10
マイリはこの狩猟小屋では、姉達のどちらの部屋でも自由に寝られることになっていた。
部屋数とベッドの数の問題というよりは、使い勝手の良さのためだ。
そしてマイリは、今夜はジェスとサラの部屋で寝ることに決めたようだった。
マイリはサラのベッドに潜り込んで、猫のように擦り寄ってきた。
「明日、楽しみだね。サラ」
「そうね。たくさん採りましょうね」
ランプだけの温かい光の中で、まるで毛繕いでもするかのようにサラはマイリの髪を撫でる。
王都へ行って疲れたのだろう。いつもよりも早くマイリの瞼は重くなっていた。
「もう寝なさい。明日の朝は早いわよ」
ケイトとセレナの部屋だと起こしてもらえないかもしれないという不安から、マイリがこちらの部屋に泊まることにしたことはジェスもサラもお見通しだった。
「起こしてくれるよね、サラ? ジェスも」
マイリに背を向けられたまま尋ねられたジェスは驚くと、次の瞬間には笑いを噛み殺した。
「約束するわ」
声音で気付かれないように、ジェスは真面目な顔を作って言う。その様子を見たサラは、ジェスに微かな笑いを返した。
「私も」
「…じゃあ、もう寝るね。サラ、デラと二人だけで、行っちゃ嫌…」
二人の返事で安心したのか、そう言い終わらないうちにマイリはすうっと眠りに落ちた。
「置いていく訳、ないでしょう…」
もう聞こえていないと分かっていても、サラはマイリにそっと呟く。
「お客様に皆の関心が向かってしまったせいかしらね」
寝支度を整えてベッドに入ったジェスは上掛けを整える。
「いつものマイリなら、そんなこと気にしない筈なのに…やっぱり、母さんが恋しいのかしら」
「村を離れてそれほど日は経っていないけど、環境が急激に変わったから不安定になっているのかも。人見知りはしない子だと思っていたけど、今日は少しびっくりしたわね」
枕の偏りを何度も直すジェスに、サラは不思議そうに尋ねた。
「何の話?」
「マイリがクレイも一緒に誘わなかったことよ」
そう言われて、サラも今夜のマイリの発言は妙だったことに気付く。いつも「みんなで」というのが末っ子のマイリの口癖だ。
「そうね…。言われてみれば変だわ。ケイトやセレナもそう思っているのかしら」
「ケイトは思わなかったかもしれないけど、セレナは気が付いていると思うわ」
「マイリが警戒をするようなことをクレイは言っていないはずなのに…」
すうすうと健やかな寝息をたてるマイリの額をサラは撫でる。
「…私達もそろそろ寝ましょうか。おやすみ、サラ」
ジェスはそう言って、ランプの明かりを消した。
「おやすみ…ジェス」
マイリの体温に温められたサラも、それから間もなく眠りに落ちた。
「明日は早いんだろう。もう寝ろ」
文机で書類仕事を終えようとしないデラをベッドから腰掛けて見ていたクレイは、やや真剣に注意した。
「その書類は明日帰って来てからでもいいはずだ。ここは城じゃないんだし」
「…ここが城じゃないからって、そういうのは嫌なんです」
クレイの顔を見ることなく黙々と書類を書き続けるデラを見て、クレイは何となくサラのようだ、と思った。
「もしかして今日のこと、怒っているのか?」
「何の話ですか?」
「僕が城に向かう途中で抜けて…」
「王子はエルマ王女に会う為にこうして身分を隠されて狩猟小屋へ滞在されているのですから、目的を遂行されることは当然のことです。私がとやかく言うことではありません」
「怒っているな」
「そんな事はありません。なぜ気になさるのですか」
「その態度が、サラが僕にとる態度に何となく似ているからだ」
クレイがそう言うと、書類を書くデラの手がぴたりと止まった。
「…ずっと気になっていたのですが、王子は何か、サラさんを怒らせるようなことをなさったのですか?」
「まぁ…そうかな」
「駄目です!」
いきなり椅子から立ち上がったデラに王子はびっくりする。
「何が?」
「断然駄目です! サラさんがいくら綺麗でも、それだけは駄目です!」
「だから何が」
クレイに更に問われて、デラはぐっと言葉を飲む。
「…王子は、エルマ王女のことだけを考えていて下さい。ここの人達は王女と近しい関係ですが、王族ではありません。王子が本来お声をかけることすらない人達です」
きっぱり言うデラに、クレイは呆れた声を出す。
「これだけ世話になっておいて、今更それは酷くないか?」
「彼女達は私と同様、王子にとっては使用人と何ら変わらない立場です。ですから、戴冠式が終わってしまった後の事までよく考えていただきたいのです」
「…お前が言わんとすることはよく分からないが、とりあえずそうしよう。ただ、世話になっている以上、これからも礼を欠くような態度をとるつもりはない。とにかく今夜はもう寝ろ。ここに滞在している時くらい、城にいる時のように仕事漬けにならないで、たまには羽を伸ばしてくれ」
クレイがそう言うと、王子にそこまで言わせてしまったことに気付いたデラは急にばつの悪い表情になった。
「私は…」
デラは椅子に座り直し、王子を見る。
「主君に仕える立場の者です。王子がエルマ王女と対面されている間、危険がないようにお守りする義務があります。王子の命でない限り、お側を離れることは私の本意ではありません。ですから、もし王子が王女と二人きりになられたいのであれば、私にそう命じられるだけで良いのです。今日のように騙し討ちのようなことをされると、私の誇りが傷つきます」
少年の真剣な訴えに、クレイは暫く物思いに耽った。
「…そうか。すまなかった。ケイトと話した時はいい案だと思ったんだが、お前には事前に言っておくべきだったな」
「今後そのようにしていただけたら助かります。…では、私ももう寝ることにします」
「その前に、間諜と連絡がついたかどうかだけ教えてくれ」
そう促されて、デラは肝心な報告を忘れていたことにやっと気が付いた。
「連絡はつきました。明日の午後、王子の馬をお借りして剣を受け取りに行く予定です。間諜からの詳しい報告もその時に」
「分かった。ご苦労だった、デラ。僕も今日は疲れたから先に寝ることにするよ。おやすみ」
クレイはそう言うと、先にベッドへ入ってしまった。
「…おやすみなさい、王子」
そう言ったデラはやっと書類を片付け始めた。




