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普段着に着替えたサラが長の部屋に入ると、長は話を始めた。
「今から16年前に国王夫妻に皇女が生まれたことは、お前達も知っているな?」
なぜそんなことを聞くのだろうと、娘達はそれぞれ目配せする。
誰もが知っている話だが、エリーやサラと同い年の王女は生まれて間もなく亡くなったはずだ。
こんなめでたい日にそんな話を始めるなんて、一体何があったのだろう。
「知っています」
代表して答えたのはケイトだ。
「幼い姫が国に災いをもたらすと占星術師に予言されたせいで、成人式まで誰にも会わせないと国王様がお決めになられたのでしたよね」
「そうだ。生まれた姫があまりにも美しいせいで、豊かになりすぎたこの国が近隣諸国に狙われることを国王は危惧された。幸いにも姫が幼い間という期限があったから、姫が成人するまで人の目に触れさせないことにしたのだ」
「でも、亡くなられたのですよね。その日以来、王妃様は悲しみのあまりすっかり身体を悪くしてしまわれて、今も伏せっていらっしゃることのほうが多いと聞いていますが」
「お前達がそう思っているのなら、安心だな」
長はそう言って妻を見る。彼女も長と同じような表情をして、長に頷いてみせた。
「父さん。その話がどうかしたのですか?」
「王女は生きているのだよ」
長はそう言ってから、エリーを見た。
「エリー。いや、エルマ王女。本日のご成人、まことにおめでとうございます。16年間仕えさせていただく名誉に与れたこと、王と神に心から感謝しております。ありがとうございました」
そう言って、長はエリーの前で跪いた。
村で一番の権力を持つ長が成人したばかりの娘に跪くという光景の異常さに、娘達はただただ、唖然とした。
「…父さん?」
何とかそこまで言ったが、エリーはそれ以上の言葉が出ない。
「と…父さん、いくらエリーが素直だからって、からかうのもいい加減にしてよ。冗談きついわ」
エリーの代わりに、サラが言葉を引き継ぐ。
「長の言葉が信じられないのか」
エリーに対する態度を変えようとしない父に、サラはなぜか怖じ気づいた。
「だ…だって。エリーが本当の王女様なら、どうしてこんな田舎の長のところにいるのよ。そうでしょう、母さん?」
助けてもらおうと母の顔を見て、サラは言葉を失った。
母はその美しい瞳を潤ませていた。
「サラ。王様は、何としてでも王女を守りたかったのよ。だから、森の女王の勢力が一番強いこの村を選ばれたの」
「本当なの…? 母さん」
母は頷くと、エリーを見た。
「…エリー、私はあなたを実の娘と思って育ててきたわ。あなたが成人してしまったら別れなければならないと分かっていても、そう思わずにはいられなかった…」
「母さん…。父さん…」
エリーは両親の顔を交互に見る。その瞳からは大粒の涙があとからあとから落ちていく。
「王女…いや、ここにいる間は、無礼を承知でまだエリーと呼ばせてもらおう。エリーはこの家の、大切な娘だ。突然な話で申し訳ないと思っている。すべて、今日の日を無事に迎えるためだったのだ」
「父さん。でも私は…」
「エリー。愛しい娘よ。国王夫妻が待っている。すぐ出立の支度をしなさい」
戸惑うエリーに、今度は母親が優しく諭す。
「エリー。二日後に城から迎えが来ることになっているの。これからは本当のご両親…国王夫妻と一緒に暮らせるのよ」
「母さん。私…」
「ケイト。他のみんなもエリーの準備を手伝ってくれ。国王からの使いを待たせるわけにはいかないのだ。我々夫婦は…この家族は、国王に忠誠を誓っているのだから」
それが、言外に娘達に退席を求めた言葉であることを、ケイトは理解していた。
「行きましょう、みんな。…サラも」
幼いマイリの手を引いて、ケイトは妹達と連れ立って長の部屋を出た。
エリーが部屋に戻ってきたのは、それからしばらくしてからだった。
青い瞳を真っ赤に充血させて、ショックに打ちのめされたかのようにカバーを掛けたままのベッドに腰掛ける。
こんな姿ですら、可憐で美しいのはどういうことなのだろう、とサラは思う。
長はああ言っていたが、この美しさに癒されることはあっても、災いがもたらされるなんて、とても考えられない。
「エリー。…大丈夫?」
「ええ」
夜になるとサファイアのように濃くなる瞳は、何かの決意を持ったようだった。
「今日はなんだか…なんというか、疲れたね」
お互いに、という言葉を飲み込んだのは、自分が叱られたことなんか、エリーの驚きに比べたらとても小さいことのように感じたからだ。
「そうね」
「エリー…ごめん」
「どうしたの? サラ」
「私が式を抜け出したりしなければ…夕食前にこんな話、父さんはしなかったと思う」
「サラ」
「エリーの大切な時間を、私…」
「サラはちっとも悪くないわ」
優しいエリー。いつもそう。どんなに悲しい時でもエリーは私に優しい。
そう思うとサラは堪えきれない。
「やだ、泣かないで。サラ」
サラの榛色の瞳から涙が零れる。太陽の下だと金色にも見える瞳は、エリーの大好きな色だった。
「今日は成人の日よ。こんな晴れの日に涙なんて…」
エリーはサラを抱き締める。
大好きなサラ。
子供の頃から、ずっと一緒にいることが当たり前だった。
サラと離れなければならないなんて考えられない。
「大好きよ、サラ…」
エリーがそう言った時に、二人のお腹が同時にくぅ、と鳴った。
二人は驚いて顔を見合わせ、次の瞬間には笑い転げた。
「お腹が空いたね」
「そうね」
驚いたり悲しかったり可笑しかったりで、なかなか止まらない涙をお互いに拭う。
「ああ、良かった。さっきまでとても晩ご飯なんて食べられないと思ってたけど…。行こう!」
サラはそう言ってエリーの手を取った。
食堂で二人が来るのを悲痛な面持ちで待っていた家族は、楽しげに現れた二人の姿にほっと胸を撫で下ろし、その夜はとても賑やかな晩餐になった。
この切り替えの早さ、立ち直りの早さを見習いたいものです。