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クレイの手から弾き飛ばされた剣は空中で綺麗な弧を描き、吸い込まれるように大地に垂直に刺さった。
その動きを目で追っていたクレイ目掛けてステファン王子が振り被った剣を落とそうとした時、しゅっ、という音が二人の耳元を掠めた。
次の瞬間、大きな力で剣ごと腕を後ろに引っ張られたステファン王子は体勢を崩す。同時に何かがステファン王子の胴に巻き付き、同じように後方に強く引いたかと思うと、王子の身体は急速に空高く浮かび上がっていた。
「うわっ!」
その叫び声が自分のものではないことが信じられないような気分で、クレイはその光景を目に焼き付ける。
ステファン王子の身体の動きを封じているのは植物の蔓。その蔓が幾重にも王子の身体に巻き付いて、王子の肩から腰までを完全に覆っている。空中でぎりぎりと蔓に捻り上げられた王子の手からは力が抜け、手にしていた剣が大地に向かって落ちた。
剣はその光景を為す術もなく見上げていたクレイの目の前で、ずとん、と柄まで深く大地に突き刺さる。
優に木々を超える高さまで引き上げられているステファン王子の姿と柄の部分しか見えない剣を交互に見ながら、クレイは混乱する頭で状況を理解しようとした。
あの高さからここまで深く刺さってしまうと、人の力で引き抜くことはまず不可能だ。
僕は「何か」に「救われた」のか?
こんなことが出来るのは…。
「サラ!」
サラが近くにいる。
そう確信したクレイは辺りの木々を見回した。
「サラ! 何処だ?」
必死に叫ぶクレイには何の反応も返って来ない。クレイは更に大きな声で虚空に語りかけた。
「森に戦いを持ち込んですまなかった、サラ。僕達はもうここで戦わない。いや、戦えないんだ。王子の武器はもう使えないし、僕もこれ以上王子を攻撃しない。だから、せめて王子を地に降ろしてくれ。エリーの森で王子に危害を加えたら、エリーが不利な立場に追い遣られることになる」
クレイのその説得が効いたのか、王子は間もなくするすると地上に降ろされた。しかし依然として蔓は身体にしっかりと巻き付いたままで、その蔓は王子の足が大地に触れた途端に枯れ枝のように固くなり、鋭いイバラの棘をつけた。
「精霊の力をこのように使うとは、なんと卑怯な…。なんという愚弄。…これがリブシャ王国のハーヴィス王国へ対する答か」
その瞳に怒りを露にして、ステファン王子は蒼白な顔でクレイを睨み付ける。
クレイは王子が拘束されたままでいることを確認すると、大地に刺さった自分の剣を抜き、鞘に納めた。
「先に精霊の力を悪用したのはそちらだろう。精霊の力を使って、エリーを国王から攫った。人外の力を得て、僕を殺そうとした。動機は国を救いたいという純粋なものだっただけに、同じ王族として理解を示したいところだが…妖魔に心を操られるようでは為政者として賛同仕兼ねるとしか言いようがない」
冷静に切り返すクレイにステファン王子は歯噛みする。
「貴殿は、守るということの本当の意味を知らない…」
「その代償に、何を差し出した? 自国の民の平和の為に、他国の民の平和を侵すことでも約束したのか? それとも、王族の幸せを犠牲にすることか?」
「大袈裟な。ただ土地を差し出しただけだ。我が国にとって、さほど重要でもない…」
「まさか竜の谷を明け渡したのではあるまいな」
「…どうしてそれを」
「やはりそうか」
クレイは溜息を吐き、呆然としているステファン王子に同情の眼差しを向けた。
「僕はリブシャ王国で伝承について学ぶ機会があり、周辺の国の伝承についても調べた。勿論、ハーヴィス王国の伝承についてもだ。かつて竜が棲んでいたという伝承が残る竜の谷は、今でもハーヴィス王国の聖地として崇められなければならない聖地だ。聖地を祀らない国では、その障りが国民に起きる。一番分かりやすい障りは原因不明の流行病。それから飢餓。そして王族に病弱な者が生まれる、等…」
