第64話
「――なぜ、俺が“恐るべき伝説”と呼ばれる白き竜の一体なのか……分かるか?」
満天の星に覆われた静寂な夜空。冷たい月光が降り注ぎ、開けた空き地の中央に立つ白竜の姿を鮮明に照らし出していた。雪のように白い髪が風に揺れ、絶対的な自信を宿した双眸が闇を貫く。
対するセシリアは、剣の柄を強く握り締め、張り詰めた視線で敵の次の一手を待ち構えていた。
「他の能力とは違う――」
白竜は静かに目を閉じ、低く響く声で続ける。
「竜の力は“世界の誓約”と結びついている。一代の竜が力を継承する時、世界が刻んだ封印の痕跡も同時に受け継ぐ。幾世代を経ようとも……世界を支配するその本質は、決して変わらない」
言い終わると同時に、白竜は腕を振るった。
圧倒的な“推進”の力。
白い弾丸のように空間を切り裂き、彼は一瞬でセシリアの懐へと踏み込む。
彼女が目を見開いた、その刹那――
爆発を伴う拳が、腹部へと叩き込まれた。
轟音。
セシリアの身体は吹き飛ばされ、背後の巨大な樹木を粉砕して地面へ叩きつけられる。木片と土砂が宙を舞い、小規模な爆発のような光景を生み出した。
白竜はその場に立ったまま、冷たい視線で見下ろす。感情はない。ただ、わずかな失望だけが宿っていた。
瓦礫の中に横たわるセシリア。口元から血が溢れ、腹部は凄惨な衝撃で深く凹んでいる。遠くから見守っていた者たちは、言葉を失い、恐怖に凍りついていた。
――たった一撃。
それだけで、彼女は死の淵に追いやられた。
“伝説”と“新兵”。
その力の差は、あまりにも埋め難い。
「このまま殺してもいいが……人質ごと片付けるのも手だな」
淡々とした声とともに、白竜は手を掲げた。
指先に集束する、白い光の球。凄まじい“推進エネルギー”が不安定に揺れ動き、今にも解き放たれようとしている。
「かなり評価していたんだがな」
小さく呟く。
「俺と出会わなければ……あと数年は生きられただろう」
その瞬間――
彼の耳に通信が割り込んだ。**変貌の魔**からの連絡だ。
『殺すな。遺体は残せ。到着したら、俺が自ら始末する』
白竜は僅かに眉をひそめ、手を下ろした。理由を問う必要はない。すぐに理解した。
彼は一歩退き、氷のような眼差しでセシリアの身体を見張る。
近づく者がいれば、即座に殺す――その覚悟で。
この時点で、彼はゲーム内最強の存在だった。
指を鳴らすだけで、周囲の生物を一掃できるほどに。
一方その頃――
反対側では、**無人航空機**から送られてきた映像を、アコウが確認していた。
救援へ向かうゾアは、走りながら通信越しに言う。
「セシリアは白竜と互角に戦えるって言ってたよな?」
「そうだ」
アコウは相変わらず平静な声で答える。
「だが、それは彼女が“完全に覚醒”し、命を賭して戦った場合の話だ。感情――それこそが人間の力の鍵だ」
「つまり……感情が爆発しなければ、覚醒しても負ける?」
「その通り。感情は触媒だ。しかし、絶対的な相性差を覆す力がなければ、どれほど高揚しても敗北は避けられない」
ゾアは小さく息を吐いた。
「なんだよ……もっと派手な逆転があると思ったのに。ヒトミを超えるかと期待したぜ」
通信越しに、ツバサが軽く笑った。
「そんな都合よく成長する人間、いるわけないだろ」
アコウは黙ったまま、微笑む。
脳裏に浮かぶ一つの名――アック。
平凡な始まりを持ちながら……
今や史上最高の“価値評価”を与えられた新世代の犯罪者。
人類の枠を、遥かに逸脱した存在。
ツバサは疑問を抱いていた。
あれほどの存在――白竜が待ち構えているにもかかわらず、なぜアコウはゾアを向かわせたのか。
一撃で殺される危険を、考えなかったはずがない。
アコウはただ静かに微笑む。
今回の目的は――
白竜を倒すことではない。
変貌の魔を現場へ近づけさせないこと。
変貌の魔は強大だが、“伝説”の領域には達していない。
彼は新時代の天才に過ぎない。
だからこそ――
ゾアならば、時間を稼げる。
「ルールを忘れるな」
アコウは言う。
「夜が明ければ、ハンター側は行動不能になる。我々はその規則を利用する。白竜自身に、ゲームのルールで撤退させるんだ」
アコウは予測していた。
変貌の魔は単独では来ない。
不測の事態に備え、必ずもう一人のハンターを同行させる。
だからこそ――
最初の囮として、ツバサを使った。
変貌の魔がツバサと接触した時、時間を惜しむ彼は同行者を使ってツバサを足止めする。
その直後、ゾアが次の波として現れる。
ツバサの真の目的も、この時明らかになる。
彼は――変貌の魔に会うためだけに、このゲームへ参加した。
アコウは、それを最初から見抜いていた。
ツバサの動き、反応、その全てから。
だが問題は一つ。
たとえツバサが変貌の魔に会えたとしても、二人で生還することは不可能。
このゲームの勝利条件は――
どちらか一方の陣営が完全に消滅すること。
人質が全滅すれば、守護側も消える。
ツバサは“条件書”を購入し、ハンター側へ寝返るつもりだろう。
