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花の香りがする。
この前よりも、一層強く。
サラが香油の類いを使っている様子がないことは、狩猟小屋で一緒に暮らしていたから分かる。
最初はドレスと一緒に国王から香油も贈られたのだろうかと思っていたが、どうしてもサラがそれを使うとは思えなかった。
それに、この心地良い香りを他の婦人から嗅いだことは無い。
これはサラの香りだ。
不器用に握り返す手をしっかりと包んで、クレイはサラのもう片方の手を自分の肩に置かせ、細い腰をそっと支えるように抱いた。
…少し痩せたのだろうか。
城で再会した時にも一瞬そう感じたが、ドレスと化粧のせいで印象が変わったからだろうと思い直した。
しかしこうして間近に向き合ってみると、やはり初めて出会った日にサラを抱え上げた時よりもずっと華奢になった感じがする。
あんなに美味しい料理が作れるのに、自分はきちんと食べないなんて。
心の中でサラを少し非難してから、クレイはサラの緊張を解す為に微笑みかけた。
「ダンスと言っても、女性は男性のリードにただ身を委ねるだけでいいんだ。足を踏まれる原因の殆どは、男性のリードの失敗と男性側の反射神経の問題だから、女性が気に病む必要はない」
「そんなこと言ったって…。王子様の足を踏む訳には」
「我が国の騎士達なら見逃してくれるよ。勿論デラもね」
サラの心配を極力取り除く為に、クレイはサラの腰を抱いたまま、ひらりと身を翻す。
「きゃっ」
急な動きに足を取られて倒れそうになったサラをしっかりと胸に受け止めて、クレイは悪戯っぽく笑った。
「ほらね。転ばなかっただろう? 我が国では王子の手を煩わせるのは不敬罪だけど、君はリブシャ王国の大切な国賓だから特別に許してあげるよ」
「…信じられない!」
真っ赤になってクレイの腕から逃れようとするサラを決して逃がさないように腕の中にしっかりと閉じ込めたまま、クレイはサラの耳元に唇を寄せた。
「だから僕を信じて。僕のリードに全て、任せてくれ」
「えっ…」
再び見たクレイの表情は澄ました王子そのものになっていて、サラを何事も無かったかのように解放する。
「さ、始めるよ。まずは基本の姿勢からだ。しっかりと背筋を伸ばす。剣を構える時のようにね」
王冠の契約の儀の為に部屋を出たサラを見送り、暫くの間一人になって考え事をしていたクレイは、サラの警護を終えて神殿から戻って来たデラを部屋に入れた。
「サラさんに、マイリにダンスを申し込んでくれと頼まれました」
開口一番、デラは不審な瞳を君主に向けた。
「ダンスの練習をしたのですか? サラさんと」
「ああ」
「王子のお相手はエルマ王女のはず」
「舞踏会でずっとエリーを独占できる訳じゃない」
「ですが…いくらサラさんが王女の騎士役を務めたと言っても、王子とサラさんが踊るのは妙ではないですか。諸外国にも怪しまれます」
「僕が誰と踊るか、誰も注目したりなんかしない。考えてもみろ。これはエリーの為の舞踏会で、長の娘達は美人揃いだ。僕が片っ端からケイト達にダンスの相手を頼めば、偶然サラと踊ったところで怪しむ者などいないだろう」
既に自国の騎士達にも本心を悟られているという体たらくなのに、何を言っているのだ。この王子は。
デラはその言葉をぐっと飲み込み、曖昧に笑う。
「サラさんは儀式が終わった後、エルマ王女と一緒に舞踏会会場へ向かわれるとのことでした。私達も直接会場へ向かって良いそうです。ご準備なされては如何ですか?」
テーブルの上のクレイの王冠に視線を向けたデラは、そう言うと沈黙する。
その様子がいつもより不自然だと感じたクレイはデラを促した。
「何か言いたそうだな」
「…衛兵から聞いた話ですが、ハーヴィス王国のステファン王子は、警備の目を掻い潜って外出していたそうです。どうかお気を付けください」
「警備という建前で、実は軟禁していたことに気付かれたか」
「そのようです。従者を城下町へ使いに遣っていたという報告もありました」
「そうか…」
クレイが再び思案顔になった時だった。小さなノックの音に気付いたデラが扉を開ける。
「ケイトさん」
背後に老騎士を従えたケイトが、驚くデラに微笑んだ。
「ちょっといいかしら? クレイと二人きりで話がしたいんだけど」
「あ、はい」
何かの相談だろうと判断したデラは、ケイトと入れ替わりのようになってドアの外へ出る。
「ケイト」
ケイトの急な訪問に驚いたクレイも、取り敢えずケイトに椅子に座るよう勧めた。ケイトはドレスの裾を気にしながらゆっくりとした動作でクレイが引いた椅子に座る。
貴婦人としての所作が行き届いているな、と感じたクレイは改めてケイトを見つめた。
確かに長の娘は美人揃いだ。こうして着飾っていると、それがはっきりと分かる。
戴冠式の時は席が離れていて間近で確認することは出来なかったが、遠目からでも参列者達の注目をほしいままにしていることが見て取れた。
騎士達がクレイとデラを羨ましがり、余計な詮索をするのも仕方が無いことだろう。
「…こうして向き合うと、変な感じね。狩猟小屋では何とも思わなかったけれど」
「きっと服装のせいでしょう。でも僕の中身は狩猟小屋に滞在していた時と変わりません」
「そうみたいね。変わらず接してもらえて、安心したわ」
「掌を返したような態度になると思われていたとしたら、心外です」
「ごめんなさい」
軽くいなすようにように微笑んでから、ケイトは真顔になった。
「どうしたんですか? ケイト」
「舞踏会が始まったら、もうあなたと話す機会はないだろうから…聞いておこうと思って」
「何を?」
「これは長の娘としてではなく、エリーとサラの姉として聞いているの。クレイ、あなた…エリーを心から愛せるの?」
ケイトはそう言うと、クレイの瞳を真っ直ぐに見つめた。




