第52話
「四等級じゃない? ……そんなことはどうでもいい。
たとえ何等級だろうと――お前たちは、ここで死ぬ。」
セシリアの声は、まるで大気を断ち割る一閃のように響いた。
力強く、迷いがなく、そして何よりも揺るぎない。
目の前のNGは片眉を上げた。
その瞳に宿る決意を見て、彼は抑えきれない愉悦と興味を滲ませる。
「名前を、聞いてもいいか?」
低く、しかしどこか楽しげな声だった。
セシリアは即座に答えた。
一言一言が刃のように鋭く、確固たる響きをもって。
「セシリア・モンクレール。十六歳。能力等級A、戦力値七万四千。」
その名を聞いた瞬間、男の口元に満足げな笑みが浮かぶ。
「覚えておこう。セシリア・モンクレール……ああ、そして今――」
言葉が途切れると同時に、彼の身体が崩れ始めた。
形を失い、黒い烏の羽根へと変わっていく。
その羽根はゆっくりと空中に舞い、まるで灰の雨のように散っていった。
セシリアは思わず動きを止め、目を見開いた。
反応する間もなく、背後で羽根が絡み合い、
やがて闇そのものが形を取るように、再びひとつの人影を作り出す。
本能が警鐘を鳴らす。
セシリアは瞬時に振り返り、全力の斬撃を放った。
刃が空気を裂き、風が悲鳴を上げる。
砂埃が両脇へと吹き飛び――しかし、そこには何もなかった。
足音が響いた。
闇の奥から、男の声がゆっくりと流れ出す。
まるで舞台の上で自己紹介をするかのように。
「ジョナス・レーマン。ネオシス。能力等級D、戦力値十一万二千。
職業は医師――戦士ではない。だが、戦い方は知っている。
そして……今年で九十三歳になる。」
最後の一言に、セシリアの動きが止まった。
彼女にとって、ネオシスを目の前にするのはこれが初めて。
そして同時に、自分が彼らについて何も知らないことを痛感する。
しかし警戒を緩めることはない。
彼女は周囲を見渡し、男が次に現れる位置を予測する。
さきほどの会話から推測できる。
――この男の能力は、自身を烏の羽に分解し、
別の場所へ再構成する転移系の一種。
等級Dであるなら、複雑な構造ではないはず。
予測どおり、ジョナスは再び闇の隅に姿を現した。
その瞬間、セシリアは疾風のごとく踏み込み、矢のように突進する。
彼女の狙い通りだった。
ジョナスの表情に、一瞬の驚愕が走る。
すぐさま彼は銀色のメスを抜き放った。
セシリアはためらわずに剣を突き出す。
大気が裂け、圧縮された空気が爆ぜ、砂が左右に吹き飛ぶ。
しかし――光が弾けたその刹那、ジョナスはわずかな動きで、
その小さなメス一本で、彼女の全力の一撃を受け止めていた。
セシリアの目に驚愕が浮かぶ。
それを見たジョナスは、愉快そうに口角を上げた。
次の瞬間、彼の身体が再び黒い羽根へと砕け、
セシリアの死角で再構成される。
稲妻のような速さで、彼は腰の横を狙ってメスを突き刺した。
刃が肌をかすめ、冷たい感触が走る。
セシリアは反射的に身を翻し、大きく跳び退く。
冷や汗が頬を伝い落ちた。
彼女の警戒は、もはや限界まで高まっていた。
「たかがDランクの能力とはいえ……どうやら君を苦しめるには十分らしいな?」
セシリアは一歩も退かず、鋭い視線で応じた。
「随分と自信家ね。そんな子供じみた手品で優位に立ったつもり?」
ジョナスは目を細め、口元に薄い笑みを浮かべる。
「自信こそが戦場を支配する鍵だ。恐怖に震える者は、決して真の力を引き出せない。」
そう言うや否や、彼は手にしていたメスをセシリアへと投げ放った。
セシリアは剣をひるがえし、金属が激しくぶつかり合う音が暗闇に響く。
その隙を逃さず、ジョナスは笑みを崩さぬまま一気に間合いを詰め、白光のような斬撃を放った。
セシリアは彼の手首を掴み上げ、全身の力を込めて床に叩きつける。
だが、潰れる寸前にジョナスの体が再び黒い鴉の羽へと分解され、霧散した。
舞い散る羽根の軌道を読み切り、セシリアは瞬時にそこへ突きを放つ。
鋭い衝撃音が響き、ジョナスの身体は宙を舞い、壁に叩きつけられる。
壁面にひびが走り、彼の口から鮮血がこぼれた。
セシリアはそのまま畳みかけるように跳び出し、止めを刺そうと剣を振り下ろす。
しかしジョナスは身を屈め、彼女の足を払おうとする。
それでもセシリアは体勢を崩さず、上段からの一撃を振り下ろした。
咄嗟に再び羽となって逃げるジョナス。
剣が空を裂き、衝撃波が周囲を揺るがす。
地面が裂け、粉塵が舞い上がった。
「それで終わり?」
煙の中から、セシリアの声が響いた。
ジョナスは口元を拭い、微笑む。
「君の力は確かに脅威だ。だが、君はまだ――肝心なことを理解していない。」
セシリアの眉がわずかに動く。
「……肝心なこと?」
その瞬間、周囲の闇がうねり始めた。
無数の変異体が、壁や床の裂け目から這い出してくる。
彼らは攻撃を仕掛けず、まるで指令を待つ兵のように、じっとセシリアを見据えていた。
「どういうこと……? あいつらに知能なんてあるはずがないのに……」
ジョナスは穏やかな口調で答える。
