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第81話: 盤面を奪われた世界

「このゲーム、カメラで動いているわけじゃないのか。もしカメラを使っているのだとしたら……これほど鮮明に、二人の環境フィールド内部まで覗き見ることは不可能だったはずだ」


市川の腕が光の元素によって斬り飛ばされた瞬間は、観客の目前にある巨大なモニターに克明に映し出されていた。死角はなく、画像の乱れもない。あらゆる細部が完璧に投影されている。なぜなら、この空間は物理的なデバイスによって観察されているのではなく、「形を変える悪魔シェイプシフティング・デーモン」によって構築され、直接反射されているからだ。それは現実に並行して存在する実体であり、戦闘環境内部で起こるほぼすべての光景に干渉し、再現することができる。 彼にとって、環境とは隠すためのものではなく、さらけ出すためのものなのだ。


戦場に目を戻せば―― 市川と白龍の周囲には、今や絶対的な闇だけが残されていた。墨のように濃密で、光もなく、奥行きもなく、方向さえない。空間は、人の目が遠近を判別できないほどに平坦であり、あたかも「距離」という概念そのものがこの世界から剥奪されたかのようだった。


市川は一瞬で周囲を観察し、即座に行動に移した。元素反応が起動する。水と木が交錯し、切断された肩から生命エネルギーの奔流が溢れ出した。止血を行い、組織と骨を層ごとに再生させていく。腕を完全に復元するには至らないが、少なくとも生命の危機からは脱した。 彼は顔を上げ、正面を真っ直ぐに見据えた。空間が形を失ってもなお、白龍の存在感は鮮明だった。


「なぜ、俺の環境が黒く塗り潰された。それに、なぜ……能力が起動しない?」


市川の顔に走った動揺は長くは続かなかったが、白龍がそれに気づくには十分だった。白龍はすぐには攻撃を仕掛けなかった。代わりに、闇の中から声が響く。沈着で安定した、ゲームのルールを握る者の声だ。


「色の目」を持つ者の環境は、本来、凡夫の環境を圧倒する。それは自明の理だ。その瞳が完全に覚醒したとき、展開される環境は保護膜(殻)を脱ぎ捨て、最も根源的な姿を露わにする。そしてここにおいて、色の目の真の権能が現れる。殻を脱いだ環境の前に、持ち堪えられる環境など存在しないのだ。 しかし、それゆえに殻を脱ぐことは、絶対的な安全策ではない。


市川が自らの手で環境の殻を閉じた瞬間、彼は本来持っていた圧倒的な優位性を無効化した。それは、自分の足を自分で撃つような行為に他ならない。彼の環境は、対抗され、均衡を保たれ得る状態へと戻ってしまったのだ。 白龍はその隙を見逃さなかった。 彼は市川と同時に環境を起動させたのだ。


二つの環境が重なり合い、衝突し、完全に対等となった。どちらの権能も、相手を圧砕するには及ばない。そうなったとき、空間はニュートラルな状態――絶対的な黒――へと崩壊する。どちらも優位に立っていないという証だ。 この状態において、もはや退路はない。 均衡を破る方法は、二つだけ。 目の前の敵を倒すか、 あるいは、相手に環境を維持できないほどの膨大なエネルギーを消費させるかだ。 どちらかが倒れたとき、暗黒の空間は爆発し、勝者の環境が現実のすべてを塗り潰すことになる。


市川は沈黙の中で、すべてを理解した。 そして、己の最大の失策は環境の殻を閉じたことではなく、それを「口にした」ことだとも悟った。たとえ白龍が後から環境を起動したとしても、空間は黒へと転じたはずだ。だが、市川が意図を露呈させた瞬間に、致命的な隙が生まれた。世界が完全に密閉される直前に、白龍が彼の腕を斬り飛ばすには十分な時間だった。


今、水と木の元素が止血と再生のために休みなく働いているが、腕を完治させるには膨大な時間が必要だ。そして、閉鎖された領域内での戦いに、時間が余っていることなど決してない。 しかし、そのような劣勢に追い込まれてもなお、市川は顔を上げ、赤く燃える瞳を微塵も揺らがせなかった。


「たとえここで踏み止まったとしても……それがあんたの勝ちを意味するわけじゃない」


彼の声が、冷徹なほど平然と響く。


「あんたのエネルギーには限界がある。だが俺のエネルギーは――ほぼ無限と言っていいほどにある。どんな突然変異を起こそうが、結果は変わらない」


彼は闇の中で一歩、踏み出した。


「最後に勝つのは、俺だ」


領域は完全に閉鎖された。 空はない。 観客席もない。 影さえも落ちないほど平坦な、絶対的暗黒の平面があるだけだ。音は飲み込まれ、方向は無意味と化す。あたかも、この世界が二つの実体の生存を分かつためだけに存在しているかのようだ。


