第63話
「せっかく少し休めたと思ったら、また“客人”の相手か……。
まったく、貴様は私の体力をいいように使っているな――**異形の化け物**よ。」
低くしわがれた声が、冷たい夜気の中に響いた。
白龍は荒れ果てた大地に降り立ち、巨大な翼をたたむと、砂塵が舞い上がる。
その正面に立つのは――セシリア。
彼女は構えを取り、背後の森には、二人の人質が身を潜めている。
「傲慢な狩人ね。
そこまで自信満々ってことは――自分の力を相当信じてるんでしょう?」
挑発するような声音。
白龍は静かに笑った。
雪のように白い髪の下、漆黒の瞳が夜闇を切り裂くように光る。
その眼差しは――世界そのものが自分を中心に回っていると信じて疑わぬ、絶対の支配者のそれだった。
「自信がなければ、こうして一人で立ってなどいないさ。」
言葉と同時に、彼の掌の上で白光の球体が生まれる。
それは渦を巻き、空気と物質を吸い込みながら周囲の空間を歪め、猛烈な風が中心へと引き寄せていく。
セシリアの体がたまらず前へと引きずられた。
体勢を立て直した瞬間――拳が迫る。
白龍の一撃。
セシリアはかろうじて身をひねり、地を滑ってその拳をかわすと、低く沈んだ姿勢から脚を払う。
巨体がわずかに揺らいだ隙に、彼女は全身の力を集中させ――空間を破壊する一撃を放つ。
鏡が砕けるような轟音。
空間が裂け、数千の光片となって宙に散る。
白龍の身体が吹き飛び、口元から血がほとばしった。
背後の大地が大きく裂け、衝撃波が幾重にも広がる。
「ば、馬鹿な……!
私の“無限の空間”が発動しているはずだ……なぜ、それを貫ける!?」
その瞬間、真実が明らかになった。
――セシリアの能力:空間破壊。
――白龍の能力:空間支配。
創造と破壊。
一方が構築し、一方が打ち砕く。
どれほど堅牢な防壁を築こうとも、彼女の拳はそれを貫く。
セシリアの力は、絶対貫通――エネルギー装甲も結界も、ただ避けるしかない。
白龍は口の端の血を拭い、黒曜のような眼差しを鋭く細めた。
「……想像以上だな。
女の身で、これほどの力を宿すとは――危険すぎる。」
セシリアは一言も発さず、再び踏み込む。
彼女の姿が空間の割れ目に溶け、瞬時に現れる。
次の瞬間、二撃目の拳が白龍の胸を狙う。
だが、彼は咄嗟に吸引の渦を生み出し、攻撃の軌道をずらした。
そのまま手を伸ばし、セシリアの襟首をつかみ上げようとする――が、
彼女の動きはさらに速かった。
関節を極める鮮やかな反転。
白龍の体勢が崩れ、指が無意識に力を失う。
閃光のような斬撃が走り、
空を裂くような横一文字の切り裂きが夜空を引き裂いた。
白龍もただでは終わらない。
彼はすぐに空間を展開し、
創造と破壊――二つの空間が激突する。
眩い爆光とともに、世界が震えた。
爆風が数百メートル先まで吹き荒れ、
森に潜んでいた者たちは腕で顔を覆い、ただ耐えるしかなかった。
「……お前、あの“堕ちた七罪”とは違うな。」
白龍の声が掠れる。
「やつを不意打ちしたが、
お前の力は……まるで別物だ。」
セシリアは眉をひそめた。
「……今、なんて言ったの? ゾアに会った? どうしてあなたがここにいるの?」
白竜は口の端をわずかに吊り上げるだけだった。何も答えない。
――敵に情報を漏らすほど愚かなことはないと、彼はよく理解している。
その沈黙が、セシリアの拳をより強く握らせた。
「そう……なら、力でその口を開かせるまでよ。」
低く呟くと同時に、彼女の身体を中心に無数の空間の欠片が渦を巻いた。
それは鋭利な刃のように周囲を切り裂き、すべてを引き裂く勢いで白竜へと突進する。
――戦いが、再び始まった。
これまでの交戦を通して、セシリアはすでに相手の動きを観察し、
その法則を分析していた。
