第95話: 偽りの不死
目の前に広がるのは、無残に耕された空き地だった。樹齢を重ねた古木がなぎ倒され、地面から剥き出しになった根は、いまだ血を流し続ける傷口のように生々しい。周囲には漆黒の柱が静かにそびえ立ち、定められた生死の闘技場のように領域を封鎖していた。その中心で、人の限界を超えた二つの実体が絶え間なく激突し、剣と影の衝突が薄暗い空間に鮮烈な火花を散らしている。
ゾアとアスタリオン。
戦火は衰えるどころか、激しさを増す一方だった。
「その炎を使わねばならないようだな、ゾア。さもなくば……」
言葉が終わるより先に、アスタリオンが背後に残した影から闇の糸が放たれた。それらは蛇のようにうねりながら、死角へと波状攻撃を仕掛ける。ゾアは跳躍してそれをかわしたが、腕と肩を裂く数筋の傷までは防ぎきれなかった。
彼は視線を走らせ、周囲を観察する。地面、倒木、岩石――影が落ちる場所ならば、どこからでも攻撃は発動しうる。揺らめく影はまるで呼吸をしているかのようで、主の命令を今か今かと待ち構えていた。
ゾアが空中に浮遊した瞬間、周囲の影が一斉に鋭利な糸を射出した。彼は剣を旋回させ、完璧な円を描く。銀光が閃き、絡みつく前にすべての糸を断ち切った。
だが直後、地中から巨大な手が這い出し、空中のゾアを鷲掴みにした。反応する暇も与えず、手は彼を地面へと叩きつける。衝撃で一帯が震え、土煙が視界を遮った。
ここから、アスタリオンの能力がより鮮明に姿を現し始める。
彼の「変異」能力は、過去に殺害した犠牲者の肉体を基に、歪んだ実体を創造することを可能にする。それだけではない。彼自身もまた、自在に変質できるのだ。肉体は熱せられたゴムのように伸び、スライムのように液状化し、あるいは彼が想像しうるあらゆる物理特性を帯びる。彼は通常の生物学的構造に縛られない。
さらに恐ろしいことに、対象に触れることでその存在構造を歪ませ――内側から爆発させることさえ可能だ。しかし、アスタイルと同様に、この能力も圧倒的な高次エネルギーを持つ相手には制限を受ける。格差が大きすぎれば、変異や爆破を誘発することは極めて困難になるのだ。
では、アスタリオンはアスタイルの上位互換なのだろうか?
答えは否だ。
アスタイルが土の元素に属する硬質な宝石を生成し、その堅牢さで圧倒する「物理的・持続的」な存在であるのに対し、アスタリオンの変異や爆破は、安定した物質構造を残さない。さらに、彼の「爆破」スキルは極めて高階梯に位置し、制御が難しく、常に発動できるわけではない。
となると、もう一つの疑問が浮かぶ。
「闇」の元素についてはどうなのか?
アスタリオンが現在行使している力――黒い柱、闇の糸、巨大な手――は、明らかに闇の特性を帯びている。しかし、それが彼の元素能力のすべてなのだろうか。
現実に戻る。
アスタリオンは、闇を自らの肉体の延長であるかのように操り続けていた。現在の攻撃は、純粋な変異というよりは元素的な側面が強い。これは彼が以前明かした情報とは食い違っていた。
ゾアはかつて、闇の元素能力について単刀直入に尋ねたことがある。
だが、アスタリオンは回答を拒んだ。
「教えるのは、そこまでだ」
その声は平穏だったが、絶対的な自信を秘めていた。
明らかに、彼がゾアに開示したものは……いまだ全貌ではない。
ゾアはもはや思考を巡らせることをやめた。地を蹴り、アスタリオンへと弾丸のように肉薄する。剣先が空中に長い銀の尾を引く。
アスタリオンは即座に、以前明かした変質状態へと移行した。肉体は溶けたゴムのように柔らかく変じ、非論理的な伸縮を繰り返す。ゾアの斬撃がかすめるが、核を断つ代わりに、肉体はへこみ、粘土細工のように弾き返されるだけだった。
彼は木々にしがみつき、岩に絡みつき、引き伸ばした自らの腕で枝を渡るようにして回避を繰り返す。その動きは歪んでいるが、身の毛もよだつほどしなやかだった。
ゾアは加速し、追撃の手を緩めない。距離を置かせまいと肉薄する。
だが、前方の地面が突如として裂けた。
無数の黒い腕が突き出し、彼の足と腰を捕らえた。ゾアが剣を振るおうとしたその時、遠方から一筋の細長い腕が槍のように伸び、彼の腹部を真正面から殴りつけた。
衝撃にゾアの動きが止まる。
ほんの一刹那。
残る腕が即座に彼を締め上げ、地面へと押し伏せた。腐食性の物質が肉を焼き、焼けるような激痛が全身を走る。