「まさか、そんな…」
愕然とするステファン王子を見て、クレイは目を細めた。
「アリシア王女は生まれながらにして病弱なようだが、聞いた話では、聖地を軽視し始めたのは神官達を政治から排除した頃からのようだな。その時期はアリシア王女の誕生と一致している筈だ。ステファン王子、あなたは既に大きな代償を払っているのに、更にその聖地を妖魔に明け渡した。為政者として軽率だとは思わないか?」
「嘘だ! そのような作り話を誰が信用すると言うのだ! だとしたら、貴殿の国の惨状はどう説明するつもりだ?」
「僕の国の失策は、森の女王への忠誠を怠ったことだ。それが全ての原因だ」
「それで貴殿はどうするつもりだ? 今更森の女王へ忠誠を誓うと言うのか?」
「その通りだ。僕の国は既に聖地を焼き払っている。聖地を持たないから取り戻すことすら不可能だ。森の女王に傅き、リブシャ王国と友好を保たないことには生き残る方法がない。それが僕の国が出す結論だ」
「殊勝な心掛けだな。…成程、危うく信じるところだった。だが私はそのような甘言には騙されない。聖地だか何だか知らないが、妹姫に害をなすような土地を大事に抱え続けてどんな利点があると言うのだ。それはこの森も同様だ」
ステファン王子の瞳に赤い光が灯ったことを見て取ったクレイは、慌てて周りを見回した。
「森が…」
クレイは言葉を失う。
赤々と燃える炎が二人を包み、その炎は更に勢いを増そうとしていた。
「馬鹿なことを! 森を焼き払うつもりか? そんなことをしたら…」
「何事にも犠牲は付きものだ。それが新しい世を迎える時ならば、尚更だ。私は如何なる手段を用いてもリブシャ王国を得る。その代わりに民を飢餓から救うと彼等は保証したのだ」
「森を燃やしてしまったら、リブシャ王国を得ても何の意味もない。この国は、この森があるからこそ栄えているんだぞ! 妖魔達に騙されているのはあなたの方だ、ステファン王子」
「残念だったな、クレイ王子。こうなってしまった今、私は…森の女王を誘き出せればそれでいいんだ。女王とこの森を彼等に差し出すことが最低限果たさなければならない、彼等との約束でもある。森の状態がどうであろうが、彼等には関係ない」
「妖魔にとってはそうだろう。だが人間にとっては違う。森を失ったリブシャ王国に待っているのは、我々が最も恐れる飢餓だ。森が死に、水が汚れ、肥沃な土地が失われてしまったら…農業で支えられているリブシャ王国に生き残る道はない。それが分からないあなたではあるまい! そしてあなたはそれを知っていながらこんな所で死ぬつもりなのか? それでも一国の王子なのか? 我々がここで死んでしまえば、まさに妖魔達の思う壷なんだぞ!」
叫び終えるとクレイは激しく咳き込んだ。炎が広がり、熱と煤で呼吸すら苦しくなってきている。その様子を眺めながら、ステファン王子は静かに告げた。
「…早く逃げろ、クレイ王子。最早この炎は消せないし、この戒めは解けない。せめて貴殿だけでも助かってくれ」
「ステファン王子」
「これは我が国が生き残る為の、最後の賭けだったのだ。国を救おうと思うあまり判断を誤った。…貴殿の言う通りだ。森を失ったリブシャ王国には飢餓しか残らない。火事のみならず…森の女王の庇護を失えば、リブシャ王国は呆気なく諸外国に搾取されてしまうだろう。そこに思いが至らないほど私は焦っていた。…私は、全ての策を失ってしまった」
「泣き言は後で聞く」
クレイはそう言ってすらりと剣を引き抜くと、棘だらけのイバラと化した蔓目掛けて剣を振り下ろした。
鋼のような頑丈な蔓に跳ね返され、クレイは舌打ちする。
「サラ!」
クレイは再び叫んだ。
「聞こえただろう? サラ。ステファン王子はもう、これ以上森にもリブシャ王国にも害を与えない。だから、どうか僕達を助けてくれ!」