この白竜という男――見た目こそ力任せの豪腕タイプに見えるが、
実際には、彼は自らの能力を驚くほど緻密に操っている。
セシリアは気づいた。
彼の能力は、「吸引」と「反発」――この二つの原理で構成されている。
戦闘開始以来、彼の攻撃は一貫して「吸引」に集中していた。
それは相手の体勢を崩し、動きを制御不能にするための布石。
しかし、追い詰められた瞬間、彼は即座に「反発」に切り替え、
巨大な空間爆発を生み出して反撃と距離の確保を同時に行う。
そこからセシリアは推測する。
――彼は、相手自身の慣性を利用して優位を取っている。
戦士なら誰もが知っている。
戦闘中に体勢を失うことは、防御を捨てるのと同義だ。
つまり、彼の吸引と反発に翻弄されず、
自らのバランスを保ち続けることさえできれば――
セシリアは主導権を取り戻せる。
彼女の「空間破壊」の能力は、広範囲において絶対的な力を持つ。
一撃が十分に強ければ、敵に避けさせるしか選択肢を与えない。
ゆえに彼女の判断では、白竜の能力はたしかに厄介ではあるが、
恐れるほどのものではない。
――少なくとも、彼がまだ「本気」を出していないうちは。
――――
一方その白竜は、この戦いを今すぐにでも終わらせることができた。
なぜなら、彼が秘めているのは――
「究極能力」。
それは、かつてイチカワとアックの戦いでも語られた、
選ばれし者のみが到達する力の領域である。
問題は、その性質にある。
彼の究極能力が「状態型」なのか「環境型」なのかは不明。
だが、一つだけ確実なことがある。
――それを発動した瞬間、セシリアは抗えない。
しかし、その代償はあまりにも大きい。
究極能力を使用した者は、その後三十分間、能力が完全に封印される。
その間、彼らはほぼ無防備となり、ただの人間同然になるのだ。
もしその隙に――たとえば、かつてゾアと対峙したツバサのような強者が現れたなら、
彼は確実に命を落とす。
だからこそ、白竜は――
賭けには出られない。
断片的な情報の中から、白竜という存在の本質が、少しずつその姿を現し始めていた。
彼は単なるハンターではない。
――時間と光を操る竜。
その能力ランクはEX級、測定された戦闘力は2,750,000。
もはや人間の領域を遥かに超えた存在である。
対するセシリアは、覚醒状態「ブレイクフォーム」を発動し、1,500,000まで力を引き上げていた。
それでもなお、差はおよそ二倍。
理論上、この戦いは圧倒的な不利。
だが――アックがかつて語ったように、
セシリアの力は数値では測れない。
旧き時間軸において、彼女はすでに証明している。
その力は「時代の眼」と呼ばれたヒトミと肩を並べて戦えるほどだと。
ヒトミの傍らで戦うことを許された者たちは、いずれも戦闘力百万超えの存在。
つまり――セシリアはまだ頂に届いていなくとも、凡百の者ではない。
しかしもし、白竜が本気を出したなら――
ゾアとセシリアが力を合わせたとしても、勝機はない。
この世界には「十人の最強者」が存在し、
その最低基準が四百万。
白竜の2,750,000という数値は、それに迫るほどの領域。
すなわち「極度危険存在」――
イチカワとアックに次ぐ実力者である。
もしかすると、たとえヒトミ本人が現れても、
勝敗は分からない。
――言い換えれば、
白竜はアックやイチカワと同格の存在。
その他すべての者は、ただの「下位」に過ぎない。
そのような怪物が、もしこの場所――
ゾアとセシリアのいる前線地帯に姿を現したのだとすれば、
残された問いはひとつだけだった。
「彼らは、生き延びることができるのか?」
そして――それこそが、
彼がここに現れた理由だった。
静まり返った森の奥、
月光が木々の隙間から差し込み、
