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とある王女の恋物語  作者: 藍田 恵
第七章 ひとつの選択
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13

 森が騒いでいる。

 馬から降りて独りで森の中を歩いていたクレイは、現在地を確認する為に星を見上げた時にそう感じた。

 今までリブシャ王国内の森を歩いていても、こんなにも森が騒いでいると感じたことはない。

 クレイは月の位置を確認する。

 この森一帯で唯一の明かりである月が大きく移動したせいで、辺りの視界を確保し辛くなっている。

 木々の影が邪魔をする中、クレイは僅かな動きも見逃すまいと目を配った。

 あの髪の色は間違いなくサラだ。見間違える筈がない。動く度にさらさらと揺れ、美しく煌めくあの長い髪をずっと見つめてきた。

 サラ、何処に行った。

 ふと視界に何かが過り、クレイはその方向に目を凝らす。

 人影だ。

 しかしそれはたおやかな女性のものではなく、クレイよりも少し上背のある姿だった。

 騎士はデラ以外は一人残らず帰投した。だとしたら…。

 クレイは目を見張る。

 …どうしてこんなところに。

 おそらく相手も同じ思いだったのだろう。

 クレイと同じように目を見張ったまま、その相手はクレイに問いかけた。

「クレイ王子。王女は何処だ? 無事なのか?」

 ハーヴィス王国の第一王子、ステファン王子にそう問われたクレイは息を飲んだ。

 とんだ巡り合わせだ。

 お互い表情を硬くしたまま暫く睨み合う。

 デラはこの王子のことを剣すら握ったことのないような風情だと評していたが、とんでもない間違いだ。そんな王子が供も連れずに真夜中の森を歩き回る筈がない。

 その王子にエリーが今、城に向かっていることを知られるのは得策ではない。だが、ここにエリーがいると思われて留まられてしまっては、サラの捜索が困難になってしまう。

 ただでさえ一刻を争う時だというのに。

 質問に直ぐには答えず、クレイはステファン王子の身なりをそれとなく確認していた。

 剣を一振りに、鎖帷子くさりかたびらを着込んでいる。武器も防具も装備は殆ど変わらない。

 条件は同じだ。一騎討ちになれば剣の腕のみによって勝敗が決まるだろう。

 ハーヴィス王国と我が国の軍事力はほぼ互角。ワイルダー公国の方が軍事国だと思われているのは、僅かな鉱物資源があるハーヴィス王国に比べ、我が国には人的資源以外のものがないからだ。

 言い換えれば腕力と智恵のみで、我が国はここまで生き延びてきた。

 クレイは深呼吸した後、ステファン王子に告げた。

「…エリーは無事だ。だが、僕の婚約者に何の用だ」

「姫はもう貴殿の婚約者ではない。我が国の妃に迎える」

「そんな話は聞いていない。第一、リブシャ国王の許可を得ているのか?」

「許可など不要だ」

 突然距離を詰められ、不意を突かれたクレイは辛うじてステファン王子の剣を受け止めた。

 その一撃で、肩に痺れが走る。

 重い。

 その衝撃は、未だかつて受けたことがないほどものだった。

 今までの鍛錬の自負がある分だけ、その自信が崩れそうになる感覚にクレイは冷や汗を流す。

 自分より体格の良い相手はごまんといる。日々重い剣で鍛えているのはそのためだ。…しかしこの王子の腕力は論外だ。化け物なのか?

 そんなクレイの思いをよそに、ステファン王子は余裕たっぷりに笑みすら浮かべている。

「同盟国のあの美しい王女を取り戻したいと思うのは、男として当然の気持ちだろう。しかし、今後は貴殿の国はリブシャ王国の同盟国ではなくなる。私が認めない。いや、それ以前の問題だ。貴殿はここで行方が分からなくなるのだからな」

