2話「仕組まれた罪」
「で、終わったの?」
寸劇が終わるのをつまらなそうな様子で、手にもっていた林檎を一口囓りラズメリアは言った。
そんなラズメリアの様子を見て彼ら、兵士達の思惑は確信に変わる。ラズメリアは腰の剣を使う素振は一切無い、彼らが武器を構えても依然としてラズメリアから動く気配はない。そして何より彼女が不利になる事も拘らず、隊長の元へ報告に戻るリーダー格の兵士を逃している。そんな彼女なら見逃してくれるのではないかと兵士達は考えていた。たとえ考えが外れたとしても彼らはザギル隊長へ報告に戻るよりもラズメリアに蹴られた方がマシと判断したのだ。
「我思う。では我らはこれで」
「では俺達はこれで」
あわよくば無傷でこの場から立去りたいと期待を込めて二人はラズメリアに視線を向けると彼女は手のひらで林檎を転がしていた。
ラズメリアはこの場に残った二人の兵士の思惑になんとなく気づいている、そんな様子で彼らを見ていた。一人の兵士が言ったザギルが原因である事にザギルと言えば使えない者に容赦はない、騎士団内では有名な話である。
倒れている彼を諦めるなら、彼を追っていた兵士達に危害を加えるつもりは最初から無く、リーダー格の兵士が別に誰にどんな報告をされてもラズメリアは、これ以上に面倒になる事はないと思っていたので別にどうでもよかった。何故なら未だ倒れている彼を助けた時点で、もう手遅れな事を彼女は知っている。
「うーん。見逃してあげてもいいかな、って思ったけど、やーめた」
ラズメリアは妖しく微笑み、彼女の手にあった真っ赤な林檎は瞬時に真っ黒な灰となり風に揺れ散っていった。
「あんた達も灰になってみる?」
まるで悪魔の様に微笑むラズメリアの姿を見て二人の兵士は背筋が凍る。彼らにとってラズメリアの笑顔はそれだけの恐怖を感じるだけ雰囲気があり、彼等は今直ぐにでもこの場から離れなくれは殺されると思うも、恐怖の余に身体がピクリとも動かず、ただその場でたじろぐ事しか出来なかった。
ラズメリアは最初から彼等を灰にする気など全く無く、ただほんの少しだげ彼らの思惑通りになるのがなんとなくムカついた、ただそれだけだった。少し脅かし過ぎたと思うも何処か満足した様子でラズメリアは一言「なんてね」と笑顔で彼等を蹴り飛ばしていた。
蹴られた兵士の身体は浮かび上がり数十メートル先に立ち並ぶ仮設屋台に激突し騒音が響き渡る。ラズメリアは特に気にした様子もなく未だ意識を失い倒れている彼の前に屈み、覗き込む彼女の表情は少し寂しげに感じられた。
そんな時だった、彼の目蓋がゆっくりと開き黒い瞳にはぼんやりと光が宿り意識が覚醒していくと今まで騎士団に追われ続けていた事を次第に思い出し心臓の鼓動は高まり焦燥感に支配され、彼はその場から飛び起きる。
「……んっ。俺は? はっ、騎士団!? アイツ等」
「あー。あんたを追ってた五人組の四人なら私が蹴ったわよ。一人は逃がしたわ」
と彼にラズメリアは広場の脇に立ち並ぶ仮設屋台の方にゆびを指す。
彼は突然の返答に動揺しながらも彼女に言われるままに仮設屋台に視線を送る。そこには確かに所々に無残な状態となった屋台の姿が確認出来た。
彼は追ってくる騎士団はもう居なくなったと安堵するが、彼女の着ている格好に見覚えがあった。彼が知っているものとは多少違いがあるものの彼女の胸元のⅥを見れば嫌でも彼女が騎士団である事がわかる。それも騎士団の中でも十二人のみ着る事が許される隊長用の制服である。それに先ほどの言動、彼女は蹴ったと言った。あの重そうな鎧を身に着けた兵士を蹴る、しかし事実屋台の惨状を見るに信じざる負えないと彼は再び恐怖に因われ彼女から後ずさる。
そんな彼の心情を察したかの様にラズメリアは言った。
「別に怖がらなくてもいいわ。それにあんたをどうにかするなら、もうとっくにやってるわ。そもそもあんたを助けたのは私よ。敬いなさい」
彼女の口調は優しく不思議と嫌味な感じはなく、彼は素直に「ありがとうございます」と、感謝を告げた。それに対してラズメリアはあまりにも素直にお礼を言われた事にフンと得意気にするも何処か照れ隠していた。そんな彼女の仕草を見て彼は安心した様子で一気に緊張感から開放された気分になる。
「それで、えっと……」
