彼女のかけた願い
息が切れる。
身体が悲鳴を上げている。
俺達が何か悪いことでもしたのか。
できることなら追ってくる奴らも、このくそみたいな計画を立案し実行してきた奴らも全員皆殺しにしてやりたい。
頭に血が登りそうになった充はハッと我に返り、弱々しく自分の手を握る少女を見た。
少女は息を切らし苦悶の表情を浮かべながらも懸命に充についてきていた。
………
わずか五歳のときに両親を失った俺は施設で預けられた。最初は誰とも話したりしなかった。両親を失ったということが幼い俺にはよく理解できていなかったからだ。
何故こんなところにいなければならないのか。
ここにいる奴らと話すより家族との思い出を振り返っているほうがよほど楽しい。
町はずれのここからでも見える中央の巨大な女神像をただ見つめてそんなことばかりを考えていた。
しかし、そんな日々は意外にも早く終わり迎えることになった。
「きみー!」
「きみだよ!きみきみ!!」
振り向くと一人の少女がそこにいた。
真っ白なワンピースだったのだろうが、泥団子でも作っていたのかきれいな服も両手も泥まみれである。
「何つまらなそうな顔してんの!そんな顔してるとこっちまでつまらなくなっちゃうんだよ!」
「………」
「私は小里玉依。きみの名前は?寂しがりやちゃん?」
「……ちがう。寂しがりやちゃんなんかじゃない」
「じゃぁ、なんていうの?」
「……しばた ……みつる」
「そうかい、そうかい。ではみつる、えらーいたまちゃんから1つ命令をやろう!」
「………?」
「私の友だちになりなさい!! ねっ!!」
そう言いきると同時に少女は泥だらけの手で俺の両頬を豪快に掴んだ。
悩み事なんて吹き飛んでしまいそうな満面の笑みを浮かべて。
………
そして今、俺達二人は逃げている。この施設から。
この施設の皆はとても仲が良い。だが、不思議なことに里親に引き取られたという奴らが一人も挨拶に来たことはない。
養子になるというのはそういうものなのかとも思ったが、あれほど仲が良かったのだからまた会いたいと思わないのだろうか。しかし、施設の人に聞いても、今度伝えておくよ、としか返ってこない。
電子機器をいじるのが好きだった俺は引き取られた奴らがどこに住んでいるのか調べるためにこうして深夜に施設のサーバーに侵入した。
探ってみると驚くほど膨大な量のデータが存在していた。ただの児童養護施設にあるには不自然なほどにだ。好奇心で開いたが、その中に保存されている内容は信じられないようなものだった。
生体新エネルギー開発実験。
俺達のいる世界、帝政秋津国は有史以来、二度の大戦含めた全ての戦争に勝利してきた、強大国家だ。幾度にも渡るエネルギー革命を起こし、多くのものをエネルギー資源として利用する。科学技術は他世界の追随を一切許していない。
しかし、秋津国には大きな欠点が存在した。
それは異常なまでの排他性である。秋津人は選ばれた選民であるとし、神とその神が作ったと言われる女神像を崇拝していた。
秋津国は他国民やその文化、技術は勿論のこと他国土に存在する資源すらも排斥してしまう。
秋津国はこの特性ゆえに他国に関し、ほとんど干渉したことがなかった。
しかし近年、非魔導国家であるこの国で研究されている理論上実現可能な技術の多くが通常科学ではエネルギー面で極めて非効率的であったり、はたまた半ば実現不可能に成りかねないものが多く現れてしまった。
そこで発案されたのがこの生体新エネルギー開発計画、つまりは科学的に魔力の生成を行う計画ということらしい。
帝政秋津国は実験用モルモットに身寄りのない孤児たちを選んだ。
この施設の子供たちは皆、頻繁に健康診断を行うために麻酔を打たれる。ここが孤児養育ではなく人体実験を目的としているのならおそらくこれは健康診断なんかではなく何かしらの人体実験を行っていると容易に推測することができる。
更に詳しく個々人の実験の進行状況、及びその結果の記されている頁を俺は開いた。
「!?」
驚愕した。今もこの施設で暮らしている者には細かい現在の実験の進行状況が、そして、里親に引き取られた仲間達の顔写真には赤色のチェックと詳細な死亡時刻が付記されている!