アスタリオンが上空へ跳ね上がった。
空中に巨大な拳が形成され、大槌のごとく振り下ろされる。
ゾアは歯を食いしばり、全身の力を凝縮させて高次エネルギーを爆発させた。拘束していた腕を力ずくで引きちぎり、巨大な拳が落ちる直前に跳ね起きる。
渾身の一振り。
二つの衝撃が激突した。
轟音が響き渡り、断ち切られた黒い指が四散する。どす黒い血が飛び散り、凄まじい風圧が周囲の土煙を吹き飛ばした。
アスタリオンに躊躇はなかった。彼は損傷した自らの腕を即座に切り捨てた。
間を置かず、新たな腕が生えてくる。
ゾアの背後から、飢えた獣のような汚染変異体たちが現れ、襲いかかる。ゾアは身を翻し、一閃の下にそれらを全滅させた。
そしてその瞬間――。
地面から突き出した闇の糸が、彼の脚を貫いた。
血が溢れ出す。
ゾアが膝を突く。
運動機能が、正式に無効化された。
アスタリオンは離れた場所に立ち、紫の瞳で冷徹に見下ろした。
「……どうやら、あの炎がなければ、私には勝てぬようだな」
彼はとどめを刺すべく突進した。
だが、空中で――。
無数の不可視の斬撃が突如として現れた。
銀の光が、一拍遅れて閃く。
アスタリオンの身体は数多の部位に寸断され、バラバラの肉片となって地面に転がった。ゾアの周囲にいた腕も、ことごとく切り伏せられた。
剣のスキルが、ついに発動したのだ。
周囲の黒い柱が、異変を感知したシステムのように特有の低い鳴動を放った。
ゾアは剣を杖にして立ち上がる。血はいまだ脚を伝い落ちていた。
「……思い上がるなよ、変異体」
「ここで誰かに負けるつもりなんて、毛頭ないんだ」
地面に散らばったアスタリオンの肉片が震えだす。
それらは互いに引き寄せられ、肉が繋がり、骨が再建され、皮膚が修復されていく。
わずか数秒で、彼は完全に元の姿へと戻った。
今回、彼がゾアに向ける眼差しは先ほどまでとは異なっていた。
それはもはや試験ではなく、一つの「承認」だった。
対するゾアは、ある種の違和感を覚え始めていた。
今しがたの斬撃は間違いなく敵の首と脳を貫いた。にもかかわらず、アスタリオンは完璧に再生した。高次エネルギーによる攻撃ですら、その回復力を削ぐことはできなかった。
もしこれが能力の固定特性であるならば――。
彼はほぼ不死身ということになる。
だが、それは以前の記憶と矛盾する。
かつて、アスタリオンは死を恐れていた。ゾアを前に震え、市川を警戒していた。真の不死者ならば、あのような反応は見せないはずだ。
だとするならば……。
この再生能力は、ごく最近獲得されたもの。
あるいは。
モニター越しに観察していたアコウは、目を細めた。
彼は、ゾアがまだ気づいていない事実に到達していた。
「……あそこに立っているのは、本体じゃない」
戦っているのは、変異した分身に過ぎないのだ。
その分身に本体が遠隔でエネルギーを供給し続け、再生させているため、無限に回復しているように見えるだけだ。ゾアは、真の核ではない標的に全力を注がされている。
これまでのすべてのデータが、一つの結論を示していた。
アスタリオンはそこまで万能ではない。
彼は今も死を恐れている。
ゆえに、この「不死」の演出は、極めて巧妙な陽動に過ぎない。
真の本体は……。
いまだ黒い柱のどこかに潜んでいる。
観察し、待ち、決定的な瞬間を計算しながら。
戦場に視線を戻す。
アスタリオンは心理的優位を突き、黒い彗星の尾のような影を引いて突進した。無数の闇の糸が空を薙ぎ、ゾアへと殺到する。
しかし、次の瞬間――。
すべてが弾き飛ばされた。
数百の斬撃が閃光となり、濃密な剣の網を編み上げる。アスタリオンの肉体に無数の切り傷が刻まれた。彼は驚愕に動きを止めたが、辛うじて後方へ跳躍したため、致命的な切断は免れた。
鮮血が切り口から滴り落ちる。
だが、それも数呼吸のうちに塞がった。
ゾアは立て直す隙を与えない。彼は踏み込み、鋭利な弧を描いて剣を振るう。軌道上の樹木も岩石も、ことごとく寸断されていく。現れたばかりの汚染変異体も、迷いのない一撃によって瞬時に処理された。
アスタリオンはその光景を見つめ、紫の瞳を揺らした。
「……これが本当にゾアなのか? かつて私に敗れたあの男か?」
言い終わる前に、ゾアは眼前に肉薄していた。剣が華麗に旋回する。残酷なまでに美しい一閃。