市川は、片腕を失ったままそこに立っていた。 右腕を低く垂らし、掌を正面に開く。黒い電光はもはや肉体を包むのではなく、外部へと拡散し、そして逆に一点へと強制的に凝縮されていく。掌から、限界まで圧縮された電光が、震える刺突の穂先となって伸びた。鋭く、荒々しく、破断点まで引き延ばされた金属のような悲鳴を上げる。足元の暗黒の平面が長い溝となって裂け、黒い閃光が闇を引き裂いて、虚無へと続く深い焦げ跡を残した。


市川が疾走した。 一拍の間に距離が消失する。 黒い電光の槍が真っ直ぐに突き出された。拡散せず、爆発せず、無駄もない。ただ一点、「貫く」という意志だけがそこにある。 白龍の眼前で、空間が無限に引き延ばされる。 電光の槍がその境界に触れた――。直後、見えない手に捻じ曲げられたかのように、軸を逸らされて左右へと滑り落ちた。放たれた電光は暗黒の平面を引き裂き、距離という概念の消えた先まで続く二条の並行した焦げ跡を残した。


白龍は消えていた。 市川の背後で、光が弾ける。 上空からの一撃が振り下ろされる。光が硬質な塊となって収束し、圧縮された空間が拳を包んでいた。市川は暗黒の平面を強く蹴る。平面が深く沈み込み、彼の体は紙一重で横へと滑った。拳が掠め、光が無限に続く闇の帯を削り取り、塞がりきらない空間の歪みを残した。


市川は止まらない。 右腕を後ろへ引く。黒い電光が空中に集まり、監禁された生物のように激しく蠢き、凝縮される。投げない。待たない。彼はそのまま暗黒の平面へと叩きつけた。 衝突点から黒い稲妻が逆流するように噴き上がり、巨大な電柱となって前方の空間すべてを飲み込んだ。黒い光が飛散し、平面は蜘蛛の巣状にひび割れ、衝撃波は光さえもなぎ倒し、暗黒の領域を激しく揺るがした。


そして――。 電柱の中心から、白龍が歩み出た。 彼の周囲の空間は刹那に閉じられ、光は肉体をなぞる薄い帯となって受け流されていた。触れようとした電光はことごとく軸を曲げられ、一点に吸い込まれて消失した。最初から存在しなかったかのように。


市川はこの瞬間を待っていた。 彼は吸引の中心へと真っ直ぐに飛び込んだ。 距離が猛烈に収縮し、体が生存の軸から引き裂かれるような感覚に襲われる。市川は残るすべての黒い電光を、たった一点――拳の先端へと注ぎ込んだ。 拡散させない。 爆発させない。 ただ、自分自身をも崩壊させかねないほど激しく震える、赤みを帯びた黒い雷の穂先があるだけだ。


「覇者の権力オーバーロード・パワー」が溢れ出した。 波はない。 音もない。 足元の平面はさらに深くひび割れ、白龍の前の空間が一瞬だけ停止した。貫通されるほどに薄く、脆弱な一瞬。


市川が、突いた。 電光の穂先が「無限」の層を貫通した。光が粒子となって砕け散り、圧縮された空間がたった一点において引き裂かれた。暗黒の領域が激しく鳴動し、平面は下から強く打たれた水面のように跳ね上がった。


白龍が後退させられた。 彼の足は闇の中に長い跡を刻み、肉体を包む光は明滅し、空間は先ほどのような連続性を失っていた。


市川は立ち止まり、片腕を低く下げた。 黒い電光は消えていない。それは唸りを上げ、さらに集まり続ける。あたかも、この暗黒の領域全体が彼の意志を伝える導体となったかのように。


対峙は終わっていない。 しかし、今度は――。 闇は、もはや空間の絶対的な味方ではなかった。


白龍は、自身の「無限」の空間防御が貫通されたことに真実驚愕していた。彼が絶対だと信じていたものが、持てる理論モデルを超えて崩されたことで、その精神はかすかに揺らいだ。パニックではない。ただ、不変であったはずの真理が眼の前で瓦解したことへの、耐え難い不快感だった。