どうりで誰も会いに来ないわけだ。全員死んでいたのだ。それでは会える訳がない。
突然に自身が置かれている状況を悟り頭がなかなかついていかない。だが、おれには最後に絶対に確認したいことがあった。
玉の実験の進行状況である。
しかし俺と玉のデータだけが見当たらない。どこを開いても出てこない。
何故だ?他の場所に保存されている?俺達二人だけが?
「くそっ!!」
とにかくどうにかしなければならない。玉は明日定期検診のはずだ。時間はそうない。
充は電源を切って足音をたてないように静かに女性部屋に向かう。
女性部屋に着くと部屋の左奥のベッドの上に玉が座っている。音を立てないように近付くと玉がこちらを振り向いた。
「やっぱり来た。充が来るとなんか起きちゃうんだよね」
そう言うとたまは優しくニコッと笑んだ。
「少し外出よっか、ここだと誰か起きたら大騒ぎになっちゃうしね」
外に出ると心地よい風が静かに吹いていた。
玉の長い黒髪がわずかになびく。
空と玉、この二つの要素それだけで飾り気のない美しい絵画が出来てしまう。
初めて会ったあのときから10年間一緒に過ごしてきた。あの頃の幼さと大人の情調とが入り交じり、まるでこの少女だけが世界から一人解離しているかのような錯覚すらを覚えた。
家族のようにずっと一緒にいたのにこんな風に思う自分が少し恥ずかしくなったが悪い気はしなかった。
この子が心に空いた大きな穴を埋めてくれたんだ。この子がいなかったら自分はとうの昔に自分で命を絶っていたかもしれない。感謝してもしきれない、誰よりも大切な人。
「ねぇ、少し施設の外までお出かけしない? 今からこっそりここ抜け出して検診サボっちゃおうぜ」
悟られてはいけない。玉のことだ、事態を知れば他の皆も一緒に、なんてことを言い出すだろう。そうなってはばれない訳がない。ここのセキュリティシステムは停止させたがそう長くはもたないかもしれないのだ。施設の皆にまで気を配る余裕は無い。
「えっ!? 随分と突然だね。そんなことばれたら怒られちゃうよ?」
そう、おそらく見つかれば薬漬けかその場で殺される。
「そうかもね。でも大丈夫でしょ。施設長優しいし、そんなに怒らないよ。」
彼女を安心させるため、俺は笑顔をつくった。渾身の作り笑いだ。人生でここまで心にもないことを言ったのは初めてかもしれない。
「この施設の外ほとんど出たことないしな~。どこかあてでもあるの? 何か用事とか?」
玉は不思議そうに首をかしげた。
「あーこの前、タクから里親先がすごくつまらなくて暇だから遊びに来いって手紙来てさ」
「えー! タクから連絡きたの!? 私、手紙送っても忙しいから会えないっていう手紙しか返ってこなかったんだけど」
「ハハッ お前には会いたくないのかもな~ 俺にはちゃんと返事返ってきたしな」
彼女の不安を取り除くために俺はあえてひょうきんそうにそう言った。
「えー!? 何それ!絶対そんなこと思ってないもん!」
「ハハハッ 冗談、冗談。本当にそう思ってたら誘ったりしないって。手紙にあったんだよ、玉も一緒にってさ」
玉は依然として納得がいかないのか小さく口をすぼめた。
「ふーん、ならいいけどさ。後であの手紙のこと問い詰めてやろ。で、他の皆は一緒に行かないの?」
「いやーあいつの里親の家、普通の小さな家だからあんまり大所帯で行くわけにもいかないんだよね」
玉は未だに悩んでいる様子である。それはそうだ。多少不自然なのは自分でも承知の上だ。しかし、俺には奥の手があった。
俺は玉の前で両手を合わせた。
「頼む! 俺、あいつに玉連れて明日行くって言っちゃったんだよ。玉が検診あるの今日知ってさ。玉来てくんないと俺が困っちゃうよ」
玉は今まで俺の頼み事はほとんど断ったことはない。特に俺が困る、と言うと決まって了承してくれる。
玉は、うーんと少し悩んだ様子を見せたが、
「わかった! 行こう! 荷物何持っていけばいいの?」
正直今すぐにでもここから出たかったが荷物は要らないというのは流石に不自然過ぎる。俺は必用な荷物を伝えて玉が荷物を取りに行っている間に施設の金を幾らか持ち出した。
