第96話: 戦争の遺産
ゾアは空中に浮遊する翼を持つ実体を凝視し、そこから放たれる無形の圧力を肌で感じ取っていた。
「……それは一体、何だ?」
言葉が終わるや否や、空中に精緻かつ禍々しい形状をした魔法の槍が次々と生成された。それらは深い闇の色を湛え、表面に刻まれた紋様が冷たい光を放っている。次の瞬間、槍は猛烈な速度でゾアへと射出された。
戦闘直感。ゾアはこれを正面から受け止めるべきではないと即座に判断した。
彼は身を翻し、側方へと跳躍する。
しかし、宙に浮いたその瞬間、数十条の黒い鎖が突如として出現し、彼の四肢を絡め取った。鎖の輪が瞬時に締め上げられ、ゾアは獲物として釘付けにされたかのように空中に吊り下げられた。
驚愕は一拍。
ゾアは全身に力を込め、筋肉を怒張させ、エネルギーを各組織へと送り込んだ。鎖に亀裂が走り、爆散する。彼は剣を振るい、さらに迫りくる後続の鎖をことごとく切り伏せた。
地に着いたゾアは、その実体の手の中でゆっくりと旋回する魔法の槍をじっと見つめ、ある事実に思い当たった。
「……絶品大宝器。世界に数えるほどしか存在しない、最上位の希少武器か?」
ここにおいて、その武器の本質が露わになる。
この世界には「大宝器」と冠される武器が存在し、それぞれが固有の能力を宿している。それらは、かつて稀代の鍛冶能力者が世を去る前に、心血を注いで鍛え上げたものだ。強力なものは大宝器と呼ばれ、その中でも規格を遥かに超え、唯一無二の力を誇る傑作は「絶品大宝器」と崇められる。
それらは単なる武器ではない。
権能の象徴そのものなのだ。
「なぜ召喚物が、そのようなものを持っている……?」
問いが終わる前に、さらに数十の本の槍が分身し、放たれた。ゾアは連続して回避を余儀なくされ、地面を滑りながらも、その様子を克明に観察した。
なぜ絶品大宝器が、これほど多くの複製を作り出せるのか。
答えは徐々に形を成していく。
その実体が振るう槍は、光の元素を宿した絶品の一つだった。それゆえに、元素エネルギーによって速度と殺傷力が増幅されている。そこにアスタリオンの闇が混ざり合うことで、破壊力はより予測不能なものへと変質していた。
それだけではない。この槍は使用者に「光の鎖」を生成する力を与える。その鎖は肉体を縛るのみならず、能力による脱出をも無効化する。エネルギーを使って抗おうとすればするほど、鎖はより深く食い込むのだ。
縛られた者は、純粋な身体能力のみでそれを打破せねばならない。
それこそが、この武器の真の恐ろしさだった。
この槍を手にすること――それは、自身が光の元素を持たずとも、その権能を行使できることを意味する。
狂気じみた力であった。
ゾアが着地から姿勢を立て直した瞬間、召喚体が槍を掲げた。数十の光の弾丸が、閃光とともに立て続けに放たれる。
ゾアは息を呑み、一筋ずつの光を剣で弾き返そうとした。
だが数手交えただけで、光弾の圧力が許容を超えた。剣が激しく震える。
――爆発。
砂塵と瓦礫が周囲に吹き飛んだ。
塵が静まり、瓦礫の山の中にゾアが横たわっていた。彼は微かな呻きを漏らしたが、手を突いて岩を退け、再び立ち上がった。
その瞳は依然として冷たく冴え渡っている。
「これほど強力な召喚物だ……。お前がこいつと共に攻めてきていたら、今頃は相当に手こずっていただろうな」
肩の埃を払いながら、彼は続けた。
「だがお前は、こいつを一人で戦わせることを選んだ。お前自身も、こいつも確実には俺を倒せるとは思っていないんだろう。……俺にこいつを殺され、そのまま自分の首を獲られるのを恐れているわけだ」
ゾアは剣を目の高さに掲げた。
「それが証明している。お前はまだ、俺の現在の力の限界を理解していない」
彼は一歩踏み出した。
「召喚物の力を誇示し、絶品大宝器を早々に披露した。……即座に決着をつけたいという焦燥と同時に、自身の真の限界を見せたくないという臆病さが見える」
ゾアの声が低く沈み、その剣筋のように鋭さを増す。
「最初からすべてを手にしている万能な者など、この世には存在しない。その派手な虚飾の裏には、必ず穴がある」
「心理的圧力で俺を粉砕し、その弱点に気づかせまいとしているんだろう」
ゾアは白銀の剣を振るい、宙に浮く翼ある実体へと剣先を向けた。
