第93話: 過去を見た者、未来を信じる者
「彼らの一員になるだと?」
アスタイルが声を上げた。その眼差しは遠く、遥か彼方の過去を見つめているかのようだった。
「それからどうなる? どんなに美しい記憶であろうと……最後には、出自の卑しさを理由に捨て去られるだけではないのか?」
言い捨てると同時に、彼は突如として加速した。
手のひらは使わない。
拳が真っ直ぐにKの腹部を捉えた。
Kは反応できなかった。大槌のごとき重い衝撃に一歩後退し、呼吸が詰まる。顔を上げたときには、アスタイルが再び肉薄していた。その表情には先ほどまでの冷静さはなく――怒りが宿っていた。それがKに向けられたものなのか……あるいは、自分自身の過去に向けられたものなのかは判然としない。
「あの場所があまりに美しすぎたから……かつての輝きはすべて忘れ去られたのだ」
彼は拳を固く握りしめた。
「奴らの目に残っているのは、権力だけだ」
アスタイルが追撃を繰り出す。Kは今度はそれをかわし、その腕を封じ込めた。しかし、反撃に転じようとした瞬間、アスタイルは強烈な膝蹴りをKの腹部に叩き込み、無理やり腕を振りほどかせた。
その刹那、アスタイルはKの顔面に向けて手のひらを突き出した。
Kは即座に腕を出し、それを防ぐ。
――失策。
Kの腕の内部から、鋭利なクリスタルの塊が弾け飛んだ。鮮血がほとばしる。肉と骨が内側からこじ開けられるような激痛に、Kは顔を歪めて耐えた。
アスタイルはさらに追い詰めようとする。
しかし、Kが能力を起動させた。
精神へのダイレクトな一撃。
空間が歪む。
アスタイルは再び幻影の次元へと引きずり込まれた。彼の肉体は現実世界で静止し、その精神世界の中では、彼の身体が幾度も、執拗に、絶え間なく切り刻まれていく。
だが、今回は違った――。
アスタイルは踏ん張った。
喉の奥から絞り出すような咆哮。
彼が爆発する。
幻影はひび割れたガラスのように砕け散った。空間が引き裂かれ、彼は断固として現実へと脱出した。
Kは目を見開いた。
アスタイルの精神状態が、先ほどとは一変していた。もはや動揺も迷いもない。あの記憶は彼を弱くするどころか……むしろ、彼をより強固に、揺るぎないものへと変えたのだ。
Kは素早く腕の中のクリスタルを破壊し、後方へ跳躍して距離を取った。これ以上長引かせるわけにはいかない。
彼は手を高く掲げた。
アスタイルを取り囲む空間から、数百ものエネルギーの槍と剣が出現した。
「墜ちろ」
それらは狂気じみた勢いで降り注いだ。
重苦しい衝撃音が連続して轟く。大地は抉れ、砂塵が渦を巻く。爆発の連鎖は数十秒間、絶え間なく続いた。
Kはその場に立ち、全力を振り絞って身体を震わせた。さらに剣を召喚し、残りの全エネルギーを注ぎ込んで、隕石の雨のごとく撃ち下ろした。
戦場全体に爆音が鳴り響く。
そして――。
静寂。
Kは、やり遂げたと確信した。
膝を突き、断続的な呼吸を繰り返す。今のは紛れもない全力だった。もしこれで倒せなければ……自分にはもう、何も残されていない。
立ち込める砂塵の向こうから、声が響いた。
「君が私に出会えたのは、幸運だったな」
Kは驚愕して顔を上げた。
「私が君を導いてやろう……彼と同じ道を歩まぬようにな」
砂塵が晴れていく。
Kの目の前にあったのは、巨大で、緻密で、完璧なダイヤモンドの防壁だった。今しがたの猛攻をすべて防ぎ切り、亀裂一つ入っていない。
Kは呆然とした。
立ち上がろうとするが。
すでに遅すぎた。
アスタイルは、すぐ隣に出現していた。
一つの手が、Kの肩に置かれる。
背筋を冷たい感覚が走り抜けた。
「記憶の意味を理解できるのは、我らのような者たちだけだ」
彼の声が低く沈む。
「ゆえに……何者か偉大な存在になろうとするあまり……それを忘れるな」
言葉が終わると同時に。
Kの肩からルビーが爆発的に生じた。
それは外側に伸びるのではない――肉の内側から競り上がってきたのだ。皮膚が裂け、血が飛沫となって舞う。凄まじい痛みが襲いかかり、Kの喉から悲鳴がほとばしった。
彼は即座に腕を振り、空間を切り裂いてアスタイルを退かせようとした。
だが、アスタイルはそれをかわしていた。
Kが痛みで体勢を崩した一瞬の隙に、彼は屈み込み、Kの脚に手を触れた。