刹那、アスタリオンの肉体は再び数百の破片となり、モニターで見守る者たちが息を呑む中で地面に降り注いだ。
ゾアは冷徹な面持ちで立ち、彼が再生するのを静かに見つめていた。
その間、アスタリオンは盾を持った騎士型の汚染変異体を二体召喚した。それらはゾアを中央から追い出そうと突進するが、わずか数手の剣筋によって形を留めぬほどに切り刻まれる。隙を突こうとした腕や追加の攻撃も、即座に絶たれた。
再生を終えるやいなや、アスタリオンは影を作り出して位置を入れ替え、距離を取った。真正面からの追撃を避けるための時間稼ぎだ。
しかし、その足掻きは無意味に等しかった。
ゾアは障害物をなぎ払いながら追いすがる。彼の漆黒の髪は、毛先からわずかに白銀の色を帯び始めていた。剣を握る手も、薄く、しかし鋭い光の膜に覆われている。
アスタリオンは逃げ切れないと悟った。十分な広さのある空き地に着地し、手を振って二体の大型変異体を召喚する。
槍を携えた巨大な実体。
そして、拳を武器とする純粋な筋肉の塊。
これらは、彼がこれまでの旅路で手に入れた最強の戦利品だった。
二体は同時に、ゾアに向けて極大の打撃を放つ。
ゾアは剣を振り抜き、数十の斬撃を重ねてそれを受け止めた。凄まじい圧力が爆発し、砂塵が巻き上がる。今回は、彼の剣も即座にそれらを両断することはできなかった。
敵は……本物だった。
ゾアは淡々と、しかし静かな声を漏らした。
「……死んだ生物を吸収し、再び召喚するのか。お前の能力、そこまでできるのか」
彼は剣を跳ね上げ、槍の変異体へと猛攻を仕掛けた。血が飛び散り、巨大な体躯がよろめくが、致命傷には至らない。
直後、変異体が槍を天に掲げた。一本の槍が数百へと増殖し、滞空したのち、一斉にゾアへと矛先を向けた。
彼は見上げ、瞳を冷たく凍りつかせた。
刹那、槍の雨が恐るべき速度で降り注ぐ。地面に突き刺さるたびに硬質な破砕音が連続して響き、土煙が視界を埋め尽くした。
鉄の雨の中、ゾアは身体を貫かれるのを免れるわずかな隙間を見つけ出した。しかし、衝撃波が内臓を直接叩く。
彼は顔を上げ、変異体を射抜くような視線を向けた。その空気は、周囲を凍結させるかのようだった。
拳の変異体が即座に襲いかかる。だがその瞬間、ゾアはすでにその場を離れ、槍の変異体へと一直線に突っ込んでいた。
再び剣鳴が響く。
槍と剣が真正面から火花を散らす。闘技場に響き渡る金属音。拳の変異体は、味方の邪魔をせずに介入できず、もどかしげに立ち往生していた。
離れた場所で、アスタリオンはただ佇んでいた。周囲には闇の柱が静かに並び立つ。彼は急いで攻撃を加えることはせず、ゾアの動きの中に生じる微細な変化を、一刻一秒逃さず観察していた。
狂気じみた重厚な連撃の末、槍に亀裂が入った。槍の変異体の全身は切り傷で埋め尽くされている。対してゾアは、激しい交戦を経たにもかかわらず、ほぼ無傷だった。
拳の変異体が横から隙を突いて飛び込む。拳を振り上げ、叩きつけようとした瞬間――。
閃光が走った。
変異体の腕が地面に落ちる。
ゾアは身を翻し、そのまま巨大な肉体へ畳みかけるように斬撃を浴びせ、苦悶のうちに後退させた。変異体は傷ついた胴体を抱え、距離を取る。
アスタリオンは微かに笑った。
「……どちらも私が収集した極めて強力な実体だ。それをこうも容易く敗北へ追い込むとはな」
「どうやら……少々、手荒くせねばならないようだ」
ゾアが拳の変異体にとどめを刺そうとした瞬間、空間に低い儀式的な音が響き渡った。音自体は大きくなかったが、空気を奇妙に震わせた。
ゾアは即座に視線を向けた。
闘技場の中央に、薄暗い空中に魔法陣のような円が描かれた。おぼろげな記号がゆっくりと回転し、冷たい光を放っている。
その中から、一つの人影が歩み出た。
しなやかな体つき、背中からは大きな黒い翼が広がっている。筋骨隆々ではなく、流麗で、儚ささえ感じさせる姿。その身には薄い白布を纏っている。瞳は両のこめかみから伸びる羽のような帯によって覆い隠されていた。
ゾアは眉をひそめた。
「……何だ、こいつは?」
アスタリオンは背後に立ち、自らの「最高傑作」を興奮の混じった眼差しで見つめていた。
「これは、私の収集物の中でも最も気に入っているものの一つだ」
「今回は、お前の力を試すためにこいつを呼び出したよ、ゾア」
「見せてくれ……お前がどれほどの高みに達したのかを」