「お前の権能に絶望し、その本質に触れる前に心が折れるとでも思っているなら……」
「残念だったな」
「お前が隠している弱点を、一つ残らず暴き立ててやる」
「その人形が本当に絶対的な強さを持っているなら、最初から出し惜しみなどせず使っていたはずだ。……躊躇う必要などないはずだからな」
その言葉を聞き、アスタリオンは静かに首を振った。怒りも否定もない。それは、ゾアが核心を突いたことを認めるかのような、微かな動作だった。
彼が手を挙げると。
空中の魔法陣がひび割れ、翼ある実体は白黒の光の粒子となって完全に消滅した。後に残され、宙に浮遊しているのは――槍本体であった。
絶品大宝器。
かつて、製造能力を持って生まれた一人のNGがいた。当初、彼は「無能」だと軽んじられていた。戦闘向きではなく、直接的な威力を示すこともなかったからだ。ただ、時間と労力さえかければ「物品」を作り出せる、というだけの能力。
だが、彼が覚醒したあの日から。
彼はその時代における、世界最強のNGの一人へと上り詰めた。彼の強さは自身ではなく、彼が生み出したものに宿っていた。彼が鍛えた武器は、ただ鋭いだけでなく、それぞれが独立した「能力」を具現化していた。
人々は彼をこう呼んだ。――「ヨハネの黙示録の四騎士・戦争」の再来。
彼はあらゆる武器を創造でき、その一つひとつが独立した能力体系を成していた。
ある者は、あまりの危険さに龍誓たちが結託して彼を抹殺したと言い。ある者は、誰の目も届かぬ場所へ隠居したと言った。あるいは、NGの女王の保護下で生きているという噂さえあった。
真実は藪の中である。
しかし、彼が鍛え上げた「絶品大宝器」が、かつて龍誓たちと真っ向から渡り合うために使われたという事実は否定できない。往時の動乱の後、それらは世界各地へ霧散した。
そして、どういうわけか――。
アスタリオンはその一振りを手にしていた。
槍がゆっくりと下降し、アスタリオンの手に収まった。
ゾアは構えを崩さず、不可視の刃のような視線で相手を射抜いている。
「驚いたな。お前のような男が、絶品大宝器を手にしているとは」
アスタリオンは微かに口角を上げた。
「驚くことなど何もない」
「……どうやら、私の限界にも気づき始めたようだな」
「そして、今の私ではこの武器の力を完全には引き出せないということも」
ゾアは一瞬、言葉を失った。
その情報は、彼の予測にはなかった。
てっきり、アスタリオンは心理的圧力をかけるために偽物や模造品を使っているのだと思っていた。まさか「本物」を所持しているとは。
だが、その言葉が真実ならば。
アスタリオンは紛れもない絶品大宝器を保持していることになる。
そのような物品を所有することは、単なる戦力増強以上の意味を持つ。
それは彼が、何らかの形で、あの伝説の鍛冶師の過去に触れたという証明に他ならない。
公の記録では、あの男は疾うの昔に死んだはずだった。
もしアスタリオンが彼から直接武器を受け取っていたとしたら――。
可能性は二つ。
彼が嘘をついているか。
あるいは、あの鍛冶師が――。
今もどこかで生きているか。
「アスタリオンがどこかで偶然この武器を見つけただけだ」と考える者もいるだろう。
だが、頂点に立つ者たちが、そんな甘い説明を鵜呑みにするはずがない。
最強の者たちでさえ、絶品大宝器は数えるほどしか発見できていないのだ。それは彼らに実力がないからではなく、それらの武器が「放置された」形で存在したことが一度もないからだ。
それらは異次元から出現するか。
あるいは特別な個体の体内に封印されているか。
あるいは世界から切り離された断絶空間に秘匿されているか。
かつて世界規模の捜索が行われた。最大の組織、秩序の守護者、すべてがそれを追い求めたが、得られたのは数本の所在と、血塗られた争奪戦の記録だけだった。
「偶然」絶品大宝器を拾うことなど、あり得ないのだ。
ただ一つ――「授けられた」場合を除いて。
しかし、かつての保持者たちはすべて名を連ねており、アスタリオンに武器を譲り渡す動機も能力も持っている者は一人もいない。
ならば、残された答えは一つ。
あの伝説本人が……彼に授けたのだ。
視点はツバサへと移る。
十色座の王位を継ぐに最も相応しいと目される、奇跡の世代の一人。
