル持って来ますっ!」
慌てて立ち上がってさっさと部屋を出てさ。
我慢してたんだが途中でゲラゲラと腹を抱えて笑った後、急いでタオル持って戻ったら千歳がそこにいた。
「萌葱、タオルはもういいよ」
「え?でも」
「大丈夫だよ。ねえ?サー・ネストウェル?」
「……ああ、大丈夫だ」
「あの、俺、本当にスミマセンでしたっ!」
ちゃんと謝って頭下げてさ。
千歳が一緒に部屋を出ようって言うもんで、お茶ご馳走様でしたって声を掛けてから部屋を出た。結局一口も飲んでねえけど、礼を言うのは当たり前だと思ったからな。
そうして客間を出て暫く歩いた後。
「もう、駄目、無理、勘弁しろ」
切れ切れにしか出ない言葉と、笑い過ぎて痛くなった腹を抱えながら思い切り膨らんだ鼻の穴を思い出しては、もう一度ゲラゲラと笑い転げた。
何て言うか、すげえお洒落してる奴の鼻の穴がこれでもかってくらいに開くと、こんなにも笑えるのかと思ったらさ。
もうホント、俺無理だ。
「……また膨らんだのかい?」
「千歳、言うな」
笑い転げる俺を呆れたように見下ろして、そうして千歳も釣られたように笑い出した。
あー、もう俺にはサー・ネストウェルの面倒見るの無理だぜ。
「なあ、あの人何時までいるんだ?」
「さあ?私は何も聞いていないよ?」
「そうか。あー、やべえ、あの人がいる間ずっとこんなだったら困る」
「いいんじゃないかな?きっとプライド粉々になるだろうし」
「……それ、良くねえだろ」
そう言うと千歳が笑う。
「大丈夫だよ。少し大人しくしてくれないとこっちも困る」
「ん?あの人、何かやらかしてんのか?」
「まあねえ、色々とねえ」
「……ふうん?」
良く分かんねえけど、やっぱり日本の妖怪とあっちの妖怪ってのは、仲が良くねえのかもしれねえなあと千歳を見て思った。
「なあ千歳」
「なんだい?」
「あっちの妖怪ってさ、やっぱ色々と違うもんなのか?」
「そうだねえ……自己主張が強くて鬱陶しい。やたらと他と比べて悦に入って満足そうにしてる小物かな?」
「うわ……身も蓋もねえな」
「プライドが高くて鼻に着くし、我々を野蛮だと決め付けて憚らない」
「……なるほど。開国した頃の日本人みてえな事言うんだな」
「あの時も、同じように言われたけれど野蛮なのはあちらの方だよ」
千歳のその言葉に暫し瞠目する。
「おい、今『あの時』って言ったか?」
「言ったよ?私はその頃には存在していたからね」
「……お前……すげえ年寄りじゃんっ!若作りし過ぎだろっ!何それ、おかしいだろっ!」
黒船の来航が千八百五十三年だってのは、必死で覚えた事だ。
この辺、鈍色さんが何か思い入れがあるみたいで他にも色々叩き込まれたけど、何年かはしっかり覚えてる。
え?今二千十四年だろ?
って事は、千歳は少なくとも百六十一歳よりは上って事じゃねえかっ!
「お前、何気に百超えてんじゃねえか」
「まだ若いよ」
「え……なあ、妖怪ってどれくらい生きるんだよ」
「それこそ、妖気の強さによるんだよ、萌葱」
「……マジでか」
「マジだよ」
俺の言葉を真似して答えた千歳は、にっこりと笑いながら俺を見てた。
って事はだ、大妖怪である千歳はもっと長生きするって事か。
「あの吸血鬼は私よりずっと年寄りだけれどね」
俺は今度こそ、驚嘆に目と口を開いて間抜けな顔で千歳を見上げてた。
サー・ネストウェル、見た目は二十代中頃だぜ?まあ、千歳もそんくらいに見えるんだけどよ。やっぱ、妖怪ってわかんねえよ。
「吸血鬼と言うのは、不死者とも言われているようだからね」
そう言って千歳は笑ったけど、俺には笑えなかった。
不死者ってのは、死なないとか永遠の生だって言われてるけどさ。
死ねないってのは、どんなに孤独だろうって思うんだよなあ。