校舎の出入口で再び合流し、正門へ向かう。この施設は二重構造になっており正門を抜けると児童侵入禁止区域となっている。確認した限りでは禁止区域には脱走者、侵入者を排除するセキュリティ、そして正門には何重にもロックが掛かっている。両方とも解除したものの復旧していたらと考えると脂汗が止まらない。
正門を抜けた。セキュリティが作動すれば一瞬で蜂の巣にされかねない位置だ。
「大丈夫、充?」
「う、ああ、大丈夫、大丈夫」
「君達、何をしているのかね?」
突然後ろから聞き覚えのある声がした。
瞬間、充の目が驚愕を示す。
「こんな遅くに外へ出たら危ないよ、部屋に戻りなさい」
施設長が悩ましいように眉をハの字状にし、正門より少し後ろに立っている。
充の額から汗が流れ落ちる。
「先生こそ何故こんな夜中に?」
「君が一番よく解っているんじゃないのかい」
施設長は一つ間を開けた。
「君は施設のセキュリティシステムに小細工をした。そうだろう?」
「えっ!? 何を言っているの? 充?」
玉依は全く現状が理解できずに思わず当惑してしまっている。
もう全てバレている。施設長の口調から充はよくその事を理解した。
「全く大したものだよ。この私でも解くには多少時間が掛かりそうだ。しかし、私も君達に逃げられると非常に困るんだよ」
「モルモットの一匹や二匹見逃して下さいよ」
施設長は不気味にニヤリと笑う。
「確かにそこの施設で寝てるガキどもならその門を越えた時点で即刻射殺してただろうね。でもね、君達二人だけはそうはいかないんだよ」
「!?」
「充くん。君はさっきこの施設に保存されている実験結果を見ただろう。 あそこに君達二人のものはあったかね?」
「回りくどい言い回しですね。そんなことを聞くんです。別の場所に保管されているか、あるいは厳重にロックされているということのように聞こえますが」
「その通りだよ。あそこに君達のデータは無い。君達はね、
本当に特別なんだよ」
「あそこに記録されている子達の実験に対する適応度を覚えているかい? ほとんどが3~5%ほどだ」
「理論は完成しているはずなんだけどね。僅かな誤差が大きな影響を与えてしまうようでね。10%を越えるのは100人に一人もいないぐらいだ」
「しかし、君達は違う。適応率は奇跡が起きてもあり得ない90%を越える。まさしく神の御業だ!」
興奮した施設長はそう言うと腕を高く伸ばし強く握り締め、ひどく興奮している。
「君達は実験を本格的に開始すれば一日ともたないあの役立たずのモルモットどもとは違う!おそらく二ヶ月はもつだろう!それだけあれば一体どれほどデータを集められるか知れない。過去最大のエネルギー革命が起こるかもしれない!神は私に素晴らしい祝福を下さったのだ!!」
「そして、私は莫大な富と名声を手に入れることになる。喜びなさい。君たちはこの偉大な私の役に立てるのだから!」
充の目が僅かに血走る。
そんなことのために家族のように思っていた皆が殺されたのかと思うとどうしょうもないほどの怒りが込み上げてくる。
10年間も共にいて何故俺はこいつがどうしょうもないクズだと気付くことができなかったのだろうか。
充は冷静を努めて表情に出さない。
「ふざけるのも大概にしてほしいものですね。自分で何を言っているのか解ってるんですか?」
「勿論解っているさ。さぁ、私のもとにおいで。また一緒に暮らそう!」
そう言うと同時に二重の門の両方から黒い軍服のような服装をした男達が30人ほど出てきて二人の周囲を取り囲んだ。
「み、充、これなに? 先生すごくおかしな事言ってる。どうしちゃったの?」
玉依は混乱しながらも懸命に状況を整理しようとしている。
充は玉依の両肩を掴み、ニコッと笑う。
「大丈夫だよ、大丈夫。心配いらないよ」
「全然大丈夫じゃないよ…」
「ついてきて。お願い」
充はそう言うと玉依の手を強く握り、黒い敵兵士達に向かって走り出した。
警備兵士達は素早く警棒を取り出し構える。
充が警備兵の内の一人を見つめながら接近する。
警備兵の一人が間合いに充が入る直前に警棒を振るう。直後充が間合いに入る。しかし、充はそれを紙一重でかわす。
そのままの勢いで充は相手の振るった腕の方に僅かに軌道をずらし背中側へ回る。
真横にいるもう一人の敵兵士が凄まじい勢いで警棒を振るう。後ろにいる玉依に当たってしまう軌道である。