「……君がこのことを知っていたから、先手を打ったというわけだね」
背後から、低く平穏な声が響いた。
声の主は長い外套を羽織り、顔を隠している。しかし、その暗い布地の下で、透明な刃が淡い光を反射していた。その剣を見ただけで、正体を疑う者はいない。
――白色座。
「……違います」
ツバサは重苦しい声で応じた。
「最初から彼がこれを持っていると知っていたわけではありません」
彼の横顔には、明らかな焦燥が浮かんでいた。
彼はこの戦いを見守る誰よりも、その武器の重大性を理解していた。絶品大宝器は、単なる光の元素を宿した武器ではない。
問題は……それが本当に「光」だけなのかということだ。
あるいは、それはすでに「魔女」の階梯にまで達した光ではないのか。
かつて、あの伝説の男は世界の秩序を覆すに足る武器を生み出した。彼の全武装を必要とはしなかった。
ただ一振り……それだけで、女王に注視させるに十分だったのだ。
彼は一瞬にして時代を滅ぼしうる脅威と見なされていた。
日々、彼は鍛えた。
鍛えて、鍛えて、また鍛えた。
彼の倉庫に、理をねじ曲げる数百の能力が満たされるまで。
アスタリオンがそれを光の元素だと言うのなら、おそらくその光はまだ完全には覚醒していない。もしこれがもう一段階覚醒すれば――。
それは制御不能な災厄へと変わる。
回収は、至上命令だった。
平和の価値を知らぬ者がその力を握り、感情のままに振るえば、戦争は時間の問題となるからだ。
若者は、あまりに容易に感情に支配される。
時として些細な出来事が、彼らにとっては世界のすべてになる。
市川がその最たる例だ。
多くの者にとって、彼の事情など気にするに値しないことかもしれない。だが彼自身にとっては、それは精神を押し潰し、彼を崖っぷちまで追い込むに十分な重みだった。そして彼は覚醒し、「バーサーカー」となった。
小さな火種。
そして巨大な爆発。
不必要な災厄を未然に防ぐため、それらの武器は回収されねばならない。
白色座は透明な剣を高く掲げた。刃を透過する光が、空間を歪めるかのように不気味に煌めく。
フードの下の表情は、誰にも見えない。その体躯は、小柄な普通の学生のようにも見えた。
「……あれは、君に比肩する力を秘めている」
「だが今、それは極めて危険な者の手にある」
ツバサは振り返り、彼を真っ向から見据えた。
「このままにしておくのですか?」
「この情報はすでに漏れているはずだ。あそこは再び、血塗られた戦場となるでしょう」
白色座は微かに笑った。
「『再び』とは言えないな」
「……白龍と市川の戦いが、『血塗られたもの』であったと見なされたことなど、一度もないのだから」
ツバサは即座に色をなした。
「人が死ななければ血塗られていないと言うのですか!」
「あなたは彼の過去を、誰よりも知っているはずだ」
「彼の首を欲しがる者がどれほどいるか。彼らは理由を求めているだけだ」
「そして今……あの絶品大宝器こそが、格好の口実になるのではないですか?」
白色座は手の中で剣を軽く回した。
「……君は彼を案じているのだね」
「あの頃のように」
「……私がまだ白色座ではなかった頃のように」
「……君がまだ奇跡の世代ではなかった頃のように」
「……私たちが彼とは逆の道を選んだ、あの日と同じように」
「……私たちが、最悪の人間になったあの日」
「……友を裏切り、殺したあの日と同じように」
空気が凍りついた。
ツバサは拳を固く握りしめた。
血管を駆け巡る激しい感情。怒り、罪悪感、そして痛み。何かを言いたかった。反論したかった。否定したかった。
だが、言葉は一つも出てこない。
それが、紛れもない事実だからだ。
認めたくない、真実だからだ。
ツバサは背を向け、青々とした草地を一歩ずつ踏みしめて歩き出した。崩れ落ちた教会の廃墟を離れる彼の背中が、広大な空間の中で小さくなっていく。
白色座はただそこに立ち、その去り際を見送っていた。
「……さて、どう動くかね、ツバサ」
「私たちが目指す未来は、私たちを彼から遠ざけるだろう」
「だが……それこそが、すべてにとって最善の未来なのだよ」
言葉は風に溶けた。
そして刹那、白色座は消失した。
何一つ、痕跡を残すことなく。