だが、ポイント不足のハンターは最後に死ぬ。
つまり――
寝返るなら早期。
その後、人を殺して生存点を稼ぐ必要がある。
そのためには――
ショップを見つけねばならない。
そして、その場所を知っているのは――
アコウだけ。
この瞬間から、
アコウはツバサの運命を完全に掌握していた。
「安心しろ」
アコウは静かに言う。
「計画が上手くいけば、必ずしも全滅エンドにはならない。だが――自分に有利な結末を望むなら、俺に協力しろ」
その瞬間――
アコウは完全に、ツバサを支配した。
ツバサは恐怖を覚えた。
ゲームではない。
目の前の人間に。
近くでそれを見ていたゾアは、静かに呟く。
「……やっぱりな、アコウ」
アコウは断言していた。
今のゾアでは、変貌の魔を倒せない。
だが、それでいい。
ゾアの任務は――
回避ではなく、時間稼ぎ。
ゲームのルールが作用するその瞬間まで、
一秒でも長く、彼を引き留める。
さらに――
変貌の魔の能力を徹底的に観測・解析する。
情報こそが、次の一手を決める。
この時点で、変貌の魔の最強戦力は――
盤上の飾り駒に過ぎなかった。
もし計画を察知していれば、白竜を呼ぶこともできただろう。
だが、それは起こらない。
通信は――
アコウが完全に封鎖していた。
ドローン、監視カメラ、通信網――
全ては彼の支配下にある。
かつて試験で証明したように、
今回も同じ。
変貌の魔は、即応も援軍も不可能。
ただ――アコウの描いた筋書きをなぞるしかなかった。
そして今、彼の前に立つのは――
ゾアただ一人。
通信機は沈黙している。
「……何だ? なぜ使えない!?」
変貌の魔は焦燥を滲ませ、操作を繰り返す。
ゾアは薄く笑った。
「これからは――俺とお前だけだ」
静かな声で告げる。
「来い。派手にやろうぜ、変貌の魔」
変貌の魔は嗤った。
冷たい刃のような笑みで。
「弱者が……随分と大きく出るな」
闇のような殺気を宿した眼で、ゾアを見据える。
「すぐ終わらせてやる」
次の瞬間――
両者は同時に解放した。
ゾアの黒炎が先に爆ぜる。
それは光を喰らう深淵の炎。
銀の剣に絡みつき、異様な威圧を放つ。
変貌の魔は、重圧のようなエネルギーを放つ。
地面が軋み、空気が震え、雷鳴のような低音が響く。
剣と剣が激突する。
だがゾアは、ただ斬っているわけではない。
試している。
呼吸、間、エネルギーの揺らぎ――
全てを測り、記録しながら。
目的は勝利ではない。
情報だ。
変貌の魔は猛攻を仕掛ける。
圧殺、推進、変形。
ゾアは黒炎で耐え、血と汗を流しながら踏み留まる。
そして――僅かな隙を見逃さない。
遠方で、アコウはデータを確認し、静かに微笑んだ。
――全て、計算通り。
ツバサ、セシリア、仲間たちは、固唾を呑んで見守る。
一秒が、生死を分ける。
「弱者が教えてやる!」
ゾアが吼える。
「覚悟しろ!」
黒い弧を描く剣が、運命に挑む。
これは――
力だけの戦いではない。
知略と意志が交錯する、時間を巡る戦争。
ゾアが夜空へ跳び上がる。
黒炎を纏い、流星のように突撃する。
変貌の魔は嗤った。
勝利を疑っていない顔で。
だが――
アコウは、彼の思考すら読んでいた。
「……白竜が疑う前に、動くと思っているな」
アコウは呟き、口元を歪める。
「残念だ。俺は、その一歩先にいる」
音声偽装プログラムを用い、
変貌の魔の通信機から偽の命令を送信する。
『動くな。最終段階だ。時間まで待機しろ』
それだけで――
白竜は完全に足止めされた。
この盤上で、
アコウに力は不要。
必要なのは、知恵だけ。
戦場へ戻る。
金属と炎が轟く。
ゾアは地を滑り、連撃を放つ。
鋭く、速く――だが変貌の魔は異常な機動で躱す。
そして――
汚染変形体の召喚。
影のような存在が、ゾアの腕を拘束する。
「死ね!」
腹部へ炸裂する蹴り。
吹き飛ばされるゾア。
次の瞬間、別の変形体が地面から現れ――位置交換。
変貌の魔が目前に現れ、脚を掴み、叩き落とす。
だが――
ゾアは立ち上がる。
黒炎を纏った一閃。
命中。
「……っ!」
腹部を焼かれ、変貌の魔が後退する。
黒炎の副作用――感覚と方向感覚の乱れ。
だが彼は、立ち続ける。
ゾアは追撃する。
剣が突き出される。
変貌の魔は回避し――
再び変形体を召喚。
脚を掴まれ、
爆裂拳が炸裂する。
大地が砕ける。
「まだだ!」
ゾアの黒炎が渦を巻き、
闇の炎嵐となって全てを焼き尽くす。
変貌の魔は距離を取り、驚愕を浮かべる。
そして――
巨大な黒炎の球体。
直撃。
岩壁へ叩きつけられ、夜が燃える。
煙が晴れる。
変貌の魔は倒れていた。
全身は焼け焦げているが――生きている。
肉体は再生を始める。
だがその眼には――
狂気と歓喜が宿っていた。
「……素晴らしい」
歪んだ笑み。
「本当に……お前は特別だ、ゾア!!」
この戦いは、もはや実験ではない。
限界を超えようとする二つの存在の、真の衝突。




