11
フローラが旅を守ってくれていたお陰か、少女達が競うように御者台で馬を操ったせいか、まだ陽が高いうちに馬車は狩猟小屋に到着した。
「…誰もいないのかしら」
早馬がとうの昔に城に知らせているはずなのだから、いくら予定より早く着いたとしても、城の者が誰一人として出迎えていないのはあまりにも不自然だ。
ケイトは訝るように御者台を降り、ジェスにはいつでも馬車を走らせることが出来るように待機させた。
人気のない小屋の入口の扉の前で深呼吸し、ノックしようとした時。
「誰だ」
いきなり背後から声がして、ケイトは慌てて振り向いた。
いつの間に。気配は全くしなかったのに。
入口から少し離れた距離に、背の高い長髪の男性がいた。
「ここは王の領地だ。若い娘が勝手に出入りして良い場所ではない。今すぐ去れ」
去れ、と頭ごなしに命令されてケイトはムッとする。
長の娘にそのような口を聞く男などいなかったし、ケイトはただの「若い娘」ではない。
王の許可があるからこそ、こうしてここにいるのだ。
「あなたは誰」
「先に尋ねたのは私だ。そちらが先に答えるのが礼儀であろう」
「王の命により、ここを訪れることを許可された者よ。あなたはお城からの使いなの?」
「…妖精の力を纏っているな。何者だ?」
ケイトはぎくりとする。フローラから与えられた力に気付くということは、この人は妖精に近い存在ということだ。
となると、好ましくない状況に陥ってしまった場合、一筋縄ではいかない。
ここ最近、森の女王に対抗しようとする勢力があると出発前に父から聞いたばかりだ。
その勢力は上手く人の心を操り、巧みに取り込んでいくという。
この国の民は自らその勢力に加担しないであろうが、妖精に心を操られてしまった場合はどうにもならないだろう。
長姉であるケイトは妹達を護る為に、彼が森の女王に反する者なのかどうか見極めなくてはならなかった。
「あなたには関係ないことだわ。お城の使いの者でないのなら、あなたに話す義務はないもの。もうすぐここにお城からの使者が来ることになっているから、あなたこそ早く何処かに行った方がいいと思うけど」
内心はヒヤヒヤしながら、しかし平静を装ってケイトは観察していた。
妖精かもしれないと思って見てみると、そうとしか見えてこない。サラ達はフローラが木の幹から現れたと言っていたけど、この人はどうやって突然現れたのだろうか。
見事な銀髪に、氷を思わせる薄いスカイブルーの瞳。ゆったりとしたローブを羽織っているが、細身ながらがっしりとした体格をしていることは見て取れる。労働に従事している体つきではなく、どちらかと言えば武芸に通じていそうだ。王都には傭兵がいると聞いているが、きっと傭兵もこんな感じなのだろう。
問題なのは、目の前の敵または味方が、何の為にここにいるかということ。
頭の中で色々と考えを巡らせていると、薄青の瞳がすっ、と細められた。
「…其方、名は何という」
「村長の第一の娘ケイトよ」
「ではエルマ皇女に近しい者か」
「そうよ」
答えてしまって良いものかと迷ったが、嘘は妖精には通用しない。
妖精と話している時の嘘は、妖精に全て見抜かれてしまうと昔からの伝承にある。
「私の名はソニヤ。森の女王の代理の者として皇女に会いに来た」
「森の女王…」
その言葉にケイトは絶句した。王よりも強大な力を持つ森の女王がエリーに何の用なのだ。
「其方の両親は我が女王に忠誠を誓った。その娘達も同様に女王に忠誠を誓ったことになる。命令だ。皇女をここへ」
ケイトは馬車からこちらの様子を見ている妹達を見る。
御者台の上で不安そうなジェス、窓越しにこちらを伺うサラとセレナ。エリーとマイリの姿は見えない。きっと、身を低くしているようにと言ってあるのだろう。
ケイトは妹達に頷いて、手招きした。
「賢明な娘だな」
ソニヤはどこか可笑しそうにそう言うと、馬車から降りて近付いてくる娘達を見る。
「ケイト。その方は…」
セレナがケイトにそう尋ねるのと、マイリの花冠が再びぽうっ、と光るのはほぼ同時だった。
「…其方達全員が、花の精霊の祝福を受けているのだな。あの気難しい精霊から…。珍しいこともあるものだ」
「この人、妖精なの?」
「そうよ、セレナ。森の女王の代理で、エリーに会いたいと」
「私に…?」
そう言ったエリーにソニヤは目を向けた。
「…貴方がエルマ皇女か」
「はい、そうです」
「それは本当か?」
「本当です。ただ、それを知ったのはつい先日のことです。それまでは村長の娘、エリーとして育てられました」
「何か証明出来るものは?」
「エリーの言っていることは本当です。長の第一の娘ケイトが保証します」
ケイトがそう言い、残りの妹達全員も頷いたが、ソニヤは首を横に振った。
「…それだけでは足りぬ。本物の姫であるならば、王は姫に身を捧げる勇敢な騎士をつけているはず。いずれは女王が統治する森の一部をも統治することになる身に相応しい騎士がいてこそ、本物の王女。その騎士を連れていないとなると、我々は貴方を王女として認められない」
「そんな…」
エリーは呆然として呟く。
ずっと姉妹達で育ってきて、父親以外の男性がエリーに近付くことなど、これまで殆どなかった。
騎士のような存在なんて全く思い当たらない。
たとえ城から迎えが来たとしても、森の女王がエリーを認めなければエリーは王女として認められないかもしれない。
そうなれば、エリーはどうなってしまうのだろう。
皆の表情が暗くなり、絶望に近い空気が辺りに漂う。
しかしその間、ケイトは必死で考えていた。
王が本当にエリーに騎士をつけていたのならば、ケイトがその存在を知らないはずがない。知らなかったとしても、旅の前に父が必ず教えてくれたはずだ。
嘘とまでは言わないが、騎士の話はきっとエリーを試す為の作り話だ。
ケイトは記憶を辿りながら、思いつく限りの智恵を絞り出そうとしていた。
ソニヤは身じろぎすらしない娘達を見つめる。
「おらぬのか?」
「いるわ」
その声に残りの全員がはっとした。
「長の第四の娘サラよ」
サラはそう言うと、ソニヤの前に出た。