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天国のあとに残った灰  作者: 霧崎 蒼司


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第91話: ルールの外に立つ者

「平穏なんてものは、最初から存在しないんだよ。――すべてがお前の思い通りに運ぶかな、アコウ?」


アスタイルの口から、その言葉が漏れた。

彼は今、ジュリアンの目の前に立っていた。


ジュリアンの身体には、数十もの微小な発光する岩の破片が突き刺さっていた。それらは無秩序に放たれたものではない。動きを封じるのに最適な急所を的確に穿ちつつ、意識だけは保たせるという残酷な精度で打ち込まれていた。荒い呼吸のたびに血が滴り、足元の土を赤く染めていく。


「……何なんだ、これは。ハンター側に……これほどの怪物が、本当にいたのか……」


ジュリアンが喘ぐように声を絞り出す。一文字吐き出すごとに、喉の奥からせり上がる血が口端から溢れた。

アスタイルは森を横切り、最外周の防衛線を突破して、守護者と人質が立てこもるエリアへと到達していた。ハンター側の計画は、最初から複雑なものではなかった。守護者側に戦略があるのなら、ハンター側にもある。――それは、獲物に逃走の機会を与えない「捕食者」の本質そのものだった。


奴らは、一人ずつ飛び出して一対一の決闘ソロを挑むような真似はしない。「殺せるかどうか試す」などという甘さもない。奴らは陣形を組み、全戦力を一点に集中させ、進む先にあるものすべてを粉砕する。

現在、ジュリアンの前にいるのはアスタイル一人だ。

だが、それは表面的な事象に過ぎない。


実際には、残りのハンター全員がいつ現れてもおかしくない状況だった。それどころか、ジュリアンの周囲には汚染変異体たちが密集し、静かなバイオ・ネットのように包囲網を形成している。奴らは焦って襲いかかることはない。その任務はただ一つ。今回の標的を、確実に死へと追いやることだ。


通常、混沌とした戦場では、人々は分散して交戦する。即座に殺せないと判断すれば撤退し、次の布石のために戦力を温存するものだ。

だが、ハンター側は違う。

奴らにとって、いかなる存在も将来の火種になりうる。たとえ価値が低くとも、主要ターゲットでなくとも、生かして帰すことは許されない。ゆえに全戦力を一点に注ぎ、一人を確実に、徹底的に殺し尽くしてから、次へと進む。

誤差を許さない、絶対的な殲滅。


「もともと、我らハンター側が圧倒的に強いのだ」


アスタイルが淡々と言い放つ。その声は凍りつくほど冷徹だった。

「だからこそ、『ハンター』と呼ばれている」


その言葉に、ジュリアンはどう返すべきか分からなかった。ただ、これ以上誰もここへ来ないことを祈るしかなかった。もし別の仲間がこのエリアに踏み込めば、高い確率で……自分と同じ末路を辿ることになるだろう。

ハンターの全戦力が本当にここに集結しているのだとしたら、生存率は限りなくゼロに近い。


ジュリアンの顔に色濃い焦燥が浮かぶ。冷や汗がこめかみを伝い、その瞳は一秒たりともアスタイルから離れない。

そして、絶望が極まったかに見えたその瞬間――。


ジュリアンが、不意に短刀を振るった。

それは無意味な悪足掻きではない。風を切る速度は驚異的であり、残された全力を注ぎ込んだその一撃は、アスタイルの喉元を正確に狙っていた。一呼吸の間に相手を仕留めるという、凄まじい殺意を帯びた斬撃。


だが、アスタイルは……避けようともしなかった。

ただ、その場に立ち尽くしている。

刃が届こうとした刹那、ジュリアンの身体が激しく痙攣した。体内に残っていた鋭利な石片が、内側から外へと突き出し、筋肉を破壊し、彼の五体を周囲の空間へと無理やり釘付けにしたのだ。


ジュリアンは激しく吐血した。

しかし、まだ死んではいない。

アスタイルは目を細め、珍しくわずかな驚きを露わにした。


「……目敏い男だ」


彼は異変に気づいていた。

ジュリアンは、大半の者が行う「体外にエネルギーの膜を張る防御」ではなく、全エネルギーを「体内」――骨、内臓、主要な器官へと凝縮させていた。乱暴ではあるが極めて効果的な手法であり、本来なら即死していてもおかしくない損傷に、その肉体は耐えてみせたのだ。


