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とある王女の恋物語  作者: 藍田 恵
第七章 ひとつの選択
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15

 炎を消すことを森に命じたサラは、湖の精霊が霧のような雨を炎に注ぐ様子を眺める。

 大地を湿らすかのように注がれる雨で徐々に火が消えていく。その跡地を埋めるかのようにそこから水分をしっとりと含んだ若芽が芽吹き、細く長く続く水の恩恵を受けて草木が忽ち丈を伸ばした。燃えた植物の代わりに瑞々しい植物が焼け跡と二人を取り囲み、未だ燻っている炎が別の草木に飛び火するのを防ぐようにして背丈を伸ばし続ける。

 その様子を見てサラは安堵した。

「これで炎が消えたわ」

「見事だな。しかし、何故あの王子の戒めを解かないのだ? 王女サラ

 ソニヤに問われて改めて映し鏡を見たサラは、なんとかしてステファン王子のイバラを解こうとしているクレイの姿を眺めた。

 炎が消えて安心したせいかクレイは剣を傍らに置き、素手でイバラと格闘している。そしてステファン王子は大人しくされるがままにしていたが、その瞳はひたとクレイの剣を見据えていた。

「まだステファン王子に気を許すのは早過ぎるわ。妖魔に心を操られているのなら余計に、よ。クレイがステファン王子に危害を加えることはないけれど、もし、あの剣をステファン王子に奪われでもしたら…今度こそ本当にクレイが危なくなる」

「…慎重なことだ。だが、賢明だ。イバラの戒めは人間の力ではまず解けないが、精霊の力を持つ者になら解けるかも知れぬからな」

「そんなことはさせないわ。あれは他の精霊にも解けないようにしてあるもの。クレイには悪いけど…」

 どうしてもステファン王子を捨て置けない様子のクレイにサラの心は痛む。クレイだけ先に森を離れて欲しいと望むサラの気持ちを知らないクレイは、手に無数の傷を作りながらイバラを解こうとしていた。

「…しかしサラ、どうしてクレイ王子の前に姿を見せない? 彼の本心は其方も知った筈だ。あれほど其方の名を呼んでいるのに」

 面白そうに映し鏡を眺めるソニヤをサラは軽く睨んだ。

「見せなくても助けられるもの。…それに、もう会わないと決めたの」

 サラの返事にソニヤは口の端だけを上げる。

「ハーヴィス王国の王子は今、強力な精霊の力を纏っている。それを知りながら、クレイ王子は自分を殺そうとした相手を助けようとしている。…どのような理由で其方がクレイ王子から姿を隠したいのかは知らぬが、少なくともこんな所で手をこまねいている場合ではないとだけ言っておこう」

「でも、ステファン王子はクレイの説得に納得していたわ。多分、もう危害を加えるつもりはない筈よ。そうでなければクレイを一人だけ逃がそうなんてしないでしょう?」

「彼は今、王子としての意思より精霊の影響の方が大きい状態だ。心を精霊に操られているとなると話は別だと、其方も言ったばかりだろう。第一、あの状況でクレイ王子は果たして逃げられたか? 私はそうは思わぬ。無理だからこそ其方の名を呼んだのだ。結果として二人共、劫火に焼かれずに済んだ」

「自分も助かるつもりでああ言ったと言うの? …今のままではクレイが危険だと?」

「イバラの戒めに囚われているのに、森に火をおこす力が操れるのだ。あれは危険な力だ。もし森全体に火をつけられたら、湖と植物の精霊達の力だけでは炎を防ぎ切れない」

 ソニヤに言われた光景を想像し、サラの背筋に悪寒が走る。

「まさか、そんなことは…」

「女王の話をちゃんと聞いていなかったのか? 彼等は聖地で力を蓄えた。聖地に僅かに残っていた力も彼等は自在に操れるようになったようだ。かつてあの地では火の精霊を祀っていた。竜と炎は相性が良かったからな」