 じりじりと剣の切っ先が自分に向けられるのを渾身の力で防ごうとするクレイの額から、ぽたぽたと汗が落ちる。クレイは歯を食い縛りながら声を絞り出した。

「そう断言する割には、あまりにもリブシャ王国の事を知らないようだな。例えここで僕が倒れたとしても…王女の騎士がそのような勝手は許さないだろう」

「騎士だと?」

「王女の騎士がいる限り、今後もリブシャ王国はハーヴィス王国に屈することはない」

 ステファン王子はリブシャ王国に滞在していた時の記憶を手繰たぐり寄せた。王女の騎士。その呼び名には覚えがある。確か王女と村で姉妹同然に育ったという、王女と背格好の良く似た…。

 そこまで思い出して、ステファン王子はあることに気が付いた。

 城の私室から見た王女の姿は、どちらかと言うと…あの娘の方に似ていなかったか?

 考えてみれば、城から逃げ出す時にあのような目立つドレスを着るだろうか。ドレスは侍女を通して手に入れていたとしても、逃げようとしているのなら着替える時間すら惜しむ方が普通だろう。

 …やられた。

 あの格好は囮だったのだ。だとしたら王女はもう、この森にはいない。馬から落ちたのは長の娘の方だろう。

 そしてこの王子も、きっと何か別の目的があってこの森にいる。この森に自分を足止めするつもりなのだろうか? こちらの方がまんまとリブシャ王国側の罠に掛けられたのか?

 怪しいと思ったのだ。第三王子とはいえ、一国の王子が供も連れずに森の中にいるなど。

 兵を近くに潜ませているのではないかとステファン王子は気配を探る。しかし依然として他の気配は何も感じられず、そのせいで余計な焦りが募って剣を握る腕に一層の力が込められた。

「あの娘の事を言っているのか?」

「そうだ」

 ステファン王子は殆ど表情を変えないまま、クレイのとび色の瞳を見つめた。脂汗を流しながら剣を受け止めている今、たばかるほどの余裕などないだろうという確信はあったが、疑心暗鬼な気持ちに駆られているせいで判断が鈍る。

 これは駆け引きの一部なのか? それとも、本当に…?

「…馬鹿な。その確信は何処から来る? あんな娘に何が出来ると言うのだ」

「エリーを守るのはサラの役目だ」

 その言葉にステファン王子は少なからず混乱した。

 この期に及んで何を言うのだ、この王子は。

「あの娘を愛しているのか? クレイ王子」

 虚を衝かれた表情をしたクレイを見て、思いつきで言ったその一言こそが真実だとステファン王子は瞬時に悟った。

 ステファン王子はあっさりと剣を引き、驚いているクレイを見て嗤った。

「…そういうことか。それならば貴殿と戦う必要はない。命拾いしたな、クレイ王子。だが、私の計画を阻むあの娘の命は貰う」

「そんなことは僕が許さない」

 嫌味なほどに意外そうな表情をしてから、ステファン王子は静かに微笑む。このような状況でなければ素直に感嘆してしまうだろうとクレイが思ってしまったほど、その表情は美しかった。

「薄情な婚約者殿。少しはエルマ王女の立場を考えられてみてはどうだ。戯れに村娘に懸想するだけならともかく…愛しているなどとのたまわれては王女も立つ瀬がないだろう」

「黙れ!」

 逆上したクレイに斬り掛かられたステファン王子は難なくクレイの剣を受け止め、その端正に整った顔を歪ませた。

「折角情けをかけてやったのに…。今の私に勝てると思っているのか? 並の人間ひとの腕力では私に勝つ事など出来ない。第一、国同士のいざこざを起こさずに、あの娘をエルマ王女の名誉の為に厄介払いしてやろうと言っているのだ。感謝の一つでもしたらどうだ」

「これ以上の侮辱は許さない。僕だけでなく、あの二人まで…」

 燃えるような怒りを孕ませて爛々と光るクレイの瞳を見て、ステファン王子の緑色の瞳は冴え冴えと光った。

「どうやら話は通じないようだな。…いいだろう。思い知るがいい」

 ステファン王子は片腕で易々とクレイの剣を弾き飛ばし、素早く斬り込みの体勢に入った。

「あの世で大人しく娘の到着を待つんだな」

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