その瞬間、ジュリアンは歯を食いしばり、円を描くように身体を猛然と回転させた。短刀が空を裂き、暴力的で苛烈なエネルギーの波が、身体を拘束していた岩石をすべて粉砕した。

血が飛び散るが、ジュリアンはなおも踏みとどまった。

彼は顔を上げ、アスタイルを真っ向から見据える。その瞳に、もはや恐怖はなかった。


「……忘れるな。お前たちの計画だけが……唯一の正解だと思うなよ」


その言葉に、アスタイルは動きを止めた。

即座に反撃することも、ジュリアンの息の根を止めることもしなかった。その希少な一瞬の合図の中で、彼の思考が回り始めた。


彼は、裏切り者を通じて相手の計画を把握していると信じていた。あらゆる道筋、予測される反応――すべて計算済みのはずだった。だが……本当に、物事はそれほど単純なのだろうか?

アコウという男。

言葉と行動だけで、一つのシステムを構築しうるあの男が。

ハンター側が「予知」していた通りの展開を、甘んじて受け入れるはずがあるだろうか?


さらに言えば、今の人質たちの連帯は極めて脆弱だ。異なる背景を持ち、相互の信頼基盤もなく、真の集団を形成する時間すら足りていない。このようなチーム戦において、一個人に……一体何ができるというのか?


その思考が閃いた、まさにその時――。


アスタイルの背筋を、おぞましい寒気が走り抜けた。

殺気ではない。エネルギーでもない。

「観測されている」という感覚だ。


捕食者の本能が、脳内で警鐘を鳴らす。アスタイルは即座に振り返り、目標を確認することなく能力を起動した。地面から突き出した鋭利なダイヤモンドの破片が、何もないはずの空間へと撃ち込まれる。


誰もいない。

だが、アスタイルの顔には明らかな驚愕――そして怒りが浮かんでいた。

彼は、気づいたのだ。


目標を守るゲームにおいて、全戦力を一点に集中させるのは本来、愚策だ。だが、ここは単なるゲームではない。他ならぬアスタイル自身が「集団行動」を提案し、圧倒的な力の優位性をもって各エリアを各個撃破していく戦術を採った。

そして今この瞬間まで、その戦術は完璧に機能していた。


しかしアコウは……その一歩先を行っていた。

彼はハンター側の心理を熟知していた。奴らが数と力に頼り、蹂躙しに来ることを。だが、それこそが最も危険なもの――「マップ上の空白」を生み出す。


アコウのための空白だ。

アスタリオンのような直接的な能力を持たずとも、無数のドローンによる trinh sát(偵察)システムを通じて盤面を支配する男。静かに主要エリアを旋回するドローンは、どんな微細な動きも見逃さない。


姿を現す必要はない。

交戦する必要もない。

ただ観測し、決定権を握るだけでいい。


アスタイルが振り返ったのは、漠然とした予感ゆえではない。近くを旋回し、見えない目となって自分を監視していた一台のドローンの存在を察知したからだ。


ならば……。

今、アコウはどこにいる?


その答えは戦場にはない。

「ショップエリア」――システムにアクセスでき、かつ観客に最も近づける唯一の場所。

適切なタイミングの一手が……盤面のすべてを覆しうる場所だ。


周知の通り、ツバサは開始時点で「価値ポイント0」という絶望的な状況でゲームに放り込まれた。観客の目には、廃棄物も同然の存在に映っただろう。だが、その状況から、アコウは他の誰にも見えなかったものを見出した。――「龍を殺すに足りる、巨大な欠陥」を。

白龍はそのロジックによって墜ちた。


そして今回、アコウがショップエリアに戻ったのは、恩恵を乞うためではない。自らの地位をあえてスタートラインまで引き摺り下ろし、自分をかつてのツバサと同じ状態にするためだった。


観客の目には、それは愚行に映った。

プレイヤーにとって絶対的な不利益となる条件。対価など払わずとも承諾されるであろう条件。だがアコウにとって、それは巨大なアドバンテージだった。――彼は「参加者」としてではなく、「ルールを記す者」として法を見ていたからだ。


アコウは「条件書」を使用した。

彼は自らの全価値ポイントを消費し、観客エリアへの接触を求めた。

公表されているルールでは、このエリアに入るプレイヤーはポイントを支払い、モニターの向こう側に座る者たちと交渉し、面会せねばならない。アコウはその対価を支払った。自らの全価値をテーブルに投げ出し、自らが触れたいものと引き換えたのだ。


ではなぜ、アコウは自分のポイントを「0」にしたかったのか?

