12
女王の部屋を再び訪れたサラは、意を決して顔を上げた。
「…お母様。私は…」
「サラ」
女王は穏やかな瞳でサラを見つめる。
「そのドレスはエルマ王女のものですね。良く似合うこと。…でも、貴女が身に纏って良い衣装ではありません」
「これは…仕方無く…」
「大体の事情は分かっています。そのドレスとティアラはわたしから国王陛下に返しておきましょう」
女王がそう言って手を翳すと、忽ちサラが着ているドレスはいつものドレスに変わった。
「その姿のほうが貴女にとっても動き易いでしょう。貴女が馬から落ちそうになったと聞いた時には…本当に心配しましたよ」
野薔薇にちらりと視線を送った女王はサラに改めて視線を戻す。
「…ごめんなさい」
女王がサラを叱らなかったことに、サラは女王の静かな怒りを感じていた。
自分の取った行動の計り知れない無謀さには、どんな弁明も許されないと分かっている。でも、エリーとみんなを守るにはああするしか…。
その考えを読んだかのように、女王は小さな溜息を吐いた。
「サラ。エルマ王女を守りたいという貴女の気持ちは尊重します。しかし、少し軽率でしたね。貴女の思惑とは大きく外れて、あの王子達は面倒な事態に巻き込まれたようです」
「王子…達?」
「ワイルダー公国の王子とハーヴィス王国の王子が今、この森にいます」
女王はそう言うと、大きな映し鏡を二人の間に造り出した。
あのまま道を進めばデラと出会う筈だったクレイが、何故か道から遠く離れた森の中にいる。一方で、そのクレイからそれほど離れていない場にステファン王子の姿があった。
どちらも供は連れていないが、だからこそ一触即発と言ってもいい。
「どうしてクレイがこんな所に…? それに、ステファン王子まで」
「二人とも貴女を捜しています。尤も、ハーヴィス王国の王子の方はエルマ王女を捜しているつもりなのでしょうが」
クレイはともかく、ステファン王子が単身で森に入るとはサラは予想だにしなかった。
あの冷たそうな王子がエリーの為に身の危険を冒しているのだとしたら…ここでエリーの婚約者であるクレイに出会った王子はどのような行動に出るのだろうか。
「私のせい? …どうしてこんなことになってしまったの」
「貴女だけのせいではありません、サラ。彼等はずいぶん力を蓄えたようです。このように堂々とわたしの森の中に誘い込み、この森で争いを起こそうとするなど…言語道断です」
悲嘆するサラの耳に届いた女王の声は明らかに憤っていた。映し鏡を眺める瞳は、先程サラを見つめていた時の穏やかさがすっかり消えて、燃えるような金色に光って見える。
「彼等って…妖魔の仕業なのですか?」
女王は頷いた。
「人が妖魔と呼ぶ者達は、かつてはこの森の精霊でした。わたしの治世に反発して森を離れてしまいましたが、森の外の世界に触れたために森へ戻ることが叶わなくなってしまい、このような暴挙に出ることになったのです」
「どうして彼等は森へ戻れないのですか? それに、私達と同じ仲間なのにどうしてこんなことを…?」
「森へ戻れないのは、彼等の力が森にいた時よりもずっと弱くなってしまったからです。しかし、力は弱くとも精霊である以上、人の世界で暮らすことには苦難を伴います。人の世界で暮らすより、精霊の世界の勢力を変える方が精霊にとってずっと簡単なことなのです。言葉巧みにハーヴィス王国の国王を誑かし、聖地を手に入れ住処とした彼等はそこで充分に力を蓄え…そこを根城にして、今度はこの森を手に入れようとしています」
「精霊の世界の勢力を…変える? それは、この森を支配するということなのですか?」
「そうです、サラ。この森と一緒に、リブシャ王国をも支配するという意味です。恐らくハーヴィス王国はリブシャ王国を手に入れることを引き換えにして、あの聖地を彼等に明け渡したのでしょう。聖地と呼ばれる場は人にとってはただの土地ですが、精霊にとっては力を蓄えることの出来る掛け替えのない場所なのです。ハーヴィス王国は彼等と対等…いえ、少なくとも彼等と利害が一致していると思っているようですが、事実はそうではありません。人との約束など、彼等にとっては些末なことです」
「では、彼等はハーヴィス王国を裏切るのですか?」
「裏切るも何もありません。聖地を手に入れた彼等は既にハーヴィス王国を手に入れているも同然です。ハーヴィス王国は進んで彼等の手に落ちたのです」
その言葉にサラは愕然とする。
それではステファン王子は何も知らないまま、国と民を危険に晒し、自らも戦の切っ掛けとなるべくしてこの森に誘い込まれてしまったのか。
そしてこの場でクレイと争い、両国が戦にでもなったら…この森とリブシャ王国は間違いなく巻き込まれてしまう。
今ここで二人が出会うだけで、誰の手にも何ひとつ残らない、奪い尽くすだけの不毛な争いが起きてしまう。
サラは蒼白になった。
「…止めなければ。お母様、お願いです。私に力を貸して下さい」
必死に訴えるサラを女王は慈愛に満ちた眼差しで見つめた。
「どういうことになるか、分かっていますね?」
「はい。でも、どうしてもエリーとリブシャ王国を…そしてこの森を守りたいのです」
「いいでしょう、サラ。貴女が望むだけの力を貸しましょう。この森に於いて、貴女がわたしの依り代となることを許しましょう。しかしもう、後戻りは出来ませんよ」
「構いません。私は最初からそうするつもりだったのです」
「サラ」
女王はサラの瞳を暫く見つめると、そっとその同じ榛色の瞳を潤ませた。
「愛しいわたしの娘。…行きなさい」




