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森田宏哉という生き方

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 学校から五分ほど歩いた閑静な住宅街に兄妹の自宅があった。

 良くも悪くも普通の二階建ての住宅だ。表札は森田とだけあり、ガレージには白いワゴンが置いてあり、その脇には赤と黒の車体の自転車がある。

 これ以外に特に目立った箇所もない。本当によくある家だ。

 もちろん二人にとっては唯一の家なのだけど。

 もうやめようとぼくは首を振った。

 こんな考えはダメだ。宏哉さんたちに悪い。

「たっだいま~!」

 弾むような音衣さんの掛け声とともに彼女は帰宅した。

 それを外から見ていたぼくと宏哉さんは一瞬顔を見合わせた。

「……上がるか?」

 彼は自宅を指して言った。

「いえ、待ちますよ」

 ぼくは首を横に振り断った。

「だけどな、あいつこうなると時間かかるぞ?」

「……」

「それも三十分ぐらいは」

 さすがに馴染みのない家の前でずっと立っているのはご近所的な意味合いで都合が悪い。

「……お邪魔します」

「そうするといい」

 ぼくは宏哉さんに着いていった。

 森田家はひどく対照的な家だった。

 というのも玄関の左半分、靴箱はとてもシンプルなのだ。

 最小限の傘やスリッパだけを置いてあり、見なかったけど、靴箱の中も多分整理整頓されているのだろう。

 対する右側。小さな棚の上に家族写真と日本生まれのリボンがキュートなネコ(?)のぬいぐるみがいくつも置いてあった。

「そっちは音衣の趣味だ」

 宏哉さんはなんだか呆れたように笑った。

「あいつの部屋もそれで一杯だよ」

 なんとなく想像してみるとすごく似合う光景だった。絶対抱き枕代わりの大きなやつが一匹いるんだろうなと思った。まあ、実際にそうだったのだけど。

「この写真は?」

 おそらく最近の写真だろう家族写真の隣に、二人の両親だろうか、儚げな雰囲気を纏った女性と、その人の方に腕を回す壮年の男性が写った写真が写真立に飾られていた。

「うちの親の若いころの写真だよ」

 家族写真の二人と比べると確かに随分若い。

「無駄に仲がいいからな。うちの両親」

 無駄にって、とぼくは苦笑いで返した。

 他になんというべきかわからなかった。

「家族写真を玄関に飾るっていうのは珍しくないですか?」

「そうなのか?よくわからないけど、母親がしてるんだ」

 彼はそこで何かを思い出すように宙に視線を迷わせた。

「ああ、そうだ。なんか浮気防止にいいって言ってたか」

 またしてもコメントしづらいことだった。

「まあ、上がってくれ」

 ぼくはちょっとだけ名残惜しくてもう一度写真を見た。仲良さそうに父親に甘える音衣さんと嬉しそうに微笑む父親。そして、それを両脇から温かく見つめる宏哉さんと母親。

 それは、他人のぼくからすればとても幸せそうな家族の写真だった。


「茶でも飲むか?」

 リビングに案内した宏哉さんは席を勧めるよりも先にそれを尋ねた。

「いいえ。遠慮しておきます」

 彼はそっかと興味なさそうに返事をしてから、ソファーをぼくに勧めた。

「どうも」

 ぼくは一礼してからソファーに腰掛けた。

 彼は少し離れた椅子に座った。

 今日会ったばかりの人の家にいるという極めて稀なシュチュエーションのためか、ぼくはなかなか落ち着かなかった。汗が滲みだして、喉が渇いてきた。お茶をもらっておけばよかったかもしれないと少し後悔した。

「……くっくっ」

 突然笑い声が聞こえた。

 驚いて声の方を向くと、宏哉さんが口を押えて笑いを堪えていた。

「わ、悪い。なんか笑えてな。ははっ。あのバカ、すぐに帰ることになるだろうに、今頃飛び跳ねながら服を選んでんだろうなって思うとさ……ククク」

 今はもう六時だ。このままいくとぼくのうちにたどり着くのは多分七時を過ぎたころだろう。その時にはもううちの母親も食事を作り終えているだろう。

 そうなると、もし音衣さんだけならご相伴に預かるかも知れないが、多分宏哉さんが窘めるだろう。

 しかしそれを笑う宏哉さんはなかなかに趣味が悪いと思ってしまった。

 そういえば、この人たちの両親はどうしたのだろう。どこかに出かけているのだろうか。

「お二人の御両親はどこかへ出かけているんですか?」

 思ったことをすぐに口に出してしまった。そう後悔した時はほぼ間違いなく既に遅い。

「二人ともそれぞれ単身赴任中だよ」

 それにあっさりと返答した宏哉さんも驚きだが、その内容にへっ?と間抜けな声を上げてしまうほど驚いた。

「父親は、……まあ何やってるのか話してくれないからわからないが、ロンドンにいるらしい。母親はインテリアコーディネーターやってて、今も世界のどっかで仕事してるんじゃないかな?」

 何気にすごいことを聞いた気がする。

「じゃ、家事はどうしてるんですか?」

「俺と音衣で、交代にしてる」

「すごいですね」

「すごくないよ。必要があれば誰だってできるようになる」

 ほへ~っとぼくは感心した。同年代でこんな人は滅多にいないに違いない。

 すごいなとぼくは本当に素直に思った。

 それと同時に改めてぼくの矮小さを思い知らされた気がした。

 宏哉さんは図書委員長を務めていて、しかもきっといい人だ。わざわざ放課後残って図書委員会のために一人たくさんの資料を整理していた。それも自分のためじゃない。人のため。

 音衣さんはよくわからないけど、きっとたくさんの人の支えになっているんじゃないだろうか。ぼくも少し前に支えられたのだから。

 それに比べ、ぼくは?