「ラズメリアよ、ラズメリア・ハーネット。ラズでいいわ。ご存知の通りスベルニア騎士団、第六部隊の隊長かな?」
「かな? 俺はラウル・リリックです。それでラズさん。なぜ俺は騎士団に追われていたんですか?」
「知りたい? 後悔するわよ?」
「何も知らないままで、後で後悔するよりはマシです」
「そう」と静かに頷くとラズメリアから今までのおっとりとした雰囲気は消え、神妙な表情でラウルを見る。そして覚悟を決めた様子で静かな口調で告げた。
「……まず、あんたの義理の兄。ライセン・リリックが何者かに殺された」
「義兄が……殺された?」
ラウルにとって、その事実は信じられる内容では無かった。ラウルにとってライセンとは最強の存在であり、いかなる相手だろうとライセンの敗れる姿など想像もつかない。ライセンはそれだけ圧倒的な力を持っていた。歴代最強と呼ばれ、現在も最強の剣聖と謳われるライセンを誰が殺す事など出来るというのか。今までラウルはそう思っていた。これは何かの冗談だ、そうに違いないとラズメリアの姿に視線を向ける。
彼女は俯き表情は見えないが彼女から零れた一滴の涙を見た瞬間にラウルはライセンが殺された事を理解する。
理解した途端、ラウルは右手で無造作に黒い髪をつかみ、頭を俯かせる。そしても片方の手は強く握り拳を震わせている。ぐっしょりと汗で背中が濡れ、荒くなる息遣い、胸が張り裂けそうな程に高まる鼓動、ラウルの黒い瞳からは徐々に大量の涙が浮かび上がる。その姿は必死に泣き叫ぶのを堪えている様にも見える。顔を上げラウルの様子に気づいたラズメリアは彼を胸元にそっと抱き寄せる。
それから数分が経過し、ラズメリアに宥められ落ち着きを取り戻したのかラウルは恥ずかしそうにラズメリアから離れ顔を赤面させている。一方ラズメリアは「もう、いいの?」とラウルを茶化している様子。ラウルは誤魔化すように咄嗟に浮かんだ事を口にする。
「義兄が……殺された……それは一体誰に?」
「……私は知らないわ。ただ」
ラズメリアはラウルを見て先の言葉を言い淀む。ただでさえ義兄の死で彼の心は大きく傷ついている。ラズメリアの手前、強がって平静を装っているのは明白である。そんな彼にラズメリアは躊躇っていた。ふとラウルを見ると真剣な眼差しで先の言葉を待っている、そんな気がした。不意に彼の先の言葉を思い出す。
――何も知らないままで、後で後悔するよりはマシです。
確かに彼はそう言った。ラズメリアは両手で髪をかき、はぁ、と深く溜息を吐きだし覚悟を決める。
「いい? 時間がないから取り乱したりしないで聞くのよ!」
「はい」
「スベルニア王国はあんたを、ラウル・リリックを犯人だと決めて動いている」
「……俺じゃない! なんで俺が義兄を殺さないといけない! そんなの間違っている!」
ラウルの瞳には壮絶なほどの鬼気が浮かび上がり、ラズメリアを睨みつけていた。その迫力にラズメリアの瞳には一瞬だが、彼の姿が別人の様に映って見えた。煌々と深紅に煌く燃え盛る長い髪、灼熱を帯びた真紅の瞳、その姿はまるで女神の様な神々しさと圧倒的な恐怖を感じ、ラズメリアは萎縮する。
一方ラウルは、我に返り反省していた。彼女が悪い訳ではない、騎士団から追われるラウルを救ってくれたのはなのより彼女自身である。
「ごめんなさい。ラズさんが助けてくれたのに俺は……」
「えっ?」
ラズメリアは素っ頓狂な声を上げていた。ラウルから先ほどの恐怖は全く感じられない、髪も瞳も黒い。先ほど出来事は何なのかと思うが、先程から申し訳なさそうにしているラウルを見ていると「まぁ、いいか」と頭を切り替える事にした。
「そぉ。んじゃ、続けるわよ。まず、スベルニアはあんたを捕まえ公開処刑を決めている。時間が朝の七時。あと三時間あるかどうかって所ね」
「じゃ、七時までに真犯人が他にいる事を国王に伝えないと……」
「それは、無理ね。さっきも言ったけどスベルニアの偉い人はあんた、ラウル・リリックが犯人だと決めつけている。あんたが違うと言ったとしても多分無意味よ」
「なんで俺が……そんな……もう俺にはどうする事も出来ないじゃないか……」
ラウルはその場に手をつき、何もかも諦めた様に項垂れる。
その様子を見てラズメリアは、ただ冷徹な口調で告げる。
「あんたはここで諦めるの?」