ルビーが再び爆発する。
無数の鋭利な結晶が内側から外へと貫き、死刑執行の杭のごとくKの脚を地面に縫い付けた。血が地面を赤く染める。あまりの苦痛に視界が霞んでいく。
そして――。
アスタイルは止まった。
致命的な一撃は加えなかった。
ただそこに立ち、死のルビーに固定されたKを見下ろしていた。
心臓に触れることもできた。
あるいは、頭部を砕くことも。
だが、彼はしなかった。
彼はKに、その夢を捨ててほしかったのだ。以前と同じように、見捨てられた者として戻ってほしかった。殺さなかったのは――記憶の意味を理解する機会をKに与えたつもりだったからだ。
アスタイルは背を向け、去っていく。
短い戦いは終わった。
勝利は彼の手の中にあった。
完全に。
いとも容易く。
しかし、Kは認めなかった。
彼は歯を食いしばり、肩に生えたルビーを片手で一つずつへし折った。不気味な破砕音が響く。脚を貫く結晶をも引き抜き、血がさらに流れ出した。
折るたびに、身体が激痛で震える。
重い呼吸。
明らかに、戦いを続ければ負ける。
だが、Kが許せなかったのは……敗北ではない。
アスタイルの、あの去り際だ。
自分が正しいと決めつけた、あの背中だ。
拳で勝ったという、ただそれだけの理由で。
Kはよろめきながら立ち上がった。
声は枯れていたが、はっきりとしていた。
「僕の考えが正しいか間違っているかは……お前が決めることじゃない」
アスタイルが足を止めた。
「誰もがお前の友人のようではない……記憶を喜んで忘れるような奴ばかりじゃないんだ」
Kは震える拳を握りしめた。
「暴力の果てに勝ったからといって、お前が正しいなんて、僕は認めない」
アスタイルが振り返った。
Kは傷だらけの体で立っていた。血は止まらない。これ以上戦えば――待っているのは死だ。
アスタイルは以前よりも淡々とした声で応じた。
「私は人質側のメンバーを殺す理由を持っていない」
彼はKを真っ向から見据えた。
「君たちは負けることはない。だが、理由がないということは……不可能だということではないんだ」
彼はゆっくりと近づいてきた。
「君が信じているのは――まだ起こっていない未来だ」
「私が見たのは――すでに起こってしまった過去だ」
彼は首を傾げた。
「どちらに説得力があると思う?」
Kは答えない。
アスタイルは続けた。
「自分の決断が間違っていると思う者はいない」
「だからこそ、君に考える時間を与えたのだ」
その眼差しが冷徹さを増す。
「だが、どうやら君は自らその機会を捨てたらしいな」
彼は静かに息を吐いた。
「人間は何かを手に入れれば、さらに多くを欲するようになる」
「それは理論ではない。私がこの目で見た現実だ」
アスタイルは踏み出し、再び戦う構えを見せた。
「安全な場所に留まれば……親しい者がそばにいて、幸福を感じるだろう」
「そこから抜け出し、偉大さを追い求めれば……」
彼はKの瞳の奥を覗き込んだ。
「君は本当に、それほどまでに権力に飢えているのか?」
「それとも、ただ卑しさを蔑んでいるのか?」
「あるいは単に、他者より高い場所に立ちたいだけか?」
二人はぶつかり合った。
もはや能力はない。
戦術もない。
ただの剥き出しの殴り合い。不格好な拳、怒りに満ちた重い蹴り。
アスタイルが圧倒した。
Kはあまりに弱っていた。
彼の一撃ごとに、Kの身体は一歩ずつ深淵へと後退する。
「こんなに疲れ果てるくらいなら……」
アスタイルがもう一撃を放つ。
「自分が生まれた場所へ帰れ」
拳がKの腹部を真正面から捉えた。
彼は血を吐く。
「そこで人々を助ければいい……」
アスタイルは身体を回転させ、Kの顎を蹴り上げた。
彼の身体は後方へと吹き飛び、地面に叩きつけられた。
「……その方が幸せだろう?」
Kはそこに横たわっていた。
敗北は明白だった。
アスタイルは見下ろし、声を低めた。
「終わったようだな」
「自分の命を粗末にするな」
「プライドを捨て、敗北を受け入れろ」
彼は背を向けた。
「強者は生かされることに屈辱を感じるものだ」
「だが弱者にとって……それは変わるための好機だ」
彼は最後の一瞬、足を止めた。
「十分に強くなったときに……復讐すればいいさ。それからでも遅くはない」
