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【第9話】できること


 三ツ谷が学校に遅刻した日も、家に帰ってから能勢はセーターを編み続けていた。でも、手を動かしている間は今までなら無心になれていたのだが、この日ばかりはそうもいかなかった。


 三ツ谷とこれからも仲の良い状態を維持できるのか。そもそも自分と三ツ谷の志望校は違うから、大学に進学したら、会う機会は少し取りづらくなるだろう。


 でも、その前に自分と三ツ谷の距離が開いてしまいそうで、それが能勢には堪えきれない不安となって、胸の中に渦巻いてしまう。自分はこのままセーターを編んでいていいのか。


 その思いは次第に膨らんでいっていて、気づいたときには能勢は棒針を手放していた。自分が今しなければならないことは、セーターを編むことよりも勉強だろう。


 そう思って能勢は机に向かって、参考書や問題集を開く。それでも、義務感でする勉強はなかなか集中できない。


 それでも、能勢はしばし机に向かい続けた。これからも三ツ谷と一緒にいるためには、今は勉強をするしかないという思いに囚われるかのように。


「能勢さん、今日も来てくれたんですね。ありがとうございます」


 その週の日曜日、能勢は再びcafe coudreを訪れていた。家ではいまいち身が入らず、本腰を入れて編むには、外に出るしかないと思ったためだ。カフェラテを飲みながら、棒針編みに勤しむ。


 だけれど、三ツ谷のことを思い浮かべると、能勢はまた不安に駆られてしまう。勉強と部活、どちらもしなければならない三ツ谷の苦労をしのんでしまう。


 そんなときだった。宇高が話しかけてきたのは。店内には能勢の他には客は片手で数えられるほどしかおらず、注文が入る気配もない。


 だから、話しかけられた手前、能勢も素直に答えることにした。


「そうですね。家で編むよりもここで編む方が集中できるので。店内は落ち着けますし、カフェラテも美味しいですし」


「そうですか。ありがとうございます。それで、どうですか? 能勢さん。うまくいってますか?」


「えっ、うまくいってますかっていうのは……」


「ああ、セーターのことです。着々と編み上げられてきてるじゃないですか」


「そ、そうですよね。セーターのことですよね。は、はい。何とかやれてます。何とかクリスマスまでには間に合いそうです」


「そうですか。それはよかったです」


「と言いたいとこなんですけど」そう宇高は言葉を繋げていたから、能勢は思わずドキリとしてしまう。何も話していないのに、三ツ谷とのこれからの関係に不安があることを見抜かれたのだろうか、と。


「能勢さん、最近何かありましたか?」


「ど、どうしてそう思うんですか……?」


「いえ、こんなこと言ったら失礼なんですけど、思っていたよりも先週から進んでないなと思いまして。何か気がかりなことでもあったんですか?」


 そう訊いてくる宇高に、能勢は確かに図星を指された感覚がした。


 先週cafe coudreを訪れた時点で、能勢は右袖を七割ほど編むことができていた。だから、今までの進み方から言って、もう左袖を編み始めていてもおかしくないと宇高は思ったのだろう。能勢としては何事もないように振る舞っていたつもりだが、進捗は現状をしかと語っていたのだ。


 ここで「いえ、何でもないですよ」と答えたところで、宇高の疑問は少しも解消されないだろう。それに、一人で抱え込むことにも大変さを感じていたから、能勢は否定はしなかった。


 それでも、「ま、まあ、そうですね」という返事は歯切れが悪くて、宇高を安心させる材料にはなりえない。


「能勢さん。よかったら何があったのか、ちょっとだけでもいいので私に話してくれませんか? 人に話すことで、少し気が楽になることもあるかもしれないですし」


 宇高は心配そうな面持ちで、能勢の反応を窺っている。それが能勢の中の天秤を、話す方へと傾けていく。


「あの、宇高さん。もしかしたら『なんだそんなことか』って思うかもしれないんですけど、それでも笑わないで聞いてくれますか?」


「もちろんです。能勢さんは真剣に悩んでるんですよね。だったら、それが何であろうと私は笑うわけないですよ」


 宇高の目からは本心で言っていることが察せられて、能勢はその言葉を信じてみたくなる。cafe coudreに来て顔を合わせているうちに、能勢も少しずつ宇高に対しては心を許し始めていた。


