海鳴りが語る、五人の記憶
どれくらい寝ていたのだろうか。
窓の外を見ると、すでに都会を離れ、緑色に光る田んぼが一面に広がる平野を突き進んでいた。
しばらくして山間に入り、そしてふいに山が消えると、電車は真っ青な海を臨む高台に出た。
太平洋――瀬戸内海とは違うけた違いのスケールが燃を圧倒する。
透き通って輝く空の青と、底知れぬ深さを感じさせる海の藍。
その二つをくっきりと分けているのは、張り詰めた糸のような水平線。
(この景色を見て、彼女は何を想い考えているのか)
狂おしいほど燃はそれが知りたかった。
いつのまにか電車は目的地に到着していた。
駅の看板には**「串本、和歌山県串本市」**とある。
燃は、和歌山という距離に改めて驚きながら、かれんを追いかけた。
駅を出ると、かれんは潮の香りが乗る夏の風の中を歩き始めた。
商店街を抜ける緩やかな坂を登りきると、目の前が突然ひらける。
そこに広がるのは、潮騒という生易しいものではない。
それはまさしく海鳴りだった。ドォォーン、という祭り太鼓のような低い音が、息継ぐ暇も与えずに燃の腹の底に響いてくる。
遊歩道を黒い髪をなびかせながらかれんは一人歩いていた。その背中は、
人間の領分と自然、その狭間を一人歩いているかのようにたよりなく見えた。
燃は遊泳禁止の砂浜に下りた。
焼けた砂の熱さがスニーカーの底から伝わってくる。そこで、小さな白い貝殻を見つけた。
(小さな留め金具をつけてやれば、きっとかれんに似合うに違いない) そう思って目を上げたその瞬間、燃の心臓が海鳴りのようにどくんと胸を打った。
かれんがいつの間にか立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向いていた。
顔にかかる髪を手で押さえながら、まっすぐ燃を見つめている。
(どうする、逃げるかもしれない。このままではらちがあかん!)
燃はかれんに向かってダッシュした。黙ってついてきたことはもう謝るしかない。
だが、まだ説得の余地は残されているはずだ。彼女は走ってくる俺を待っているのだから。
しかし、そこに居たのはかれんだけではなかった。
いつのまにかバイクに乗った、登夢、雷、シャケが、かれんといっしょにそこに立っていた。
「「「「なんでおまえらここに」」」」
燃、登夢、雷、シャケの4人は、見事なタイミングでハモってしまった。
(………間に合った)登夢。
(燃ちゃんひょっとしてデート?)シャケ。
(やれやれ、本当にきちまったか、燃のやつ)雷。
それぞれの思いを胸に5人は顔を合わせた。
「燃ちゃんかれんさんとデートかい、すみにおけないねえまったく」シャケがニヤニヤしながら言う。
「人の恋路をあまり邪魔するもんじゃない。ま、ゆっくりしたまえ。あとで別荘の方へ報告に来るように」と、今度は雷。
「もしもしぃー。君たちなんか大きく勘違いしてない?」と燃が言っても、シャケは「ま、いいからいいから、あとでゆっくり言い訳してもらいましょう」と聞かない。
(だから違うんだって!)燃が苛立っていると、登夢が重い口を開けた。
「………用事をすませて、後で雷の別荘へこい。話はその時だ」
(登夢おまえもかあ)燃は思ったが、登夢の場合は違っていた。
登夢はいつになく真剣な顔で、かれんを見つめながら続けた。
「………わかっている。行ってこい。だが、ここまできたら後には引けないぞ」
「おまえ何か知っているのか。教えろ。いったい何がどうなっているんだ」
燃は登夢に詰め寄った。
「………直接聞いた方がいい」
登夢はそっけなく答えるが、その目は真剣でいて、どこか悲しそうだった。
「登夢くん」消えそうな声でかれんが言う。
「さっさと行った行った。われわれがやることはひとつ。掃除だあ」
雷はそう言って、二人を連れて去っていった。
去り際に燃に一言「ちゃんと後で別荘に来るように」と付け加える。
3人が去った後、かれんはとぼとぼと歩き出した。
「ずっと、つけてきてたのね」唐突にかれんが言った。
「ご、ごめん、でも俺………」燃は**「放っておけなくて」**と付け足そうとしたが、かれんの言葉に遮られた。
「なんであたしにかまうの。関係ない。あなたとはなんの関係もないのに」
燃が恐れていた言葉だった。
(関係なくない! 俺は、俺は!)燃は心の中で叫ぶが、声にはならなかった。
かれんが燃を見上げた。
透き通った瞳でまっすぐ見つめ、意を決したように言った。
「違う。違うの。私たち従姉妹同士なんかじゃない。私、あの家の本当の子じゃないの」
