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やや残酷な描写があります。
「サラ!」
ケイトは慌ててサラの腕を摑み、引き寄せる。
「何考えてるのっ! あなたはっ!」
「だってこの中で一番勇気があるのは私よ。違う?」
振り向いたサラはけろりと言った。
「一番智恵があるのは私よ! 私の考えに従いなさい」
「何か他に方法がある? 考えてもみてよ!」
ぎゃあぎゃあと言い合いを始めた二人を見て精霊は呆気に取られ、セレナとジェスとマイリはお馴染みの光景にあーあ、となった。
「まったくこの二人は…」
「どーする? セレナ」
「でもサラの言いたいことは分かるわ。彼は騎士が男性でなければならないとは一言も言っていないもの」
「サラとエリーはいつも一緒だったしね。しかし、本気で喧嘩を始めるかなぁ。この状況で」
セレナは大きく溜息をついた。
心の中ではケイトが必死にサラを守ろうとしていることはよく分かる。しかし、お互い成人しているのに家の外で喧嘩なんかしている場合ではないだろう。
しかも、よりにもよってこの状況なのだ。今はエリーの事が最優先なはずだ。
セレナが仲裁しようとするよりも一歩早く、エリーが二人の間に入った。
「サラ。ケイトもお願い。そんな事でケンカなんかしないで。私…」
「バカな事言わないの! 騎士は私なの。本当よ!」
「サラ!」
止めようとするケイトをサラは振り切り、ソニヤの前に再び立つ。
「エリーの為なら、どんな目にも遭う覚悟は出来ているわ。それとも女では騎士は務まらないとでも言うの?」
目の前で真剣に訴えるサラを、ソニヤは温度のない瞳で見つめた。
その冷たさに、エリーの背筋に悪寒が走る。
「駄目よ! サラ!」
「エルマ王女。貴方は一人の騎士を守る為に、リブシャ王国とこの森を滅ぼすおつもりか?」
「え?」
「女王は私に、皇女が本当に国王の跡を継ぐことに問題がないか、確かめてくるようにと命じられた。貴方の言動が王女として相応しいかどうかを確かめるために私はここにいる。一個人としての貴方の言動を見ているのではない」
「そんな…私はどうすれば…」
「騎士にすべてを託せば良い。貴方の騎士が貴方の運命を切り開く」
「そんな…」
エリーは自分の体が震えているのを感じた。血の気が引いて指先が冷たくなっていく。
本当は不安で泣き崩れてしまいたかったが、しかし自分は王女であるという自覚と、自分のせいでサラが危機に直面しようとしているという事実のせいで、エリーは辛うじて自分の両足で立っていた。
「エリー、私は大丈夫よ」
そんなエリーに、サラはにっこりと笑ってみせる。
「ソニヤ。エリーが王女であると証明するために、私は何をすればいいの?」
「女の腕力では、力の強さを証明するのは難しいだろう。…ならば、その意思の強さを力ではなく、違う形で証明してもらおうか」
「違う形…?」
「王女を守る為に試されるのは腕力だけではない。苦難に耐える精神力も必要だ。今回の騎士に腕力が期待出来ない以上、そちらを試す方が妥当であろう。サラ、王女のために私に従うと誓えるか」
「誓えるわ」
「ケイト。サラから離れろ」
「…はい」
ケイトは数歩下がると、今にも倒れそうなほど蒼白になっているエリーの腕に触れた。
エリーは無言のまま、腕に触れたケイトの手を握る。
「よいか、サラ。一切の抵抗は許さぬ。何が起きても逆らうな。周りの者もだ。いいな?」
次の瞬間、しゅっ、と風を切るような音がした。
その次の瞬間、サラの金髪が藁の束のようにはらはらと土の上に落ちる。
「サラ!」
ほぼ全員がそう叫んでいた。
風はまるで剃刀のように、サラの長い金髪を切り落としていた。
「来ないで、エリー!」
少年のように短い髪になったサラが振り返って、真っ青になって駆け寄ろうとするエリーを止める。
「いい心がけだ、サラ。だが、それ以上は喋っても、動いてもならぬ。今後たとえ呻き声ひとつでも、声を上げた時点でこの勝負はお前の負けだ」