 ぼくはいったい何をしたんだろうか?

 ぼくは何もしていない。行動も、声を上げることも。

 ぼくはただ世界が嫌だと嘆いてばかりだ。

 そんな風に行動できるのはなぜだろう。ぼくはそれがとても気になった。

「あの、……訊いてもいいですか?」

 唐突にぼくは尋ねた。

 彼は少しだけ目を丸めたが、

「ああいいよ。答えるかどうかは保証しかねるけど」

 そう言って宏哉さんはいたずらっぽく笑った。

 しかし、一体何を訊けばいいのだろう。ぼくはしばらく悩んでからゆっくりと尋ねた。

「その、どうして図書委員長になったんですか?」

「頼まれたからだよ」

「えっ?」

 素っ頓狂な声を出してぼくは驚いた。

「去年の夏ぐらいかな、その時の担任に『図書委員長になってくれませんか?』って必死に頼まれたから、すぐその場で承諾した。で、そのまま俺も例にもれず信任投票だったから当選。現在に至るわけだ」

 彼は結構詳細に説明してくれたけど、ぼくは一つのことだけが気になった。

「な、なんで頼まれたからって。それだけですか?」

 彼は二、三度瞬きを繰り返した。

「そうだけど?」

 今更ながらぼくは戦慄を覚えていた。

 目の前の人は普通の人とどこかズレている。

 普通そんな状況になれば人は迷うし悩む。でもそれをこの人はその場でって言った。彼の様子からするにおそらく二つ返事だったのだろう。

「だって、普通面倒とか、自由な時間が減るとか思うでしょう?」

「ああ、それは思った。当選した後にだけど」

 ぼくは思わず「ばっ」っと訳のわからない声を上げて、まるで未確認生物でも見るように彼を凝視した。

「なんで、そんなことができるんですか」

 ぼくの声は震えていたのだろうか。ひどく言葉が詰まりそうだった。

「なんでって、本当に担任が困ってたからな。多分断られまくった後だったんだろうな。顔真っ青だったし」

「それだけで?」

「それだけだが?」

 本当に何も特別なことではないように彼は澄んだ目をぼくに向ける。

 最初に見た時とは別の理由で、彼の瞳から目を逸らした。

 とてもじゃないが信じられない。

 まるで彼は、自分のことなど考えないかのように思えてしまったのだ。

 そんな風に生きていたのだろうか。彼は。

 少し前は嫉妬だった感情は恐怖に変化し始めていた。人のために行動する彼の羨ましく思ったが、違う。そんな生き方をすれば疲れる。

 人のためになることをすればいいと考えていたぼくは今壊れかけいる。

 でも、彼は実際に人のために行動していた。

 そんなの、ぼくがすれば疲れてすぐに壊れてしまうだろう。

 でも、きっと彼はそうして生きてきたのだろう。

「……とても真似できないや」

 小声でぼくは呟いていた。

 もしかしたら憧れだった行動をする人に出会えたのに、その模倣すらできない。それはぼくに十分に絶望を与える事実だった。

「どうして君が真似る必要があるんだよ?」

 小声のつもりだったがどうやら聞こえてしまったらしい。

 ぼくは顔を伏せた。ともすればまた泣いてしまいそうだった。

「どうして、そんなつらい生き方をしているんですか?」

 夢の中の壊れたぼくが似たようなことを言ったような気がする。

「もっと楽な生き方があるんじゃないですか」

 奇妙な笑みが能面のようにぼくの顔に張り付いていた。

 それを、なんというのかその後の宏哉さんが教えてくれた。

 その笑みは『狂笑』だと彼は言った。

 ぼくが壊れる一歩手前の表情だ。

「だろうな」

 狂い掛けたぼくの問いかけに宏哉さんはいたって冷静に答えていた。

「自分のことだけ考えた方が楽だし、手っ取り早いだろうな。俺を見てそいつらは笑うのかな」

 彼はむしろ清々しい笑みを浮かべていた。

 張り付いた笑みの奥でぼくはまたしても戦慄していた。

「でも残念。俺は笑う側には回れないんだよ」

 周回遅れのランナーを励ますように、彼はどこか温かく微笑んだ。

「だってさ。これが俺だから(・・・・・・・)。そういう風になってるから」

 本質は否定できない。そう彼は笑って言った。

「それにさ、楽が幸せって、誰が決めたんだよ?」

「!!」

 何よりも、その言葉が胸を打った。

『ラクな生き方シテミタラ?』

 そう影のぼくは嘲笑した。

 ぼくはそれに否定の言葉を見つけられなかった。

 でも、彼は既にそれを見つけていたんだ。

 おそれに変わった感情が、また憧れに変わった。

 彼のように、いや、彼と同じ考えを持って生きたい。

「ありがとうございました」

 立ち上がったぼくはいろんな意味を込めてそう言い一礼した。

 顔を上げると何もかもを理解したかのように、宏哉さんは黙って頷いていた。


 きっと宏哉さんは自分の生き方と、心の在り方を受け入れたのだろう。

 だからこそ、彼は清々しく笑えたんだろう。

 彼のおかげでぼくは自分の生き方を肯定できた。

 でも、まだこのぼくはそう笑えない。

 ぼくはまだ、セカイの破壊を望む心の在り方を受け入れられなかったのだから。




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