市川は、ブラックウィングスの首領が語った通りのことを成し遂げたのだ。 概念を消し去る必要はない。 現実を否定する必要もない。 「高次元エネルギー」が十分な密度と段階に達したとき、それは能力が生み出した「理不尽」そのものを貫き通す。常人であれば、それは果てしなく遠い極致に達して初めて起こる現象だ。だが、「覇者の権力」は違う。それは高次元エネルギーの最高峰であり、全世界を見渡しても指で数えるほどしか持たぬ者がいない境地なのだ。


「覇者の権力」は単一の能力ではない。それはすべてを包摂する。 再生と組み合わせれば、その速度は理不尽なまでの次元へと跳ね上がる。 爆発と組み合わせれば、破壊力はあらゆる基準を凌駕する。 いかなるエネルギー系統と組み合わせようと、すべてが極限まで増幅されるのだ。 そして、「色の目」を持つ市川は、それを開放する権利を手にしていた。


その瞬間から――。 白龍の前に、市川を防ぎきる絶対的な盾は存在しなくなった。


市川が進み出る。 もはや直線的な突進ではない。 全力を振り絞ることもない。 一歩一歩が安定し、重心は低く、肩は固く閉じられている。純粋な武術。残された腕が振り抜かれ、鋭いフックが放たれる。慣性に従って体が回転し、掌から短い稲妻のような黒い電光が走り、前方の空間を斜めに切り裂いた。


白龍が防ぐ。 彼の前の空間は、もはや無限ではなかった。拳が「触れた」のだ。骨と骨がぶつかり、衝撃が暗黒の領域全体へと伝播する。白龍は半歩下がり、足元の平面にわずかな亀裂が走った。以前なら決して起こり得なかった光景だ。


市川はリズムを渡さない。 至近距離での連撃――突き、膝、肘。そのどれもが正確無比であり、短く、重く、無駄な動きが一切ない。打撃の合間に黒い電光が瞬時に走り、肉体を包むのではなく断片的な刃となって空間を切り刻む。


白龍は退き、そして強く引き寄せた。 距離が唐突に収縮する。市川の体が、刹那の間、前方へと引きずり込まれた。体が均衡を失った、その一瞬。


白龍が、カウンターの拳を放った。 空間圧縮を纏った拳が、静寂の領域の空気を切り裂く。市川は腰を回し、前腕でそれを受け止めた。神経の反射によって黒い電光が弾け、威力を相殺したが、衝突音は乾いた爆音となって響き、暗黒の平面が円形の穴となって陥没した。


白龍が強く押し出す。 市川は弾き飛ばされた。しかし、滞空する最中に彼は指を鳴らした。上空から一条の黒い稲妻が、断罪の雷となって白龍を直撃せんと降り注ぐ。白龍は身を転じて回避したが、稲妻は平面を真っ二つに裂き、発光し続ける深い溝を残した。


市川は着地していた。 止まらない。 躊躇わない。 彼はスキルを起動させた。動きは無駄なく正確だ。胸の奥から熱が込み上げる――爆発ではなく、過負荷寸前のコアのように凝縮されていく熱だ。


白龍は気づいたが、すでに遅すぎた。


「黒炎」が溢れ出した。広がらず、散らず、空気にまとわりつくように渦巻いて前進する。それは光を放たず、むしろ光を飲み込みながら、領域の中に深い闇の轍を刻んでいく。


白龍は強く引き寄せ、同時に押し出した。 炎はねじ曲げられた――だが、消えはしなかった。 炎は逆に巻き付き、白龍の腕を、体をなぞり、不安定になりつつある空間そのものの深部へと食い込んでいく。黒炎に爆発は必要ない。ただひたすらに、しつこく燃え続け、エネルギーを一片ずつ食い荒らしていくのだ。


白龍が膝を突いた。 肉体を包む光が一瞬で掻き消え、空間は乱脈に収縮し、秩序を失った。黒炎は実体を直接焼き、破壊するのではなく「摩耗」させていく。 彼は暗黒の平面に手をついた。体が微かに震えている。痛みからではない。エネルギーがあまりに急速に枯渇しているからだ。


市川がその前に立った。 片腕のままで。 呼吸は整っている。 黒い電光が掌から暗黒の平面へと幾筋も流れ落ちる。あたかも、領域全体の脈動を彼が掌握しているかのようだった。


彼はすぐにはとどめを刺さなかった。 勝利を急いで宣言することもない。 だが、明白だった。


「無限」の防壁が失われたとき、 空間が「肉弾戦」を強いられたとき、 白龍は、すでに崩壊の淵に立たされていた。


「あんたにも、もう時間は残ってないようだな、白龍。エネルギーは底をつきかけ、環境も崩壊寸前だ。これ以上戦っても、あんたを待っているのは敗北だけだ。俺の方が、あんたより強い」