そしてアスタイルは去った。
血に染まった地面に横たわるKを残して。
生と死の、危うい境界線の上に。
その瞬間から、アコウは、K本人ですら戦闘中に気づけなかったあることに気づいていた。
アスタイルの人格が変わったのだ。
最初は、目の前のすべてを貫こうとする血に飢えた狂戦士として現れた。しかし終盤、彼は敵を赦した。短気さも、衝動も消えていた。代わりにあったのは、恐るべき静寂だ。
それだけではない――。
アスタイルの高次エネルギーが、目に見えて跳ね上がっていた。強度は安定し、放たれる圧力もより濃密になっていた。
その変化の触媒となったのは……彼の過去だ。
アコウは微かに目を細めた。
おそらくアスタイルは、多重人格に近い形態なのだろう。
あるいは少なくとも……彼は異なる「状態」を保持しており、それぞれの状態が固有の力の階層を解き放つ。もし彼の最強の人格がまだ深淵に眠っているのだとすれば、現在の限界は氷山の一角に過ぎない。
そして、その変転ゆえに――。
Kは敗れた。
アコウは分析を続けた。
Kにも限界がある。
彼は「切断」を連続して使うことはできる。
だが、幻術(仮想空間)を連続して使うことはできない。
初期段階で、Kがアスタイルを仮想空間に引き込んだ際、彼はほぼ完全に圧倒されていた。しかし、その後Kはその戦術を繰り返さなかった。
効果がなかったからではない。
できなかったのだ。
物理的な基礎攻撃であれば、Kは連続起動が可能だ。しかし、複雑な、特に大規模な精神攻撃については、回復を待つ必要がある。
Kの能力は二つの形態に分類できる。
物理攻撃。
そして、精神攻撃。
精神が脆く、明確な恐怖を持つ者にとって――Kは天敵に近い。相手を二度三度と幻術に閉じ込め、最深のトラウマと直面させれば……戦意は崩壊する。
単純に聞こえるかもしれない。
だが、標的を正しく選び、弱点を突きさえすれば――。
Kが作り出す圧力は、アスタイルのような純粋な破壊能力よりも遥かに恐ろしいものとなる。
能力システムはEX級から下へとランク付けされる。
もし格付けするならば、Kの能力は少なくともS級に相当する。
破壊力ゆえではない。
その「可能性」ゆえにだ。
一度きりの強大な一撃も恐ろしい。
だが、十回使える単純な一撃は……時にそれ以上に危険だ。
アコウは静かに、別のモニターへと視線を移した。
新たな戦いが始まろうとしている。
暗い森の中。
アスタリオンは闇の中をゆっくりと歩んでいた。彼は目を閉じ、視覚を使わない。代わりに、彼が放った「汚染変異体」たちが全域を覆い、微細な振動をすべてフィードバックしている。
この方法でマップを観測するのは……極めて合理的だ。
しかし、彼の心には依然として一本の棘が刺さっていた。
無能力者であるアコウに、かつて敗れたという事実。
その思考が、彼を納得させない。
「アスタイルが勝ったようだな」
静寂の中に、彼の声が響いた。
「惜しむらくは、あの危険な男を仕留めなかったことだ」
アスタリオンの目から見て、Kは決して弱くない。むしろ、将来的に大きな災いとなりうる類の敵だ。多様で柔軟な能力。さらに成長すれば、ハンター陣営にとって極大の圧力となるだろう。
だが――。
彼の思考は遮られた。
闇の中から、一人の人影がゆっくりと現れた。
アスタリオンは足を止めた。
口角が微かに持ち上がる。
まるで、予想通りだと言わんばかりに。
彼は目を開けた。
紫色の瞳が夜闇に発光する。
「随分と強くなったようだな」
自信に満ちた声。
「だが、それが私の進化の速度に追いつけるという意味ではないぞ」
その自信は無根拠なものではなかった。
初めてゾアに出会ったとき――彼は敗北した。
二度目――彼は自分が特別であることを証明した。
「極致の環境(環境変異)」を使い、市川の支配領域を塗り潰した。
そしてゾアを打ち倒し、一歩手前まで追い詰める実力を見せた。
前方の影が、淡い月光の下に踏み出した。
見慣れた顔が現れる。
ゾアだ。
「この戦いを通じて……」
ゾアの声は低く、安定していた。
「僕たちがどれほど強くなったのか、確かめさせてもらう」
アスタリオンは低く笑った。
「環境を覚醒させた者に、せいぜい抗ってみせるがいい、ゾア」




