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遠い岸辺、蘇る約束

週末、夏休みに入って三度目の土曜日。文句無しの青空が広がっていた。


燃は、登夢達とツーリングに出かけると偽り、駅前のハンバーガーショップに陣取った。ここからなら駅の改札と切符売り場がよく見える。


かれんは、嘘をつくのが下手な女だった。ごまかす、取り繕うということが思考から抜けている。そのため、今日彼女が出かけることぐらい、燃は容易に察することができた。


(話してくれないなら、つきとめるまで)これが燃の出した結論だった。


しかし、燃は妙な違和感に襲われる。

(どうして俺がここまでして彼女の世話をやかなきゃならんのだ? いや、そもそもどうして彼女の一挙一動が気になってしまうのだろう?)


燃がその答えを出す暇はなかった。

時間は7時前。駅前のロータリーの向こう側に、見慣れた姿が現れたからだ。

小さなリュックを肩にかけ、白いサマーセーターにストーンウォッシュのジーンズ。

すっぴんの彼女は、いつもより三つか四つは幼く見えた。長い綺麗な黒髪をほどいているが、同級生の女子よりも大人っぽく見えてしまう。


燃は、急いでベーコンエッグマフィンを口にほおばり、かれんの後を追った。

彼女が切符の自販機を操作すると、**「三宮」**のランプがついた。


(やはり大学へ行くんじゃないな)


燃はホームでは離れて立ち、用心して別の車両に乗り、人のかげにかくれて様子をうかがう。


(なんだか刑事ドラマの心境だ)


三宮で阪急に乗り換え、結局小一時間かけて着いたところはJR大阪駅だった。

背広姿の男たちにまじって殺風景な長い地下道を歩く。

かれんに30メートルほど離れて付いて行く。

尾行なんて生まれてはじめてだったが、今のところ気づかれる心配はなさそうだ。


何度も通いなれた道らしく、かれんは一度も案内板を確かめたり、後ろを振り返ったりしなかった。


切符売り場についたかれんは、自販機には行かずに裏の窓口へ向かった。

燃がずらりと並んだコインロッカーの影からのぞくと、窓口で札と小銭を支払っているかれんの姿が見えた。

彼女は大きめの切符を2枚受け取っている。


(なぜ2枚なんだ?)


燃の頭に嫌な予感が走る。

1枚は乗車券。

(とするともう1枚は……しまった、特急券だ!)


特急の場合、車掌が切符を点検に回ってくる。

たとえ彼女と同じ電車に乗れても、車掌に**「どちらまで」**なんて聞かれたら、燃にはなすすべが無い。


かれんが改札に入ったのを確認するなり、燃は窓口にダッシュした。


「おい駅員!さっきの人と同じ切符をよこせ!」

「え、どちらまで?」駅員は戸惑う。

「だからさっき切符を買った女の人と同じとこまでだ!」

燃は焦燥から声を荒げる。


初老の駅員は再度たずねる。

「ですから、どちらまででしょうか」


なかなか切符を渡さない駅員に対し、燃は頭に血が上り、大声で叫んだ。

「貴様、俺に改札を強行突破させたいのか!いいからさっきの髪の長くて背の高い女の人と同じ切符をよこせって言ってんだよ!

それとも何か、駅員には人の恋路のじゃまする権利でもあるのか! 俺に改札を強行突破させたくなかったらとっとと切符をよこしやがれ!」


さっきまで朝の通勤ラッシュでごった返していたが、あたりが急にシンと静まり返った。

燃は自分が何かとんでもないことを口走ったような気がしたが、頭に血が上っていてそれどころではなかった。


初老の駅員はにっこり笑っていくつかのボタンを押し、切符を差し出してくれた。切符には**「大阪-串本」**と印刷されていた。


「お若いのがんばりなさい。それから発射時間が迫ってるから急ぎなさい」


時計に目をやる。あと1分しかない。燃は急いで改札を突破すると、三段飛ばしで階段を駆け上がる。

扉がしまる瞬間に電車に飛び乗った。何とか間に合った。


二人がけの椅子が車内にはずらりと並んでいる。客は少ない。燃は息を切らせながら、かれんから少し離れた席に座った。


かれんは疲れているのか、しばらくすると眠ってしまった。

とりあえず眠っている間は尾行はばれないので、燃は少し余裕ができた。


(串本か……いったいどこなんだ?)


燃は、向こうの席で眠るかれんのほっそりとした腕を眺めながら、思いにふける。


(本当のところ、こうして後をつけることが許されるのか俺にはわからない。あのとき彼女はずいぶん悩んでいたようだったが、結局何も打ち明けてくれなかった。それをこんな形で強引に知ってしまって良いのだろうか……なんだか後ろめたい。あの軽音部の事件の時のように、悪いことをしているみたいだ)


しかし、燃はすぐにその罪悪感を否定した。


(夜な夜な泣いている彼女を放っておくことができなかったんだ。手をこまねいて見ているわけにはいかなかった。できることならなんでもしてやりたかった。彼女も心の底ではそれを望んでいることを、俺は祈った)


(関係ないなんてとんでもない。俺が駅員に言ったことは、きっと自分でも気がついてなかった本音に違いない)


燃は、自分の感情を分析する。 (俺の場合、どう思い返してみても、きっかけなんて見当たらない。一緒に日々を暮らして、怒ったり、感動したり。昨日よりも今日、今日よりも明日、毎日少しずつ気持ちが確かになっていく。きっとそんなところだろう)


燃は、あの救いがたいトロさも、常識からずれまくっているところも、超低血圧も、全部ひっくるめて彼女しか考えられないという強烈な関心を抱いていた。


(きっと俺は彼女への気持ちを、母さんに対する気持ちと同じように考えていたんだろう。彼女が俺の側にいてくれる、それが当たり前だと思っていたからだろう)


燃は、もし自分のこの感情が、マスターに奪い取られて終わってしまうものだとしても、覚悟を決めておこうと思った。



燃は、いろいろ考えているうちに眠ってしまった。


目の前で女の子が泣いている。俺の頭を撫でながら。 「おねーちゃん、どうしてないているの」 「もえちゃんがなんだかとってもかわいそうで泣いてるの」


俺は精一杯元気に言った。 「……なかないよ、おれ。もうなかない。だからおねーちゃんもげんきになって」 「ありがとう、もえちゃん。やさしいね。じゃあ約束ね」


俺は素直に答えた。 「うん。やくそくだ。ないちゃったらおしえて。おれぜったいたすけにいくから。かれんおねーちゃん」


その瞬間、燃は目が覚めた。全てを思い出した。


なぜ、かれんを助けたかったのか。なぜ彼女を守りたいのか。 あの時、約束を思い出した。母さんの葬式の日、翌檜あすなろの木の下で、泣いていたかれんおねえちゃんと交わした約束。


「もうなかない」 「ぜったいたすけにいくから」


忘れていた、あの日の想い。


(今度は、俺が彼女を助けるんだ。たとえそれが俺にとって辛いことであっても)


すべて思い出した燃の心に、もう迷いはなかった。燃の無自覚な恋心は、幼い日の誓いという確固たる使命感へと昇華されたのだった。


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