その答えは、観客エリアに足を踏み入れた者だけが知る「隠しルール」にあった。


**「もしプレイヤーが価値ポイントを所持していない場合、このエリアへの出入りにポイントを支払う必要はない。」**


一度きりの無料ではない。

永久にだ。

アコウが観客エリアに留まり、出入りを繰り返す限り、彼のポイントは永久に「0」で固定される。

それは、いかなる能力よりも恐ろしい特権を意味していた。


――無制限の出入り権。

――そして、観客エリア内における「絶対的な不死」。


一見すれば、これは諸刃の剣だ。

ゲーム終了時の規定によれば、価値ポイントのランキング下位三名は処刑される。ポイントが0のアコウは、本来なら自分自身の死刑執行書に署名したも同然だった。


だが、そこで第二の布石が打たれる。

アコウはさらに条件書を使用した。今度はアイテムを得るためではなく、ルールを書き換えるために。


**【第一の条項】**


> 条件書は無料アイテムとし、交換に価値ポイントを必要としない。

代わりに、拘束用の「檻」の価格を50ポイントに引き上げる。

>


これは人質側に不利な条件であり、対価なしで承諾された。そもそも条件書は常に承認されるとは限らないため、観客にとって「無料化」はそれほど大きなリスクには見えなかった。


**【第二の条項】**


> 価値ポイントが最も低い者を、ランキングの「首位」とする。

残りの者は通常通りのメカニズムで順位を決定する。

このルールは全陣営に適用される。

>


アコウが提示した対価は、「自分自身はゲーム終了まで一切の戦闘に参加しない」というものだった。

一見、妥当な等価交換だ。人質側は一人の有力な戦力を失う。均衡は保たれたかのように見えた。


当初、アコウ自身もこの条項は却下されるだろうと考えていた。

だが、彼は観客が最も愛するもの――「面白さ(エンターテインメント)」を射抜いたのだ。

戦えない者が、最も高い地位にいる。

戦場では無力だが、処刑ルールからは絶対的に守られている。

完璧なパラドックス。

そして、その条項は可決された。


その瞬間から、アコウは自動的にランキング首位となり、同時に自陣営が負けない限り、絶対的な安全圏を確保した。

そして人質側の敗北条件は「全員の死亡」だ。

アコウは死ぬことができない。


それは、背筋の凍るような真実を意味していた。

――人質側の勝率は、理論上「100%」になったのだ。


もはや、これは人間狩りではない。

守護者とハンターによる、互いの息の根を止めるまでの殺し合いへと変貌した。両陣営は、最後の一人に至るまで潰し合わねばならない。その間、かつて最も弱く、獲物と見なされていたはずの者が、高い場所から悠然とそれを眺めている。

漁夫の利。

盤面全体の呼吸を支配する者。


アコウは観客エリアに立ち、各戦闘を生中継するモニターを眺めた。

彼は微かに笑みを浮かべる。

「さて……あとは座って眺めながら、ゲームを思い通りに誘導するだけだ」


アコウの視線は、自らが展開した無数のモニターを泳ぐ。崩落した森、刹那の衝突、そして瀬戸際に追い詰められた命。

アコウがしていることは、詰まるところ、守護者側に有利なことではない。

彼が必要としているのは、単純な勝利ではない。

最初からの目的はただ一つ。――ゾアを「覚醒」へと追い込むことだ。


裏切り者は特定した。

ゲーム最大の利権は掌握した。

あとは、いかにしてゾアを死なせず、かつ限界を突破させるように戦場をコントロールするか。


戦場の別の場所。

アスタイルは、空に浮かぶ巨大な操り人形――観客からのダイレクトな情報チャンネルを通じて報告を受けた。新たなルールが読み上げられた時、彼は一瞬動きを止め……そして、吹き出した。

心底楽しげな、哄笑。


「……何だよ、そりゃあ……」

「そんな芸当ができる奴が、なぜ国家級の任務に就かずに、こんな安っぽい殺し合いのゲームに紛れ込んでるんだ?」


彼は首を振った。あまりに滑稽な話を聞かされたかのように。

それから、アスタイルは血に染まり喘いでいるジュリアンへと視線を戻し、残酷なまでに淡々とした声で続けた。


「だが結局のところ、あいつは自分の陣営のことしか考えていない」

「お前たちは……あいつの視界には入っていないんだよ」

「なら、ここで俺がお前を殺しても、あいつは気にしやしないってことだ」


言葉が放たれた、その刹那――。


――轟ッ!


