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第57話

瞳に溜まった涙が揺れるたびに、そこに映る影は――見覚えのある輪郭だった。

背は高くはなく、どこか痩せている。だがその姿はあまりに馴染み深く、セシリアの胸はきゅっと締めつけられた。アック。間違いようのない名だ。


数秒、彼女は言葉を失った。頭の中は真っ白になり、心臓が締めつけられるように痛んだ。やがて抑えきれぬ感情が爆発し、セシリアは震えながら立ち上がった。涙が頬を伝い落ち、ひと歩き、またひと歩きと、アックへと近づいていく。言葉は出ない。ただ、嗚咽だけが喉に絡みついて消えない。


アックはそこに立ち続けていた。飾り気もなく、華美な身振りもない。ただ在るというだけで――それがどれほど彼女の心を満たすか、彼はきっと想像もしていないだろう。


そして、セシリアは嗚咽をあげて泣き崩れた。大きな、悲痛な声で、長年溜め込んだすべての重荷を吐き出すように。廃墟の町の中、鉛のように重い空の下、二人きり――彼女は駆け寄り、痩せた肩に頭を預けた。アックはそっと彼女を抱きしめる。抱擁の瞬間に、初めて彼は気づいたのかもしれない――どれだけ強く振る舞おうとも、セシリアもまた、この世界と孤独に抗う一人の弱い少女なのだと。


「ごめん……セシリア、ひとりにしてしまって。」

アックは低く囁いた。声は風に混じって震えていた。


セシリアは嗚咽を呑み込みながら、息を切らしつつ答えた。

「私……本当に孤独だったんだ。君が去って、シドも、もうシドじゃなくなって……誰にも頼れなくて、私……」


彼女はアックをぎゅっと抱きしめる。離したら彼が消えてしまいそうで、必死で掴んでいるようだった。アックは言葉を遮らない。言い訳もしない。ただ静かに聞いている。彼の沈着な存在が、彼女の涙を受け止める唯一のよりどころとなっていた。


町は再び静寂に戻り、瓦礫の隙間を風が吹き抜ける。だがその刹那だけは、世界が二人だけのためにあるかのようだった。絶望を吐露する一人の少女と、沈黙のうちにそれを受け止める一人の少年。


やがて夜が訪れ、銀の月が高く昇り、星々が空を飾る頃、二人はやっと火のそばに腰を下ろした。薪の炎が二人の体温と混ざり合い、心の深い傷をほんの少しだけ和らげる。


「言いたいことは……もう全部、言い切ったよ。」

セシリアは涙を拭い、声は落ち着きを取り戻していた。瞳の光も柔らかくなっている。「それで……君はここに何をしに来たの?」


アックは曖昧に濁さず、真正面から言った。

「ここに現れた理由は……一時的なんだ。介入するための手段がまだ見つかっていない。だから、会うべき人にきちんと伝えなければならないことがあってね。そのためだけにここにいるんだ。」


彼は余計な言葉を加えない。冷静で、霧を切り裂くような口調で続ける。


「今、俺は――時間を切断してここに現れている。君に会うためだけに。話し終えたら、また時間を切断して次へと進まなければならない。」


アックはセシリアをまっすぐ見つめ、視線を逸らさなかった。


「それは決して私情のためじゃない。俺は、君に――自分が誰であったかを思い出してほしいんだ。旧い時間軸では、君は早いうちから“絶対の力”に触れ得る、稀有な天才の一人だった。君の本質は、その――能力にある。もし《魔術師》がこの世界の運行に介入し得るのなら、君の能力は、世界を滅ぼし得るものを象徴している。」

アックは一拍置き、まるで厚い黒幕をそっとめくるように、壊れた歴史の層を一つずつ紐解き始めた。


「過去――世界規模の大異変、《サイクル・コラプス》 の後、文明は分断された。

人類は黄金時代を失い、各地で国家や闇の組織が乱立した。

彼らは権力と古代の技術の残滓を奪い合い、ただ一つの目的――NGを打倒するために争い続けた。

(それこそが、人類が黄金時代を失った原因だった。)