「そんな…」
今度こそ崩れ落ちそうになったエリーの手をケイトが引く。
「エリー。こっちへ」
「でも、サラの髪が…」
夜空に輝く月のように美しいあの金髪が。
「辛いでしょうけど、今はサラの気持ちを優先してあげて」
「ケイト…」
エリーの瞳から涙が零れた。
その間ですら、精霊は斬りつけるような風をサラに打ち付ける。
風がまるで鞭のように斬りつけてサラのドレスを綻ばせ、むき出しになった手足を赤く腫れ上がらせる。
セレナとジェスはマイリを庇って抱き締め、サラの様子を見せないようにしている。
サラは苦痛の声を上げることなくじっと耐えていた。時に風の勢いによろけ、慌てて踏みとどまる。
これもエリーのため。
髪なんてすぐ伸びる。
傷だって、いつかは癒える。
でも、今この瞬間のチャンスを失えば、エリーは国を継ぐ事はおろか、本当の両親と暮らせなくなるかもしれない。
大好きなエリーにそんな悲しい思いはさせたくない。
こんなことくらいでエリーが無事に女王様になれるのなら、耐えてみせる。
息を殺すようにして耐えていたサラの耳元で、ひゅっ、と風が鳴り、頬に鋭い痛みを感じた。
そして次の瞬間に、温かいものが頬に伝わる。
「血が…」
直視している事に耐えられなくなって目を背けていたエリーは、ケイトの一言で驚いてサラを見た。
サラの頬は赤く傷つき、その切り傷から血が流れている。
「止しなさいっ!」
エリーはソニヤに向かって叫んでいた。
ずんずんと歩いてソニヤに立ち向かい、正面から睨む。
「もうこれで充分でしょう? 私のために誰も傷つけてはなりません!」
姉妹達は呆然としてエリーを見つめた。
エリーがここまで怒りの感情を露にしたのを初めて見たからだ。
そしてその毅然とした、威厳溢れる姿に全員が圧倒されていた。
「…エリー」
サラですら初めて見るエリーの力強い態度に驚いていたが、その一方で怒りに燃える蒼い瞳の美しさにすっかり見蕩れてしまい、うっかり自分が喋ってしまった事にも気付かない。
エリーはサラの側まで行き、サラをぎゅっと抱き締めた。
「エリー…」
エリーは泣いていた。体が小刻みに震えているのがサラにも伝わる。
「ごめんなさい。サラ。私のせいであなたの髪…」
エリーは顔を上げ、サラの頬にそっと触れた。傷は思ったよりも深く、まだ血が流れ続けていた。
「そんな場合じゃないでしょう。ここで認めてもらわないと王女になれないかもしれないのに…」
「私のためにサラが傷つくなんて許せない。そんな地位なら要らない。大切な人を傷つけてまで女王になんかなりたくないわ。私のために傷ついていい人なんて、この国にいてはいけないのよ、サラ」
「…よく言った、エルマ皇女」
ソニヤの満足げな声に、二人は振り向いた。
「争いが起これば多くの人々が傷つく。森も命を失う。誓えるか、王女。この国と森に争いは持ち込まないと」
「誓います。私のために誰も傷つけません。木も、森も…。私が統治することになるものすべて」
「…よろしい。では王女、私も約束しよう。私も貴方を傷つけない。貴方に協力しよう。女王が欲しかったのは貴方のその覚悟だ」
ソニヤがそう言うと、ふわり、とサラの髪が元に戻り、頬の傷も消えた。
まるで何事も無かったかのようにサラは元通りの姿に戻っていた。
「…もどった」
掌に付いていた頬の血の跡も、手足の傷や痛みもすっかり消えている。
しかし、ただの幻だったと言うにはあまりにも生々しかった感覚に、サラは釈然としないものを感じた。
「立派であった、サラ。手荒い真似をしてすまなかった。其方が王女の運命を切り開いた者であること、私からも国王に伝えておこう」
そう言い残して、精霊は娘達の前から掻き消えた。
そして彼が消えるのとほぼ同時に、城からのエリーの迎えが到着した。
書いていてあまり気分のいいシーンではないです…。
暴力は「なかったこと」にしてはいけないと思っているので。
マイリがまともに見ていたら、確実にトラウマになりそうだなぁ。