アスタイルの眼前の空気が、引き裂かれたように爆発した。不可視の衝撃波が彼を直撃し、アスタイルは反射的に腕をかざして防いだものの、後方へと大きく吹き飛ばされた。

体勢を立て直した彼の目に、砂塵の中から歩み出る一つの人影が映る。


Kだ。

彼はジュリアンの肩に手を置き、静かだが力強い声で言った。

「大丈夫か?」

「加勢に来たよ」


アスタイルの瞳が驚愕に見開かれる。現れた男の顔を、はっきりと認識したからだ。

「人質側が……俺を攻撃するのか?」

「お前らはもう、勝ち確だろうが」

「大人しく座って楽しんでいればいいものを……!」


Kは彼を振り返り、その眼差しは微塵も揺るがない。

「アコウが何をしたかなんて、興味はない」

「だが、仲間を守る。――それは、僕がどうしてもやらなきゃいけないことだ」

彼は一呼吸置き、声を沈めた。

「確かに、僕が黙って座っていれば、誰も僕には手出しできないだろう」

「死ぬこともないだろうね」

「でも、もしそうしたら……」

「このゲームが終わった後、僕は一生後悔する」


言い終えると、Kはアスタイルに向かって真っ直ぐに指を突き出した。

「そして、僕はそういう気分が大嫌いなんだ」


不可視の斬撃が即座に走り、空気を切り裂いてアスタイルへと肉薄する。彼は間一髪で後方へ飛び退き、それを躱した。

その時、彼は異変に気づいた。


背後に、誰もいないのだ。

常に完璧な陣形で付き従っていたはずの仲間たちが……完全に消えていた。


アスタイルの眼差しが暗く沈む。

「……俺の仲間たちに、何をした?」

「俺たちは常に、共に行動していたはずだ」


答えを聞くよりも早く、空に再びあの機械的な音が響き渡った。

巨大な操り人形が再び現れ、冷徹なアナウンスがエリア全域にこだまする。


**【追加ルールの発動】**


> 現時点より、すべての戦闘は「一対一タイマン」を強制とする。

他者の戦闘に直接介入することは禁じられる。

ただし、バフ(強化)または武器の提供のみ、これを許可する。

>


アスタイルは戦慄した。


Eだ。

彼女が観客エリアへ到達したのだ。

最初から、Eはアコウの計画通りに動いていた。ゲーム内で最大の価値ポイントを所持していた彼女は、アコウがルール追加権を制限された際の「代わりの駒」だったのだ。

彼女は「偶然」を装って全ポイントを投げ出し、新たなルールを追加した。観客たちは、彼女がアコウの指示で動いているとは露知らず、そのスリルある提案を承諾した。


盤上の天秤が、一瞬で傾いた。

重傷を負っているジュリアンは、もはや正当な攻撃対象ではなくなった。

今、アスタイルの目の前にいる唯一の対戦相手は……Kだけだ。


空白が作られた。

ジュリアンには撤退の時間が与えられた。

ハンター側の「物量による即死」戦術は、根底から崩壊した。


アスタイルは乾いた笑いを漏らした。歪んだ、無力感の入り混じった笑いだ。

彼はかつてこう思っていた。

『仲間がいなければ、アコウにできることなど何もない』。

だが、現実はその真逆だった。


アコウは、自分自身の安全を確保しただけではない。

絶望的な勝率を作り出しただけではない。

ゲームを観客が渇望する「刺激的な形」へと維持し続けているのだ。

退屈で一方的な蹂躙ではない。

長く、血腥く、変数に満ちた「死のチェス」として。


アコウの恐ろしさが……アスタイルの目には、さらにもう一段階跳ね上がった。

彼はアコウが賢いことは知っていた。

だが、これほどまで遠くを見据えているとは夢にも思わなかった。


今、アスタイルの頭の中にある唯一の問いは――。

「どうやって勝てばいいんだ?」


その思考がよぎった、刹那――。


――シュッ!


冷徹な斬撃が再び襲いかかる。アスタイルは即座に岩の壁を構築し、それを防いだ。斬撃が衝突し、岩を粉々に砕き、厚い煙幕を伴う小さな爆発を引き起こす。


塵が晴れた後、アスタイルはそこに立ち、視線をKに固定した。

Kは彼を真っ向から見据え、低く冷たい声で言った。


「アコウに怯えているみたいだね」

「でも、今は集中しろよ」

「お前の相手は……」

「僕だ」


彼の声が沈み、剥き出しの殺気が立ち昇る。

「――くたばれ、クソハンター」

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