「そうですね。あの、実はこれは以前言った僕の大切な人に関する話なんですけど」


「はい。能勢さんが今編んでいるセーターを贈ろうとしている方ですよね」


「そうです。で、その人は今僕と同じ高二なんですけど、部活と受験勉強でとても忙しくしてるんです。何でもその人の志望校は、偏差値も六〇を超えるようなところで。最近の模試でもなかなか厳しい判定が出たようで、今から受験勉強をしなければ、とても合格できないみたいなんです」


「なるほど。それは確かに大変ですね。私もこれでも一応大学は出てるんですけど、それでも受験勉強はちょうど今の能勢さんたちくらいの頃から始めていて。塾にも通って、とても苦労した覚えがあります」


「そうですね。それで、その人はこれからさらに忙しくなっていくみたいで。僕とも今まで通りのペースで会えるかどうかも分からないんです。もちろん学校では毎日顔を合わせることはできますけど、それでも今のお互いの家に行ってゲームしたりする関係は維持できるのかどうか。それを僕はとても気がかりに感じているんです」


「って、こんなの宇高さんからしたら、そんなことで悩んでるんじゃないよって話ですよね。すいません。全然大したことなくて」最後に思わず付け足して謝ってしまうくらい、能勢は自分が話したことに後ろめたさを感じていた。自分よりも年上の宇高は、もっと大変なことで悩んでいるに違いないと。


 それでも、宇高は「いいえ、そんなことないですよ」と小さくかぶりを振っている。それが嘘や話を合わせるためではないことは、能勢にも何となく分かった。


「私にも一応受験生だった時期があるので、能勢さんの気持ちは完全にとは言えないんですけど、それでも分かる部分はあります。私も特に直前は受験勉強に追われて、友達と遊んだり一緒にいる時間もかなり減ってしまいましたから。ラインとかはしてても、直接はなかなか会えないことに、私も寂しさを募らせていた記憶があります」


「そうですよね。あの、宇高さん。僕どうすればいいでしょうか……? どうやったらこの不安はなくなるんでしょうか……?」


「そうですね……。本当に正直に言ってしまうと、その方の受験は本当にその方自身のことなので、能勢さんにできることはあまりないと思います。能勢さんがその方の代わりに受験できるわけではないですし。だから、こんなことを言ってしまったら身も蓋もないんですけど、一番は受験が無事に終わるの待つことではないでしょうか?」


「やっぱりそうですよね……」と言いながら、能勢は思わず肩を落としてしまいそうになる。自分は三ツ谷の代わりにはなれない。これは三ツ谷が最後には、自分の力で乗り越えなければならないことなのだ。


 それは能勢にも分かっていたつもりだが、それでも自分にできることがないとなると、やはり少しは落胆してしまう。時間が解決してくれると悠長に構えることは、とてもできなかった。


「ええ。でも、能勢さんにできることが一つもないわけではないと思います。例えば毎日ラインか何かをしてその方を励ますとか。いくら忙しくても、スマホを見る時間くらいはあるでしょうし、現に私も友達とお互いに励まし合うことで、受験を乗り越えることができましたから。自分のことを気にかけてくれる人がいるって分かるだけでも、その方にとっては心強いはずですよ」


 宇高の見解には頷ける部分が大きかったから、能勢も素直に「そうですね。宇高さん、ありがとうございます」と答えられる。


「受験は団体戦だ」と教師が言うようなことを言うつもりはないけれど、それでもお互いに大変なときに励まし合うことで頑張れることは、普遍的な真実だろう。自分にも三ツ谷のためにできることがあることを知って、気分もいくらか軽くなってくるようだ。


 宇高も一つ頷いていてから、カウンターの向こうにいる店長に呼ばれて、能勢のもとを離れていく。去り際に「じゃあ、能勢さん。これからもセーター編むの頑張ってくださいね」と言われると、能勢としてもモチベーションが高まっていくようだ。


 宇高がカウンターの向こうに戻っていったところで、能勢は再び棒針を動かし始める。手もスムーズに動いて、能勢はだんだんと右袖を編むことに集中できるようになっていた。


(続く)

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