充は直前かわした兵の首を右手で掴み左手で腰を押した。突然のことに敵兵士はうめき声を上げ体が九の字形に曲がり宙に浮く。
充はそのまま相手の顔を警棒の軌道まで下ろした。
鈍い痛々しい音が鳴る。
玉の短い悲鳴が聞こえたような気がした。 顔面粉砕骨折は免れ得ないだろう。
味方を攻撃してしまい相手が怯んでいる隙に充はその男の腹を蹴り飛ばした。その後も敵は束になって捕まえようと襲い掛かるも一向に捕まらない。
こんな状況でも、充の心はひどく冷めていた。
自分の呼吸の音が一定のリズムで乱れることなく聞こえる。
何故だろう。不思議だ。普通に考えればこんな状況どうにかできるはずない。
なのに、負ける気がしない。
相手が次にどう動くか。自分がどう動けば相手はバランスを崩すのか。手に取るように分かる。
しかし、この状況に驚いていたのは充だけではなかった。
敵兵士もまた激しく当惑していた。
どう考えてもただの素人にこんな芸当できるはずがない。神がかっている。まるで自分達の動きの全てを何手も先読みしているかのようだ。そう思えてしまうほどに目の前の少年の動きは常軌を逸していた。
充は徐々に敵の包囲網を突破していく。非力な少年少女が武装した警備隊を突破していく様は極めて異様である。
僅かに編隊に隙間が生じる。充は隙間を凝視した。緊張と集中が頂点に達する。どう行動すべきか脳よりも速く身体が判断する。最低限の動きでその隙間に近付き、更に隙間をつくっている兵士のゴーグルを下から手を伸ばし覆った。突然に視界をうばわれた敵は僅かに動揺し一瞬動きを止める。
その一瞬に充は玉依を連れて敵包囲網を突破した。二重門の外側の門まであと数歩、そこで充は勝利を確信した。
「全く君は本当に大したものだよ、本当に。怪物くらいなら扱いやすかったものを…」
施設長は静かに懐から拳銃のような物を取り出す。
「素晴らしい記憶力と与えられた情報をさらに応用、発展させてしまう様はまさしく化け物。だが、私も成したいことがあるんだよ」
照準は目標を捉えた。
充は息を切らしながらそれでも走っている。門まであと僅か、玉依はふと後ろを向いた。遠くから施設長が黒い物を此方へ向けていた。
「あ………」
──小説などで見たことがある。あれは……。
拳銃。
最も有名な武器の一つ。高速で弾丸を射出する。
しかし、拳銃は素人が撃ってもそうそう当たるものではない。まして距離は30mは離れている。当たるはずがない。
そう言い聞かせて充は前を向こうとした。
しかし、施設長から目が離せない。
あの人がそんな無駄なことをするか?
施設長は変わらず此方に銃口を向けている。
静かに笑み、おもむろに引き金を引いた。
不意に玉依は充の手を振りほどいた。そして、進んできた方向と逆方向を向き両手を目一杯広げる。
服が赤く染まっていく。今までにも遊びで擦りむいてしまったりしたことはあるから血の色くらい知っているけど今回のはそれとは全く違う。全く血が止まる気配がない。痛いのかもよくわからない。空を見てる?仰向けになって倒れてるんだ…
「充…充は…?」
声にもならない声を絞り出す。
「玉が撃たれた!?」
ぼそりと呟き涙を流して顔をくしゃくしゃする。
玉依に近付こうとすると先程の兵士たちが立ち塞がる。しかし構わず前に進む。瞬間、充の脚に激痛が走る。警棒で叩かれ脚が折れてしまったようだ。それでも脚を引きずり前に進む。すると再び充の脚が砕ける音がした。思わず前のめりに倒れてしまう。
しかし、今の充にはそんなことは些細なことだった。生命より大切な人が死にかけているのだから。
忘我の縁にあった充に一筋の言葉が閃いた。
────走れ!!此方を向くな!!前を向け!!
「生きろ!!」
玉依の放った言葉は充を捕らえようとしていたへ兵士の動きを止めた。
充は頷こうとしているのか地面に三回ほど頭を叩きつける。砕けたはずの脚でゆっくりと立ち上がるとフラフラと走り始めた。
玉依は外門から体半分抜けたところで倒れている。この位置からだと遠くにある女神像がよく視える。
玉依は震える手を合わせる。目を閉じると涙が溢れ出す。
───きっとこの国にいたら、この世界にいたら彼は殺されてしまいます。どうか彼を護ってください、女神様。お願いです───
目を開けると女神像が優しく微笑んだ。