その淡い光がゾアの土埃にまみれた顔を照らしていた。
彼は目を細める。
闇の中から、見覚えのある影が姿を現す。
低く落ち着いた声が響く。
どこか嘲るような調子を含んで。
「なぜ、全員の動きを把握していながら、
私はあえて“護衛班”を試したのか。
……それが気になっていたんじゃないか?」
ゾアは一瞬、動きを止めた。
確かに、それは彼がずっと疑問に思っていたこと。
だが――この声……どこか、懐かしい。
ツバサは静かに腰を下ろし、
背を岩に預けて穏やかに微笑んでいた。
その眼差しは、まるで現れた男の正体を最初から知っていたかのようだ。
ゾアが振り返る。
そして次の瞬間、彼の瞳が大きく見開かれる。
「アコウ……!!!」
闇の中から現れた男――
深い茶髪を持ち、冷静すぎるほどに落ち着いた表情。
「驚くだろうね、私がここにいることを。」
アコウはわずかに笑みを浮かべた。
「そう、私こそがこの作戦の設計者。
地図を描き、戦略を立てたのも私だ。
すべて……計画通りに進んでいる。」
ゾアは拳を握りしめ、言葉を失う。
戦略の天才――アコウが、
まさか人質の一人として現れるとは。
「さて……」
アコウは穏やかな口調で続けた。
「君には、いくつか説明しておくべきことがあるようだ。」
最初にゾアの口から飛び出したのは、もちろん――地図と、なぜ護衛班を試す必要があったのかという質問だった。
アコウは、まるでそれを予期していたかのように静かにうなずいた。
「その通りだ。人質班と護衛班は、本来なら互いを信頼し合える――だが、それは半分だけだ。もう半分は違う。その歪みが亀裂を生み、同じ班の中に二つの派閥を作り出す。そしてそのまま放置すれば、我々は何ひとつ制御できなくなる。」
ゾアは黙り込んだ。
「だからこそ――」アコウは続ける。「俺とアユミは、護衛班の中で誰とも面識がないふりをした。目的はまず、人質班の内部で基本的な信頼関係を築くこと。そして段階的に真実を明かしていく。護衛班を試すという計画は、実際には人質班の結束を強めるためのものだった。疑心を生むためではない。」
ゾアはわずかに眉をひそめた。「でも――お前は“互いを信じるな”とも言った。それはどういう意味だ?」
「ふふっ……」アコウは唇の端を上げ、意味深な笑みを浮かべる。「このゲームにはハンターが紛れ込んでいる。そして、そのハンターが二つの陣営のどちらかに潜んでいる場合、信頼は諸刃の剣となる。ときに――疑うことこそが生き残る唯一の道なんだ。」
ゾアがさらに問いを重ねようとした瞬間、アコウは軽く手を上げて制した。
「それ以上は知らなくていい。ただ、このことだけ覚えておけ。」
しばらく沈黙の後、ゾアは二つ目の質問を投げた――なぜアコウがここにいるのか。
理論上、アコウは本部にいるはずであり、今回の任務は限られたメンバーのみが参加している。
アコウは短く答えた。
「お前を次の国家級任務へ連れて行くためだ。そこにはトップクラスのオペレーター全員が集まる。俺はヒトミに頼んで、特別な転送形式でここに送られた。準備期間を短縮するためにな。」
その目に一瞬、疲労の色が宿る。
「――あの任務は、他の何よりも重要だからだ。」
そう言うとアコウは、ポケットから丁寧に折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
「このゲームのルールは、覚えているか?」
ゾアはうなずいた。
「実はな……ひとつだけ誤差がある。」
アコウの声が低く沈む。
「護衛班が受け取った情報によれば、ショップの位置と観客との接触地点は別々の場所にある。――だが、実際には……それは同じ場所だ。」
ゾアは息をのんだ。
「ということは――」
「そうだ。そこへ行けば、参加者は価値点を失うことになる。」