その古代技術の中には、世界を滅ぼすほどの破壊力を持つ兵器が存在していた。

当時の人々はそれを――**核爆弾ボム・ハツニャン**と呼んでいた。」


セシリアは小さく眉をひそめた。

アックは淡々と続ける。


「君はきっとこう思うだろう――

『なぜ人類は核爆弾でNGを一掃しなかったのか?』と。


答えは単純だ。彼らにはできなかった。


あの時代は、まさにNGの黄金期だった。

奴らは**“戦禍の災厄グレート・カタストロフ・ウォー”**――

**《黙示録の四騎士》**のひとりを擁していた。


その存在の権能によって、すべての重火器は奴らの支配下に置かれた。


女王は、核爆弾がNGの存亡を脅かすと判断し、

戦禍の災厄に命じて――

この世界から**「銃」や「核爆弾」という概念そのものを抹消させた**んだ。


それ以降、人類は“銃”という言葉を知っていても、

その作り方を完全に忘れてしまった。

設計図も、記録も、記憶さえも――すべてが消え去った。


この世に残っていた銃器も、一丁残らず消滅した。

ただ一人、戦禍の災厄だけが、なおも銃を創り、扱うことができた。」


アックの声は次第に沈み、まるで滅びた文明の鎮魂歌のように響いた。


「奴は銃弾による大量虐殺で人類に悪夢を植え付け、

女王の代行者として戦を宣告し、

人類を早期降伏へと追い込もうとした。


だが――人類は決して屈しなかった。


彼らは愚直なまでに抗い続け、

ついにNGに対抗するための新たな兵器を創り上げた。


それこそが、今で言う**《古の遺物アンシエント・レリック》**――

**“Cổ Khí(コー・キー)”**と呼ばれるものだ。


だが、誰もその正体を知らない。

ある者はそれを爆弾だと言い、

ある者は人間を用いた生体実験の産物だと言う。


形は定まらず、時の流れがすべての痕跡を消し去った。


ただ一つ、確かなのは――

その力は、完全に解放すれば一国を滅ぼすほど強大だったということ。


古の遺物の出現によって、戦禍の災厄は討たれた。

女王は軍を撤退させ、もはや正面衝突を避けざるを得なかった。


しかし――人類もまた、勝利を手にすることはできなかった。

どうやら古の遺物にも“限界”が存在していたようだ。」

アックは深く息を吸い込み、まるで焼け焦げた年代記の最後の頁をめくるかのように語り始めた。


「やがて時が流れた。古の遺物は次第に歴史の名前だけになっていった。

それを取り戻すために、人類は世界の第二面へと踏み込まねばならなかったのだ。」


セシリアは顔を少し上げた。アックは説明を続ける。


「第二面は、この目の前にある世界の“そのままの延長”ではない。

それは――別個の世界であり、並行宇宙のように分かれた場所だ。

そちらでは、NGと人類が徹底的に破壊を繰り返した結果、すべてが荒廃していた。

ガイアはやむを得ず、破滅級の存在を呼び出して殲滅と再構築を行った。

そして女王は、すべてを失うことを恐れて、あるNGの力を借りて新たな大地を築いた――そこは生命の強さが再起する場だった。

それ以降、ガイアは直接介入することをやめ、世界にもう一度機会を与えたのだ。」


焔が揺れるように、アックの瞳が火を反射した。


「魔術師たちの力の乱用が世界の仕組みを歪めた。戦争の代償は余りに大きかった。だから新たな面では、女王は魔術師や黙示録の四騎士の扱いに慎重にならざるを得なかった。

そして再創造されたこの地上では、人間とNGのほかにほとんど何も残らなかった――ただ木々と豊かな自然だけがあった。

人々はそこに都市を築き、国家を興し、再びNGと戦ったが、以前よりもずっと賢く振る舞った。それでも、人類は徐々に滅びの淵へと追い詰められていった。」


声の調子を落とし、アックは続けた。


「時はさらに磨り減り、自然は人間の築いた構造を少しずつ浸食した。人々は逃げ、またNGと戦った。だが、やがて最初の強き者たちが現れ、人類文明を再建した――人材を育て、国家を編成し、NGと対峙するために戦った。そうして今日まで、世代を繋いで存続してきたんだ。」


