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とある王女の恋物語  作者: 藍田 恵
第一章 娘たちの出発(たびだち)
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「馬鹿者! 成人したというのに、何を考えている!」

 いつもはサラに甘いおさも、この時ばかりはかんかんに怒っていた。

 サラとエリーにそれぞれ手を繋いでもらってご機嫌で帰宅したマイリは、真っ青な顔で出迎えた長姉のケイトに確保され、雷の被害が及ばないようにと食堂へ隔離された。

 父はとても優しい。

 マイリはそう信じて疑わなかったから、鬼のような形相で叱る父を見たらマイリは怯えてしまうだろう。

 サラは自業自得だとしても、幼いマイリに怒り狂う父を見せたくない。

 そういった姉達の気遣いのお陰で、マイリは明日も屈託なく父の膝の上によじ登ることができる。


「やられてるやられてる」

 長の部屋をこっそり覗いてきたケイトは、食堂に戻って妹達に報告する。

「今日父さん、面子丸潰れだったもんねぇ」

 そう言ったのはジェス。

 ジェスはお手製の木苺のパイを、食事前なのでお腹いっぱいにならないように小さく切り分け、お気に入りの姉達から引き離されて不満そうなマイリに食べさせた。

 今日の晴れの日の為にジェスがいつもより木苺と砂糖を多めに使ったそれは、式の後の和やかなお茶会で振舞われるはずだった。

 その機会がなくなってしまった今、姉妹達はつまみ食いのようにジェスが切り分けたパイの欠片に手を伸ばす。

「二人しかいない成人式なのに、よく抜け出そうと思ったものよね。バレないとでも思ったのかしら」

「途中で戻って一緒に帰るつもりだったとは言っていたけど…」

 呆れたようなケイトの言葉に、エリーは少しでもサラの助けになれば、と小さな声で呟く。

 薄暗い神殿で神に祈り、感謝を捧げる時間はとても長い。故に、息抜きの為の中途退席は自由だった。

 だからサラがどうしたら式典から抜け出せるか、成人式を経験済みの姉達は知っている。

 お腹が痛いとか何とか、言えばいいのだ。

 ただ、巫女にも近い立場である式の主役が退席した例は、今まで聞いたことがない。

 そして息抜きに出掛けたまま帰ってこなかった娘など、この村にいない。

 いくら長の娘とはいえ、それは笑って許されることではなかった。

 村を取り仕切り治める立場でもある長は蒼白になり、各方面に平謝りに謝って、年寄り達の機嫌を取らなければならなかったのだ。

 今回ばかりはいつものような簡単なお小言で、サラがあっさり解放されるはずもない。

「サラは夕飯は食べられないかもねー。ご馳走なのに」

 料理上手な母が腕によりをかけて作った料理はどれも美味しそうで、テーブルの上に所狭しと並べてある。

「父さんの怒りも、そうは長く続かないわよ。サラが見つからなくて本当に心配していたんだから。ケイト、あんまりマイリを脅かさないで」

 次女のセレナがそう言うと、エリーとマイリは明らかにほっとした表情になった。

「脅かしてなんか…」

 ケイトはばつが悪そうにセレナを見る。儚く優しい雰囲気を持つセレナは、利発な姉に分かっているわ、と目配せした。

「マイリ、サラは悪いことをしたから叱られているのであって、それは反省しないといけないことなの。反省したら、父さんだってサラを許すわ。ご飯だって一緒に食べられるわ。今日の主役なんだもの」

「そうだよね、セレナ!」

 マイリは嬉しそうにぱあっと笑うと、エリーの両手を取った。

「今日はエリーとサラのお祝いだもの! もうすぐ一緒に晩ご飯だね!」

 そうエリーとはしゃぐマイリの声に、陰鬱な声が被る。

「…盛り上がっているところお邪魔して悪いんだけど。みんな、父さんがお呼びよ」

「サラ!」

 うんざりした表情で食堂の入口に立つサラに、一同の視線が集まった。

 成人式のドレスのまま着替える暇も与えられずにずっと叱られていたサラは、こんな姿で木登りしたとはとても思えない、麗しい乙女に見える。

 器用にも、サラはドレスに解れひとつ作らず木の枝から落下した。いくらクッションのような花の上に着地したからって、これは神業ではないかとエリーは思う。

 誰もが認めるお転婆であったが、サラは草花を愛する少女らしいところがあった。


 お花が歌ってくれるの。


 ずっと幼い頃、サラはエリーにだけそう打ち明けた。

 いつも花畑の中でくうくう眠ってしまい、大人達を死ぬほど心配させ、大捜索させる理由をエリーがサラに問うた時だ。

 とびきりの秘密のように、サラはこう言った。


 お姉ちゃん達はきっと信じてくれないから、エリーにだけ教えるね。お花が歌ってくれるの。葉っぱが気持ちいい風を送ってくれるんだよ。


 エリーは最初、花の精のことを言っているのだろうと思っていたが、サラは違うと何度も首を横に振る。

 さすがに大人になるとサラが無防備に花畑の中で眠ることはなくなり、エリーもサラの行動範囲が摑めるようになってきたから、サラを見つけることは簡単で、居眠りの理由を問うことももう無い。

 サラはただ草花に愛されているのだろうと、エリーはぼんやりと思っていた。

 だから今日、木の枝が折れてサラが落下したことはエリーにとって衝撃だった。草花のある所でサラが危険な目に遭ったことは一度もなかったからだ。

 結局、サラはかすり傷ひとつ負うことはなかったけど…それにしても木の上で眠ってしまうなんて、一体何を考えているんだろう。

「サラ、お説教は済んだ?」

 他の姉妹達が食堂を出て二人きりになると、エリーはサラに悪戯っぽく微笑んだ。

「あー、もう大目玉よ」

 サラはぽりぽりと頭を掻く。プラチナブロンドの長い髪が無造作に揺れて、美しい金の波をつくる。

 これではサラの一挙一動に、女の子達がきゃあきゃあ騒ぐのも無理はないとエリーは思う。

 月の女神のように美しいサラは、女の子達だけではなく、エリーの憧れでもあった。

「今度は木の枝が歌ってくれたの?」

 二人しかいない場所でついそう言ってしまったのは、無邪気にサラに憧れる少女達に対抗意識を持ってしまったからかもしれない。

 サラのことを誰よりも知っていて、二人きりの秘密まで持っているのは自分だけだと、ここにいない彼女達に思い知らせてみたいとも思う。

 そんなエリーのささやかな独占欲に気付く由もなく、珍しく昔の話を持ち出したエリーに驚いて、サラは目を見張る。

「憶えてたの?」

「私達の秘密でしょう?」

 ふふっと笑ったエリーに、サラも微笑んだ。

「そうよ。木が歌ってくれてたの。娘よ、旅に出よって」

「え…?」

「サラ、とりあえず着替えてから来なさい。父さんもそれまで待っているって」

 エリーが追求する前に、ケイトが二人を呼びに来た。

「はーい」

 サラはそう言って自分とエリーの相部屋へ向かう。

「エリー。父さんの部屋へ行くわよ。母さんもそこで待っているわ」

 式の片付けが終わった母が帰ってきたことを知り、エリーは慌ててケイトの後を追った。


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