市川の断固たる宣告が、暗黒の領域に響き渡った。誇張も咆哮もない。ただ、定められた結果を突きつけるような冷徹な肯定だった。だが、それに応えたのは怒りでも絶望でもなかった。白龍は、笑った。低く、掠れた、疲労を滲ませながらも深い意味を含んだ笑いだった。彼は暗黒の平面に手をつき、軋む体を引きずりながら立ち上がった。崩れゆく空間の圧力が、彼の骨身を苛んでいた。


エネルギーが底を突きかけているのは自覚している。だが、まだ道が途絶えたわけではない。


市川は即座にそれを察知した。白龍にはまだ使っていない「三」の数字がある。しかし、彼の計算では、その権能が現在の状況に適合するはずがなかった。エネルギーを増幅させたり、ましてや「無限のエネルギー」を与えるような都合の良い権能を引くほど、運に恵まれているとは信じられなかったからだ。それでも、不安は消えなかった。理不尽が次々と打ち破られるこの世界では、いかに低い確率であっても、それは起こり得るのだ。


白龍は真っ直ぐに立ち上がり、深く息を吸い込むと、掠れた、しかし明瞭な声を発した。


「……第二のエネルギー貯蔵庫を使い忘れていたわけではない。それぞれのスキルには、使用回数の限界があるのだ。君も、なぜ私が君を相手に『隕石』を落とし続けなかったのか、不思議に思っていただろう?」


市川は一瞬虚を突かれたが、視線を逸らさずに即答した。


「……つまり、あんたの隕石は、まだ回数が残っているってことか?」


白龍は微かに頷いた。


「『三』の特権を授かる前に隕石を使い切ってしまえば、意味がないからね」


その瞬間、市川が最も恐れていたことが現実となった。


白龍が「三」を起動させた。 授かった権能は、無限のエネルギーでもなければ、最大量の増加でもなかった。代わりに――発動するスキルのエネルギー消費を、一定時間、強制的に「1」へと固定する権能だった。環境の維持には通常通りのエネルギーを消費し続け、この権能の対象外ではある。それは世界を直接壊すような力ではない。だが、極めて危険な力だった。


スキルの乱発を可能にする。 絶え間ない圧力を維持させる。 そして、相手がたった一拍でも油断すれば、戦局を完全に引っくり返させるのだ。


市川が呼吸を整える間もなかった――。


数百の「光の断絶」が降り注いだ。 予兆もなく、蓄積もなく。 ただ光が弾けたかと思うと、市川の肉体は無数の斬撃によって引き裂かれ、暗黒の領域に赤い雨となって血が舞った。彼はたじろぎ、半歩後退する。反射的に黒い電光を燃え上がらせ、体が崩れ落ちるのを辛うじて食い止めた。


白龍の声が響く。そこには、先ほどまで失われていた自信が宿っていた。


「先ほど君の腕を断った時と同じ威力だ。今度は、断たれなかったか? 少しは頑丈になったようだね」


言い終えるや否や、彼は転移した。 空間が刹那に折り畳まれる。白龍は市川の眼前に出現し、真っ直ぐな拳を叩き込んだ。空間圧縮の衝撃が市川を後方へと吹き飛ばし、その体は暗黒の平面を長く削りながら滑っていった。


体勢を立て直す隙さえ与えない――。 上空の空間が口を開けた。


「隕石の雨」が召喚され、巨大な質量が破壊的な速度で市川へと降り注ぐ。市川は咆哮し、黒炎を逆流させるように噴き上げた。火属性の奔流が反動となり、隕石を押し返す。巨大な岩塊は、中空で灰燼へと帰していった。


だが、息をつく間もなかった。


二度目の隕石の雨が、降り注いだ。 先ほどよりも密度が高く。低く。速い。


市川の反応は間に合わなかった。


巨大な爆発が巻き起こり、光が暗黒の領域を飲み込んだ。衝撃波は周囲のすべてを粉砕し尽くす。暗黒の平面はズタズタに引き裂かれ、空間は崩壊の前触れのように激しく振動した。


白龍はそこに立ち、爆発の余光をその目に反射させていた。呼吸は荒いが、その立ち姿は依然として揺るぎない。


彼は低く、確かな声で告げた。


「今度こそ……盤面を握っているのは、私だ」

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