5話「お姫様」
未だ静けさが漂う住宅街の路地。銀色の髪を揺らし不敵な笑みを浮かべた長身の男が、白いロングコートのポケットに両腕を突っ込み二人に向かい悠々と歩いている。まるで無防備に近づいてくる男の顔にラウルは何処か見覚えがあり、男の着ているコートの胸元を見てラズメリアが急に立ち止まった理由を理解する。
男の胸元にⅠの文字、となれば彼がスベルニア騎士団内で隊長格を率いるヴァイス総隊長に他ならない。彼の強さはスベルニアに住む者なら有名で規格外なライセンを除けばヴァイスがスベルニア最強と、故の総隊長。此処でそんな大物と出会ってしまった事に対しラズメリアは苦笑していたのだとラウルは気づく。
ラズメリアはヴァイスを見据えたまま腰の剣に手を添え、ラウルにだけ聞こえるトーンで囁く。
「……あんた、動いたら多分死ぬわ」
「既に怖くて動けません」
「そう。なら、あんたはそのままそこにいて、邪魔」
「ラズさんっ!」
ラウルが叫んだ時には既にラズメリアは地面を思いっきり蹴り、勢いよくヴァイスに向かい一直線に駆け出していた。その様子に全く余裕は感じられず、不安を塗りつぶす為の行動にも捉えられる。
「……やれやれ。面倒を嫌う君が、ね」
前眼に迫るラズメリアに対し未だ無防備なまま、ヴァイスは何気ない動きでラズメリアの加速からの一閃を避け、間を置かず背後から尚も攻め続けるラズメリアだが、涼しい顔で全て躱すヴァイスに苛立ちを募らせた一撃を放つ、瞬間ラズメリアは足を躓かせ、姿勢を崩したままヴァイスを睨むとヴァイスはニヤリと右足を出していた。
その場でうつ伏せに倒れたラズメリアをヴァイスは何事も無かったかのように踏み、そのままラウルの方に向かい歩いていく。
「ちょっと! 何、人様踏んでるのよ」
起き上がり、ラズメリアは黒い剣を構える。
「残念、もう君の負けだよ」
「……すみません、ラズさん」
ヴァイスはラウルの背後に周り右手に持った食事用の銀色のスプーンをラウルの喉元に笑顔で宛てている。
「あいにく、今はこれしか持ち合わせがなくてね」
ヴァイスの申し訳なさそうな声にラウルは、つい現在陥ってる状況を忘れ「何故、スプーン、せめてフォークだろ」と思ったがなんとか堪えていた。
その光景を見たラズメリアは真剣に「馬鹿だろ、こいつら」と一瞬思ったが、あのヴァイスであればたとえスプーンだろうがラウルを容易に殺す事が出来ると認識を改め、理解する。既に勝敗は決している。ラウルを人質に取られた時点でもう、この最悪な状況をラズメリアにはどうする事も出来ない。最もラズメリアにとってはヴァイスに出会った時点で、既に最悪な状況だったのかも知れないが。
何よりも、割と本気で戦っていたラズメリアの攻撃が全て躱すだけでヴァイスには、戦う気がない以前に巫山戯ている印象を受ける。その様子を見れば二人の実力差は明らかである。ヴァイスがその気になれば二人を気絶させ連行する事など容易く成し遂げる。にも拘らず、ヴァイスはラウルを人質に取る、その行為にラズメリアは違和感を感じラズメリアは持っていた黒い剣を徐ろに地面に落とす。
「……これでいいのかしら?」
「うん、そうだね。彼の命が大事ならその判断は正しいよ」
「で、人質なんかを取る目的は何?」
「……そうだね。君の悔しがる姿が見たいから」
そう告げた途端、ヴァイスから穏やかな表情は消え去りその表情は狂気に歪み、同時に周囲に重苦しい程の重圧に覆われラズメリアは気圧された瞬間、ラウルの死が頭を駆け抜け絶望する。
「なんてね」
直後、ヴァイスはスプーンをポケットにしまい込みラウルを開放していた。ラウルは何が何だかといった様子でヴァイスを見ている。ラズメリアは、ほっと息を撫で下ろす。
「……どうゆうつもり?」
「君達に会いたがっている人が居てね。どうかな大人しく付いて来てくれないかな?」
「殺されると知りながら大人しく付いていくとでも?」
「ん? あぁ、僕は国王の命令とは別件で動いていてね。今、君達を城に連行する気はない。それに君達に拒否権はないと思うけど?」
ラズメリアは黒い剣を拾い、深く溜息をした。これ以上、ヴァイスに歯向かえば為す術もなく敗れることは容易に想像できる。これは警告、幸いヴァイスは城に連行する気はないと言っている、ならばそれを信じる他ないと考えながらラズメリアは剣を腰の鞘に収めた。
「……わかったわよ。あんたもいいわね」
「は、はい」
二人のやり取りを満足そうに見届けていたヴァイスは「では、行こうか」と言いながら鼻歌交じりに歩き始める。それを追う形でラウルとラズメリアは横に並んで歩いている。そんな中、ヴァイスは急に立ち止まり、神妙な表情で振り返る。二人はビクッと緊張した面持ちでヴァイスを警戒する。
「そう言えば自己紹介がまだ だったね。僕はヴァイス、騎士団で総隊長を任されている。えーと、君はラウルくんだっけ?」
「はっ、はい。ラウルです」
「君の格好からして城の執事かい?」
「……今日から執事として働く予定でした……でも、もう働けない……ですね」
次第にラウルの表情が曇る。ようやく就職が決まったと喜んで送られてきた制服に袖を通していた矢先に家に訪れた騎士団に追われ、今に至る。
「うーん。可哀想だけど確かに今の君が置かれている状況じゃ難しいかもね」
「可哀想?」
今まで沈黙していたラズメリアが訝しむ表情をヴァイスに向ける。
「ん? どうかしたかい?」
「騎士団はこいつがライセンを殺した犯人だと思ってんでしょ? なら可哀想っておかしくない? 普通なら当然だって思うわ」
ヴァイスは感心した様に口笛を鳴らし手を叩く。
「確かにね。でも、君は殺してないんだろ?」
ラウルは物凄い勢いで頷き、直後二人は
「はっ?」
「えっ?」
と、ほぼ同時に驚きヴァイスを見る。ヴァイスは気にした様子もなくニコニコとしている。
「あんた、こいつが犯人だと思ってんじゃないの?」
「うん。思ってないよ。まぁ、この事は僕よりも彼女に聞くといいよ」
そう告げるとヴァイスは歩き始める。それを追う様に二人も歩き始める。
「彼女って?」
「着いてからのお楽しみっ」
入り組んだ路地をヴァイスを先頭に歩きながらラズメリアはその人物におおよそ見当がついていた。騎士団のトップであるヴァイスに命令を下せる人物は多くない、更に今の情勢でラウルの捕縛を無視して命令できる人物となるともう該当人物は限られる。
やがて、三人の視界に小さな公園が映る。まだ夜明け前という事も有りその公園に人影はなく物静かな雰囲気の中でただ一人、ベンチに座る人物が空を見上げている。その姿からは酷く神聖な雰囲気が漂い、中層区に住むにしては豪華すぎるドレスの様な格好からしてこの人物こそがヴァイスに命令を下したのは間違いないとラズメリアの予想は確信に変わる。
「……ルリ・スベルニア」
星を見上げていた少女は不意に名を呼ばれ振り返る。紫色の長く艶やかな髪が揺れ、端麗な顔立ちがゆっくりと三人の視線に入り、少女の紫水晶のような色をした大きな瞳が静かに三人を見据えていた。