アコウの声は冷ややかで、まるで死刑宣告のようだった。
ゾアがまだ理解しきれないうちに、アコウはさらに続ける。
「この誤差が生じた理由は、俺が**変異鬼**のデータを書き換えたからだ。」
「ゲームが始まる前、あいつは全ルールを紙に書き出し、参加者の脳へ信号として送り込む。その瞬間に俺が介入して――位置情報を改ざんし、一つの地点を二つに分けた。」
「お前……わざとバグを作ったのか?」
「バグじゃない。」アコウは静かに訂正する。「これはテストだ。」
「もし護衛班が人質班を信じなければ、彼らは別々の場所を探しに行くだろう。そうすれば、ゲームは自動的に信頼できる者と疑う者を選別してくれる。」
アコウは小さく笑った。
「もうすでに、どこかで分裂が始まっているはずだ。――それでいい。俺の狙い通りだ。」
ゾアは黙り込み、こめかみに鈍い痛みを感じた。
次々と押し寄せる情報。計画の断片、細部のすべてが――アコウの掌の上にある。
「地図を俯瞰できる能力」など、最初から存在しなかったのだ。
あるのはアコウ自身の知性と技術。彼はドローンを放ち、間接カメラを使って全地形を観測していた。
ゾアはゆっくりと拳を握りしめ、深く息を吐く。
圧倒的な統率力に対する畏怖、そして――気づいてしまった真実。
「俺たちは皆……あいつの盤上で踊らされている。」
ゾアは白竜と名乗る男のこと――その能力、そして見せた力の規模を余すことなく語った。
ツバサはその情報をアコウへ伝える。アコウはわずかにうなずいただけで、何の動揺も見せなかった。
「問題ない。」アコウは淡々と告げる。「予想が正しければ、セシリアは進化を遂げ、奴と互角――いや、わずかに劣る程度の強さまで到達するはずだ。」
「それはつまり……この任務が終われば、彼女はヒトミをも超える可能性があるということか?」ツバサが眉を寄せる。
アコウは落ち着いた声で答えた。
「その可能性は十分にある。今の時代、能力者たちは魔女や“黙示録の四騎士”級の存在と対峙している。彼らの成長速度は、かつての世代をはるかに凌駕している。アックやイチカワがヒトミを超えていても不思議じゃない。……そもそもヒトミは、純粋な戦闘力よりも権力面での支配が強いタイプだ。」
ツバサはしばし沈黙し、そして小さく首を振った。
「成長速度がそこまでとは……本当に異常だな。もしお前の言う通りなら、セシリアは完全な例外だ。」
アコウは穏やかに笑う。その瞳には、すべてを見通すような光が宿っていた。
「本来、彼女はとっくに恐るべき力を持っていた。ただ、その力を使う必要がなかっただけだ。白竜――完全な天敵と出会った今こそ、彼女が真の力を解放する好機だ。」
アコウの説明によれば、セシリアの能力は白竜の力に対して完全な相克関係を持つという。
奴のどんな攻撃であっても、セシリアの一振りの剣で打ち砕かれる。
ただし、唯一の不利はエネルギー量――圧倒的な数値差だった。
白竜の戦闘値 2,750,000。その域は、選ばれし「十色」の後継候補――**新色座**に匹敵する。
現在の世界において、ヒトミが保持する最高値は2,400,000。それですら平和時代の記録だ。
その上を行く存在がこのゲームに出現したという事実は、学園にとって国家級任務と同等の事態を意味していた。
だが――このゲームは変異鬼が作り上げた仮想空間。
外部からの干渉はすべて無効化されている。
ツバサは小さく息を吐き、月光を仰いだ。
その声は低く、しかしどこか落ち着いていた。
「……状況はどんどん複雑になっていくな。行き止まりばかりだ。」
それでも彼の瞳には、揺るぎない自信の光が宿っていた。
まるで、自らの立つ場所と次に進むべき一歩を――すでに理解しているかのように。