「ここは我々の拠点だ。何の準備もなく足を踏み入れるとは、無謀にも程がある。」
そのとき――。
底なしの闇の奥から、冷たく、どこか嘲るような声が響いた。
「随分と時間をかけてくれたわね、ジョナス。……あなた、本当に仕事してるの?」
深く響くあの声の方向から、邪悪な圧力が波のように押し寄せてきた。
それはあらゆるものを押し潰さんとするかのように重く、空気はたちまち重苦しく鈍くなり、一息ごとに呼吸が苦しくなる。
セシリアは思わず身を震わせ、冷たい汗がこめかみを伝って滴り落ちた。
その力は単なる脅威ではない――肩にのしかかる見えない荷重であり、筋肉の一本一本を凍りつかせる重圧だった。
彼の足音はかすかにしか聞こえない。だがその一歩一歩が、不気味なリズムを刻み――まるで命を刻むカウントダウンの鐘のように鳴り渡る。
その者の周囲に渦巻く邪悪は、視覚にさえ訴えかけるほど濃密で、冷たい黒い霧のように伸びてはセシリアを巻き込み、獲物を追い詰める網のように彼女を締め上げた。
変異体たちが低く唸る。彼らの掠れた、ぞっとするような咆哮が四方に響き、足音と重なり合って一種の葬送曲を成す。
周囲の闇は濃度を増し、わずかな光さえ飲み込まれていく――そこに広がるのは、ただただ深く暗い淵だけだった。
ジョナスは仲間の苛立ちを察し、気取った口調でからかうように言った。
「どうやら、私のような医者は戦いに向かないというわけか。――後方に下がるべきだろうかね?」
すると、濃密な闇の中を、淡い光の筋が一閃して空間を切り裂いた。
ゆっくりと、しかし確実に、人影が浮かび上がる。
長く腰まで届く白い髪は凍てつくように光り、後ろで整然と束ねられている。光はその髪の一本一本を滑り、彼を妖しくも凜とした美しさに染め上げた。
彼の装束は漆黒そのものの服で、まるで闇そのものを織り上げたかのように平滑である。
袖口や裾、帯に走る金の縁取りは鋭い稲妻のように輝き、閉じ込められた閃光が胸騒ぎを誘う。
彼の歩みは音を立てぬが、踏みしめるたびに目に見えぬ圧力が地面を震わせる。背後の影は歪み、やがておぞましい姿へと編み上げられていく――一瞥するだけで背筋が凍るような、朧な邪悪の実体。
その者から溢れる威圧はさらに強まり、冷気の針が無数に皮膚を貫くかのような凍てついた疼きをもたらした。場内は息を呑むような静寂に包まれ、小さな音ひとつでさえ、その恐ろしい重みに耐えきれずに砕け散りそうだった。
「この人間が、ジョナスを困らせているのか?」
簡潔な問いかけだが、それは宣告に等しかった。ジョナスは答えず、ただセシリアをあの途方もない圧の前に立たせたままにしていた。
白髪の男はゆっくりと手を上げる。掌からは奇妙な光が湧き出し、銀河を小さく写したかのように渦を巻く。彼の声は冷たく、感情の欠けた調子で告げる。
「私はジョナスのように気楽ではない……滅びよ、人間ども。」
その宣告が落ちた瞬間、セシリアの背後の闇が裂け、黒い閃光が走った。
テオドールが姿を現し、その剣が暗闇に冷たい光の線を引いた。爆発が誘発され、黒い電光の轟音が鳴り渡り、セシリアは呆然とした麻痺からはっと我に返った。
汚染変異体たちは衝撃で吹き飛ばされたが、致命傷は負っていない――まるで見えない保護膜が彼らを包んでいるかのようだった。
テオドールはセシリアの前に立ちはだかり、表情を引き締めて白髪の男をにらみつけた。声は冷たく、重く、沈んだ空気を切り裂くように響いた。
「彼女に手を出すな――さもなければここをめちゃくちゃにする。」
ジョナスはその声を聞いて鼻で笑った。聞き覚えのある名だ、とでもいうように。
「おや、テオドールじゃないか。わざわざこんな所まで来るなんて――その娘はそちらの人間にとって大事なんだな。」
テオドールは彼を一瞥し、言葉を短く切った。
「今は戦闘したくない。彼女を連れて帰らせてくれ。今戦えば、誰の得にもならん。」
沈黙が一瞬流れた。白髪の男は淡々と答える。
「確かにそうだ……だが先に手を出したのは向こうの娘だ。我らではない。」
テオドールの視線が暗くなる。男の正体に気づいたのだ。
「この子がここを知らないのは無理もない。今回は見逃す。今、戦っても得るものはない。」
両者の視線は交錯し、空気はちぎれそうなほど張り詰めた。やがて白髪の男は肩をすくめ、背を向けて闇へと戻りながら冷たく言い放った。
「仕方ないな……次に会ったら、今度は必ず斬るよ。」
ジョナスは嘲るように笑い、その後に続いて去って行った。二人が消えると、あの凄まじい圧力はゆっくりと弱まり、静寂だけが残された。
テオドールはセシリアの方へ振り返り、問いかけた。
「大丈夫か?」
戦いの残滓を見れば、彼女が先ほど六体のNGのうちの一体と対峙していたことは容易に察せられた。
セシリアはまだ動揺が収まらない様子で答える。
「いったい……あの白髪の男は何者なの?」
テオドールは短く答え、ふたたび歩き出した。
「彼のことは後で話す。全員が揃って増援会議を開いてからだ。」