アックはセシリアの瞳をじっと見据える。


「今日ここに来たのは――ただ君に思い出してほしいからだ。君は凡庸な存在ではない、瓦礫の世界に投げ込まれたただの一人ではない。君は変数だ。

もし君がその道を選ぶなら、君の能力は滅びの縁に触れ得る。同時に、その力は希望を再定義することもできる。」


言葉を刃のように切って閉じる。


「この会話が終われば……俺はまた時間を切断する。」


アックは短く息を吐き、落ち着いたが揺るがぬ光を宿した目を細めた。


「セシリア、俺が一番伝えたいのは――旧い時間軸では、古の遺物は実際に発見されていたということだ。もっと重要なのは……君の能力は、徹底的に使えば古の遺物に匹敵する破壊力を持ち得るという点だ。だからこそ、君は戦に利用されてきたんだ。」


セシリアは少し身を強ばらせたが、アックは重く続けた。


「俺だけじゃない。ヒトミでさえ、君を国家の道具として従わせようとした。

だが――彼らは君の全力を引き出すことができなかった。

だから俺はここに来たんだ:どんなことがあっても、自分を武器として使わせてはならないと警告するために。」

アックは一拍置き、言葉をセシリアの心に深く落とした。やがて彼は、失われた時間軸からの記憶を静かに語り始める。


「君は生まれつきの才を持っていた。旧い時間軸では、最初の任務の段階で既に高位エネルギーを覚醒していたんだ。

その後すぐに、君は一年生のトップ十の一角に名を連ねた。さらに俺の隣で力を伸ばしていった。アコウもまた天才だが、君とは違って初期から戦闘に身を投じたわけではない。彼が高位エネルギーに目覚めたのは三つの任務を終えた後だった――そのとき初めて、アコウの才が顕在化したんだ。」


アックは思い返すようにわずかに微笑んだ。


「前の時間軸では、君が俺に高位エネルギーの扱い方を教えてくれた。力を戦いに使う術を。あの頃の君には仲間がいて、闘志があり、戦う渇望があった――君は眩しくて、俺たちを誰もが憧れさせた。」


声の調子を落とし、だが確固たる語り口で続けた。


「そして予想した通りだ――現在の君もまた、生まれつきの才によって高位エネルギーを速やかに覚醒するだろう。だが今回は、俺が君にその力の使い方を教える。どの国家のためでもない、自分を守るために使う術をだ。」


さらに率直に言う。


「だが忘れるな……力を早々に露顕してはならない。最初の試験で全力を出すな。そうすれば、ヒトミが君に注目してしまう。彼女は君を国家の任務に巻き込み、イチカワやアコウのように使おうとするだろう。アコウの場合は別だ――彼は軍事環境に触れる必要がある。未来において彼はヒトミを覆す存在になるからだ。しかし君は違う。俺は君に隠れていろと望む。最初の任務が掲示されたそのとき、全力を出して位を上げろ。その頃にはアコウはスカイ・ストライカーの軍機構にいるはずで、俺は彼が誰にも君を戦争の道具にさせはしないと信じている。」


アックはセシリアの瞳を真っ直ぐに見つめ、真剣な表情で問いかけた。


「――ここに残るつもりで本当にいいのか?」


セシリアは柔らかな、しかし満ち足りた笑みを浮かべて答えた。


「うん。ここにいるよ。だって……ここには君が信じられる人がいるから。」


その言葉を聞いて、アックは小さく頷いた。問いを重ねることはしなかった――安心して背を向け、歩き出す。だがそのとき、セシリアがはっと声を上げた。


「ちょっと待って、アック……旧い時間軸で、結局何があって君がこの時間軸を作ったの?」


アックは足を止め、ゆっくりと振り返った。唇が柔らかくほころびる。


「実はその質問は、随分と多くの者から受けてきたよ。新しい仲間たち、君のような者たちからね。」


彼は軽く笑い、目に一瞬の哀愁を宿す。


「長い話だ。いつか機会があれば、全部話してやるよ。だが今は――話す時ではない。」


その言葉を残して、周囲の景色がふっと夢から覚めるようにぼやけ始めた。


――戦場に戻る。


セシリアはゆっくりと目を開けた。目の前には、戦闘で砕け散った荒廃した光景が広がっている。遠方では一体の**高位汚染体(変異)**が咆哮し、ジョナスは闇に紛れて、彼女をとどめ刺す機会を窺っていた。


風がそよぎ、地面の砂塵を巻き上げる。セシリアは体を起こし、口元に自信に満ちた微笑を浮かべる。瞳は消えぬ炎のように燃えていた。


「すべて、一手で終わらせる……」――その声は冷たく、しかし威圧に満ちている。

「私は――一撃で、すべてを終わらせる。」

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