「竜の伝承は本物だったの?」

 驚いて目を見張るサラに、ソニヤは頷いた。

「そうだ。昔は至る所に竜のすまいがあった。リブシャ王国以外の国も、豊かな森を持っていた時代の話だ」

 そう言ったソニヤは遠い目になる。

「その竜達は何処に行ってしまったの? せめて竜が聖地に留まっていれば、妖魔に明け渡されることもなかった筈なのに…」

「竜さえいればこの事態を防げたという話ではない。それほど単純ではないのだ、サラ。人間はある時点から火を扱うことに慣れ、火の精霊と竜の力を必要としなくなった。祀られていない聖地は、とても脆いものだ。人間が聖地を振り返らなくなってしまうと、その聖地は人間との絆を失い、その地で育まれていた力までをも失っていくのだ。竜達が激減したのは、力を失ってしまった聖地で竜は暮らせないからだ。畢竟、竜達はその場を離れ、種の殆どは絶滅して…生き残った種だけが新たな聖地を求め彷徨い続ける宿命を負った。その種はもう微弱な火すら扱えないが、それでも少しでも多くの火の精霊の名残を必要としている。あの聖地に於いては災禍という方法を使って幾度となく、あの国の人間に聖地の重要さを知らせてきたのだが…結局、精霊を信じない人間達には効果が無かった」

「…ちょっと待って。それじゃあ、あの聖地を取り返して正しく祀れば…ハーヴィス王国の食糧問題も、ステファン王子の妹姫の健康問題も忽ち解決するというの?」

「時間はかかるだろうが可能だ」

「では、ハーヴィス王国はリブシャ王国とわざわざ婚姻関係を結ぶ必要はないのね?」

 意気込むサラにソニヤは鼻白む。

「人間のまつりごとの思惑は良く分からぬが…其方がそう考えるのならば、そうなのだろう」

「妖魔達はそれを知りながら、ハーヴィス国王を不安に陥れ、ステファン王子の心を操ったのね。それならば、どの国も争いを起こす必要なんかない。エリーとクレイを引き裂く必要も…」

王女サラ、何をするつもりだ?」

人間ひと精霊達わたしたちと共存することを選んでくれたら、誰一人として争う必要はないということをあの二人に知らせるわ」

「…それならば急いだ方が良さそうだ。少し昔話に興じ過ぎた」

「え?」

 真顔に戻ったソニヤが映し鏡からサラに向き直った。

「クレイ王子が危ない」


 傷だらけの指と爪の間から流れた血は、頑丈なイバラを解く作業を益々困難にさせた。

 サラ、どうしてだ? 何故この戒めを解かない?

 僕はもう助かった。後はステファン王子を国へ帰すだけだ。

 そして僕達は一緒にリブシャ王城へ帰ろう。

「…クレイ王子。もういい。離れてくれ」

「え?」

 クレイが後に一歩引くと、ステファン王子の周りに青白いものがゆらめいた。

「忌々しいイバラだ…。あの女王おんなのやることと言ったら…」

「ステファン王子!」

 ぼう、という音と共に青白い炎に包まれたステファン王子を見て、クレイは反射的に剣を取って飛び退すさる。

 全く熱を感じない炎に包まれたステファン王子は、少し前に見せた時と寸分たりともたがわない不敵な笑みを浮かべる。やがてイバラの部分だけが熱を帯びて赤く燃え始めた。

 イバラが燃え尽きるまでそれほど時間はかからず、何事も無かったかのように両手が自由になったステファン王子は警戒するクレイを横目で見ながら己の剣の柄を握る。

「まさか…」

 そう呟いたクレイはステファン王子が軽々と剣を大地から引き抜く様子を凝視した。

「ここまでしても女王どころか騎士すら姿を現さないとは…。我々(・ ・)も軽く見られたものだ。やはり初めから、クレイ王子をあやめておくべきだったか」

「何を…」

「茶番は終わりだ。悪く思わないでくれ。…尤も、軍事国の王子が命乞いをするとも思えないが」

 息を飲んで剣を握り直したクレイは、柄が血で滑る感触にはっとなった。

 もし、また同じような重い一撃だったとしたら…今度こそ剣を受け止め損ねて斬られてしまう。

 …ここまでか。

 力の差は歴然だ。武器も装備も同じなら、純粋に実力差で勝負がつく。

 だが、ここでむざむざ殺されるわけにはいかない。

 クレイも剣を構え、目を逸らさずステファン王子を見詰め返した。

「良い度胸だ。貴殿は王の器だな。第三王子のままにしておくのは実に惜しい。だが、リブシャ王国を得るのは貴殿ではなく私だ」

 ステファン王子は美しく嗤うと、クレイ目掛けて剣を下ろした。


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