(なんだって、そんな、悪い冗談はやめてくれ)燃は混乱した。
だがかれんは嘘をついているようには見えなかった。
かれんは続けて話し出した。
「杠葉のお父さんとあなたのお父さん、登夢くんのお父さん、同じ大学だったのは知っているでしょう。その時、3人がとってもお世話になった先輩がいるの」
かれんは消えそうな声で呟いた。
「その人が私の本当のお父さん」
燃は、混乱したまま、かれんに連れられて坂道を上り、小高い丘にたどり着く。
登夢たちと遊びに来たとき入った温泉のすぐ近くにある、温泉療法の老人ホームが彼女の目的地だった。
受付で話をしたかれんは庭の方へ行った。
そこには車椅子のおばあさんがいた。
かれんはその人の所で立ち止まって燃に言った。
「この人が……私の本当のおばあちゃん」
燃の本能が**「聞いてはいけない」**と叫ぶ中、かれんはゆっくりと語り始めた。
「おじいちゃんと死に別れて、娘夫婦と一緒に暮らして、それでもずっとお裁縫の仕事をして家に生活費まで入れてたくらい元気な人だったのに……娘夫婦をなくして、あんな風に。私、おばあちゃんのこと全然覚えてないの。両親が亡くなった事故のことも。これはみんなここの職員さんから聞いた話なの」
「あんまりいろいろ聞くと変に思われるから。職員さんには私があの人の孫だって話してないの」
かれんとおばあちゃんは話をはじめた。
おばあちゃんのほうはかれんを**「せりか」と呼び、「よしおさんは元気?」「ひろあきは?」**といった名前を口にした。
「ちっちゃなかれんも連れてまた遊びに行きたいねえ」おばあちゃんは笑った。
(ちっちゃなかれん……おばあちゃんはきっと、かれんをかれんのお母さんと間違えているんだろう)
「ここの人達はよくしてくれるんだけど、やっぱりお前達と一緒がいいねえ。また5人でいっしょに遊びに行きたいねえ」
かれんはかがんで言った。
「ごめんね」
「いいよ、いいよ」
おばあさんは笑って言った。
燃は、おばあちゃんの言葉に**「5人」**という数字が引っかかった。
(かれん、おばあちゃん、お父さん、お母さん………一人足りない。あと一人は誰だ?)
燃はどうやってかれんがここにたどり着いたのか尋ねた。
かれんは燃を庭の松林の方に案内した。
「去年の夏休み、大学のボランティアの一環でここにきたの。
ロビーで自己紹介しているときに……おばあちゃんに会ったの。
最初は『せりか、会いたかったよ』と言い寄ってきて……私、その名前**『せりか』**に聞き覚えがあって」
「それで、杠葉の両親が、私を引き取ってくれたわけ。仁が生まれる前の話だけど。本当に幸せだった。ただ、今は血のつながった人と話がしたいだけ。あのおばあちゃんにもっともっと笑ってほしいだけなの」
かれんは瞳を潤ませながら続けた。
「それにね、覚えていることがもう一つだけあったの。物心ついてから思い出すたび、あの黒い服の群衆は、あなたのお母さんのお葬式のことだと信じて疑わなかった。でもそうじゃなかった。きっと本当は私のお父さん、お母さんのお葬式だったんでしょうね。だってあのときのあなた、なんだかとってもかわいそうだったの。あたしみたいでかわいそうだったの」
燃は、母の葬式で、かれんが両親を亡くした心の痛みを共有していたことを悟った。
あの日の「かわいそうなもえちゃん」は、記憶の奥底に隠していたかれん自身の悲しみが溢れた姿だったのだ。
芝生の広場に戻ると、燃は「俺、ちょっとトイレに行って来る。先に帰ったりするなよな」と告げて、建物の中へ向かった。
燃は、おばあちゃんの車椅子を押していた職員を探し、直接聞いてみることにした。
「すいません。さっきのおばあちゃんのことなんですけど」
「ええ、たしか上のお孫さん。娘さん夫婦はお亡くなりになったんですけど、**『二人のお孫さん』**は奇跡的に助かって。たしか別々のお宅に引き取られたとか」
「それって私の連れの彼女も知ってることですか」
「ええ。あのおばあちゃんのことは私達よりよくご存知だと思いますよ」
(落ちつかなければ、とにかく頭を冷やさないと)
外に出た燃は、ショックを受けていた。
「二人のお孫さん」。つまり、かれんには自分以外にも、もう一人の兄弟か親戚がいて、別々に引き取られた。そして、かれんはその事実を、燃に隠していた。
(そんなに俺は頼りないのか)
燃はそう思ったが、真実を打ち明けてくれなかった彼女のことが、また心配になった。




